Interview

批評:POTTO “ワイルドスタイルとか恐山” vol.2

POTTOによるショー “ワイルドスタイルとか恐山”のコレクション評、第2回目はショーにモデルとしても出演したヌケメ氏とVISIT FOR西脇氏、YEAH RIGHT!! 河村氏、KCI蘆田氏に寄稿してもらっている。

→批評:POTTO “ワイルドスタイルとか恐山”
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ファッションなんて別にどうあってもいいんだし、何やったって自由なんだしって、思ったり言ったり聞いたりするけど、なかなかどうして「こうあるべき」みたいな思いこみも強かったりとか、割かと制度的だったりとかする、けどやっぱり何やったって自由なんだし、それぞれがそれぞれにできることをやってればいいじゃん、仲良くしようぜ、俺もできることだったらやるからさ、みたいな事なのかな~と思ったりしました。そうならいいな、ぐらいの気持ちで。
 自由、って言葉は使い方によって嫌なひびきもするけど、今回の場合だと「やり方はいろいろあっていい」とか、そのくらいの意味合いがしっくりくる感じがします。
 自分で縫って、身近な範囲でモデルを集めて、お客さん呼んでショーやって、みたいな、とても素朴なやり方で、もしかしたらファッションの「ド真ん中」っていうところとは少し違う場所なのかもしれないけど、ランウェイでやってた頃から今も評価のステージに立っていて、しっかり子供も育ててるPOTTOさんのどっしりした力強さが、今回のショーの基盤としてあったように思います。
 普段の生活から切れ間なく、そのままショーに繋がっているようでそこに共感しました。そのスタイルそれ自体が新しいからいい、という事でなくて、場が開かれているのがいいし、誰かがまた自分で洋服を作りたくなるような、そういう事に繋がっていける気がしました。

ヌケメ

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僕は批評家でもデザイナーではないし、詳しい事はよくわからないですけど、笑

服の見せ方が新しいっ!とかは今回どうでもいいとして、楽しいか楽しくないで言えば楽しかったです(観た方も観られてる方も。)服もメンズ・レディス共に可愛いかった。

批評なんて単純に個人の偏見で楽しいか、楽しくないか。服が良いか、良くないか。

それでいいかな、って思います。

今回開催した事はきっとPOTTO山本君自身、ごく自然な事で、3.11以降の意識もあったし、様々な人に見てもらえたって意味では最高の”ホットホットプレイス”だったと思います。

それで個々が共感したり何かを感じたりで。

あと、どうでもいいかもですが形式はショーではなくプレゼンテーションだったと思います。

DIYで準備もプレゼンテーションもして500人近い人が来たって事は結果だと思うし、凄いし、羨ましいし、POTTO山本君に少し嫉妬しました。笑

西脇 / VISIT FOR

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あのpottoのショーは『今』にとって『とっても大事な』ショーだったんだと思います。

河村慶太 / YEAH RIGHT!!

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ファッションの話をしているときに使われる、「卒業する」という言葉がどうしても好きになれない。

最近はどうかわからないが、僕が大学生の頃は「もうモード系は卒業した」、「20471120みたいな若い子が着る服はとっくに卒業したよ」という表現をよく耳にした。なぜ彼らは「卒業する」という言葉を使うのか。学校のように、「卒業する」ことがファッションにおいては自明のことなのだろうか。
たしかに、年齢を重ねるにつれて似合わなくなる服はあるだろう。だが、ファッションはそんなに簡単に「卒業」できるものであってよいのだろうか。
文学や美術や音楽や映画ではそんなことはあまり言われないのではないだろうか。
POTTOのショーはそんなことを思い出させた。

ファッションがエフェメラルな(一過性の)ものとして今だけを見るのであれば、数年後に忘れ去られることも、飽きられることも致し方ない。しかし、デザイナーがブランドを継続するためにはもっと長いスパンでものを見ることが必要だし、顧客が離れることのない方法を採らねばならない。それをPOTTOはコミュニティをうまく形成することによって成し遂げている。

ファッションをビジネスとしてのみ捉えるのであれば、コミュニティを作ることなど不要だと判断されるだろう。それではビジネスを拡大できないからだ。だが、拡大しやすいということは、逆に言えば縮小もしやすい。一方、手の届く範囲で丁寧に作られたコミュニティには持続性がある。今回のPOTTOのショーはそのコミュニティを見せるだけでなく、そこからさらにコミュニケーションを広げる場ともなっていた。そうやって徐々に、時間をかけてコミュニティを大きくすることもできる。
そうして築かれた関係からは、「卒業」することなど頭によぎりすらしないだろう。失礼な言い方かもしれないが、POTTOは日本のファッション業界においてそれほど目立つ存在とは言えない。だが、今のファッション・デザイナーが目指すべきモデルのひとつがこのブランドにはあるように思う。

蘆田 裕史 / 京都服飾文化研究財団アシスタント・キュレーター

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