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AKIRA NAKA

AKIRA NAKA

アメリカ在住時にテイラーに出会いデザインを始める。アントワープ王立芸術学院在学中にイェール国際モードフェスティバルに参加。その後アントワープにおいてニットデザイナーに師事。21_21DESIGN SIGHT, ROCKET GALLERY等でプレゼンテーションを行う。08年JFWにおいてコレクションを行う。
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AKIRA NAKA Staff募集のお知らせ

AKIRANAKAではAKIRANAKAのチームの一人として、
責任を持って一緒に仕事をして頂ける方を募集しています。
下記の内容で勤務して頂ける方のご連絡をお待ち致しております。
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・ 募集職種

生産管理担当者(社員)
アシスタントデザイナー(インターン)
※社員登用制度あり

生産管理担当者(社員)
・業務内容
AKIRANAKAの生産管理及び外注企画における生産管理業務
・勤務日数
月曜〜金曜日 (納品月間は休日出勤あり)
・勤務時間
9:30〜18:00
・ 勤務地
三重県四日市市の弊社アトリエ
・ 応募資格
生産管理経験者および生産管理業務に興味のある方

アシスタントデザイナー(インターン)
・業務内容
AKIRANAKAのデザインアシスタント、生産業務に関する仕事、
及び、弊社が担当している外部デザインの企画等
・勤務日数
月曜〜土曜のうちの週3〜4日程度
・勤務時間
9:30〜19:00(コレクション月間は残業有)
・ 勤務地
三重県四日市市の弊社アトリエ
・ 応募資格
クリエィティブな表現が出来る方
協調性のある方
実務レベルでデザイン画が描ける方
9月から働ける方
トワル縫製が出来る方優遇

※インターンとしての募集ですので、
給与及びそれに順ずる金銭はお支払いできませんが、実力次第で社員への登用もあります。

ご志望の方は、プロフィール、履歴、志望動機、ご連絡先を必ず明記のうえ下記アドレスまでご連絡下さい。
contact@akiranaka.com

担当:橋田

たまごの味と建築と

洋服についての批評、建築についての批評
ふつうに読んでいると何か違和感がある

ほとんどの批評は創り手に対してそれを見た方や
そのフィールドに関係している方が出来たばかりのモノに対して
感想を述べる。

でも料理番組は違う。
”いやぁーこの卵焼きの作り方とコンセプト最高ですねぇ”
なんて言った日には放送事故間違いなしだ。

味は?である。

住吉の長屋にしても、住んだ人の批評はほとんど行われていない。
(施主の愛が合って成り立ってるんだよ!と仰りたい方私も同意見です)
僕の尊敬する建築家の方々の家々も同じ。

本来服は飾るものではなく着るもの。
家は眺めるものではなく住むもの。
であれば、そこ(味)も含めるのが本来の批評ではないのだろうか?
(批評は創作への意見、議論の発生を〜と思われている方スミマセン)

創り手の意見やコンセプトはあくまで創り手の中にあるもの。
誰もコンセプトを追求する為にモノをつくってはいない。
着る人、住む人へ何らかの価値を提供していく、ただそれだけの事。

新建築 築1年後住宅特集 なんてあったら絶対買いだ。

創作の意図が見える方々の気持ち、それにプラスしてそんなの分からないけど
着てますよ/住んでますよ的な方々の素朴な意見も聞いてみたい

Bianchiに乗って


ロードに乗って出かけた。
中央アルプスを見ながら、田園風景の中を走る。
風邪は少し強めだが、のどかな景色は気持ちをなごませてくれる。

昔はロードに明け暮れていた頃があった。
ツールを中学の時にテレビで見たのがきっかけだった。
あの頃のツールはまだインデュラインがデルガドのアシストを
していた。ジャンフランソワベルナールやフィニヨンの時代。
ブーニョがジロの完全制覇をしたのもあの頃だ。
そしてレモンの奇跡の逆転に感動していた。

あの頃の自分が考えていたのはレースで勝つ事ではなかった。

そもそもテレビで観ていた欧州のロードレースはチーム競技なので自分が勝つ必要はない。
自分の役割を果たせばそれでよく、その中で中継などで
取り上げられる事(ウェアに記載されたスポンサー名の露出と
自分のアピール)が重要とされていた。

レースに勝つ事ではなく、自分のレースをする事。

誰よりも速くゴールにたどり着く事、それも素晴らしい。
しかし他にも賞賛に値するものはたくさんある。
ゴールで活躍する選手がいるのど同じ様にそこまでの過程で
ギャラリーを魅せるレーサー達がいる。
日本では1番になる事が勝利だと考えられているが
欧州ではそれぞれにそれぞれの勝算があり、その数だけの
勝利がある。

それはスポーツだけでなく、デザインやファッションそのものにも
あてはまると感じる。

大切なのは誰よりも速いことではなく、自分のレースを走る事だ。

決定ルールを越えて


今期について少し。

今期のコレクションテーマはOVERDRIVE/オーバードライブ。
何かを越えて行く、越えた位置で答えを出すという事。

今まで自分のレーベルでは常にコンセプトベースに発展させるという
プロセスを取って来ました。女性像を決めて、そこへ働きかけ近づいて行くという
作業でした。しかし、最近自分が感じている事は洋服にもっと自由が必要に
なって来たという点でした。

コンセプトワークによって製作される洋服はおのずとそのゴールに向けて進むので
イメージが限定されてしまう。女性像も同じ様に限定してすすめるのでおのずと
一点へ向かう事になる。
そうする事で、洋服に創り手側の意思や意図が残り過ぎると言う点に違和感のような
ものを感じていました。

現在を生きる女性は服とその背景を纏う事は少なくなったと思います。それよりも
どのように自分がその服を楽しむかが気持ちの中心になってきている気がしています。
そのモノがもつ色をいかに反映させるかではなく、そのもの自体にどのような色づけを
するか?という視点。

デザイナーが前に出過ぎない、色々な答えを導きだせる洋服。色々なシーンに合わせて
自由に着こなせるもの。ここが美しいではなく、何気なく美しいというイメージ。

そのような思いに浸っていた時に思い出したのが、建築家青木淳さんが提案した
決定ルールのオーバードライブという理論でした。
ナカミ(構造)かカタチ(表現)かというベクトルを超越した位置での思考で
答えを導き出すもの。とても抽象的ですが、作品を見ると納得させられるものばかり
でした。一件理論が存在していないようなイメージで無秩序にも感じられる方法ですが
ルールという線上では決して導けない答えが新鮮で新しい秩序を生んでいる様にも
感じれるものでした。

それを自分がファッションというフィールドで表現できるとは考えていませんが、
その通常のプロセスをある意味無視した無秩序(というかルールから離れたもの)
から生まれ出るもの、もしくは無秩序でしか生まれ得ないものがあるのでは
という気持ちで今期のデザインに入りました。
一見無責任な創作に感じますが、感覚に頼る方がある意味純粋な自分を引き出せるという
気持ちもありました。

自分はデザイナーなのでクライアンツに自分のエゴを押し付ける事はしたくない。
でもやはり女性自身が固定された意思を持ち続ける存在でない限り、時代と共に
クリエーションの方法論も自由であって良いと思うのです。

構成表現を捨てる

構成表現を捨てるというアプローチ。
建築家の青木淳さんが随分昔に話されておりました。

建物の構成がカタチとして表現されるべきかどうか?
構成とはただそこに存在するだけでよいのではないか?という問いでした。

自分は構成が捨てられた後にこそ美しさが残ると考えている。とくに自分が表現したいfashionという
エリアにおいては、やはり構成を全面に押し出し過ぎるスタイルにたいして
作り手のエゴを感じてしまう。

勿論構成がカタチに影響を与えたり、構成とカタチが同じビジョンの上に存在し
それがハーモニーを奏でる事は素晴らしい事だし、フォームフォローファンクションという
点からしてもそれはとても価値がある。

ただその他の表現方法があっても良いと思う。
ただそこにある構成。とか、、、。
もしくはただそこにあるように見える構成、定義を与えない存在。

何を見せ、何を魅せるか。あるいはただ魅せるというべきかもしれない。
そこに何かがあるという事は(特にディテールに関して)ある一定の
調和もしくは和音の中で表現されるべきものだと思う。ディテールを着る人は
いないわけで、やはりその向こうにある漠然としたイメージや理想を
その和音を通して感じれたら素晴らしい。

美しさは定義として受け止めるよりも感情として入り込むものだと思いたい。

Antwerpの思想

最近、自分の考え方や物事の捉え方そしてブランドの
進め方までいたる所にAntwerpの思想が根付いている
事を感じて驚いている。
そう考えるとやはりAntwerpの教育がどれだけ影響力が
あるのかを強く感じずにはいられない。

自分が教育に携わる者として常にAcademyはベースとして
ファンデーションとして存在している。
自分としては1年でマダム・ノーレンから自分と向き合う事に
ついて、そしてチャレンジする事について学び、
2年にパトリック・ドムンクから洋服の概念とデザインの結びつき
そしてコレクションの構成と表現を学び、
3年でウォルターからはデザイナーとしての姿勢を学んだ。

それぞれの教員が全く違う視点を持っていたし、教える内容さえ違っていた
気がする。それでもそのベースにあるクリエーションに対する
姿勢はとても純粋で高度な位置でコンセンサスが存在していた
ことは経験者として断言することが出来る。

最近のアカデミーから突出したDesignerが出たとは聞いていないし
話題に上がる事も少なくなったが、今こそ本当に必要な教育が
存在しているのはアカデミーではないだろうか?

Designerとしての成功が有名になる事や売り上げ、または大手企業や
有名エディターとの関係性やコラボレーション等によって計られる事が
多くなった昨今、どれだけの人がクリエーションの本質に目を向けているだろうか?
またその本質やベース、情熱を感じているだろうか?
今色々な記事を読んでもその内容すら見つける事が難しくなっているが、
だれもがファッションを志したきっかけは、もっとシンプルでもっと
本能的なクリエーションによる刺激だったのではないかと思う。

そんな中にあってウォルターが言った言葉は今でも自分の指針として
錨として常にブランドの方向性に光をさしてくれている。

”パリ、ミラノ、ロンドンにおけるモードの観点はファッションショー、
マーケティング、ブランド、トップモデル、誰が何を買ったかなどだ。
しかしアントワープでは全く異なる。
我々が重要だと思っているのは、モードにおける情熱、感動、魅惑、
革新性、本物である事、コミュニケーション、アイデンティティーなどだ。”
Walter van Beirendonck

人によってまた時代によって色々な価値観が存在する事は良い事だと思う。
ただ今は多すぎるメディアが発する言葉の圧力が人の価値観の
多様性を逆に少なくしている気がする。
アカデミーで繰り返し学んだ事。自分を信じる事。
それが今どんな時代よりも求められている気がする。

内なるもの

「僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける。」
ベルが鳴りやんだあとで彼は言う。「大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。
それが生きることのひとつの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、
そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の
書架みたいな部屋だろう。そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、その部屋のための
検索カードを作り続けなくてはならない。掃除をしたり、空気を入れ換えたり、花の水をかえたり
することも必要だ。言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる。」
                            「海辺のカフカ」より

記憶や思いという内なるものと事物や行動という外側のもの。
自分との関係性という視点からみれば、常に共にある者は内なるものであって
本当に純粋なものや真実はそこに存在するのだと思う。

目に見えるものと目にみえないものを
共に受け入れる気持ちを持っていたいと思う。

blindness

新約聖書によく語られるパリサイ人。
いわゆる律法学者達。彼らは律法に精通し過ぎたが故に
その本質を理解するに至らなかった。
キリストが言った ”見えると言う所に盲目がある”
とはとても巧妙な比喩だと思う。

モードにも見えると思うが故に見えなくなる事があり、
そんな盲目な新聞記事を先週目にする機会があった。

記者もデザイナーも孤独だと思う。

むしろ彼らの方が孤独かもしれない。

自由でいる事

ポストクラシカルを聴くと本来の進化というものを
感じる。純粋に伸びるべき方向へ新たな一歩を踏み出して
それでいながら本質は失わない。

デザインのフィールドに立っていると、現在や過去への
否定が新しい動きに繋がるような事を聞いたりするけれど、
現在存在するものの多くは今までの歴史が残してくれた
大切な遺産であり、その本質はとても純粋であって美しいと
感じます。
否定も方法の一つとして存在していると思う。
でも今の自分は否定というよりも自由でいる事が大切だと感じています。

olafur arnaldsはその自由を感じさせてくれる一人。

HELLA JONGERIUS

アイントホーヘン出身のヘラ・ヨンゲリウス。
彼女の作風はとても暖かい。それはたぶん彼女の
作品に一貫したクラフトワークを感じるからかもしれない。

とてもシンプルでクリアなコミュニケーションを
発信している彼女の作品の中でも僕が特別
引きつけられたのがNymphenburg Sketches /
ニンフェンベルグスケッチです。

私達だれもが日常の中のそれぞれのプロダクツに対して
こうあるべきだ、もしくはこうあってほしいという思いがある。
しかし、そこから一歩踏み出す事によって新しいパラダイムが
生まれる訳でそこからしか既存を超えた新しい価値観は生まれて
こない。
ニンフェンベルグスケッチはその顕著な例だと思う。

それは食器、陶器が持ちうる新しい可能性(本来持っている
ポテンシャルともとれますが)を暖かく私達に物語っていると
思います。

彼女の作品を見ているとプロダクツは影であり
そこから発せられるメッセージやパーソナリティーこそ
本体に見えてくるのが不思議です。

CHANGE

 

   

                         

 

 

 

 

by Manayo Hashida (studio AKIRA NAKA)

AKIRA NAKAスタッフの杉山です。

はじめまして。
同じく、これからCHANGE FASHIONさんに向けて
AKIRA NAKAスタッフの制作したコラージュや素敵だと感じるものなど、UPしていきたいと思います。
よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

by Midori Sugiyama (studio AKIRA NAKA)