Interview

Midori Kambara 中編

“マルタンはやっぱり衝撃的でしたね。「私現代アーティストやってます」みたいな下手な人よりは全然彼らの用法の方が芸術的だし、社会的メッセージもちゃんとあるし”

-グラフィックデザインもやられているんですよね

グラフィックやっています。絵と同じ感覚で

-自分で描いている絵は全て白黒なんですか

そうですね。妄想するのが好きだからかな。一人遊びが大好きだったから。

-頭の中にイメージは出ないんですか

大体思うんだけどあんまり考えすぎるとつまらなくなっちゃうんですよ。やる気が出なくなっちゃうんですよね。

映画祭のポスターも好きに作っていいよと言われたんですけども、何となく映画祭のポスターだからフィルムとかスクリーンとかそういうのを広告的に作らなきゃいけないと思ってしまう。でも作れるデザイナーは他にいっぱいいるし、ではなぜ私にお願いするのかっていったら私にしか描けないものが何かあるんだろうと思ってそれでこういうの(動物や昆虫が溢れるもの)作ったりしました。

-色はどうやってつけているんですか

油彩やってから油をスキャンして自分のオリジナルのテクスチャーなんです。ステンドグラスみたいに自分の油絵をあてていって。広告を作る時はマウスで絵を作ることが多いから黒だけイラストレーターの色だけどあとは全部テクスチャー。色はあんまりイラレの色は使わないかな、素材もアイデアも。冬の広告の話が来るのって夏の終わりぐらいなんですよ。前倒しで来るから。その時にたまたまうちの亡くなった祖父の法事で、祖父の家にいたんですよ、その仕事 (Pivot冬の広告のイラスト)の連絡取った時って。でこれも祖父の家の壁紙を自分で撮っててうさぎも二匹実は飼ってたんですよ、祖父の庭で。で、なん かこれをお話に出来ないかなとそのままプライベートを広告に出したんですよね。海とか空は自分の地元の海だったりとか。

-HPには写真もありますが写真も発表されているんですか

写真は完全に趣味でしかないですね。

-ファッションはどういうのが好きなんですか

ファッションは普段はYohjiとGarconsでそれ以外、遊ぶ感覚の時はMartin MargielaとBlessとAnn Demeulemeesterかな。

-それには理由があるんですか

私黒が好きだから、黒い髪だし。黒を着るといいんですよね。力が出るんですよね。自分を敢えて黒い側に追いやるから全て鮮やかに見える気がしていて好きな んですよ。それで黒のペンで描いたとしても色が見えてくるんですよ。みなぎりますね。

-絵を描く時に洋服も重要ということですね

そうですね。大学に行っていた時は絵の具付けたらどうするのっていう服ばかり着てエプロンもしないで描いていました。

-影響を受けたアーティストはいますか

マルタン(マルジェラ)はやっぱり衝撃的でしたね。「私現代アーティストやってます」みたいな下手な人よりは全然彼らの用法の方が芸術的だし、社会的メッ セージもちゃんとあるし。天才肌で時々アーティストはいますけど、北海道にいてアーティストってあんまり会ったことないし、デザイナーって人もあんまり 会ったことがなくて。洋服なのに飾りたいし、しかも着れるし衝撃的でした。

-具体的にどういった部分で影響を受けたのですか

表現の仕方かなー。私古いものが好きで滅びるとか、風化するとか、遺跡とかも大好きなんですけど、そういう時間が経たないと出せないディテールとか、匂い とか、温度とか。それってノスタルジーで記憶を感じさせるでしょ?やっぱり記憶が好きだからそれを一瞬で感じさせるような歴史がありそうな、物語がありそ うな服作りですよね一点一点が。それがびっくりしました。

-自分の作品を見て何か感じて欲しいことはありますか

自分自身の記憶を描くからよくわからないけど、草地がいっぱいあって昔山で遊んだなとか思い出してくれれば、もしくは東京とか格好良いしコンクリートの建 物も素敵だと思うけど心の中というか、どこかに水辺に草があって葉っぱが生い茂って、めくったら魚がいたりとか。気持ちよいじゃないですか、なんか水の音 とか。そういうのが一緒に感じてもらえたら良いなーとか思いますね。

-個展もやられているのですか

この間3月にしましたね。でその時に作った作品が旭川のCLAMART arpegeにあるやつです。貼り絵を剥がして板買って来てそこに貼り付けたものです。(貼っているのは)両面テープです。紙が優秀なので破れないんです よ。

-こういうスタイル(貼り絵)を確立したのはいつですか

この時からですね。3日前から。貼り絵しようって。紙に油性ペンで描いてそれをはさみでジョキジョキ切って両面テープ付けて貼ってるだけなの。貼るのって 小さくて細くて繊細だから凄く大変なんです。両面テープを一回はみ出させ貼ってから絵を裏返して切らないといけないから凄い面倒臭くて。知り合いに頼んで その作業をしてもらったんですが自分で(両面テープを)はがして貼ったら10時間かかっちゃったんですよ。

-北海道でやってると見てくれる人も限られると思うのですがたくさんの人に自分の作品を見てもらいたいと思わないのですか

見てもらいたいですね。それに最近(東京で個展をやることを)考えたんですよ。きっと見てくれる人は確実にいるわけでなおかつわからないけど社会的メッ セージ云々も必要かもしれないけど単純に草木というか、緑というかそういうのって嫌だと思う人は少ないと思うし、きっと何かまた手伝いが出来るんじゃない かなーって。

-具体的に個展をやりたい場所はありますか

全くそういう知識も無いので・・・・

-宗教画なども好きなんですか

好きですね。絵画だと何世紀で誰が描いたのかわからない宗教画がたまらなく好きです。イタリア行ったときに誰が描いたのかわからないような汚い絵を額に 飾っていて。ダヴィンチも好きですね。でも他の絵画には特に興味が無くってオルセー美術館とかああいうところ行っても特に何も感じなかったし。あとはエジ プトが凄い好きですね。ルーブルに行ってエジプト行けないからエジプトのコーナー行ったんですけどみんな私と同じ髪型なんですよ。ちょっと嬉しかったで す。

-洋服が好きとのことですが小物意外に洋服を作ろうとは思わないのですか

見たら買っちゃうので・・・・。

-自分自身アートに詳しいのですか

あんまり詳しくないけれど見るのも好きだからセレクトして東京にいくことがあれば見ます。以前森美術館でターナー賞の歴代のやつをやっていて面白かったで す。それとか最近建築関係の仕事を手伝っていて。私は何も出来ないんだけれども例えば壁に何か書いてとかそもそも資料を作れるのでレクチャーとか講演会の ビジュアルをグラフィックで作ったりとかそういうことのほうが多いかな。そういう仕事を通じて美術館を見に行くこと、建物を見に行くことも増えてきました 最近は。

-では最近は建物から影響を受けた作品もあるのですか

ありますね。今までは広告も絵も作ってはい終わりだったんだけど、作品を置いても良く見えるし、生える空間を作る人がいるわけで、美術館を作っている人凄 いなって最近思っちゃって。美術館を作る、色んな作品を展示するその空間を作る建築デザイナーって凄いなとか。だから自分も作品をどこにでも置いていいん じゃなくてこういう空間に置いてもらったら嬉しいなとか、なんかそういうことが作ったその後みたいなことを考えちゃうようになりました。

-自分の作った作品が自分の手元を離れた時にどうなるんだろうということですか

そうそう。で誰の家にあるのかとか、どういう空間で今何してるのかなとか、ほこり被ってるのかなとか、わかんないけどその空間までも想像したりします。

-今まで売った作品は誰が買ってどこにあるのかということも把握しているのですか

売れた数が非常に少ないのですぐにわかっちゃうんだけど。ただハンカチを作った時ってお洋服にはいかないで、どうしてハンカチにいったかというと長く手元 にあるとか、サイズ選ばないとか日常にあるものだったりとか。機能もするしそういう意味でのハンカチという存在が男女を問わないし、年齢も関係ないし。な んだか良かったなってちょっと思ったかな。生き物と植物どっちも好きで一緒に書ける方法無いかと思ってそれをシルクで出して作りました。

-なぜそういった小物を作ろうと思ったのですか

素直に欲しい物がなかったので。

-ハンカチはどこで扱っているんですか

手売りなの。私が「こんなんです、これ幾らなの。」って言ってその時その時で。

-それ以外の形になる物を作ったりはしないのですか

作りたいと思いますね。針金で何か作ったこともあるし立体も好きですね。ちょっと思ったのが現代美術をたくさん見ると平面じゃなくて立体とか映像とかイン パクトが強いですよね。ちょっとしょんぼりした時があったんですよ。平面だと平坦だから平坦すぎるんじゃないかって。それは自分に力が無いだけだと思った んだけれども、映像で作品を作る人とかインスタレーションとか立体とか。あと誰かがイヤホン付けて音楽を聴いてそこに作った空間を何かすることで完成する とか。誰かが参加して完成する作品が現代アートなのかなとか考えたことがあって。ただ描いた絵を見るだけというのは時代遅れなんだろうかとか思ったことが あったんですよ。それでちょっと私も立体やらなくちゃとか挑戦してみようかなとか。それで何か作るということはあったけれども、結局は余計な考えをなしに 何も意識しないで出来ることは絵を描くことというのがわかって地味でもいいからこれをやれってことなのかなと最近思いました。それこそ建築家の人なんかあ る意味オールマイティでしょ?模型もある意味作品だし。例えば建築の人がドローイングするんだけどあれだってそのまま額に入れて飾れるくらい素敵だし。

コラージュでドローイングするイブブルニエという方がもう亡くなった方なんだけどそれこそJohn Gallianoのコラージュとかああいう感じなんですよ。現代作家で私コラージュやりますなんて人よりは全然素晴らしくて、センスもいいし、コンセプト もあるし、環境に対するメッセージもそこに入ってるし。あと空間を作れれば光と温度のこともあやつれるわけです。それをした時に建築家はアーティストじゃ ないといいつつもアートに近い境界線の物を作られたらちょっとドキッとしちゃう。それで例えばHdeMとかRem Koolhaasとかああいう人達が作っている物ってある意味コンセプトに沿っているかもしれないけど、私から見たら彫刻的建築と思っていて凄くある意味 自然に沿ってないというか物凄く自然に逆らっていたりする。でもそれはビジュアルが新しいとか素材がもう最先端だとか、構造的にも駆使して完成した鳥の巣 とか。それに似た感覚でここまでされると私って絵描いて自分を表現しているけれども全然ちっぽけなんじゃないかとか凄くしょんぼりしちゃって。そこまで物 を操れないし、人を住む空間すら作れないし。果たして紙とペンでどこまで出来るかその人達に出来ないことを紙とペンだけで出来るのかということを挑戦が始 まった時期がつい最近。やっと。それでああいう草地とか自分のルーツを探したりとかすこしずつ考えているところです。それより少し前は物凄く表層的な仕事 だし、広告も商業も。その時に建築の仕事に出逢って表層ではなく内装ではなくて本質の箱を作る人達の過程を見た時にもっとどきっとした。自分と向き合う本 質的なものを行わず作業行わなきゃいけないんだなって。だからHdemとか作れるとは思うけど北海道の厳しい環境で果たして人は快適に暮らせる空間を景観 的にもそこの土地に住む感覚で快適に作れるかといったら私違うと思うんですよね。出来ないことはないけど。やっぱりそれはここに住んでいる人だから出来る 力がきっと眠っていたり何かあるはずでそういう感覚で自分の絵も見つけて探っていければ、世界の中の北海道の中のこの絵っていうのが出来たら素敵だなって ちょっと思ったんですね。そうするとドキッとしたけど少しずつ描けるかもって思ったんです。

続く

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