Interview

YUIMA NAKAZATO 前篇

2008年にアントワープ王立芸術アカデミーを卒業したデザイナー中里唯馬。卒業後2009年に自身のブランドを立ち上げ世界各地でショーやインスタレーション を行い昨年11月イタリアで行われた“ITS#SEVEN”ではVertice賞を受賞。今期(09 A/W)はパリそして東京でもインスタレーションを行うなど精力的に活動している若きデザイナー中里唯馬氏に迫る。

—今回のテーマについて教えてください

主には卒業コレクションのアイデアにバリエーションを出したかったというのが最初のスタートです。折り紙的な平面が立体になるというのを卒業コレクションでやっていてその発展で飛び出す絵本がテーマの洋服を作っていて洋服の一部を開くと形が立体的に変化するというのを作ったんです。それをアクセサリーに落とし込んで同じアイデアと同じ素材を使ってアクセサリーにしようというのがコレクションの始まりです。アクセサリーと言っても衣服とアクセサリーの中間みたいのを出したくて、ボディアクセサリーみたいな表現の仕方に落とし込んで。着てないときはフラットな真四角で出来ていて、それを触って身につけると全く違う造形に変わるというのがコンセプトで。一緒についてるレザーのストラップを引っ張ったり、付いてる磁石みたいのを身につけるだけで形が変化してというのがコンセプトのコレクションです。そういうプリミティブな原始的なシンプルなアイデアとモダンなテクノロジカルな素材をミックスさせて新しい造形が作れないかなという出発点からはじまってコレクションになったという感じです。

靴も出発点は卒業コレクションのテーマが昔の人のイマジネーションだったんですね。過去の人の未来って実は今の人の見てる未来より先を見てるのではないかという気がして。逆に今の人が見てる未来の方が行き詰ってるのではないかと。じゃーもっと開けた期待をもった未来を見ているのは誰だろうと思ったらダビンチなんじゃないかなと思って。そこが自分にとっての出発点で、例えばナチュラルな原動力で飛行機を飛ばそうとしたりだとかプリミティブな科学技術とかを調 べたりして行き着いたのがダビンチが作っていた模型だったり、木で出来ているんだけどモダンな要素だったりするのをヒールに落とし込んで作ったりとか。素材は凄くナチュラルなんだけれども凄いモダンに感じさせたりだとかそういう要素で作っていきました。

本当にそれも衣服の延長で作っていったもので本来自分の中では靴なんだけれども自分の中ではあまり(洋服と靴というのを)分けていなくて身につけるものとして服の中の一部としてコレクションの時には作っていて、靴だから機能が伴わないと歩けないということで靴の完成度が上がっていたのでスタートが靴から始まるということは自分の中では凄く自然な考え方だなと思って靴とアクセサリーというコレクションになりました。

—今回はなぜ洋服は作らなかったんですか

このアイデアを衣服にするというのに制限が出来てしまって造形でいろいろ遊びたいというのもあってたどり着いたのがボディアクセサリーだったんです。だから衣服で挑戦する意味があまりなくなってしまい、布ではなく違うもので作りたくてプラスチックのあの素材でしか表現できなかったものなので無理し てそれを布にする必要はないなということで、いっそのこと衣服に限定しないでもっと範囲を広げて自分の中では衣服の延長だし衣服という捉え方もありだなとは思っているんですけど。ただそういう風に出してしまうと色々語弊があるかなというのもあるんですけど。

—パリでの(Showroom Antwerpで行われたインスタレーション)反応はどうでしたか

実は今回で2度目のパリなんですね。1度目は卒業コレクションの靴をそのままパリで出していて。卒業コレクションを見ている人や自分のことを既に知っている人はそのまますんなり靴も見てくれて学生の作品だったのでインパクト重視で作っていたので、そういうので凄く感激をしてくれたんです。でも2 回目を見てくれた人は作業量の減り方だとか商品量の少なさだとか(デザインが)シンプルにそぎ落とされていたので自分のことをすでに知ってる人に関しては驚いていたという感じでした。

—そういった反応を自分的にはどう思いますか

そこはちょっと予想はしていたんですがいざそういう反応が出ると次に何かしたくなるというか・・・。そこで思ったのは自分の歳も考えてもっともっと挑戦していかなきゃ駄目だなって、ここでクリエイションを下げるのは得策ではないなと思いました。

—バイヤーとかの動きはありましたか

動きはあったんですが、価格が高かったので値段を聞いていつもみんな離れていくという感覚でした。靴はヒールがかなり特殊だった上に工場を日本で作っているという関係上どうしても高くなってしまうのですが、学生のときにコストを考えず作っていたものであったので製品にしたときにこんな値段になっちゃうんだというくらいの値段になってしまっていて、だからその辺で甘さが出てしまって。クリエイションも中途半端でしかもビジネスとしても中途半端でこれじゃちょっとまずいなというのは正直感じました。

—実際ビジネスには結びつかなかったということですか

そうですね。

パリの後バルセロナ(080 Barcelona Fashion)でも会いましたよね。バルセロナには何をしに来ていたのですか

080 Barcelonaにはファッションビジネス以外にも文化、アートなどクリエイションだけを見せる場というのが用意されていてそれに参加するはずだったんですけど急遽その予算がカットになってしまって自分の作品が出せなくなってしまったんです。主催者の方がショーをみて何か学ぶことがあるのではないかということで招待してくれて見に行ったという感じです。

—ショーに出ていた人は(同世代もいて)今までコンペティションなどであったことがあるデザイナーも多かったわけですがそういう人達の作品を見てどう 思いましたか今まであんまりショーを見る時間は無かったと思うんですけどバルセロナでは全てのショーをお客さん目線で見ることが出来たと思うんですが

客観的にショーを見ると自分が今までバックステージにいて重要だろうなと思っていたことが案外重要ではなかったりして、実は人って全然違うところを見ているんだなって。作る側でバックステージにいるときに気になる皺だったり些細な汚れであったりとかって実は(ショーでは)そんなに重要ではなくて。客観的で全体像みたいのが重要だったり、当たり前にわかっていなければいけない部分というのを自分では知ってるとは思っていたのですが、いざ逆の立場になるとこんなにも見てるものが違うんだなというギャップには驚きました。あとショーでの見せ方がうまい人とか実際に物がいいのもまた違いますし学ぶところがたくさんありました。

—悔しい思いはありませんでしたか

そこにいれないのはやっぱり凄い悔しかったですね。何でいれないのかなというのもわかっていて、やっぱりファッションとしての完成度というのが自分はまだ足りてなくて。そこを痛いほどショーを見てわかって。だからといって単純にそこに馴染んだからいいというのではないと思ってます。意識は学生のときにショーをやっていたのとは変わったのでそれは純粋に次のショーにぶつけたいなって思いました。

—(バルセロナの)最後に今回の審査員の一人であるJean Luc dupon(SystemeD)が次のシーズンは「(デザイナーとして)あなたもここにいるべきだ」と声を掛けていましたよね。そういうのを聞いてどう思いましたか

自分の実力を客観的に見るとまだまだ到達できないんじゃないかと思う部分もあるんですが、逆に根拠のない自信をもってどんどん挑むべきだなというのもあって。そういう意味では是非来期は挑戦したいなというのは(あの時)思いましたね。今までは参加する側にいて初めて見る側になった時にやっぱり素直に出たいとは思いましたね。自分の実力とか足りないものとかは抜きとして表現したいなというのはありますね。一表現者として大勢の人に見てもらいたいなというのは自然で。

—今回は日本人デザイナー(seiko taki)が(コンペを)優勝したというのも刺激になったんじゃないですか

そうですね。やっぱり彼女も凄い制限の中16平米の部屋で住居兼アトリエでやっていてそれは凄い勇気付けられましたね。

—話は変わりますがアントワープ(王立芸術アカデミー)で得たものとはなんですか

まずはニュートラルになったことで、服とかファッションの自分で勝手に作ったルールみたいのが一回外れてゼロからまた構築出来たというのが一番大きかったかなと思います。あとは自己表現の仕方が日本にいるときから自分は既に足りてると思っていたけど、向こうに行って見たら自分は全然目立つ存在でなく、むしろ地味な存在になってしまうほどみんな自己主張とかが上手で。それでもっともっと主張しなきゃ駄目なんだなって思いました。自分が個性って思っていたものが実は全然個性じゃなかったり、世界中から来る価値観というのが混ざり合ってぶつかり合って、今まで日本で築き上げた価値観というのがニュートラルに戻って新しく考え直すきっかけにもなったし、しかも街自体が何も無い街なので意識が自然に自分に向き合う時間が凄い長くて「自分てなんだろうな」というのがつきつめられたし、そういう意味で自己の確立はそこで得た一番の財産かなと思います。

—客観的に見て自分はアントワープ卒のデザイナーと感じますか

それは人が見てどう思うかなので自分では意識していなくて、ただそういう風に言われるのは良くないなと思っていて「アントワープっぽいな」とか「あれ誰々 に習ったからだね」とかそういう風に見られる時点ではまだまだ作品が甘いというか、どこにも属さないところまで持っていかないと駄目だとは思っています。だからそう言われないようにしてきたいなと思います。

—根本的な質問なのですがなぜアントワープだったのでしょう

それは凄く安易なんですが高校2年のときにファッションをやりたいなと漠然に思っていてファッションのファの字も分からないときにたまたま「アントワープ の卒業生に日本人が2人出ました」というのが新聞に大きく出ててそのとき直感で「ここだ」と思ってしまったんですね。日本には居場所が無い自分でもアントワープなら居場所があるのかなと勝手に決めてしまって他(の学校は)は全く目に入らないというか、「そこに何かあるんじゃないか」という期待で行ったというのが一つですね。あとは日本では美大の中にあるファッション科が無かったので技術を学びたかったわけでもなく、ファッションを広く捉えたかったのにいきなり技術は違うと思ったし、まずは感性を磨くとこからじゃないかなというのがあって、それにマッチするところがないのも漠然とわかってて、でもアントワープならそういうことが可能なんじゃないかと思っていて、高校3年生の時に一人でアントワープのショーを(現地で)見て「あーもうここだな」って思いました。その時は今から5年前で今より情報が全然無くてとりあえずチケットだけ取って(言葉も喋れないまま)行っちゃったという感じですね。でもあの時のショーの印象が強くて「こんなに意識高い人が集まってるところってあるんだな」と思いました。

—それはレベルが高かったという意味でしょうか

そうですね。でも自分のことも見れていなかったので自分もそこにいけば出来るんじゃないかなみたいな・・・服も縫えないし、絵も描けないし、言葉も喋れないけどそういう根拠のない自信があって、行こうと決めて(それから)約半年自分で準備をして高校卒業と同時に向こう(アントワープ)へ行ってしまって今に至るという感じですね。

—海外で学んだ日本人デザイナーと日本で学んだ日本人デザイナーに違いはあると思いますか

海外に行ったから良いという訳でもないし日本だからどうこうというのも無いのでそれは一概には言えないのですが・・・ただ日本に帰って来て東京という地にいると自分の居場所がわからなくなる時があって、物も情報も多いので意識が簡単に散漫になってしまうという感覚に襲われて。この環境でまだ自分は物作りに慣れていないので、実際東京でデザインしてたり、学んでいた学生達だったりというのはどうやって意識を集中させたり、物作りをする環境を作っているのだろうという疑問はあって、それを果たして自分が出来るのかというのもまだわからないですね。

続く

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