Interview

Yu Fukumoto 1/5

自身のブランドを持たないデザイナー福本優氏。日本で大学を卒業した後ロンドンへ留学。日本人で唯一セントマーチンズを経験してからアントワープ王立芸術アカデミーを卒業したデザイナー。アントワープを卒業後NYのトムブラウンにて経験を積んだ後帰国して現在はwrittenafterwardsのデザインを手がけている。福本氏には自身のこと、トムブラウンでのこと、writtenafterwardsのこと、アントワープとセントマとの違いなど様々な話を語ってもらった。

‐大学まで出てから海外に行かれているんですね

そうですね。経営学部を出ています。もうその頃のことはあまり覚えていないですけど。ファッションは凄く好きだったしヴィクティムで凄い(洋服を)買って いたけど普通の学生でしたね。

‐高校の頃から洋服は好きだったんですか

好きですね。

‐いつ頃から好きだったんですか

中学、高校ですね。田舎者魂が(writtenafterwards)山縣君と共通するんですよね。彼は通販でUndercoverを買っていたりして。自分は福岡が一番近かったから高校生の時はBEAMSのセールに朝から電車で2,3時間かけて行ってましたね。そういう感覚って東京の人にはわからないと 思うんですよね。雨が降ってて自分の街に着く頃には底が抜けて中身が駅で落ちちゃったりとかして。

‐それはいつ頃のことですか

98年に初めてアントワープに行ったから高校の時は90年代前半くらいですね。

‐エアマックス世代ですね

エアマックスのセカンドがどんぴしゃだから自分は持っていましたね。モデルのユアンが履いていて。自分は裏原には手を出さず洋楽聞いて洋物にしか興味無 かったですけど。アメカジもそうだしヨーロッパカジ、作業服とかも大好きだったしそこからブランド物にいってRaf SimonsもそうだしHelmut Langとかも好きでしたね。Langの一番小さいサイズの女性サイズを履いていて空港で黒人の女の人に「君は少年か?少女か?」って言われたり。その頃 は本当に女の人に間違えられたりしていました。あとはChristophe Lemaireとかも好きでした。

‐僕も好きでしたね、当時ブルゾンが欲しかったんですよね

自分は今でもあの頃のブルゾン着ていますよ。Lemaireにパリで会った時に思わず衝動的に「凄く好きでした」って言ったら「また始めるんだよ」って。 それは再スタートする前だったんですけど。本人も格好良かったですね。

‐古着から入ってヨーロッパデザイナーのミニマルな世界に触れたということですね。ブランド物を買うようになったのは大学生に入ってからですか

そうですね。一番お金があった時代なので。仕送りがあってバイト代があって。カードのローンを支払う為にバイトしていました。結構ドつぼにはまりそうなく らい買っていましたね。Aqua Girl(The Man Aqua Girl Loved)とかが好きで。

‐当時流行っていたDIRK BIKKEMBERGSとか好きでしたか

BIKKEMBERGSの靴履いていましたね。今は全然変わってしまいましたけどね。ただ自分はBIKKENBERGSというよりMARGIELAが好き でした。それで98年にアントワープに旅行に行ったんですよ。その時に道でWalterに出会って子供心に「サインしてくれ」って頼みましたね。今考える とアントワープの街自体が全然違いましたね。日本人もそんなにいなくて最初の3人(三木勘也氏、福園秀貴氏、岡部祐輔氏)がまだ入った頃だったんです。今 行くと日本人だらけですけど。ちなみに今日のインタビューはどういった経緯だったんですか。

‐Mikio Sakabeの坂部さんの推薦です。正直福本さんのことを知らなかったんですけど彼に言われて調べたら凄く良いなと思いました

自分は影を潜めて日陰日陰にいっているので。坂部君とか太郎君(Taro Horiuchi)もそうだけど日向街道なんですよね。唯馬君(Yuima Nakazato)も同級生だったんだけど彼も日向街道ですし。自分はその横でこそこそとやっているタイプだったからそういう図式なんですよね。

‐アントワープの人達って学年が違ってもみんな仲良いですよね。お互いがお互いのことを認め合っていますし

そういう意味では戦友みたいな感じになっていますよね。この前唯馬君とも話し合ったんですけど「たまにフラッシュバックあるよね」って。たまにアントワー プの審査前の夢を見るんですよ。アントワープの広場に座ってぱっとみるとまだ何も終わってないんですよね。他の人はみんな終わっていて「あ、やばい」と 思って起きるんだけど。そのくらい学校自体がトラウマになっていて。そういうのでどうしても結び付いちゃうんですよね。

‐アントワープの昔の作品を見直す機会があったんですけどMikio Sakabeの学生時代の作品も凄く良かったですね

自分は3年生の時の彼の作品が好きなんだけどやっぱり見せ方のうまさ、オーディエンスの巻き込み方は凄いものがあると思いました。

‐あの人は自分一人でなくチームとして組織を指導する力もありますよね

そういうのは出来る人と出来ない人がいるんですよね。全部自分でやれる分人を使えない人もいるし逆に人を使うからこそ出来ることもあるから。彼は凄いです よね。人を使うのもうまいし。彼を手伝っている人を見ると彼はちゃんと面倒を見て手伝ってる子がみんな健全なんですよね。

‐日本ではファッションの専門学校ではなく大学を選んだのはなぜですか

とりあえず(地元の)山口から出たかったんですよね。それで大阪に出ようと。でもロンドン行っても「ファッションでやれる」という自信は無かったですね。 漠然とファッションをやりたいという気持ちはあったけどじゃー何が出来るってなったら絵も描けなかったですし。

‐ロンドンに行ったのはいつですか

大学を卒業してすぐですね。ファッションをやりたかったんだけど絵も描けなかったし服もいじる程度にしか作ったことがない。それで逃げ道にテキスタイルが あってそれをやることを前提にファンデーションコースに入ったんですよね。それで入ってみたらジュエリーを作っている時にゲイの先生に「凄い良い」って言 われてショーケースに飾られてそこで初めて「出来る」って思ったんですよね。

‐ロンドンを選んだのはなぜですか

やっぱり憧れだったんですよね。アメリカではなかったですね。

‐就職する選択は無かったんですか

無かったですね。とりあえず行きたいって。大学在学中ずっとバイトをしていたから前半はお金を凄く使っていたけど後半はずっと貯金をしていてその貯金資金 でロンドンに行こうと。

‐セントマーチンズに行くこと前提で渡英したんですか

最初は考えていなかったですね。とりあえずロンドンに行こうって。でもめぐり合わせでセントマーチンズに行こうってなりました。

‐それはセントマ卒のデザイナーが好きだったからですか

その頃はGalliano, McQueen, Chalayanしかなかったから正直自分の好きなデザイナーではなかったけど周りの環境だと思います。その時は日本人だらけでしたね。今はポンド大分安 いんですけど当時はポンドも高くて。結局ファンデーションをやった後にセントマのWomeswear学科に受かったんですけど同時にアントワープも受かっ て学費も安いし、かつどちらかと言ったらアントワープデザイナーの方が好きだったからアントワープを選びました。

‐テキスタイルやりたい気持ちはどうなっていったんですか

その頃には消えていましたね。

‐アントワープの卒業した人の話を聞くと何年もかけて卒業した人もいるようですがストレートで卒業する人って少ないのですか

ストレートで卒業する人もいるけど8年くらいかけて卒業する人もいるんですよね。各学年2回ずつやる人もいますし先生も厳しいんですよね。

‐海外は先生が個人的な意見でもどんどん言いますよね。私はこれ好きじゃないとか

上辺で審査すると生徒も結局上辺でものを作ってしまう。坂部君とかも(先生をやる時に)きついことを言うって聞くし。自分達はそうやって教育されてきたか らアントワープで。そういう風に育ったから自分が審査やってる時ってきつい言葉しか出てこないんですよね。もの作りというのは自分のビジョンをどこまで注 ぎ込めるかだから。

‐アントワープ卒のデザイナーで言うと近年ではPeter Pilottoが一番売れている気がします

今一番勢いがあるのは彼ですよね。一番最初に見た時はただ「いいな」って思った程度だったけど一気に行きましたね。

‐僕はやっぱりロンドン系のデザイナーが好きですけどね

ロンドン系も良いデザイナーいますよね。自分はMarios Schwabがいいなって思いますけど。

‐昔のGareth Pughも好きですけどね、まだ服かどうかわからなかった時期というか

あの頃は面白かったですよね。

‐今は着れちゃう服というか、勿論デザイナーとしての資質は上がったんだと思うけど見る側からしたら残念な部分はありますよね

山縣君とかはこれからそこがネックになってくるんじゃないのかなって思いますね。

‐山縣さんはあのスタイルを貫いて欲しいと思いますけどね

せっかく今は良いものを持っていますからね。

‐21_21で初めて見た時のwrittenafterwardsと今のwrittenafterwardsでは僕の中で大分イメージが違うんです よね。

それが凄い面白い図式だなって思うんですよね。普通のデザイナーは最初にどんとやってそこからビジネスを考えて段々落ち着いていくじゃないですか。でも彼 の場合は逆なんですよね。ちょこちょこっと来ていたのが急にがつんとなって。

‐先日元writtenafterwardsの玉井さんもインタビューさせていただきました

どうでしたか

‐神様(10S/S)よりごみ(09A/W)の方が好きだったと言っていました

ごみはパワーありますよね。ああいうのは見たことないですからね。

‐2009年の東京で僕は最高のコレクションの一つだったと思いますね

それは間違いないですね。あれは周りに何人かいて見てたんですけど大笑いしていたんですね。でもこみあげてくるものが止まらなかったです。 Gallianoのショーみたいな感じで「出てきた」という感じが止まらない感じ。

‐でもそんな山縣さんもGallianoでの経験を通して爆発したらしいですよね

Gallianoの時の経験は大きかったと何度も言ってましたね。彼はプレゼンとかで一言しか言わない時があって「Just Impact」とか。それも彼の影響でしょうね。

‐玉井さんは常に山縣さんに影響を受けているとも言っていました

自分も山縣君を10年くらい知っているけど今でも初めてあった時のことを覚えています。Oxford Streetのハンバーガー屋があったんですけどそこで初めて紹介されたんですよね。そこに玉井君もいて。それから一緒に遊んだりしていてたんですけど色 んな人にロンドンで出会ったけどいまだに(関係が)続いていますからね。

‐山縣さんも含めそこら辺のデザイナーはみんな本当にファッションが好きですよね。普段会ってもファッションの話ばかりしているし

本当ファッションに関してオタクですよね。

‐自分達のブランドのことは勿論なんですけどファッション界全体のことを考えていますよね

やっぱり向こうに長くいたらそうなりますよね。疑問を感じないとおかしいですし。

‐海外に長くいると絶対感覚ずれてきますよね

ずれてると思いますね。逆に自分は普通の部分に疑問を感じてしまうからフリマとか見てても昔見ていたフリマじゃないんですよね。若い子が売っているのを見 ていると「こういうもの売っているんだ」って。みんな同じですよね。そっちに疑問を感じちゃうんですよね。その疑問が原動力になっているではないけどそこ は日本で作業をする上で最大の利点かなと思います。もやもや感みたいのが。

‐確かにずっと向こうでファッションに触れていたらあれ、おかしいなって思いますよね。でも日本は日本でファッション先進国だと思っている。ものは 溢れているんですけど

教育が遅れているというのもあるけどそういう目でものを見れないのかもしれないですね。洋服は溢れているんだけど何か同じようなものしかないんですよね。 消費者を中心に産業が成り立っているというのが全部ですよね。企業側も求めている人が結局使い捨ての人しか求めていないし。だったら学校もそういう人を提 供するというシステムになっている。資格を取れる教育をするとか。でも資格あるから何か出来るかといったら何も出来ない。自分はファッション以外でバイト しているからそういう面接に行く機会もあるからわかるんですけどひどいことになっていますよね。向こうが求めているのがその程度だからそうなっちゃいます よね。でもそれに疑問を感じることは一番大事だと思います。

続く

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