Interview

writtenafterwards 2

セントマーチンに行って学校そのものが空気感として「あ、この人達何か作るな」「この人達もしかしたら将来何かなるんじゃないか」って思わせてくれたんです

-オランダのアーネムモードビエンナーレに出展、ショーを行ったそうですがその経緯について教えてください

前回もやっていて今度は「ファッションショーをやらないか」って連絡が来たんです。コレクションの画像を見せたら気に入ってくれて。

-ショーでの反応はどうでしたか

反応は良かったですね。勿論嫌いな人は嫌いだと思うんですけど、日本ではあれを見て「良くやったね」とか「ファッションじゃない」とか判断基準が無い感じなんですけど、向こうで見せたらちゃんと判断基準があるんですよ。価値観としてああいう物が出てくるかもという感覚が組み込まれてるんです。本当にファッションと関係ない普通のおばちゃんとかも良かったとか言ってくれて。でも日本じゃないと思うんですよそれは。もうそこにカルチャーとして組み込まれてるというかそういう感じが凄くしましたね。日本はある意味ファッションが市場的にも大きくて、その市場という物がストリートから成長して来ているので、クチュール文化もないですよね。だからやっぱりそこを見る視点があまり無いというか、ファッションとして捉える土壌があまりないのかなと思います。

-山縣さん的にあのコレクションは何点だったのでしょうか

「0点」で・・・・。あのショーをやってからたまにメールで0点を意識したメールは送られてくるんですよ。「このメール0点を意識したんですけど」みたいな。「こういうアイデア出たんですけどこれは何点ですか」とか。「僕にとっては100点でした」と言ってくれた人もいましたし、良い意見もあったので嬉しかったですね。

-今回でもう一人のデザイナーである玉井さんが卒業とのことだったのですがそれによってwrittenafterwardsが何か変わることはありますか

もっと僕っぽくなると思うんです。変わるというか前回まではやっぱりアイデンティティが2つあったんですね。アイデンティティということをもう一回集中的に見直したいなって思ったんですよ。だから集中した「個」というものが表現されると思います。前回までは自分ということを殺していた部分もありましたので。

-一人になって大変になったこともあると思うのですが

仕事が増えますね。大まかなんですがディレクター的な感覚で僕が全体を作って、細かいところ、リアルなところで玉井が入れていくという感じだったのですがそういう部分も全部一人でやらなければいけないのでちょっと大変だなっていうのはありますね。

-玉井さんの卒業によって名前を変えようといった考えは無かったのですか

無かったですね。writtenafterwardsとは別に自分の個人名でもやっていますので。今までwrittenafeterwards名義にしていた作品作りの部分を個人名でやろうかなとは思っています。

-writtenafterwardsとYoshikazu Yamagataの住み分けを教えてください

イメージとしてるのは僕の個人ブランドは自分の「個」に向かうっていう部分と表現という部分でもっと「個」に追求したところでやろうかなと思っています。Writtenaferwardsはもう少しブランドという括りでやろうかなと思っています。ある意味実験的な部分とかふり幅という意味でも自分のブランドの方が色んなことをやるっていう、絵とかも作りますし、作品撮りのために何か作ってというのもありますし。前はwrittenaferwards 名義でやっていたものが僕の名前になったりしますね。

-ここのがっこうをはじめようと思った経緯について教えてください

祖父が教育者というのもあるかもしれないんですけど教育というものに対してもともと興味があったんです。僕一回日本の学校に行ってるんですよ。ファッションビジネスの学校に。でもそこで一回挫折してるんですよ。挫折というか「これって本当にファッションなのか」、「ここではもうファッション学べないんじゃないか」と思ったんです。それで日本の学校を辞めて海外を経験してもう一回帰ってきて日本のファッションの教育現場を見た時に勿論良いところもありますけど「いや、それ違うんじゃないかな」ってところが滅茶苦茶あって「何か僕に出来ることがあるんじゃないかな」って思って先生として参加してみたんです。そうしたら残念に思うことが多すぎて逆にそれがモチベーションに繋がるというか、僕みたいなことを言う人があまりいなかったりするんですよね。「あーこんなこと言ってくれるんだー」みたいな生徒が結構いたりしたんです。そういう経験が何度もあってこれは言い続けなければいけないなって思ったのがきっかけです。

-僕自身も日本の専門学校と海外のファッションの大学を経験しているので山縣さんの言われてることは凄くわかります。ファッション自体の捉え方が違うというか

ファッション教育じゃないのにファッション教育的な感覚で思っていてファッションデザインの教育もないのにしてる風になっちゃっていて、やっぱり専門学校なんですよ。洋裁学校の延長線上であるんでやっぱり技術なんです。最終的には就職学校で。例えば向こうの学校のデザイン学校って就職学校じゃないんですよね。就職なんて関係無いんですよ。どれだけ誰か(凄い人を)出せるかみたいな。セントマーチンに行って学校そのものが空気感として「あ、この人達何か作るな」「この人達もしかしたら将来何かなるんじゃないか」って思わせてくれたんですよ。ファッション学校ってそうあるべきだと思うんですよ。日本の学校にはその空気が全然ないですよね。
日本でファッションデザインをやりたい人はコンクールを通らざるを得ないじゃないですか。でもそのコンクール自体がださくて。やっぱりやるけどそれをやることによって「コンクールっぽい」ってなってしまってそれがやっぱりダサいんですよね。HyeresとかITSとかにしてもそうですけど海外のコンクー ルってやっぱりそれ自体が格好良いんですよね。日本のコンクールをを通過点にするのであればいいけどあそこを目指したら腐るよって言いたくなるんですよ。

-日本にいるとそういった海外のコンクールということに気づくことがないと思うんですよね、勿論僕もそうでしたが。ただ海外にいてファッションの学校に行ってたり、そこを目指す人って自国のコンクールじゃなくて世界的なコンクールを目指すということが当たり前に存在していると思うんですよね。

そうですね。けど意外にITSとかHyeresやりたい子が「ここのがっこう」に来ているんですよ。文化の大学院大学から5,6人来ていて。大学院大学くらいになると日本のコンクールはどれか通ってたりするんですよ。だから次のステップ目指すってなったときに海外に目を向けて ITS, Hyeresみたいな。それのノウハウが知りたくて来たりだとか。だからいないことはないんですよ。

writtenafterwards 09S/S Collection ~ prince prince prince ~

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