Interview

さとうかよ ~たいせつなものは目に見えない~ 2/3

人は気付かないと変われない。それを気付かないとみんな変わらないから。反対だからこっち向けよとかじゃないんです

→さとうかよ ~たいせつなものは目に見えない~ 1/3

―洋服のデザインをやめ、作品作りに影響はあったんのでしょうか

それはないと思います。考える時間が増えたくらいですね。その分家事をするようになりましたし。生きる為のことをしているだけです。普通ですね。

以前は毎月いつもいろんなパーティーに行ってた。色んな展示会に行っていたし、色んなところに顔を出してたから色んな人に会ってた。でも今は普通にしていてタイミングで会う時にあえばいいかなって。

―作品は唐突に作りたくなるんですか

ずーーっと作りたい物がある、作らなきゃいけないというものが自分の中にはあるからそれを作るだけですね。以前は夢を見て作品を作っていたけど3.11以降は自分の為に作品を作ってもしょうがないと思っています。自分のことだけど私は本当に風評被害も怖いし、放射能も浴びたくない、でもそれってみんなそうだと思うから、もっとそれをみんなにわかってもらいたい。そういうことをちょっとでも言えるきっかけをつくれるのってアートでしか出来ない。もしかしたらファッションでもそういうことができるのかもしれないけど私はアートでそういうことを言っていきたいんです。

―それが作品に反映されていると

それで反映させたのが今回のガスマスクの作品です。でもわかる人は本当に少なかった。やっぱり「なんでガスマスク作ったんですか」って言われることが多くて。本当に勘が良い人は気付いてくれるけど。「こんなにニュースでやってるのに、こんなにダイレクトにやってるのに、みんなそんなしかわかってくれないんだ」って。
でももっとわかりやすく言ってしまうときっと反感を買うだけになってしまう。もう少しふんわりとした方法でやらなければいけない。別に原発反対って言いたいわけじゃないし、そういうことじゃないから。もっと気付いていかないといけないと思っているから。そういうことをしてしまったのも人間、一人一人の問題だから。私も多分こういう生き方をしちゃったから脳腫瘍になってしまったと思っているから。今までわがままに生きてきたから。それがたたって脳腫瘍になってしまった。でも私はそれで気付けた。人は気付かないと変われない。それを気付かないとみんな変わらないから。反対だからこっち向けよとかじゃないんです。

でも、最近、突き刺さるような現実の現代美術作品をみて、カッコイイとは思いましたが、同時に残酷だとも思いました。それが現実なのですが、
人はハッピーなものから、なにかを感じたいのかもしれない。
そう思うようになったんです。
打ち出し方次第なのかもしれないですけどね。

―ブログには「こんなこと書いてあれだけど脳腫瘍になって良かった」と書かれていました。それはやはり色んなことに気付けたからなのでしょうか

気付けたからですね。こんな生き方だった、駄目な自分に、やんちゃすぎた自分に。完全に調子に乗っていた自分に気付けたから私は良かったと思う。

―復帰後最初の個展はLamp harajukuでの「かみさま」展でした(→さとうかよ’’かみさま’’展)

あれはみんなに対してのお礼みたいなものです。Lamp harajukuで倒れたので。みんなに有難うという気持ちを伝えたかった。Lamp harajukuでみんながメッセージカードを書いてくれたんです。本当はみんなにお守りをあげたかったんだけどそうしたら生活がなりたたない。だからちょっとでも私にお金をちょうだいと思っておまもりを売ったんです。だからみんなが気軽に買えるくらいの値段にしました。

―なんでお守りだったんですか

その前にパスザバトンでお守りを作るプロジェクトを考えていたんですけど遠山さんと「おまもりとかいいんじゃない」って。そこからのお守りです。で、その企画をパスザバトンに持って行ったら逆に断られました。お守りは50個作ったんですけどみんなが買ってくれて完売でした。

―今、かみさまはどこにいるんですか

実家にいます。たまにでてきて「はっ!!」みたいな。気持ち悪いんで。神というか悪魔ですよね。

―でもこの時のものと最近の「たいせつなものは目に見えない」と繋がっている部分はありますよね。この時もほんとうのことは目に見えないって文章にしていましたし

そのことは自分では気付かなかったんですけど私の中ではずっとそうなのかもしれないですね。それに気付きはじめていたのかもしれません。

私、病院で倒れた時に全員見たことがあったんです。周りの人みんな見たことがある感覚に襲われて。痙攣して倒れて泡を吹いて、救命救急に運ばれて、意識もなくて、病院で寝ていたんですけど変な管が付いていてそれを抜いてはっと目が覚めたら抜いた人も、隣に入院している人も全員知っている、どうしようと思って。なんで知っているのかわからないけど意識の中で凄く知っている。それを必死でお父さんに伝えようとして「お父さん全員知っているよ」って言ったら「気持ち悪いこと言うなよ」って。でも全員知っていたんです。その後に脳腫瘍と伝えられた。脳腫瘍が何かわからないけど脳外科に運ばれて、脳外科に行っても全員知っていたんです。それがなんでか全然わからなくて、それが今も残っているのかもしれません。

―見えてないはずのものが見えるようになったということですか

なぜかはわからないんですけどとにかく知っているんですよ。気持ち悪いですよね。知っているから話しかけるべきなのかどうかわからなくて。知っているのに話しかけなかったら無視しているみたいじゃないですか。私結構フレンドリーなので「こんにちは」って言いたいのに、言えない。だからどうしようと思っていたのを凄く覚えています。
病気になって変わったのは寛容になったこと。病気になってから色んな事を許せるようになった。昔は作品が1ミリずれていたり、人が作品に触ったりしていたら「やめてください」って思うタイプだったんです。心の中では勿論嫌だとは思っているんですけど。

―かみさまを作り始めたのはいつですか

本当はメリーゴーランドを作り終わっていたのでそれを回したかったんです。でもLamp harajukuではスペースが狭すぎて動かせないので、「じゃーかみさま作ります」みたいなノリです。十字架を光らせたくてそれで間接照明で光らせて。かみさま自体には多分あまり意味はないと思います。なんでかみさまを作ったのかわからないけど小さいぬいぐるみ作ってもしょうがない、これまでのイメージにあるものを作ってもしょうがないって思ったんです。「また、さとうかよぬいぐるみ」ってそういうのに飽きてた。新しいことに挑戦したかった。「動かす」というのもそう。ぬいぐるみだけとかつまらなくて飽きてた。かみさまって人の形していますよね?人って自分の中では新しかった。一人で出来る新しいことを考えて出来たのがかみさまなんです。人とかつくったことないし、でもそれで作ろうと思うと限度があるって感じた。でも下手な事とかした方がいいなって、上手く作るとか出来ないのもいいんじゃないかって。そうしたら前に買ってくれたコレクターの方たちはかみさまを見てどんびきしていました。あのかみさまじゃ気持ち悪いから勿論売れなかったですね。

―作品が“ぬいぐるみ”と呼ばれることに関してはどう思っているんですか

昔は嫌だったんですけど今はしょうがないかなって思っています。“ぬいぐるみみたいなもの”なので。ギャラリーの方は「布の彫刻です」って言っていました。

―自分的にはどう思っているんですか

なんだかわかりません。

―作品に使うぬいぐるみはどのように手に入れるんですか

フリーマーケットに行ったり、人がくれたりもします。

―ぬいぐるみを選ぶ基準ってありますか

なるべく名もないぬいぐるみを選んでいます。キャラクターじゃないやつというか。なるべく昭和っぽいの。なるべくださいやつ、ぶさいくなやつ。懐かしい奴というか。

―かみさまのイメージはキリストからだったんですか

FUGAHUMの人に凄く似てるって思っていました。その作品が出来る2日前に丁度会ったんです。かみさま作ってる時にかみさまに。「今作ってるんだよねきみを」ってそう伝えました。

―この展覧会は震災後でしたがそういうのはあまり考えていなかったんですか

それよりは自分の事です。生還したけど生還してないのかな、自分は、みたいな。あとはとにかくみんなにお礼を言いたかった。

―ということは震災を受けて一番作品に反映したのはアートフェア―東京での展示だったのでしょうか

それ以前の「アニマルコレクティブ展」も意識していました。小さいねずみを十字架に並べてメッセージを書いたんです、「みんなねずみみたいなもんだよ」って。その言葉と共に原発のマークを書いたんです。その時凄くパンクな気持ちで。動物も人もおなじくらいの高さにいるのになんで人が人を指図するんだろうって。それに対しての反応は何もなかったんですけどね。一人テロですよ。

―そういう反応があったからこそ今回のアートフェアではもっと直接的に表現をしようと思ったのでしょうか

多分そうかもしれません。すべてのことがどんどんなあなあになっていく。みんな世の中を本当に見ているのかなって。で、ガスマスクを作ろうと思ったんです。

―アフリカのプリミティブアートに触発されたとも書いてありました

それは事実ですね。原住民凄いみたいなことを実家にギャラリーの方が来た時に伝えたんです。

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