Interview

Kentaro Tamai / ASEEDONCLOUD 1/8

セントマーチンズを卒業後マーガレットハウエルでのアシスタントデザイナーを経験し帰国後山縣良和氏と共にwrittenafterwardsを設立。2009年にwrittenafterwardsを脱退後今シーズン(2010 S/S)から自身のブランドASEEDONCLOUDをスタートさせたばかりの玉井氏にセントマーチンズ時代のことからwrittenafterwards,そして自身のブランドに至るまで様々な話を聞いた。

―出身はどちらですか

千葉です。今は実家に住んでいます。(東京からは)遠いですけど住み慣れた街ですね。

―東京から離れていて不便ではないですか

ある意味不便ですけど。それはそれで自分のライフスタイルに溶け込んでいるのでそれこそ移動手段の使い方次第で変わってくるんですよね。それも自分として受け入れている部分なんですよね。

―高校までは実家で生活していたんですか

高校の1年間は都内ですね。でも中学までは我孫子(千葉県)でした。

―その後(ドイツ)フランクフルトのインターナショナルスクールに行っていますがなぜでしょうか

高校2年の時に突然決まって父親の仕事の関係で行きました。言語は基本インターナショナルスクールなので英語なんですけど。

―ドイツ語は喋れないんですか

単語、単語はわかるんですけど日常会話でドイツ人と喋れるレベルではないですね。買い物とか盛り上がりはしないけど会話が出来るくらいです。

―英語でコミュニケーションをとっていることの方が多かったんですか

なんだかんだいって日本人コミュニティーというものがあるんですよ。ドイツに行っても。どうしても逃げたがる部分があってその中にいましたね。

―ドイツに行ったことがあるんですけどファッションのイメージってあまりないですよね。勿論ベルリンは別ですけど

そうですね。アディダスばかりですからね。でもお洒落ではないんですけど僕の性には合っていると思います。ドイツ人の考えや生活習慣、洗練された感じが。ドイツ人デザイナーのFrank LedarやBlessなども凄い好きですし。

―でもそこってアングラというか正統派ドイツ人デザイナーではないですよね、新しい世代というか

そうですね。どファッションではないですね。でも僕もスタンス的にはファッションファッションしているデザインよりも無理をしない自分の表現を心がけていますので。

―彼らはアプローチもファッション寄りの表現の仕方ではないですよね

Blessは特にそうですね。でもそういう考えは共感を生みましたね。

―ベルリン以外のドイツのファッションはあまりわからないんですが

ストリートファッションは無いと思います。でも考え方というのはドイツに限らず北欧にかけて独特な感じがします。もともと文脈的にパリやロンドンと比べてファッションと密ではないのでそういう意味では客観的にファッションを紐解いている人が多い気がします。そのくらいのスタンスが丁度良いんですよね。

―やっぱり文化の中心はベルリンかなと思います

ベルリン面白いですよね。アーティストが集まったことはわかるんですけどなぜそこに集まったのかまではわからないですけど。

―同じベルリン内で東西にわかれていたのが理由なんですかね

でも実際ベルリンのパワーを見たのって90年代後半じゃないですか。だから壁が壊されて10年くらい経っていますよね。

―でもそこで文化が混ざり合ったというのもあるかもしれないですね

それはあるかもしれないですね。

―ベルリンがあって、その近くにはコペンハーゲンがある、あそこら辺の東ヨーロッパもフランスやイギリスなどの西ヨーロッパと違って面白いですよね

(セントマーチンでは)実際そこら辺から来ている人が多くて考え方的にも凄く近かったので面白かったですね。

―東欧、北欧もいいデザイナーいっぱいいますよね

日本からするとヨーロッパのデザイナーで一括りにされてしまうんですけどあそこ(東欧や北欧)はあそこで文脈があってパリで育ったデザイナーとスウェーデンで育ったデザイナーでは考え方も違うんですよね。

―国によって考え方も違いますし、表現の仕方が全然違いますよね。勿論学校に行って変えられる部分もありますけど根底の部分では全然違いますよね

多分それは文化から来るものだと思いますね。

―それが表面的に伝わるかといったら難しいですけど

そうですね。

―ファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃だったんですか

きっかけは多分小6くらいの時に姉に古着をプレゼントされて、その後にメンズノンノを買い与えられたことだと思います。姉は僕をいかにもてさせようか、良い男にさせようかということを考えていたんだと思います。

実際日本にいる時から自分を着飾るのが凄く好きで、ドイツに行って自分の娯楽がなくなって、雑誌もわからない、テレビも何言っているかわからない。そんなに友人がいるわけでもない。外での遊び方もわからない。その中でテレビや雑誌を見てて理解出来たのは音楽とスポーツとケーブルテレビでやっていたファッションだったんですね。その時既に17だったし特別何かのスポーツに長けていたわけではないですし、何かの音楽に長けていたわけではない。でもここに来て人とのコミュニケーションが取りたいなってなった時に凄い安易ですけどファッションって面白い。これならやっていけるんじゃないか。自分着飾るの好きだし服にも興味あるし。浅はかですけどファッションに興味を持ち始めましたね。

―玉井さんがファッションに興味を持ちだしたきっかけというのは着飾るという部分なんですね

そうですね。最初は良く見られたいとか着飾るとかそういう部分はあったと思いますね。実際お金が無かったですし、自分で買って着るということはまだ出来なかったですけど。

―Air Maxブームの時は日本にいたんですか

ぎりぎり日本にいましたね。持っていましたねAir Max95とかポンプフューリーとか。その頃はハイテク系スニーカーたくさん持っていました。

―僕もポンプフューリー持っていましたね

ノースウェーブも持っていましたね。あの時は藤原ひろしさんに凄く影響されていましたから。だからStussyとかも着ていましたしHelly Hansenなどのスケーター系ブランドも着ていましたね。でもそれは向こうに行ってからです。アメリカンスクールなのでアメリカ人が多くてやっぱりみんなスケーターだったので。

―DCブランド(日本のブランド)は好きだったわけではないんですか

ごっちゃなんですよね。そういうのもありつつあっちの文化にも触れつつ。なので格好はB-Boyぽい格好をしつつもDCブランドを取り入れていましたね。20471120とかビューティビーストとか。

―DCブランドの洋服はどこで買っていたんですか

日本に一時帰国する際に小銭握りしめて買っていました。

―どちらかといえば目立つブランドを好まれていたようですが学校では浮いた存在ではなかったんですか

わからないですけど浮いてなかったと思います。文化がぐちゃぐちゃなので。サリー着ている人もいましたし。

続く

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