Interview

Akira Naka 1/4

アメリカ在住時にテーラーと出会い洋服のデザインを始め、アントワープ留学、イェール国際モードフェスティバル出展など海外で経験を積み帰国後『Poesie』を立ち上げ21_21Design Sight『ヨーロッパからの新人たち展でデビュー。その後ブランド名をAKIRA NAKAに変え自身の惹かれる女性像を提案し、2シーズン続けて共同でコレクションを行ったMIKIO SAKABE, writtenafterwardsらと共にいまや東京に欠かせない存在となったAKIRA NAKAデザイナー中章氏に話を聞いた。

―アントワープ入学当時29歳とのことだったのですがデザイナーを目指そうと思ったのは遅かったんですか

僕がファッションに出会ったのはアメリカに留学していた時でした。

―それ以前はファッションにあまり興味がなかったのですか

服は好きでしたけどアメカジとかビンテージとかそういうものばかりでした。アメリカで古着を集めてはサイズやデザインを直して自分でリメイクをしていました。そこでテーラーの方との出会いがあり服を作る工程を見せて下さって、デザインというよりも服が組み立てられていくプロセスにとても感動したのを覚えています。

アメリカには若い時に一度語学留学していましたので再度留学したのは25歳位の時です。インターナショナルビジネスのフィールドで自分を試したいという思い出で留学していました。若い頃にアメリカに出たので自分の中にボーダー(国境)という意識が少なく、そのようなビジネス上必要な対外的な社交性を生かしたいという思いはありました。

―そのテーラーに洋服作りを学んだんですか

教えて頂いたのはミシンの使い方や型紙の書き方という基礎の部分です。当時はデザイナーの事(モード)についても何も知りませんでしたし、その方向に進むことについては周りからの反対も大きかったです。大学でのプログラムも順調でしたし真面目に勉強していたので何故今になってファッションのフィールドに飛び込む必要があるのか?という思いが周りにはあったのだと思います。ただその当時に自分で製作した洋服があり、それを作り上げるプロセスを経験した事が後の決意に繋がりました。テーラーの方から「自分でデザインを書きなさい」と言われて、その方と一緒に初めて自分がデザインした服を作りました。

―それはリアルクローズだったんですか

自分が当時着たいと思った服をデザインしました。それが出来上がった時はとても感動しました。クオリティーとかそういう意味ではなくルーティンワークの中に身を置いていた自分にとって何かを創造しそれを作り上げるプロセスという物がこれまでに経験した事のない物でしたし、とても新鮮だったのだと思います。その時にこのフィールドでやってみようと決意しました。2着目の製作に入る頃にはもうどのようにデザインのフィールドに入るのかを考えていました。ニューヨークや日本の学校などを訪問したりし始めたのもこの頃です。

―その後文化服装学院に入学しました。学校に入るまでにはそれなりに洋服を作れるようになっていたんですか

洋服は少しさわって作れる様なものではありませんし、文化さんで学んでいた時も特別作れていたという思いはないです。ただ色々なアクションは起こしていたのではないかと思います。

―他の生徒より出来たんですか

他の生徒の方とどうかという事は覚えていませんが、いつも危機感は強く持っていました。

―なぜそこでアントワープが出てきたんですか

僕の場合デザインと出会ったのもアメリカで、日本だけの市場に向けてデザインして行こうという気持ちはもともとありませんでした。世界へ向けて服作りをする場合、その国々の文化を知らずにその人たちが求めている物を作り上げる事は非常に難しいと思います。西洋のデザイナーがJAPONISMと言ってもそれは西洋から観たJAPONISMに過ぎません。その国に行ってその国の人が何を見てどういう生活をして何を求めているのかという本質な部分はその国に行き、そして生活してみないと見えて来ないと思います。ですのでヨーロッパに行きヨーロッパでその土地の文化やモードに触れる事が絶対に必要だと感じていました。そこでデザインに特化した教育が行われているということを聞いていたアントワープ王立芸術アカデミーに行くことを決意しました。日本の教育はデザインを形にすることが中心、その内容では世界でもトップクラスだと思います。しかしデザインそのものに直接切り込むような授業はまだ行われていないのではないかと思います。

―それは教える学校側が洋服を知らないというのもあるかもしれません

洋服を知らないと言うと語弊があると思います。日本の学校は服飾専門学校がデザイン学校を包括している。しかしヨーロッパでは服飾専門学校は洋服を作ることに特化しています。セントマーチンやアカデミー(アントワープ)は日本での芸大にあたり、デザインに特化した教育を行っているのです(その分服飾技術に対する教育は薄い)。

私は服飾の技術とデザインは別々のスキルだと思います。デザインに対する答えは個々が見つけ出すものですが、そのプロセスというものにはアカデミックな教育が存在します。

―入学試験の結果が凄く良かったという話を聞きました

入学後スコアを見せてもらうことができます。しかし僕のスコアは決して良いものではありませんでした。夏に突然決断してアプローチしたので、ポートフォリオも無かったですし。周りの方は1年位かけて製作してきていると思います。ただアカデミーには優秀だから入るという一般的な振り分けが行われているとは思えません。授業も特別ですが、審査も独特なものだと思いました。

―どのような作品が求められるのでしょうか

学校側は今から学ぶ事(ファッション)を入学の時点で求めてこない。それよりも、自分しか持ちえない個性をどれだけ持っているか、またアカデミーの教育で成長する可能性などを見ているのではないでしょうか?

自分を表現するファッション以外の物を持ってくる方が多かったという印象があります。

とても大きな油絵を数人で担いで来ていた方もいました。その他にも彫刻や写真など色々なものを見ましたが、そこに表現されている個性の強さが何よりも記憶に残っています。

―アントワープの面接ではどのような質問をされるのですか

どういうものに興味をもっているか、それを自分がどう捉えているかなど。大切なのはただ好きな事柄を話すことではなく、そこに何故そう思うかというセルフアナライズを通して表現できるかだと思います。アカデミーの教育はマンツーマンがベース。そこでのコミュニケーション能力は必然なのでしょう。

―今まで学んだ教育は役に立たなかったんですか

教育は全て役に立つと思っています。ただ今まで自分の主観だけで美しいというものを描いてきましたが、それだけではデザインするという事にはならないことを知りました。
好みと個性はある意味同じフィールドに存在しますが、似ていて異なるものなのです。
日本での教育はアカデミーでも洋服を製作するのでその過程でとても役に立ちました。

―アントワープに限らず海外って学生が新しい何かを生み出す気持ちが強いですよね

欧州には学生という存在は現存するデザイナーを凌駕してこそそのフィールドに入っていけると思っています。少しでも何らかの形で現在のデザイナー達が持っていない何か新しい提案を自らの個性で表現しなくてはいけないという思いがあります。

だから常に最高のクオリティの物を見ながら同時に自分のアイデンティティーについても深く考えている。その反面、日本の学生には自分達はプロじゃないという意識があると思います。プロではないのでクオリティーはこの位だと考える。学校側も生徒はプロじゃないから一定のクオリティーで満足してしまう。この意識の差は大きいと感じます。

海外では学生とプロの間に壁は存在しない。ただ学校で学んでいるデザイナーの卵というだけであって意識の中ではプロも学生も同じフィールドに立っている。

たとえば洋書を持ってきて(VOGUE, ID等)日本の学生に同じようなビジュアルを求めるとしましょう。そうすると「これは海外のデザイナーのことじゃないですか?」という自分のフィールドのものではないという見方が生じてしまう。海外の学生もスキルや経験、繋がりが少ないのは同じ。ただないものは集めなくては勝負にならないという覚悟が存在すると思います。自発的な行動にもとずく思考であり、受動的な行動ではない。学生だけじゃなくそれは教員にも言えることですが。「学生にそこまで求めても」と。逆に「学生に求めなくてどうするんですか?」と僕は思います。

―学生の時がデザインの原点ですからね

学生の時が一番自由。だから一番新しい物が出ていいはずです。アカデミーの最初の課題はスカートですが、ある生徒の作品で縫い目が無いスカートがありました。四角いパネルでスカートが構成されていて、パネルの間に隙間があるんです。浮いているように見えていました。驚いて裏を見てみたのですが、セロハンテープで全てが張り合わせてありました。彼は彫刻か何かをやっていたのだと思います。僕はそれはそれでいいと思います。自分の中で美しい物、面白い物ということに対して凄く多くのルールや壁を設け過ぎていると感じました。

続く

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