Interview

ヌケメ 1/4

ファッションデザイナーヌケメによるブランド”ヌケメ”。ヌケメが作る服は根本的なメディアであり、手触りのあるコミュニケーションツール。彼の代表作は文筆家で写真家の辺口芳典とのコラボレーションによる”ヌケメ帽”で「えげつない鋭角」、「征服されないで下さい」、「足し算が時々適当」等の独特な言葉が帽子に刺繍されている。
またファッションだけではなくカラオケの人としても認知され、「なにやってる人なのかわからない。」「帽子を作ってることしか知らない。」「カラオケの人でしょ。」とその活動内容はあまり知られていない。
今回は”ファッションの人”としてのヌケメを様々な側面から探ってみた。

―ヌケメさんの職業はファッションデザイナーですよね

わかりやすいんで、そうやって言っちゃってたりしますね。”デザイナー”かどうかは疑問ですけど、”ファッション”は言いたいです。

―今現在の活動はファッションの方が少ないですよね

そんなこともないと思いますけど。カラオケとか割とよくやってるので、そういう印象かもしれないですね。

―多分ヌケメ帽のイメージが強すぎるんですよね

そうですね。

―ではプロフィールを教えてください

86年岡山県生まれ。ESMOD JAPON大阪校メンズ専攻の卒業制作で、文筆家で写真家の辺口芳典さんとコラボレーションしてから、辺口さんの言葉と写真の作品提供を受けていて、今でも使わせてもらっています。洋服をメディアとして扱って、布の上で辺口さんの作品を発表する、みたいなアイデアでした。卒業した後、東京に引っ越して来てからは、2009年の9月にCULTIVATEを友人4人で立ち上げて展示の企画を考えたり、カラオケを色んなイベントで披露したり、spectacle in the farm 2010ではパフォーマンス集団の快快(faifai)と一緒に「おしゃれ囲碁」っていうパフォーマンスをやったりしました。

―作品提供を受けることになった辺口さんとはどのように出会ったんですか

学校帰りに寄ったギャラリーのレセプションでたまたま出会ったんです。辺口さんの友人が企画か何かで関わった展示だったと思うのですが、そこで話をする機会があって。僕は心斎橋のアセンスって本屋でそのときやっていた辺口さんの展示を見ていて、辺口さんが自分のコラージュのTシャツを着ていたので「それ、あそこの展示のTシャツですよね」って言ったら「これ俺が作っているんだよ」って。それで知り合って、たまに遊んでもらってたりしたんですけど、僕が専門学校3年の時に「一緒に何か洋服作りませんか」って声をかけて。

―エスモードでは何を学ばれていたんですか。デザイナーを目指していたんですか

エスモードではデザインもパターンも両方学んでいました。縫ったりするのが好きだったので、その頃はどちらかと言えばパタンナーを目指していました。

―それ以前、中学の時はプロ棋士を目指していたようですね

そうですね。「ヒカルの碁」を読んだのがきっかけで囲碁を覚えて、あるときからはプロを目指していました。囲碁は中3くらいまでにプロになるのが普通なんです。だからプロ目指すような人は、みんな始めるのが3歳とか、遅くても小学生とか。僕は中1で始めたのでそもそも遅すぎて、中3までに全国優勝したらいけるかなって思ってたんですけど、結局優勝が出来なくて諦めたんです。六段まで上がれて、全国大会には高校に入ってからも含めて4回連続で出たんですけど、結局毎回3回戦止まりで。そこから上に行けなかったんです。プロになる為の試験は30歳まで受けることが出来るし、あのまま続けていたらプロになれたかもしれないけど、行ける気がしなくなっちゃって。結局プロになれたとしてもそれからがしんどいだろうな、と。

―それ以前はなりたいものとかあったんですか

それ以前はアニメや漫画が好きで、漫画家になりたかったですね。でも結局いつの間にか描くのをやめていました。今でも見たり読んだりするのは好きですね。

―服飾学校を選んだということはそれ以前から洋服が好きだったんですか

そうですね。中学までは興味なかったんですけど、高校に入った頃から急に洋服を買うようになって。それ以外にお金も使わなかったし、バイト代を全部つぎ込んでました。囲碁やめていきなり洋服に、という感覚は自分でもよくわからないですけど。

―なんで洋服に興味を持ったんですか

洋服好きな友達がいて。最初に興味を持ったのはNEIGHBORHOODとかbalance wear designとかの、いわゆるストリート系のブランドです。周りでちょっと洋服に詳しい人たちが着ている服がそこら辺のブランドだったので。
そういうところから洋服に入って、ヤフーオークションで色々見たりしているうちに、Comme des GarconsやMartin Margielaの洋服を発見して、そこがきっかけでコレクションブランドに興味が移っていきました。
Margielaはアーティザナル(オートクチュール)みたいな、アイデアそのままみたいな服があるじゃないですか。平面の服、みたいなものとか。その感覚が凄く面白くて。思いつきを無理矢理服にしたらこうなる、みたいな。
そこから興味が出て色々調べたり聞いたりしたんですけど、その興味が沸く以前のことを僕が知ってるのは、全て後追いですね。
インポートブランドで一番最初に好きで着るものとして買っていたのはRaf Simonsです。Garconsばかり着ていた時期もありました。高校生のときです。

―そこら辺のブランドを語る上でRaf Simons、Margielaというのは必ずキーとして出てきますね

そうですね。

―Raf Simonsの他にはどんなブランドを着ていたんですか

Hussein ChalayanとかViktor&Rolfとか。Chalayanのシャツは今でもたまに着ています。岡山にSCOPEっていう、さっきのRaf Simonsとか他にもJack HenryとかA.F Vandevorstとかの黒い服ばっかり選んで置いてるお店があって、よく遊びに行ってました。
あとはBernhard WillhelmやBless, Henrik Vibskov、Susan Ciancioloも好きです。どこかに手作り感が残っているブランドは好きですね。Margielaもそういう部分が好きです。Blessは最近出た本も買いました。

―日本のブランドで好きなものもあるんですか

今はほとんど買わないんですけど色々好きで見てはいますよ。POTTOはぬいぐるみの時期が特に印象に残っています。知ったのは平川武治さんのLe Priだと思うんですけど、コレクション評を読んで興味を持ちました。

―Le Priを呼んでいたそうですが批評にも興味があったのでしょうか

そうですね。批評っていうか、みんなどう思ってるんだろう?みたいなことは気になりますね。自分がなんとなく感じてる「良い」とか「悪い」の感覚を言葉にしてくれてるような文章はハッとしますし、そこからの進展もあると思うので。ファッションの場合は、お互いの利害関係が強いし、やっぱり出来る部分と出来ない部分があるんでしょうけど、個人的にはみんな色々言ってるほうが面白いと思います。叩かれて盛り上がる部分もあるし。盛り上がればいいと思ってます。

―エスモードを選んだのはなぜですか

厳しい、という評判だったので、がんばれば力つくかなと思って。東京ではなく大阪に、と思ったので、大阪であればエスモードかなと。大阪にした理由はその頃岡山でバンドをやっていたので、それを続けたかったっていう距離的な理由ですね。

―バンドでプロを目指していた時期もあったんですか

それはないですね。

―どんな音楽をやられていたんですか

当時はゆらゆら帝国やNUMBER GIRLが好きでした。でもやっていたのはThe Strokesみたいな、割とポストロックっぽいやつです。曲は全部オリジナルで作っていて、僕はベースを弾いてました。

―J-popは聞いたりしていたんですか

大阪で出来た友達でJ-pop好きな友達がいて、その人の影響で。ジャズとかアンビエントも好きなんだけどモー娘。も聴くし、「好きな音楽は?」って聴くと「J-popです」って迷わず答える、当時の僕からしたら相当変な人で。音楽好きがこじれた結果としていろいろフラットに聴ける、みたいな感覚はおもしろかったです。それがあるからNeko Jump(ヌケメ氏のカラオケの十八番)があると思います。
僕より確か7,8歳上なんですがその人がファッションにも詳しかったんです。だから話をしていると自分の世代じゃないファッションの話になって、それで色々知ったりとか。「アニメもOK、J-popもOK」みたいな感覚はそれまであまりなくて、逆に表に出しちゃダメなんじゃないか的に思ってたので、そこがひっくり返ったのは楽しかったですね。
バンドは2週間に一度くらいの頻度で、朝鈍行で2時間半かけて岡山に帰って、スタジオに入って、また終電で大阪に戻るっていうことを繰り返してました。プロを目指す、とかそういうのでもなく「自分たちが楽しむことが出来るのが一番」とかそういう気持ちでした。

―それは今のスタンスにも繋がっていそうですね

そうですね。自分が楽しいことをやるっていうのがまずありますね。

―バンドは今も続いているんですか

解散はしてないですけど、事実上やれてないです。

Photo:2010年3月にCULTIVATEにて行われたヌケメの展示会より

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