“結局ハトラは僕の内面を100%披露する場所ではないんですよね。仲間も相手もいる仕事だし、それでは何も達成できない。ハトラには一人歩きできるほどの軸を持たせたいという思いが強い”
―絵は描かれるんですか
描きますね。服を作る前に最初は絵を描きます。
―デザイン画の絵はアニメっぽい絵になるんですか
そうかもしれません。でもそれがどうしても女の子によってしまうかというと結局僕が男だからというのにつきる。僕は男だから女の子にはまだ幻想を抱いていられる。もし男がどれだけ男を好きだとしてもジャニーズが鼻くそをほじらないなんて簡単には思えないですよね。そういう意味でどうしても虚像補正がかけきれない性別の壁があるんです。多分女性もそうだと思うんですけど。
―ツイッターの中で今回の展示会に関して”展示会で人と話す中で気になったことで、「きれいな縫製って縫いそのものより、始末仕様や理にかなった型紙作りが基本です。工場にだしてないのに、という視点は少しズレてるかなと思いました」とツイートしていました。その部分についてもう少し詳しく教えてください
パターンは僕一人でやっていません。パタンナーの笠井には、縫製以前の工程からいつも質を上げるために工夫してもらってるので、単に縫いがきれいと褒めるのは報われないところがあると思ったからです。素材やデザイン、それに適った仕様の選び方から仕上がりの良し悪しって半分決まってるようなものです。そういうのを全部通り越して「工場じゃないのに縫製がきれい」と言われても素直に喜べないときがあります。
―パタンナーとはどのような関係で仕事をされているのですか
最初に僕が絵を描いて「こういう形で組んでみて」と、それで向こうは全然わからないながらとりあえず思うように組んでみる、そこからまたデザインがはじまる、それでまたパターンをやる、そういったことの繰り返しです。
―パタンナーはいつから一緒にやられているんですか
ハトラとしては2011年の3月からです。ただパリでもコンペを始め、笠井とは学生の頃から共に活動していました。
僕が日本に戻ってきたのと1年程ラグがあるのですがその間彼女はサンローランやディオールなどのメゾンのショー用のサンプルを縫ったりするアトリエでパタンナーとして2年勤めていました。
今回ミキリハッシンで展示したものはほとんど彼女がパターンを担当しています。縫製は半々です。
―素材選びから縫製が決まっているということに関してもう少し具体的に教えていただけますか
もともと縫いあがりが良い生地とか、デザインやもとめる風合いにあった始末がしやすいとか、使う糸の色や太さだったりいろいろ条件はあると思います。
僕が理想としている生地はせわしくん(のび太の孫)が着ている生地というと一番近いと思うんですけど、彼が着ているボディスーツみたいな生地。その生地を探している。でもこの生地ってイメージが出来ないです。まさかコットンじゃないと思うし。むくむくして多分肌触りも良くて、伸縮性もあってという生地。そういうのが現代的だなと思っていて、スウェットはそれに近い素材なんです。
―今期は提案した服の多くにアーティストMynaさんのグラフィックを服にのせていますがそれは継続でやっていくんですか
今後さらに深く関わってやっていけたらと思っています。
―ハトラは手作業で完成しているブランドですが、以前出演されていたトークショーでは今は手作業で作っていますが、手作業だけでなく工場に出しても良いとも言っていました
手で作ることにこだわりがないと言うよりは工場に出すことに対してのネガティブなイメージは僕にはないという話でした。ただサンプルは自分の手で作って自分で着るところまでしてからじゃないと工場には出せない。完成する前に何度も着るし、完成してからもしばらく着ないと商品にはなりませんし。
―今回が初めての展示会でしたが今後はシーズン毎の展開をしていく予定なんでしょうか
そうですね。変わるかもしれないですけど。
―シーズン毎のテーマをつけていませんがそういうことには否定的ですか
人が付けるのには全然否定的ではありません。シーズンという話にもかかわりますけど僕は「部屋」というテーマがあってそのテーマを毎シーズン良くしていくというか、掘り下げて行くというか、ブラッシュアップして行く作業だと思っている。だからこの「部屋」というテーマは5年くらいで終わるかもしれないし。そういう意味では1シーズンが5年とかそういう感覚です。
―これもツイッターに書かれていたことなのですが“流れとしてはワンシーズンにまとめられないくらいテーマは細分化してきている”、”離れてみるとテーマ性がうすまっているように見えた”、”この流れと東京若手の多様性、システム的には未熟故、おいしいですっていう空気が今、東京にはうまく合流している”と書かれていました。このことに関してもう少し詳しく説明してもらえますか
客観的にしっかり見えているかどうかはわからないですけど今は若手が凄く出やすい時期で恵まれていると思うんです。でも今輝いているのってそのブランド一つ一つではなくてそういう無数の小さな粒の密集状態が輝いているだけのようにみえる。
その多様性がある意味東京らしく面白いのであって一個一個の粒が文化を象徴するほどに魅力的かというとまた別だと思うんです。それはハトラのようなブランドとしては早く抜け出したい問題で、今はその数ある粒の一つだと思うんですよね。そういう意味ではデザイナー個人の内面を精一杯表現することにはあまり興味がない。個人の世界観が色々あっても小粒だから結果的に似て見えてしまう、色んな個人というスケールの同じものにしか見えないと思っている。ハトラでは身の回りの環境が僕を通して服を形作っているみたいな感覚が強くて僕自身の個人的な生い立ちや好みをわかってほしいというよりは、その環境や世代といった背景にある価値基準をまるごと外に向けて示せればと思っています。
―今はやりやすいっていうのはどういうところで感じますか
ファストファッション、ビッグメゾンともにコレクションの単位が細かく区切られていく中で、東京ではまた別の多様性によって補われているのかなと感じます。
―ハトラ以外の活動としてカオスラウンジにも携わっていましたがそこでは何をやっていたんですか
カオスラッシンではファッションブランドとして全体の企画、バッグのデザイン等を担当していました。他にも昨年ラフォーレで行われたネオコス展のディスプレイや、年末の「新しい自然」展でも大掛かりな制作をしてきました。
―ハトラとカオスラウンジで作っているものは全然違いますよね
今後はもっとブランドを引き寄せて活動に繋げて行きたい。結局今までやっていたことは確かにブランドを超えた制作が自由だったから楽ではあったのですが、責任がないことで小さくまとまる方にいってしまった部分もあったかなと思いますね。
―カオスラッシンとしてブランドもやられていましたが反応はどうでしたか
出したものは完売したのですが僕たちの生産力が全然だったので結局どれだけの需要があったのか掴めきれなかったのは残念です。
―そういったことに関わったことでブランドに繋がったことはありますか
そういうものよりも凄く気持ちが健康でいられたというのはありますね。
結局ハトラは僕の内面を100%披露する場所ではないんですよね。仲間も相手もいる仕事だし、それでは何も達成できない。ハトラには一人歩きできるほどの軸を持たせたいという思いが強い。なのでそれとは別に欲望の捌け口みたいなものが外部に、社会的にあることは凄く健康的なことだった。仕事の枠外での活動が、レーベルを立ち上げて間もない不安定な心持ちのなか、良いバランスをつくってくれていました。
ただ先ほども言ったように、クロマ、ハトラ共にようやく軌道に乗りはじめて、それぞれの責任や技術をベースにしてさらに一歩踏み込んだ関わり方が実現出来ればと思います。
Interview & Text:Masaki Takida
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ハトラは2010年より、「部屋」を主題に居心地のよい服を提案しているユニセックスウェアレーベルです。
フードウェアを中心に、服と体の間にある個人的なスペースをデザインし、部屋のここちよさと安心感をそのままストリートに持ち込んでもらえるようなブランドを指向しています。
長見佳祐
Esmod paris在学中Festival international de mode de Dinardにてグランプリ受賞。その後同校マスターコースを主席で修了し、Martine Sitbon(Rue du Mail)、Anne Valerie Hash等のもとで経験を積む。2010年帰国後、東京を拠点に「ハトラ」としての活動を開始。コレクションと並行してうしじまいい肉、レディガガ等の衣装製作も行う。
また、カオス*ラウンジの作家、ファッション部門のデザイナーとして、昨年5月に開催された破滅ラウンジをはじめ、各企画、展示に参加。