Interview

Kagari Yusuke 1/4


革にパテを塗る独自の手法で、洗練された退廃性を表現、『壁を持ち歩く』をコンセプトにした代表作ウォールシリーズ。そして革=動物の皮膚としたスキンシリーズの鞄を中心にした作品が幅広い層から支持を受けているカバン作家カガリユウスケ氏に話を聞いた

‐簡単なプロフィールを教えてください

プロフィールという聞かれ方をすると僕あまりないんです。専門学校に行ってただけなので。

‐何の専門学校に行っていたんですか

一応ファッションの専門学校に行っていました。大阪デザイナー専門学校のスタイリスト科です。ファッションの専門学校なんですけど卒業生にトータス松本さ ん、ココリコの田中さんそしてSABU監督でファッションいないじゃないかという学校なんですけど。(トータス松本を)教えた横井先生というネパールとかでファッションショーをやっている方がいるんですけど卒業式の時にやたら襟が大きいジャケットを着ているのを覚えてると言っていました。

‐ファッションの専門学校を選んだのはなぜですか

(スタイリストになりたい気は)全然無かったです。高校卒業の時に勉強したことなかったので大学に行けないし学校の勉強もしてなかったし学校にほぼ行ってなかったから大学は絶対いけないし、でもふらふらするのは親がやめろと言ったから「じゃ、ファッションで」という良くありがちな理由です。ミシンを使える 自信が無かったからだからスタイリストならミシンも使わず、絵も描かないので良いと思ったんです。

‐でも実際スタイリスト科ってミシンも使うし絵も描きますよね

そうなんですよ。もっと写真とかメインでやるのかなと思ったんです。写真は得意だったので。

‐どちらかといえば作り手よりの科ですよね

そうみたいです。そんな説明は全然無くて写真でモデルを呼んできてコーディネートするような仕事かなと思っていたら思いっきりエプロン作らされて「面倒く さい」と思って2年間ほぼずっとビリヤードやっていました。近くに良いビリヤード場があったんですよ。2時間やったらカップラーメン無料っていう。

‐学校行かなくても卒業出来たのですか

単位は足りなかったんですけど横井先生が何とかしてくれて。でも最後の授業で「ここ遅刻したら卒業できへんぞ」って言われた日に遅刻したんですよ。で、遅 刻してその時に付き合ってた彼女から電話かかってきて「あんた、何してるの?」って。だから「もういいわ、ごめん」って言ったら「先生が一時間でも来たら 卒業出来るようにしてあげるから今からちゃんと来て」って言われて「あ、そう」って言って煙草吸ってコーヒー飲んでラスト3分に行ったらOKでした。でも パネル6枚分の卒業制作があったんですけどそれが学校の賞候補になってたらしくてでもそれを取るには単位が100以上ないといけないらしくて僕は卒業出来 るギリギリの単位しかなくて賞からは落選したんですよね。その後は研究生という制度があって専門学校って2年生なんですけど3年間行けるんですよ。就職し たくなかったから研究生に残って勉強してました。

‐研究生の時はちゃんと学校に行ったんですか

学校が楽しかったんですよね。ビジュアルアーツとかインテリアの学校とかの姉妹校なんで研究生になったら他の学校の学科の授業とか受けれるんですよ。映画 論とか写真の授業とか、演劇のモデルの立ち方とか。ファッションの授業よりそっちの方が全然面白くて。『田園に死す』とか昔のギルドのアングラ映画をただ ひたすら見るとかMatthew Barneyのクレマスターを見に行ったやつは単位くれるとかそういう変な授業がいっぱいあって。だから1年間楽しかったですね。

‐Matthew Barneyの作品ずっと見てたら頭おかしくなりそうですよね。

僕8時間ぶっ通しで見ましたよ。気持ちよく寝れましたね。小道具とかのイメージは大好きでMatthew Barneyって世界観作るのがうまいのは勿論なんですけど小道具の質感作るのうまいんですよね。あの辺からは多少の影響を受けているのかもしれません。 どろっとした感じとか。でも気持ちよく寝れるんですよね。

‐アート、ファッション系の映画って面白いとは違うんですよね

じゃないですよね。ぱっと起きた時のカメラのアングルとかが凄く綺麗なんですよ。感覚だけなんですよね。でも感覚もダウナー系だからテンションあげる気が ないですよね。だから最近はあまり見なくなりました。最近はワンピースとか見てる方が気楽なんで。その頃に見ていたのはダムタイプだったり、 Matthew Barneyだったり、コンテンポラリーダンスをやっている維新派って言う人達がいてその人達は舞台衣装作るのが凄くうまくて。東京に出てきてからはそう いうのにあんまりアンテナ立てなくなったんですけど。好きなんですけど色々ありすぎて。どうやってビジネスやるのかというのに集中したので。専門学校卒業 した後は就職する気無かったからぷらぷらしててその時に&’s Bar(アンズバー)っていうちょっとアングラなカフェ&ギャラリーに出入りするようになってその時あったのが今のギャラリーで展示している久保さんでそ の人たちと会って仲良くなって飲んだり、一緒にバイトしたりしているうちになんとなく鞄を作り始めたんですよね。

‐何のバイトをされていたんですか

高島屋の設営です。デパートって催事場で定期的に催事やるじゃないですか。それって駅弁フェアだったら埼玉とか北海道とか看板つってますよね。それをつる 仕事なんですけど。その仕事割が良くて行ったら5000円くれるんですよ。例え仕事が10分で終わっても。ただ5時間でも5000円なんですよ。それに結 構危険な仕事でライティングレールに看板を設置するんですけど電気通っているのに導線を使うんですよ。だから何人か感電していて。徹夜で作業もしたりする し、天井が10m以上あるところとかもあってそういうところで作業したりするから結構危険で。でも楽しかったですね。誰もいない百貨店の中で一人こつんこ つんとやっていて。そんなことしながらぷらぷらしてましたね。

‐東京に出る前から鞄は作っていたんですか

一応ですね。でもその時は革は使っていなくて布で作っていました。

‐最初から鞄を作っていたんですか

(学校で)ミシンの授業もあったしスタイリングとかで小物作りとかするじゃないですか。だから一応物作りとかミシンで何か作ろうとはなったんですけど服のパターンがしんどくてやっぱり服って規制多いじゃないですか。なんか人の形に沿うの嫌だなと思って、人の形に沿わないアイテムって何だろうと思った時に、 「帽子?遊ばれへんなー」とか色々考えていたら靴は大変だし「鞄だったら色々遊んでも大丈夫だよな」って。ああいう変な質感の物が好きなのであれでジャ ケットだったらダサいと思うけど鞄だったら許せるかなと。

‐鞄のパターンはひいているんですか

多少は書いていますが物によりけりです。どちらかといえば記録ですね。完全に四角紙面の数値入力なんですよ。質感を生かすのが一番重要だからサイズ感とか 持ちやすさは重要ですけどパターンでダーツやったり切り返しやったりそういうのはあまりしてないですね。シンプルに作っています。それが一番革のサイズとかを生かせるんです。あんまりまちに拘ったりとかして丸くしたりしたら質感も目立たないし、革も余ってしまうし。

続く

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