Interview

蘆田裕史 3/5

“批評をするには自分の方法論を勉強して身につけることだと思います。方法論というのは服の構造かもしれませんし、パターンかもしれませんし、歴史かもしれませんし、哲学かもしれませんが、まずは今あるものを勉強することですね・・・”

→蘆田裕史 1/5
→蘆田裕史 2/5

―今回の出来について教えてください。理想とする物は出来たのでしょうか?

 誤植の多さや画像の少なさなど、様々な課題がありますので、理想的なものとは言えません。まだ第一号ですし、これから発展させていければと思います。

―デザイナーインタビュー(ANREALAGE, mame)をあの二組にした理由はなんですか?

 ANREALAGEは コンセプトもしっかりしていますし、僕も水野も面白いと思ってまず決めました。ただ、ANREALAGEは批評しやすいブランドでもありますよね。なので、そういうデザイナーだけ選ぶと「結局書きやすい人しか取り上げないんだよね」と思われてしまいます。そういうことを考えたときに、ANREALAGEとはある意味対局にあるデザイナーを取り上げるべきだと思いました。そこで白羽の矢を立てたのがmameの黒河内さんです。僕はmameのことをとても評価しているのですが、このブランドについて批評を書こうと思っても、ちょっと難しい部分がある。そこで、インタビューで黒河内さんの考えていることを聞きたいと思っていたので、ちょうどいいだろうと。

 この2組のデザイナーが現在へのまなざしだとすれば学生たちのインタビューは未来ですね。ファッショニスタはいわゆる商業誌ではありませんので、これが売れないと生活費が出ないというものではありません。また、ある種実験的なことをやっていかないと存在価値も薄れてしまう。専門学校ではなくて大学で服を作っている子達が今何を考えているのかって、商業誌では絶対に出て来ないテーマですよね。僕たち自身、そこに少なからず興味を持っていたので、『fashionista』でその部分を拾おうと。
 本当は過去の人もやりたかったんです。例えばSHINICHIRO ARAKAWA を今の商業誌が取り上げることはないですよね?そういうところも自分たちが取り上げればいいんじゃないのかと思っています。

―批評ではありませんがValerie Steeleのインタビューはファッショニスタを象徴するものだと感じました。知らない人がほとんどだろうけどこの本の中で彼女のインタビューは凄く重要なのかなと思いました。

ファッショニスタは批評誌と謳っていますがファッション研究の下地を作るという目的もあります。ですので、International Perspectiveのコーナーは凄く重要視しています。

―Fashionistaでは蘆田さんや水野さんは論文や批評を書いていません。

僕と水野君が書くか書かないかの話は最初にしました。インタビューは僕たちが聞きたいことを聞くし、執筆者の人選でも僕たちの色が絶対に出てしまう。そこで更に僕たちが書いていたら「それ君たちが言いたいことを主張する雑誌だよね?」と見られてしまいかねません。だから僕たちはあくまで裏方的なポジションに徹することにしました。ただ、展覧会紹介、書籍紹介等の文章など、比較的ニュートラルな文章は少し書いています。
自分たちの意見を主張するようなものはできるだけ入れないようにしようと。

―今後もそのスタンスは継続していくのでしょうか?

しばらくはその予定です。

―でも読み手が一番読みたいものは蘆田さんや水野さんの批評であり、論文だと思うのですが?

それは僕たちにはわかりません。でも僕らは他の媒体でそういうことがやれれば良いと思っています。機会があればですけど。

―ではそういった機会があったと仮定して個人的に批評をしてみたいブランドはなんですか?

90年代のデザイナー達はきっちり書いて残していきたいと思っています。
20471120やSHINICHIRO ARAKAWAなどですね。そのあたりが歴史としてちゃんと残っていないので、機会があればやっていきたいです。
2000年代であればANREALAGEはきっちりと書いてみたい。あとはASEEDONCLOUDやハトラも面白いと思っています。mameなども今後書けたらと思っていますが、やはり積み重なった物がないと難しいというのはありますね。勿論1シーズンでもものを見て話を聞いて自分で良い悪いの判断はしますが、それを文章にするとなるとやっぱり難しい。いつも言うことですが、ファッションってやっぱり作品のもつ情報量が少ないので。

僕はまず服の背後に何かコンセプトだったり、物語とかそういったものがきっちりあって、それをちゃんと形に出来ている人というのを評価したいと思っています。そこをはっきりと打ち出していない人について書くためには、色んな意味で時間が必要です。僕の能力や知識もそうですし、逆にデザイナーの作品の積み重ねという意味でも。

―好き嫌いは別としてどんなブランドでも批評することは可能なのでしょうか?

僕に出来る出来ないはありますが、僕以外の人でもというのであれば、条件はありません。どんなブランドでも出来ると思います。もしそうでなければ批評が成立していない、このブランドは批評が不可能となるとそれだと批評のあり方自体が間違っていることになります。

―では批評をする為には何が必要なのでしょうか

自分の方法論を勉強して身につけることだと思います。方法論というのは服の構造かもしれませんし、パターンかもしれませんし、歴史かもしれませんし、哲学かもしれませんが、まずは今あるものを勉強することですね。自分の興味あるところを見ていけばいいんです。誰かのパターンが良いと思ってそれについて書きたいのであれば、歴史的な服のパターンを勉強したり、科学的な意味での身体論とかを勉強するとか。パターンの形の意味をまず理解するために。僕はそこについては触れられませんし、そこは出来る人がやれば良いと思っています。

―批評をする上で過去の服飾の歴史を知っているのはマストですか?

必ずしもそうだとは言いませんが、例えばaski kataskiのようなブランドを批評しようとしたら服飾史を知っておいた方がいいでしょうね。また、例えばBalenciagaの服がどういう構造だったとか、そういうのを知っていれば、今の服を見る時にまた違う視点を持つこともできるかもしれない。マストではないですけど、見方が広がるとは思います。ただ、僕が一番問題だと思うのは、書き手が歴史を知っているかどうかというよりも、彼/彼女が歴史を参照したいと思った時に資料を入手しにくいという状況です。皆が知っている必要はなくとも、皆がアクセスできる必要はあるはずです。

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