Interview

畑明広


日本を飛び出し「映画天国」フランスの首都パリへ。世界最高峰の映画学校であるフェミスで学ぶ初の日本人として「自分に嘘をつかない」映画を製作する映画監督畑明広氏にメールにてインタビューした。

-簡単なプロフィール、現在の活動内容等(今後の活動内容)について教えてください

畑明広 1984年7月23日兵庫県生まれ
大阪の千里国際学園高等部卒業後、上智大学外国語学部フランス語学科に入学。4ヶ月後中退、そして渡仏。パリ第一パンテオン.ソルボンヌ大学芸術学科映画学部卒業。2006年からフェミス監督科在籍、現在4年生(最終学年)

-渡仏前と渡仏後でものの捉え方や考え方など変わった点を教えてください(作品の内容に変化はありますか)

一言でいうと世界が広くなりました。今まで見たことがなかったもの、聞いたことがなかったもの、考えたことがなかった事と毎日出会う事で、今まで持っていた基準を変えなければ生き残れないのではないのかと思う機会がたくさんありました(今でも勿論あります)

-フェミス初の日本人としてやはり注目されると思いますがそういったことについてどうお考えでしょうか(重圧は感じませんでしたか)

日本では、フェミス初の日本人という事で少しもてはやされる事があります。勿論、自分なりの努力をして入学したので、それを評価してもらえるのは嬉しいで すし、またこれからフェミスに入学したいと思っている日本のみなさんが、僕が受かったのだから自分も入れるんじゃないかと、フェミスの扉が近くなれば良い のではと思っています。ですが、フェミス初だからといって、優秀な映画監督という訳では全くありません。評価の良い映画を撮って注目されたいです 笑

-作品を作っていく上で日本人ということを意識することはありますか

あります。以前は、そんなことは意識するべきではないと思っていましたが、それは一生僕に付きまとう事だと最近は感じます。僕は日本で生まれ育ったので、 そこで吸収したものは、海外にきたからといって捨てるのではなく、どんどんこれから経験することと組み合わせて成長させていかないといけないものだと思っ ています。どんな場合でも海外では僕の映画は日本人が撮った映画として存在します。日本っぽくなくても日本人の映画です。もしかしたらそこに僕の限界があ るのかもしれませんが、そこに無限の可能性もあるのではないかと思っています。

-どうしてパリ、フェミスを選んだのでしょうか

フランスはいろんな意味で映画天国です。(詳しく説明してしまうととても長くなり、また専門的になりすぎて面白くないかもしれませんので簡単にまとめま す)フランスには国を掲げて映画業界を守るシステムがあります。それは映画の自由をもたらすものでもあり、また映画監督として食べていける可能性を提供し てくれる場所でもあります。それだけ、歴史的に映画を尊重して来た国です。その国で、その哲学のなかで勉強したいと思ったからパリにきました。フェミスを 選んだのは、一番良い映画学校だということだったので。

-実際にフェミスで学んでみてどうだったのでしょうか(入学前に思い描いてたものと比較して)

映画がとれるので、これ以上嬉しいことはありません。あまり入学前に描いていた事はありません。ある程度の予算をもらえ、自由に好きな映画をとれる場所と いうことしか知りませんでした。実際、映画を自由に撮れているので満足です。たくさんの興味深い人と出会う事ができたのも、そのみんなから色んなものを吸 収できたのも、とても勉強になりました。

-キャリアを形成する上で影響を受けた人物、監督などはいますか(作品もあれば教えてください)

小津安次郎、ミケランジェロ アントニオーニ、でしょうか。勿論名前をだしはじめればきりがありませんが 笑

-観客としてどういった映画、作品が好きですか

やっぱり、形式的にも内容的にも新しいものを提供する映画です。好き嫌いは別にして、映画の可能性を広げようとする作品に出会えると嬉しいです。

-映画監督を目指そうと思ったきっかけを教えてください

僕はもともと映画に魅力を感じて映画をみだしたわけではありません。体系が昔から貧弱だったので、小学校のころはとてもそれをコンプレックスに感じていま した。どのような機会でかは忘れましたが、ある日、「ロッキー」を観て、自分もこうなりたいと思いロッキーは勿論、スタローンやシュワルツネッガーなどの 筋肉系映画をがむしゃらにみて体系作りを初めました。そんなにすごい数があるわけでもないので、レンタル屋で借りれる筋肉系を見尽くしてしまったあと、 じゃあ違うのも観てみようと思い、少しづつ色んなジャンルの映画を観始めました。するとしらないうちに映画好きになってました。そしてまた知らないうち に、自分でも作ってみたいと思っていました。それが中学生の頃ですが、それ以来結局その夢が変わらなく今に至っています。

-最近では演技もやられているそうですがそれを経験することで分かったこと、発見したことなどありますか

演技指導の勉強になります。撮影の中心に入れ、他の監督がどのように自分の作品を作っていくかを真横で見れる事、それは演技指導だけではなく、カメラ、進 行、雰囲気作りなどすべてを含めて、とても勉強になります。僕の仕事はカメラの後ろにいることです。カメラの前にいく経験で今まで考えた事のなかったよう なことに気づきます。後は演技も楽しいなという事を発見しました。

-日本映画の現状についてどう思いますか

申し訳ないのですが話せるほど現状を知りません。

-映画制作において最も重要な点、大切にしている点を教えてください

自分に嘘をつかないという事でしょうか。撮れるものしか撮らない、撮れないものは撮らない、でも撮れるだけ誠実に撮る。それから本当に自分が撮りたいとおもうものを撮る。

-映画監督畑明広のスタイルについて教えてください

自分ではあまり分かりません。できるだけスタイルというものは意識せず、作品一本一本に一番適合するスタイルを作ろうと思って撮っています。スタイルというものはそこから自然と出てくるべきものだと、僕は思っています。

-今後どういった作品を撮りたいですか

アイデアはたくさんありますが、どのような作品になるかはまだ分かりません。昔からそうですが、いつもできるだけ多くの人に語りかける映画を撮りたいと思っています。

-どういったところから作品作りのヒントを得るのですか(ものや場所など)

ケースバイケースです。僕は頭に思い浮かべるビジュアル的なシーン、それから日常に存在する物からインスピレーションを受けます。最近、マッチ箱から思い浮かべた映画を撮りました。

-映画制作は毎回同じプロセスを得て行われるのですか

これもケースバイケースです。できるだけ型というものを作らないように意識しています。脚本は基本的に一人で書くという事だけはいつも同じかもしれませ ん。それ意外は、一緒に働く人、俳優、ストーリーなどすべてに応じてその時その時、一番作品にとって良い方式で作品を組み立てていきます。

-映画監督に求められる資質とはなんでしょう

正直わかりません 苦笑 本当に映画が好きな事、根気が強い人、意思が強い人、空気が読める人。なのかな? 映画監督にもいろんなタイプがいます。でもみ んなそれぞれのスタイルで映画を撮っています。映画が死ぬほど好きという事意外は、なんでもありなのかななんて思ったりもします 笑

-畑さんにとって「映画」とはなんでしょう

僕の毎日のどこかには必ずいる背後霊みたいなものです 笑 どれだけ映画の準備や撮影で寝れなくても、苦しくても、あーやめたいと思っても、なくなるとすぐに寂しくなり、また次の作品を事考えます。映画なしの僕の人生は考えたくないです。

-今後同じように海外を目指す人に何かメッセージをください

みんなで一緒にがんばりましょう!!

Interview,Text/Masaki Takida

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