Interview

Nyte 1/3


2006年『Night』としてブランドを開始。2009年S/S XANADUのスタートと共に本格展開をスタートしブランド名も『Nyte』に変更し活躍の幅を広げている元歌舞伎役者という異色の経歴を持つデザイナー榎原大知氏に話を聞いた。

―デザイナーになる前は歌舞伎役者をやっていたということなのですがどのぐらいの期間やっていたのですか

歌舞伎をやる為に東京に出てきて15の時から21歳まで歌舞伎一本でやっていました。

―それはなぜですか

もともと小学生の時から日本舞踊をやっていてそれでとりあえず舞台に立ちたいという感覚があったんです。それで中学生の時に演劇雑誌にたまたま役者さんを募集していて、演劇の雑誌に載っているから役者さんなんだろうなって思って入ったら歌舞伎役者だったんです。

―歌舞伎をやりたいから入ったわけではなかったんですね

あんまりそういうことは無かったですね。好きでしたけど。

―住み込みでやられていたんですか

昔は師匠の家に住み込みでということが多かったようですが僕は師匠に弟子入りして一人暮らしをしていました。

―辞めた理由はなんですか

元々洋服のデザインにずっと興味があったんです。絵もやりたくて洋服もやりたいしでも舞台に立ちたい。舞台に立つことでお給料をもらえるという発想が無かったんですよね。お給料が出るのを知って入ったような感じだったので歌舞伎は今でも好きなんですけど職として身につけるのであれば洋服とか何かを作ることの方が良いのかなって思いました。

―歌舞伎をやっている時はどうやってファッションに触れていたんですか

全然何もしていないですね。中学校の時にファッションのことを知りたいなと思っているまま時間が止まっていたので。

―役者を辞めようと思ったのはなぜですか

ファッションの方に頭がいっちゃったからですね。(芝居は)別に歳取ってからでも出来ると思ったので。

―それでファッションをやろうと

何か表現したいという想いは強いのでそこのステージはあまり関係ないのかなと思いました。

―それがデザイナーだったということですか

漠然とですけどデザイナーになりたいというのはありましたね。

―歌舞伎を辞めてから一番最初にしたことはなんですか

知識が無いと思っていたのでまずショップ店員をやろうと思ったんですね。やっぱり学校も何も出ていないし直接急にプレスとかに入ることは出来ない。ましてやパターンなんて勉強していなかったのでショップ店員からかなって。Lad Musicianで働きGucciで働きEstnationで働かせてもらいました。日本のドメスティック、ハイブランド、セレクトショップで働いて流通やシステムを学びたいと思っていたんですよね。作りたい物はレディースなのでレディースのお店で働きたいなって。

―歌舞伎役者の時は普段洋服を着る機会というのはあったんですか

ないですね。(ファッションには)全く関与してない感じです。着るものがあればいいやって。その間ファッション誌を買っていたわけではないですし。

―洋服を作り始めたのはいつ頃ですか

歌舞伎を辞めてから作り始めたんです。2008年くらいからお店に置いてもらい始めて昨年にブランドが忙しくなってデザイナーに専念する為に販売を辞めました。

―最初服作りを始めた時はどうやって作っていたんですか

始めたきっかけは今のパタンナーと知り合ってとにかく自分の洋服が作りたかったので「作って」って話をしていたんです。たまにあって「こういうの作りたいね」ってだらだら服作りをやっていたらたまたまそのパタンナーの知り合いの人が中目黒のお店のパタンナーでそのオーナーが新しいお店を作るということで「置かないか」と言ってくれたのが2008年でそれからちょっとだけ本格的に作ろうかという感じになったんです。

―Nyteというブランド名には意味があるんですか

最初は夜を意味するNightだったんですけど字が気に入らなくて結局今のNyteになったんですね。うちの洋服はちょっとマスキュリンな感じの洋服。レディースでも女っぽい洋服があまり好きではないんです。夜女性が着て美しく見える服というか昼間は仕事があるので夜という自分の自由な時間で綺麗に見える洋服という意味で付けたんですけど単純に今のNyteになったのは綴りが好きじゃなくて今の綴りにしたんです。

―最初は自分の着たい洋服を作りたいと思っていたのがレディースの洋服を作ろうと思ったのはなぜですか

それはGucciに入ったからだと思うんですけど実際にファッションショーラインの商品を間近で見ますよね。縫製、素材というのが凄い発見だったんですよね。結局メンズの服しか着ないからレディースの服がどうなっているのかわからなかったしそんな部分に興味も無かったのですがその作りの素晴らしさを見てレディースってこんなに深いんだと感じてレディースを作りたいなって思いました。

―ブランドの位置付けに関してはどう考えていますか

年齢層高めがいいんですよね。洋服を好きなのに歳は関係ないと思いますけど自分にとって必要だから買うという発想ってお金だけじゃなくてある程度余裕がある人だと思うんですよね。これを着たからこういう利益があって、ここに行く為にこういう洋服を着るっていう。自分にとって必要かという判断がすぐに出来る人に買ってもらいたいと思うんです。でも明確な位置というのはあまりないですね。

―黒という印象が強いのですが自分としてはあまり黒をイメージしているわけではないんですか

そうではないですね。たまたま縫製とかデザインの問題で黒を使った方がいいのかなというものもあれば、色を使った方が良いのかなというものもありますので。黒は多いのかもしれないですけど。

―ブランドとしてちゃんとスタートしたと感じるのはいつですか

2009S/Sですね。XANADUが出来てからです。その時にレディースをフルラインで出そうかということになったので。

―展示会で付けてもらってということですか

展示会は10S/Sが初めてです。XANADUの本橋さんとは元々知り合いだったんです。XANADUはメンズがメインですよね。レディースが少ないのでショールーム的な感じでうちの服というのはどちらかといえばコンサバなのでエッジ‐なものの中に置くというのが良いのかなって思ったんです。

―洋服は手作りされているんですか

今は工場に出すものもあるんですけどXANADUに置き始めてから最初の頃は手作りでした。

―服作りは完全にデザインだけやってパタンナーに任せるという感じですか

衣装的なものは僕が作っています。一応パターンも自分で引いて。どちらかといえば縫う方が難しいですね。逆にパタンナーと2人でやっていて良かったのはパターンを見る機会が多かったことですね。これが一人でやっていたらパターンも外注して何も知らずにずっとやっていたのかなと思いますので。

―Nyteの本ラインに関しても最近は自分でパターンを引いたりされるんですか

しますね。パターンをわかっていないとパタンナーに指示できないというのがわかったんですね。何もわかっていないと無理難題ばかり押しつけちゃうのでそれで勉強しようと思いました。

続く

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