Interview

AGURI SAGIMORI 2/4

“自分が見たことある物を自分が作ってもそれは人の物だからという意識が凄く強くてとにかく無いものを作りたい、「オリジナル」というものに固執していたのかなと思います”

―デビュー当時から変わった部分はありますか

少しくらいは成長しているんじゃないかと思います。まだ2年間なので時間としては凄く短いのですがデビューの時の服を見ると「よくこれこのままやったな」という気持ちになりますね。

―それはクオリティの面でですか

作り方としては丁寧につくっていると思うのですが荒々しいというか。まだ2年しかやっていない私が今思ってもそう感じるくらいの粗っぽさなので逆に例えば今の私がアパレルをやっていて同じ形でデビューとなってもあの作品は出来なかったのでそれはそれで良かったのかなとは思います。

―学生の時の延長という感じですか

そう言われても仕方なかったのかなと思います。でもそれはそれで存在する考え方や美意識だからそこに共感する方もいてくれたと思うしやって良かったと思います。

―デビュー当時最年少ということで話題になったと思いますが不安などはあったのでしょうか

私デビューして記事が出るまで最年少ということを知らなかったので別にプレッシャーとは無かったです。ただキャリアが無いという意識があったので気負いみたいのはあったんですけどやってしまえばそこについていくしかないのでいいかなと思うのでそういう考えで今もいますしそんなにプレッシャーとか無かったんじゃないかと思います。

―年齢の部分でのプレッシャーは無かったんですか

全然無かったですね。勢いですね。その時は色々なことを知らなかったので逆に良かったのかなと思いますね。

―Vantanの看板を背負っていたわけですよね

そうですね。でもVantanがこんなに全面的にサポートしてくれるとは思っていなかったんです。逆に「そんなに大々的に?」って感じでした。みんなが知っている事実と言うか学生がそのまま学校を卒業してデビューしてVantanの支援があってというだけのことですね。

―最初コレクションが出来ると言う話が来た時はどうでしたか

コレクションが出来るというのではなく私が「コレクションをやりたい」と言っていたんです。でも「それは無理でしょ」と言われたんですけどJFWにOK出してもらい状況が先にかたまってきた感じでしたね。「じゃー」と言う感じでVantan側が動いてくれて。「出来ないでしょ」というところからのスタートだったので準備は凄く大変だったんですけど生地屋さんに協賛を募ってだとか、JFWにプレゼンしてCFD(東京ファッション協議会)にもプレゼンしてようやくショーが出来る環境になったという感じですね。

―最初から自分のスタイルは固まっていたのですか

好きなものが完全に偏っていたので確立されていたんですが、今よりももっとバラけていたと思います。いざコレクションとして作ってみるともう少し整理する必要が凄くありました。今はデビュー当時より「AGURI SAGIMORIはこうですよ」というものが整頓された感じですかね。アイテムとしても色、臭いとしても。

―それは自分自身の好きなものというよりはAGURI SAGIMORIとしてのスタイルを確立したという感じですか

そうですね。

―最初は自分の着たい物からデザインを始めたのですか

最初は自分が見たことなかったものを作ってみたいという意志が強かったんです。見たことないし欲しいというか自分が見たことある物を自分が作ってもそれは人の物だからという意識が凄く強くてとにかく無いものを作りたい、「オリジナル」というものに固執していたのかなと思います。

―今現在のAGURI SAGIMORIのスタイルとはどういうものだと思いますか

オリジナルと言うのは常にあってしかるべきだと思うんですけどでも実際にお客さんと私自身の生活に目を向けて行っていてオリジナルと言うのは刺激として欲しいじゃないですか。それなりのコレクションでそれなりのピースで見せると言うのをあまり私は求められていないし刺激と言うものをみんな求めている、共感と言う意味での刺激としても、新しいものとしての刺激としても多分求めているのでそれはキープする必要がある。でもそれはスペシャルピースで良くて後はやっぱりもう少し生活に寄り添ったもの。ライフスタイルとして色んな場面がありますよね。そういうトータルでAGURI SAGIMORIを作っていこうということで見た目だけの素材じゃなくオリジナルの素材でもうちょっと着心地に拘った素材も開発してきたと思いますし、パターンメイキングも見栄えとして格好良いシルエットも勿論そうですけどもうちょっと着心地とかシルエットとか人に寄り添った形で考えたのが今期かなと思いますね。

―では今期(10S/S)特に成長したと感じになりますか

そうですね。らしかったかなと思いますね。

―パターンは全部自分達でやられているんですか

私と同期のもう一人で全部やっていますね(プレスも同期)。いつも一緒にいるんですけど。

―同世代で固まっているんですね

そうですね。でも凄く伸び伸び出来ますね。色々な仕事でアシスタントに付かせてもらって経験して思ったことなのですが、作る上での世代での考え方って全然違うと思うんですよね。そこを共感してもらう為に生地屋さんなども色んなところを周り、私と池田(パタンナー)が顔を見て説明するようにしています。普通に根底にある価値観を理解してもらうというのは難しいことなので。池田は特に私の好きなものも理解してくれていてリンクする部分も凄い多いと思うので凄いやりやすいですね。

―ではパタンナーの彼女なしではAGURI SAGIMORIはあり得ないという感じですか

今のブランドをみて今の状態で彼女なしではありえないですね。

―パターンは全て2人だけでやられているんですか

今のところ外注入れないで全て2人だけでやっていますね。みなさんそれなりに数をこなしてきてのコレクションだけど私達は今が進行形じゃないですか。池田には2シーズン目から来てもらっているんですがまだ全部自分達でこなさないと手が回らない状態なんです。最初のシーズンは準備期間が長かったのでそれなりに準備は出来ましたけど。

―ファッションに興味を持ったきっかけはなんですか

ファッションに興味を持ったきっかけは母親がアパレルをやっていたので職業として凄く近くにあったんです。学校で学んで凄く違和感を持ったのは周りの人達はどちらかというと企画的な感じでまずその時自分が着たい物を作っている。それに全然共感できなくてみんなとの差が凄くあったんですよね、自分の中で。それって結局誰かしらの情報によって操作されている中で作ったものじゃないですか。雑誌でもそうですし、映像とかウェブでもそうですし。それが嫌になってしまって「自分が本当に作りたい物は何か」というのを作りだしたのはVantanに入ってからですね。

―それまでもずっと洋服は好きだったんですか

洋服も好きだったんですけど絵を描くこともしていたり、ダンスとか表現することを自分でしていたり、写真撮っていたりとか作るということに関しては幅広くやっていましたね。そういうことをしていたのでその中の一つがファッションだったという感じですね。その中でもより仕事として近かったのがファッションだったんですよねその時は。

―当時好んでいたファッションはどういうものだったんですか

そんなに変わらないですけどデニムは履いていましたね。今は絶対に履かないですけど。もう少しパンクっぽい感じではあるかもしれないですけど。

―実家の影響はありますか

実家の影響はないですけど母親の影響はありますかね。DCブランド時代の人なので。服も大事に取っている人だったのでそういうのが無意識にあったと思いますね。ただその時は嫌いでした、母親の言う「ファッション」というのが。でも学んでいくうえでちょっとわかってきた気がします。

続く

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