Interview

MIFUNE/KROFUNE 2

“帽子って置くとオブジェみたいじゃないですか。車じゃないけど人が車好きな分僕は帽子眺めているんですよね”

M-萱場真鳥, A-萱場麻子

‐MIFUNEには意味があるんですか

M-何も無いわけじゃないんですけど大学の時の卒業制作がカタカナで『ミフネ』だったんです。
A-みんなに言われるんですけど三船敏郎は何も関係ないです。「じゃーなんですか」と言われても凄く腑に落ちない答えしか返ってこないんですけど。
M-百回くらい言って一度も納得されたことが無いんですけど『MIFUNE』は三船敏郎は無関係で『MIFUNE』という言葉の響きが好きなんです。
A-それだけみたいです。

‐卒業制作の『ミフネ』は何を作ったんですか

M-ウインドウディスプレイですね。その時も一切理由はないんですけどMIFUNEって言葉になにか宇宙的な響きを感じませんか?

‐感じないですね

A-響きがいいというのは私も納得いかないんですけど100回くらい言ってるって言ってますけど、それを何回も聞いているうちに「確かに理由は響きが良い しかないな」と思って。宇宙ぽいというのも何となくはわかります。多分それは最初からでMIFUNEの最初のロゴはひし形で上にカタカナで『ミフネ』と なっていて小さい星とか惑星とかがいっぱいすられているネームなんですよ。だから最初から宇宙っぽい感じでやっていたんだろうなとは思いますけど。それが なんで宇宙っぽいのかは私もわからないですけど。
M-帽子って飛びそうな感じするじゃないですか。

‐それはわからなくもないですけど

M-無くもないですよね。ちょっとUFOぽいといったらUFOっぽい。それでタグを考えましたね。最初は貼っちゃったみたいなタグだったんです。普通だっ たら縫うんですけどノリで。
A-もう帽子出来あがっているので縫えないじゃないですか。
M-そこから10個が一週間以内に全部売れちゃってなんか面白いことになったんですよね。帽子作りの先輩がいて『つっちー』というんですけど彼女とは10 年くらい続いていますね。
A-今もパターンを起こしてもらって。

‐その方は自分で帽子ブランドをやっている方なんですか

M-やっていたんですけど申し訳ないことにこっちが忙しくなって・・・
A-元々やっていた帽子ブランドと方向性が合わない時期が合ってその時期と丁度彼が「作ってよ」という時期が重なって、それからどんどん数が増えていって 何年かかけて結果的に吸収しちゃった感じです。でも女の人なんですけどレディース向けの帽子を元々はやっていたんですけどその人自身はレディース向けの帽 子はあまりうまくないんです。MIFUNEもKROFUNEもどちらかといえば男のお客さんの方が多いのでメンズっぽい感じにとられているんですけどデザ インする時もレディースっぽいものを作れない、デザインにしないしパターンを起こす人もメンズっぽいデザインの方がうまくできるので合致して続いていると 思うんですけど。

‐デザインは2人でやられているんですか

M-僕がやっています。

‐いつから2人でやられているんですか

A-私は2005年までグラフィックの会社に勤めていたんです。その間にジャズのレーベルでCDジャケットのデザインを作っていたりアート番組のディレク ターやったりしていました。その間にもグラフィックのデザインはしていたんですけど。それでウェブ系の製作会社に入ってウェブのこととかやったり、その間 でプロダクトについてのクライアントとプロダクトデザイナーの間に入る人っているんですけどデザイナーの話をクライアントに伝わるように噛み砕いて翻訳し て話すみたいな役なんですけどそういうようなことやったり、マネージメントやっているうちに「会社の役員にならないか」みたいな話があったんですけど人の 会社で役員になると大変じゃないですか。「苦労するなら自分の会社でやった方がいいなー」って思った時にだんだんMIFUNEが大変になってきたんです よ。「一人じゃしんどい、細々したこととか苦手だしそういうのいっぱいあるんだけど手伝って欲しいんだけど」と言われて私も辞めたいと思っていたから会社 を辞めて。私は私で好きな仕事としてグラフィックとかプロダクトとかウェブとかコンサルタントは受けよう、でも空いている時間はMIFUNEと KROFUNEの仕事を手伝おうというそのスタンスでやり始めたのが2005年なんですよね。だからデザインは一貫して彼ともう一人の「つっちー」という 人がやっていて。でも作る時にちょっと煮詰まる時とかあるじゃないですか。そういう時に「こういうの見たよ」とか「こういうのあったよ」とか帽子そのもの のことを言うのではなくて種になりそうな全然別なこととかを言ったりしています。スワッチとかグラフィック周りも作ることいっぱいあるじゃないですか、そ ういうのは私が全部やっているんですけど。

‐今もテキスタイルは全部オリジナルで作られているんですか

M-作っていないですね。テキスタイルデザイナーとしてやっていくかと思って最初は僕がプリントした生地を帽子にするブランドみたいな感じで始まったんで すよ。丁度その時プリントとかも盛り上がってきた時期で。2002、3年なんですけど柄物が凄く盛り上がっていたんですよね。だから帽子も柄物でいけてた 時があってMIFUNEといえば柄物という感じでやっていたんですけど色々やっているともう柄物じゃないぞみたいな。

‐たまたま近くに帽子を作れる人がいたから帽子を作ることになったわけで元々帽子をやりたかったわけではないんですよね

M-そうですね。
A-でもテキスタイルで見ている平面のものが3次元の帽子になるじゃないですか。なった時に自分では思いもよらなかったところがトリミングされているわけ ですよ。それを最初のうちは物凄く「面白い、面白い」と言っててそれで多分プリントで帽子というのをやっていたんです。
M-自分で最初帽子を作るなんて思っていなかったけどなんか作ることになってしまった偶然性は凄く楽しかったですね。「なんで俺帽子作っているんだろ う?」みたいな。

‐帽子が好きだったわけではないですよね

M-普通に被ったりは好きだったんですけど。被ったりするのと作ったりするのはまた違いますし。なんか飽きなかったのは帽子って立体物というか置くとオブ ジェみたいじゃないですか。車じゃないけど人が車好きな分僕は帽子眺めているんですよね。見る角度によって「このラインは」とか「もうちょっとここを しゅっとさせたいんだ」とか。最初は表面的なことで入ったんですけど、帽子の構造とかもはじめは基本形が多かったんですけどキャップ、ハンチング、キャス ケットとかそういうのを段々変形させていってぶっ壊すのが楽しくなってきたんですね。凄い変形させすぎて一時期みんな引いてしまった時期があって、バイ ヤーさんも引いてしまって、自分でも引いちゃったんですよね。最初の印象で帽子は飛ばしたいんだ、飛ぶような帽子が良いなーみたいな感じで羽になって今に も飛びそうな帽子ばかりのコレクションがあったんですよね。それが出来た時に僕的には凄く満足だったんですけど見せる人見せる人がみんな引きまくっていて 「飛びそうじゃないですか」っていったら「あら、飛びそうですね」って。

‐それは被る人のことを考えなかったということですか

M-考えなかったですね最初は。今は凄い考えていますけど。
A-その飛ぶような帽子も今見ると大丈夫なんですけど当時は全然駄目だったんです。でもそれが駄目でそこでちょっと自信をなくしてもう一回家具とかもやろ うかとか始まったんですけど「やっぱりそれもなー」ということで帽子に戻って。

‐ブランドには帽子以外にも洋服もあるんですよね

M-帽子で柄を使わなくなった分カットソーでは柄のところを残していこうかなっていうのはあるんですよね。一時期レディース寄りに傾いたこともあったんで すよね。

‐それは気持ちの問題なんでしょうか

M-色使っているとレディース寄りの印象になるというか、そういうお客さんが寄ってくるというか。そういうお客さんが寄ってくるとそういうお客さんを喜ば せたいということでどんどんどんどんレディース寄りになっていって。

‐今はメンズ、レディースで区別しているんですか

M-区別しているわけではないんですけど圧倒的に男の子が多いですね。

‐一型につき何個とかは決めているんですか

A-それはないですね。生地でこれは何個までしか出来ないという時はあるんですけど。そういうのは展示会にかける前に「これは限定20個です」と言ってる んですけど。一点物は一点限りで。

‐オールハンドメイドなんですか

M-そうですね。
A-フェルトの帽子とかで厚い奴はちゃんと工場出して圧力掛けてとかはやっています。

続く

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