Interview

YEAH RIGHT!! 河村慶太 2/3

なにより生活が優先で、それを犠牲にしてまで服を作りたいとは思わない。だから生活が軸にあった上でこのブランドをやっていきたいと考えています

→YEAH RIGHT!! 河村慶太 1/3

―日常性を唯一のテーマにされていますがこれに決めたきっかけを教えてください

それも先ほどの話と関係しているのですが、例えばいちいちシーズン毎にテーマを決める必要があるのかという疑問があって、というかそれが嫌だったんです。あともう1人のデザイナーが自分の奥さんで生活も共にしているし、その中で自然に作っていきたいというところがあって。旅行行ったり、音楽聴いたりといった刺激を自分に与えないと服を作れないということが嫌で、「何も無くて普通に生活していても洋服作れますよ」って言ってみたいなという思いから生まれたテーマです。極端な話し、家とアトリエの往復だけでこういうもの作れますよって感じです。

―ではどうしてNOZOMI ISHIGUROに勤められたのですか

実は当時NOZOMI ISHIGUROについてあまり知りませんでした。TOGAを受けて落ちて、初期のFRAPBOISも飛び込みでいったのですが人手が足りているといわれてしまった。クラブで一回ショーをされていた時期の初期のN.HOLLYWOODも連絡したんですけどインターンみたいな形でならOKと。それでもいいかなと思っているときに友達にNOZOMI ISHIGUROを教えてもらいました。それでCANNABISに見に行ってかっこいいなと思って、それで働きたいですとお願いしたらその日から手伝えってことに。そのころCANNABISではメンズの変な服が売れ始めた時期で、NOZOMI ISHIGUROはもともとレディースのブランドで、そこがメンズを作っていることが新鮮でしたし、CANNABISの中でも余分な力が入ってなくてかっこよかったなと。

―NOZOMI ISHIGUROで学んだことはどういったことですか

当時の石黒さんも今の僕たちみたいに結婚して子供がいてという生活で、変にデザイナーデザイナーしたというライフスタイルをされていなかったと思います。デザイナーといえば派手というかそういうイメージをみんな持っていると思うんですけど、石黒さんはそうではなかったので僕にとっては良い刺激になったと思います。

―NOZOMI ISHIGUROはどうして辞められたのですか

嫌になってしまって。少人数の職場で、窮屈に感じるようになってしまったんですよね。

―ブランド立ち上げも考えずに辞められたのですか

本当ただ辞めただけですね。そのあとしばらくはバイトをしながら生活していました。そのときに昔から知っていた古着屋さんの方に、辞めて暇だったら在庫で何か作ってみればと勧められてリメイクしてみたり、あとは当時CANNABISにいた南さんに在庫でリメイク作ってよと言われて。井村も僕の少しあとに辞めたので一緒に作り初めて、それで1点ものだったこともあって売れて嬉しかったしじゃ量産も頑張ってみようかと。ですから何の計画性もなく始まったブランドなんです。

―先程の話に戻りますが”日常性“をコンセプトにしていると服を作るネタに困ることはないですか

ネタなんてないんですよね。尽きているといえば尽きているし、あるといえばあるし。

―デザイン画は描かれているんですか

リメイクではないものは描きますよ。デザイン画をそのまま制作することもあるんですが、多くは井村や他のスタッフと共有するためのもので、これをたたき台にして試行錯誤加えていくというのが基本です。

―子供ができてからブランドを立ち上げたのですか

いえ。ブランド立ち上げて少ししてから結婚したので。

―子供ができてデザイン活動に変化はありましたか
全くもって変わりました。2人目もいるのでそりゃあもう。服の作り方も全然変わりましたね。

―具体的にはどう変わったんでしょう

見た目・デザインが変わるということではないですが、物理的な面で例えば仕事に費やす時間も変わってしまいます。ただ時間は確かに犠牲にしていますけど僕には子供に費やす時間は大事なので、そこで仕事を優先するという生活の仕方は違うと思っています。ブランドとしてどうなるかわかりませんけどそれが日常性ということですし、僕自身はそういうスタンスの方が良いものが作れると思っています。なにより生活が優先で、それを犠牲にしてまで服を作りたいとは思わないですし、子供は出来てしまったのではなく自分達が欲しかったから作った。だからそうした生活が軸にあった上でこのブランドをやっていきたいと考えています。

―子供服も作っていますよね

はい。ただあれは1点ものです。

―家族の時間を大切にされたいのですね

そうですね。最近思うのは今ってみんな1人の時間を優先しすぎているところがあると思うんですけど、僕は子供と遊びに行きたいし、上の子は4歳になるのでどこへでも連れて行ってやります。4歳なんてもう本当に人間です。こっちが忙しくしていると子供も体調崩しますしね。

―お子さんはまだ服に興味を示されていないんですか

どうだろう。まあ男なのにピンクが好きとかそういうのはありますし、服を選んだりはしないですけど、たまに「これは嫌だ」と言って着ないことはあります。

―今まではショーやインスタレーションなどもやられていませんがこれからもショーはやらず、展示会で発表していく予定ですか

もともと計画を立てるのが苦手で、展示会もぎりぎりやっていますし単純にこんな感じでショーなんてできないということがその理由です。それにブランドだったらショーだろという考え方も好きではないのですることはなかったですけど、今回こうして旗艦店という”ハコ“もできたのでショーはやるつもりはないですけど、違う表現の仕方も模索していきたいと思っています。

―以前COMMON SLEEVEのインタビューを掲載しましたが反応はどうでしたか

業界の方はおもしろいと言ってくれますけど、街の方が実際買われて、交換されているかといえばまだまだですね。次回はHISUIさんなども参加してくれる予定ですし、徐々にレディースも増やしていこうと思っています。

―デザインされるものは基本的に自分が好きなものを作るというスタンスですか

なんだろうな。基本的にあまり考えないでモノを作っているんですよね。

―考えてものを作ることは全くないのですか

作るからにはもちろん考えますが、それはあくまでアイテムについてのことですね。アイテムのディテールについて井村と話し合ったり、相談したりといったことです。アイテムを一つ一つ作って、それがある期間中に溜まったものを例えば2011S/Sと発表するだけで。

―デザイナー間でデザインについて揉めたりはしないですか

揉めないですね。ここまで一緒にやってくると相手の考えていることも分かっているのでスムーズにことは進んでいると思います。ただ今回この旗艦店ができた影響で多少作るものが変わるんではないかとは思っています。お客さんと直に接しながらの制作活動ですから、反応もニーズも分かるようになると思うので、お互いに作りたいものが変わってくることはあると思います。もちろんそればかりではだめだとも思っていますが。

―以前までのデザイナーのイメージではなく、消費者に近いデザイナーということですね

COMMON SLEEVEも如何に消費者側に自由度を担保できるかという発想から生まれたものですし、極端な話、例えば「いい古着の材料が手に入ったから、こういうもの出せますよ」みたいな、すし屋のようなシステムができてもおもしろいと思います。

―時代がそういう流れになってきていますよね

もちろん以前までのようなデザイナー=憧れのような関係性を維持するブランドがあっていいと思うし、無くなる必要もないと思います。ただ僕たちはこのブランドをそういう風に押し出すことは考えていないし、そのようなブランディングも必要ないと思っています。

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