Interview

JUVENILE HALL ROLL CALL 2/3

“やっぱり自分で作った物を自分でけつ拭けないような人は物作っちゃいけないのかなって最近はちょっと思うんですよね”

―ギャルソンを辞めてロンドンに行こうと思ったのはなぜですか

その前から観光では何度かロンドンに行ってたんです。ギャルソン入る前は凄く好きで良く買っていたんですけど、入ったら毎日見ているせいかあんまり買わ なくなってきた。特にその時はアントワープのデザイナー達が出てきていたのでそういうのも見たかったし興味がどんどん広がってきていて。多分ですけどそういう会社に所属するということは自分なりのコムデギャルソン観というものがあって入ったわけじゃないですか。だけどだんだんずれが出てきて「俺はこう思うんだけどな」みたいなのが会社の行く方向とずれてきて、最後は社長に直談判したんですけど納得いかなかったので 「じゃ、辞める?」って形で辞めたんです。その前にロンドンに何度か行っていたのであまり何しようとかじゃなくて単純に奥さんもその時仕事辞めてたので「ちょっとロンドン行ってみる?」って感じで目的意識も無くシンガポールの南周りで片道切符でロンドンに行きましたね。24時間かけて。それで1年間ずっと遊んでいたんですよね。でも最後はユーロスターでウォータールーで捕まって帰されました。

―帰されたとはどういうことですか

もう出ていかないとやばいよっていうハンコを押されて、とりあえず一週間以内に退去してくださいみたいな感じで最後でしたね。観光ビザだけでいたので。パリに2度ほど行ったんですけど中では働いていたんですけど外からは見たことが無かったのでギャルソンのショーが見たくて普通に会場行って「入れてくれー」っ て入れてもらいましたね。でもその頃は洋服の修行しようとかじゃなくて単純に遊んでいましたね。

―でもそこ(ろんドン時代)で得たものってあるんでしょうね

多分あるかもしれないですね。お金使わないで遊べるとかそういうことかもしれないですけど。

―デザイン的にもあるんじゃないんですか

かなー・・・・。英語はうまくならなかったですね。友達になるのが南米とかばっかりだったので。

ロンドンにちゃんと勉強しに来ている人はいいんですよ。ちゃんと社会人になってガーデニング勉強じゃないけど自腹で来ている人は良かったんですけど、僕もそうだったけどこの先のことが見えなくなってロンドンに来ている人いるじゃないですか。目的意識無くじゃないけど。僕もそういう日本人とかちらちら見ながら「俺も変わらないな」って。このまま例えばレストランでも何でもバイトすればロンドン居心地良かったのでいつまでで もいれるなって思ったけど、きっと多分それはいつか日本に帰った時に面倒臭いプライドになったりとか変なことついちゃうなってことでここらでぼちぼち帰ろ うかって話をしてた時にユーロスターで帰りにウォータールーで捕まっちゃったので「ちょうど良い機会だから帰ろう」って奥さんと一緒に帰ってきたんですよね。

―そこではまだ自分のブランドを始めようとは思ってなかったんですよね

全く思ってなかったですね。ロンドンから帰ってきて最初は神戸にいて友達のショップでバイトしてたりしたんですよ。でもやっぱり服作る現場が懐かしくなってきてその時たまたまUNDRCOVERのパタンナーさんか何かでヘルプで来ている人がいて知り合いだったので「今、ショー前でばたばたしてるので手伝って欲しい」みたいなことがあって。それをいいことに東京に出てきてショーの前の手伝いをして、盾さんに「入江さんこの後何か仕事決まってるの?」と言われたので 「いや、決まってないです。出来たらここで働きたいと思ってるんです」みたいな話をしたら「このままいていいですよ」ということでUNDERCOVERに入ったんです。そこには3年弱くらいいたんですけど微妙に飽きてきて・・・。大体3年サイクルで飽きるんですよね。ただ辞めた時点では自分のブランドを立ち上げようとは全然思っていなかったですね。辞めた時も全く後先考えてなかったので。ただUNDERCOVERでジーンズを好きで作っていたのでたまたまジーンズの工場さんに知り合いがいて「入江君辞めて何してるの?」って言われて「いや何もしてない」って言ったら「折角だから遊びに来ない」って言ってくれてそのまま2週間くらい社長のうちに泊って。せっかくいるんだから自分で自分の穿くジーンズを作ってみようと思って作ってみたら本当に良い物が出来たので人に見せたら「これお店で売れるよ」みたいな話になって。でそこで調子にのってちょっとずっつ増やしていったっていう感じですね。

―では最初はジーンズからスタートしたんですね

そうです。しかも全然お金かかってないですね。工場に眠っている生地をひっぱり出してきて昼間手伝った後夜かたかた縫っていたので。

―それはどこで売ったんですか

アメリカンラグシーとカンナビスです。

―その時には既にブランド名は決まっていたんですか

決まっていましたね無理やり。

―ブランド名の意味を教えてください

一応L.Aのエレクトロニカのミュージシャンの曲名なんですけど全然意味なんかわからないし語呂というかアルファベットを並べたときになんとなく気に入ったのでこれでいいやって決めました。最初は3、4型しかなかったんですけどね。

―そこから本格的にブランドを始めようと思ったわけですね

「あ、買ってくれる人いる」と思って。最近はでもそういうの良くないと思っているんですけどね。ちょっとメーカーとかどこかにいた人って経験があるから物作ったらセレクトショップが買ってくれると思って独立出来ちゃうじゃないですか。ここ何年かセレクトショップの隆盛みたいのとちょうど足並み揃ってちょっと服に覚えがあってちょっと服を自分で作ってセレクトショップに卸せば食えるってなっちゃっていたので簡単に独立したり出来てたんですけど。やっぱり自分 で作った物を自分でけつ拭けないような人は物作っちゃいけないのかなって最近は思うんですよね。HIROとかも自分で作った物を売ってるけどああやって確実に自分のお店で自分で消化できる方がいいなって最近凄く思うんですよね。

―最近はそういう考えで例えば展示会で自分の服をちゃんと説明しようという考えもあるのですか

でも意外とそれはあまりないかもしれないです。例えば加工にしても縫製にしてもぐじゃぐじゃやってるのはあまり説明しないですね。

―ではどういった意味での”けつを拭く”ですか

わかりやすくいうと農家に近いかもしれないですね。自分で作ったものは自分で売るというか、責任の所在というか。洋服なんていっぱいあるし極端に言えばゴミみたいなもので。だからみんな一生分かかっても着れない分くらい服があるのにまだ服を作るのは何かちょっと自分の中でも納得出来ない部分があったりするんです。どんどんゴミ作ってるし勿体ない気がする。裏原の初めってあの人達も全然洋服作れなかったと思うんですよ。でもやり始めてじゃあこういうの欲しいし、自分も着てみたいしということでどんどん広がったじゃないですか。最初お店ありきじゃないけどそういうのありきで物作ったけど、ちょっと専門出てどっ かのメーカー出て服作れるってなってじゃーこれはこういうの作りたいって独立するけど卸だけで考えている人というのはこれからどんどん滅んでいくような気がしてしょうがないですね。やっぱりさっき言ったように自分で作ったものは自分でけつ拭けないと残っていけないんじゃないかなって思いますね。それを中川 君(banal chic bizarre)は簡単にお店やっちゃったりとか発表する雑誌がないので雑誌作りましたとか本当に直観的にわかってる気がしてそこは凄く羨ましい気がしますね。きっと若い世代の20代前半の子とかはまた裏原初期じゃないけどその辺から始めるんじゃないのかなって。

―今の東京のファッションシーンについてどう思いますか

どうなんですかね。正直言ってあまり原宿とかに行かないんだけど確実にネクストというか新しい世代が出てくるんだろうなって気はします。専門学校出て洋服作りますというのじゃなくて裏原に近いのかもしれないけどぐるっと回って形は違うし企業家じゃないけど服を手段として作っていく世代が出来てくるんじゃないのかなって思いますね。昨年スタイリストの鉄平君が凄く自分のブランドに興味示してくれて展示会来てくれるようになって、家にも遊びに来てくれて服も 買ってくれたりするんですけど、彼は25歳くらいで彼に会うまで最初そういう子と絡みが無かったんですね。でも彼らと話すことによってミクスチャー感とかノ ンジャンル感というか、30くらいで東京で服作っている人ってアメリカン古着だったり、服のバックボーンを気にする人が多いんですよ。物凄く気にするんで すけど20代前半の世代の子ってそういう世代のことを多分うざいと思っていてめちゃくちゃなコーディネートするじゃないですか。ルールを度外視したという か。でもそれって凄い新鮮だなって思えるのと、あと僕がかつて若かった時にちょっと上の世代見て服はこういう風に着ないといけないんだとかギャルソンでも そうだったんだけどこういうのはこういう風に着た方がいいんだよって言われて感じた「うざいんだよ、格好良ければいいじゃん」みたいな空気を彼らから感じて多分どんどんそういう感じになっていくのかなと思います。

―今の作品作りにおいてやはり前所属2ブランドの影響は強いのですか

どうなんですかね。でも変な僕の中にも流れる職人的というか洋服に対しての姿勢はギャルソンで学ばせてもらった気がします。だけど実際服の向いてる方向とかは意外と影響受けてないかもしれないですね。

―コレクションのタイトル、そして作品などを見ると音楽性を感じるのですが

わかりますか?あまり言われないですけど。自分なりににやにやしてるんですけど。あまりタイトルと服がわかりやすくリンクはしてないんですよね。自分がその時に思った心情みたいなところが入っていますね。

―パンクなども好きなのかなと感じました

そうですね。多分その辺に一番強く影響受けてるんだと思います。その辺HIROとも話が合うところなんですけどダークな物も好きだし。

―ロンドンに留学してることもあるけど「あ、UK好きなんだろうな」って勝手に解釈してました

好きですね。歳のせいもあるんですけどリアルパンクな世代では無いんですよね。70年代だと小学生くらいなので。一番影響を受けたところで言うとポストパンクですよね。PistolsじゃなくてPublic Image Ltdとかそっちの方ですね。ポストパンクとかニューウエーブとかの方が自分の感覚に近いですね。ダークなところでいうとPop GroupとかCabaret Voltaireとかですね。だから服にも上手には言えないですけど毎回見え方変えたり服をガラッと変えたりというのは「何でもありだろ」みたいなパンク の後のニューウエーブだったりポストパンクの気持ちがどこかにあると思います。

―今回(09A/W)が一番パンクをダイレクトに表現してるのかなと感じました

今回はわざとわかりやすくしてみました。でも誰に向かって作ってるとかお客さんまでは見えてなくて、結局もしかしたら一緒に展示会やってるHIROとかに見て欲しいから服作ってるのかもしれないです。

―音楽から影響受けた作品作りもされますか

格好もそうだけど物の考え方も好きかも知れないですね。

―そう考えるとやっぱりロンドンなのかなって思うんですけど

そうかもしれないです。サッチャー政権下は見てないから何とも言えないですけど暗いロンドンって見てみたかったですね。あの時代に出来ればロンドンに行きたかった。失業者ごろごろみたいな。僕が行った時は既に96年でミレニアム前なので丁度OasisとかBlurとかがBrit Pop戦争をしてる時だったんですね。イギリスがバブルになりかかってる手前だったので。もうちょっと前の荒廃したロンドンを見たかったです。荒廃してた からこそユースカルチャーって出ているじゃないですか。

続く

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