Interview

Diane Pernet -A SHADED VIEW ON FASHION- 1/4

昨年11月、南青山のIDOLにて第5回目となる『ASVOFF TOKYO 2012』(A SHADED VIEW ON FASHION FILM)が開催された。『ASVOFF』は国際的な影響力を持つブログ『ASVOF』の主宰者であるDiane Pernet(ダイアン・ペルネ)がキュレーションするファッションフィルムフェスティバル。今回の東京巡回と同時に彼女も来日を果たした。

こうしている間にもブログは更新されているだろうか。ブログは毎日の小さな怪物だと彼女はいう。情報は毎日動き、与え、与えられながら育て続けることに意味がある。その土台があり、彼女はファッションフィルムという次のステップの発展に挑戦していく。

世界中にコントリビューターを持ち、各国の最新情報が得られる『ASVOF』はファッション界から絶大な支持を集めている。あまり明かされることのないDiane自身の独創的な服装についてから、これまでの多岐に渡る仕事、独自の視点で捉えてきたファッションが赤裸裸に語られたインタビューとなっている。

―今回でDianeさんが始めたフィルムフェスティバルASVOFFが5回目と聞きました。まずなぜこのようなフィルムフェスティバルを始めようと思ったのですか?

私にとって小さい頃から映像が自分にとって一番の興味の対象でした。
なぜ自分がこのようなフィルムフェスティバルを始めるようになったかというと7年程前にEley KishimotoのMarc Eleyがメンズラインをローンチするときに私にロードムービー(“Adventures of Pleasure”)を撮ってくださいと言ってきました。金持ちの男の人と綺麗な女のレースクイーンみたいな人がEley Kishimotoの洋服を着て3千キロを走りきるラリーに私がついていきドキュメンタリー形式で撮りました。
それと同じタイミングで私のブログのロサンゼルスのコントリビューターから「ここにも面白いファッションフィルムがあるよ」と言って映像が送られてきたんです。それがきっかけでもしかしたらファッションフィルムフェスティバルが出来るかなと思い、始めることになりました。
7年前のそのさらに5年前、今から数えると12年前にファッションフィルムを集めたものを作りたいと密かに思っていましたがその頃にはまだファッションフィルムがあまりなかったので実現は難しいと思っていました。


Hors d’oeuvre by Monica Menez for Goldknopf Couture

―学生時代は映像を専攻されていたと聞きます。その後デザイナーという職業を選び、またそのデザイナーという職業を辞めることになった理由を教えてください。

映像を撮っていた時にはチームワークが苦手でしたのでルポタージュフォトグラファーに転向しました。ですがだんだんルポタージュフォトグラファーもどうなんだろうと思い当時一緒に住んでいたフォトグラファーの友人に相談をしたら、「あなたには何かはっきりしているものの方がいいんじゃない?」と言われ、そのはっきりしたもの、形にできるものが何かと考えた結果それがファッションじゃないかと言われ、ファッションをやってみようと思い、FITとパーソンズに9か月間通った後自身のレーベルDiane Pernetを立ち上げました。
レーベルは13年間続けたのですが私が活動していた80年代の終わり頃NYではエイズが流行っていたり、覚醒剤だったり、ドラッグが蔓延していました。今はMarc Jacobsのブックストアがあるウエストビレッジに住んでいたのですが私にとってNYという街は自分がデザイナーとしてインスパイアされるような場所ではなくなってしまったのです。これからどうしようと考えた時にファッションの世界に居続けるのであればNY以外の場所で考えるとヨーロッパではミラノかパリかロンドンしかなかったんです。ミラノという街は小さすぎますし、ロンドンという街はアングロサクソン系ですので自分にとってはあまりエキゾチックではなかった、だからパリを選んで引っ越すことにしたのです。日常生活を人間として送りたかったのでデザイナーという名誉も、自分が13年間継続してきたビジネスも全て捨ててパリに引っ越すことにしました。移住した時十分にお金があったわけではないですので自分のブランドを立ち上げることも出来ず、何か出来る仕事があればどんなことでもやりました。

―今でもデザイナーをやりたいという気持ちもあるのでしょうか?

自分がデザイナーをしていた時はデザイナーは自分だけと思っていましたので他の人が何をデザインしているのか全然気になりませんでしたが今はキャットウォークを作るのとは違う側の人間、プレス側の人間になることによって他のデザイナーが作るものがあまりにも見えている、そういう状態ですのでそれによって自分がバイアスかかってないとは思えませんし、今自分が何かものをデザインしようという気持ちにはなりません。

―Dianeさんは一目見たら忘れないようなインパクトのある服装をされていますがいつからそういった服装をされているのでしょうか?

私がデザイナーとしてこの業界で活動するようになってからです。
私のブログから過去の写真を見ることが出来るのですがそこには昔の私の平らな頭もあったり、自分が薄いピンクのブラウスを着ている写真があったり、眼鏡をかけてない写真もありますので見てみてください。

―プライベートの時、例えばご自身の部屋で寛いでいる時はどんな格好をされているのでしょうか?

私がこういった格好をしていない時はバスローブを着ている時だけです。
もしあなたが私と朝9時にスーパーマーケットで出会ったとしてもこの格好をしていますよ。家にいてもこの格好をしていますし、プラットフォームシューズも履いていますし、髪の毛もこのままです。

―自分を着飾るために洋服を買うということにはそれほど興味がないのでしょうか?

あまり洋服を買うことはありません。ですがGivenchyやDries Van Noten, Boudiccaの洋服も持っていますしデザイナーのジャケットはたくさん持っています。
本日私が着ているのはDries Van NotenのコートですしGivenchyからもらったジャケットなどもありますが実際お店に行き買うことはほとんどありません。私がいつも履いているスカートは8枚同じものを持っているのですがそれはカナダ人デザイナーのDavid Szetoが作ったものです。彼に直接頼んで彼のコレクションにはないものを作ってもらっています。洋服を買うとすればそのようにデザイナーから直接買うことが多いですね。
例えば今日来ているコートは着ていてしっくりくる、その上着やすい、それプラス着ていることによって自分がエレガントな気持ちになることが出来ます。そういうことが私にとっては大事なのです。

―あなたがかけているアイウェアに関しても教えてください。

今私がかけているのは2012年の1月にイタリアのデザイナーが作ってくれたものです。これは私の為に、私の為だけに作ってくれたものです。これに変える以前は何十年もの間alain mikliのアイウェアをかけていました。
きっと今かけているものは死ぬまでかけ続けるでしょう。Ozonaというブランドをやっているイタリアのペルージャにある小さな眼鏡屋さん、そこのサンドロという方が作ってくれました。彼はこれを作るまでに12個もプロトタイプを作ってくれました。彼以外にも違うデザイナーとサングラスを作ったりもしたのですがうまくいきませんでした。でもサンドロは作る前に私の顔を色んな角度から写真を撮り、最終的にこの形になったんです。凄く気に入っています。

―凄くお似合いですね。

そう言ってもらえるとうれしいです。私の為に作ってもらったものですので。完成までに1年くらいはかかっていると思います。
彼と出会ったのはおそらくデザインのイベントでペルージャに行った時です。そこでサングラスを出していたのががサンドロで、彼が私のサングラスを作ってみたいというので作ってもらったんです。でも私は彼に「私が気に入ったものを作るのは凄く難しいと思いますよ」と伝えました。いろいろなところに細かいですし。でも彼は私が満足のいくものを作ってくれた。

―アクセサリーに関してはどんなものを身に着けているのですか?

Mario Salbucciというデザイナーのものです。彼は私が80年代にデザイナーだった頃にジュエリーを作っていた人ですが、10年ほどコレクションを発表していませんでした。それで新しくまたブランドを始めるときに私にインスパイアされたコレクションを作ったのですがそれが今身に着けている蜘蛛のジュエリーです。イタリアで蜘蛛は幸運でしたり、良いイメージがあるのです。でも蜘蛛を好きな人と嫌いな人もいますが私のことを好きな人と嫌いな人も分かれるのではないかと思います。そういう意味でも私に合ったジュエリーだと思います。彼は勿論良い意味で蜘蛛を作ってくれたと思いますが。

Portrait©Miguel Villalobos

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