2009年5月裏原の中心地として栄えたDEPTの跡地にオープンしたフリースペース/ギャラリーVacant。アートスペースとしてだけでなくファッションショーやライブなど様々なイベントをオーガナイズしオープンから僅か1年足らずで原宿からカルチャーの新しい情報発信源として注目を集める場所となったVacantを運営するno ideaの代表永井祐介氏に話を聞いた。
―Vacantがオープンするまでの経緯を教えてください
2008年11月にこのスペースが空くということで「何か違う形で有用に利用できないか」という話が持ちかけられたんです。本当はもうちょっと小規模にやろうかなと思っていたんですが空間というものをずっとやりたかったのでこういう場所が出来たから敢えて「何々をする場所」と規定するよりは何か色んなものがごちゃ混ぜになっている場所、人がコミュニケーションする場にしたいと思ったのでそういう方向で進めていきました。本オープンが2009年の5月だとしたら2008年の12月31日が立ちあげというか1人で写真家を呼んで12月31日、1日、2,3と展示をやったんです。写真展なんですけど誰にもほとんど言ってないような展示で。数十人来ただけのほんとVacantとしての始めての展示なんですけどそれは形になる前の実験的な展示でそこから準備をどんどんしていってメンバーも加わっていって・・・
―一番最初は一人だったんですか
そうですね。最初に3人が核になってChinpomの人を紹介してもらったというのもあってまずこけら落としで広島というのがプレオープンとしては面白いかなってやったんです。その当時自分はChimpomって全然知らなかったし資料を見る限りでは大丈夫かなという感じだったんですが広島というのは坪井直さんという被爆者の方がトークショーに来てくれるというのが盛り込まれていたので修学旅行で聞けるような話をこんな原宿で聞けるって面白いな、意味があるなって思ってそれでやりたいなと思ったんです。そこから5月の本オープンまで何個かイベントをやっていったという感じですね。オープン前の流れとしてはこの場所のちょっとした改築であったり、改修であったりほんとに事務的なこと、衛生管理責任者とかそういうのを揃えつつ企画を温めつつみたいな感じで覚えてないくらい色々やってなんとかこぎつけた感じですね。
―最初のメンバー編成はどのように決めたんですか
その前にno ideaを中村とやっていたからまずno ideaという形でやりたい、個人でやるつもりは無かったので個人で名前を出すのではなくてno ideaというグループを作ってそこから骨組みを作っていこうと思っていたのでまずは一緒にやりたいと思っていた中村に声を掛けました。1月の頭くらいに大神にスーパーデラックスで初めて会って「こいつと一緒に仕事をしたいな」と思ってスカウトして、凄く直感的な感じだったんですけどその3人が出来て、まずはその3人でやってみようかと。自然と決まったという感じですね。
―no ideaの活動としてはVacant オープン以前は何をされていたんですか
Tシャツを作ったりウェブサイトのデザインを作ったりなどものを作ったりというのをしてました。2008年のはじめくらいから個人単位でそういうことをしてたんですけど、いきなりこういう形になりましたという感じです。
―なぜこの場所だったんですか
ここが空いたからですね。まさかこういう場所がとは思っていなかったので。原宿自体もあまり来ていなかったから逆に全然知らない場所でしかも裏原、アパレルエリアみたいなところでやるのは面白いかなと思ったんです。やる意味があるというか今は面白くないような雰囲気になっちゃってて残念だなと思っていたし、元から新宿にも渋谷にも近いアクセスのいいところだから人は絶対集まりやすいはずだし、色んなそんなこと加味するとここでやってもいいんじゃないのかなって。最初に聞いた時は「原宿なんかで!」と思ったんだけど結果的には原宿だからこそやってみようと思ったんですよね。
―馴染みがあったからではなく逆に自分にとっては馴染みの無い場所だったと
そうですね。もともと服買い漁るような人間でもないですし。
―この広い場所でプレッシャーは無かったんですか
最初は2フロアのうち1フロアだけ使おう、1フロアは貸しでもいいと思っていたんです。でも進めて行くうちに1階と2階を分けちゃってどっちかが凄い違う色になってもう一つの階がそれに引きずられるようになったらもったいないなと思って両フロアとも自分達で使おうということになって1階はショップにしようと。プレッシャーというよりかはそうせざるを得ないというか空間を作るならそれくらいしなければ駄目だなという感じでしたね。
―3人ともギャラリーで働いていたこともないし、その道のプロフェッショナルでも無い。そういった意味で不安は無かったんですか
でもどこかの場所をモデルにしてやろうとしたわけじゃなかったから別にそこはどこに習うわけでもなくタスクはいっぱいあったけど自分達でやっていくしかないと思ったからやれることを着実にやっていくしかないかなと思いました。プロフェッショナルじゃないということに引け目を感じてたら多分やれてなかったからそこじゃなくて(自分達の)モデルを作るという作業に没頭していました。
―具体的なモデルは無くても参考にした場所とかは無かったんですか
そうですね。スペースレンタルというわかりやすいことは他のものを抜粋したり、ルールを見たりしていたけど別にそういうところがモデルなわけでもない。実際自分は東京の場所も知らなかったし、これやる前はスーパーデラックスも知らなかったくらいなので。
―スーパーデラックスとは
六本木のライブハウスみたいなところですね。最初のうちはよくここと比べられていたんですけどちょっと違う感じだと思います。ここは音楽にそこまで特化しているわけではないし白塗りのギャラリーでもない。とりあえずここでしか出来ないことをやるしかないと思って目の前を処理していった感じなので。
―ここでしかできないということはこの場所、原宿でしか出来ないという意味ですか
原宿もそうだけどこの建物の中でしか出来ないこと。例えば建物つぶしてもう一回作るというやり方ではなく元あるものをどう使っていくか。前にあった機能性を排除して今あるものでどう面白くできるかというチャレンジです。自分達がやっていることって少しアンダーグラウンドっぽく見えてしまうこともいっぱいある、でも敢えてそれを原宿のこういう場所でやることでそう見えるはずのものがそう見えないというか。そういうアプローチも出来るなと思ったし。色んな意味でのここでしか出来ないことをチャレンジしていこうと思ったんです。
―ファッションに特化したことというわけではなくてですよね
むしろそこからは出来るだけ離れようって。服を買いに来る人達が入りやすいというよりかはもっと違うものを探しに来たり、他のことに興味がある人がふと入ってくれるような場所にしたいと思う。
―買い物のついでではなくここにくるついでに買い物に来てくれる人達という感じですか
そうなってもいいと思いますし自然にここにきている人が流れているというのが理想です。場所として人がくつろげて話せるような場所ということで空間作りをしているからここを目的にしてくれるのは嬉しいんだけどそういう人達と普通に服を買いに来た人が混ざる空間が理想だと思っています。
―空間作りで一番拘った部分はどこですか
元がプレハブ作りだったからそれはそのまま生かそうと思ったし、備え付けのものを作らない、いつでも空っぽの状態をキープできるような作りにしようと思いました。今も貸す時にはほんとに空っぽにするし机も片付けるられるような形だとかそういうのを基準にして選んでいますね。
―それはなぜでしょうか
それはここのお店というもの自体が続いていく上で空間というものにずっと沈澱していくというか。
―イメージが作られたくないということですか
そうではなく自由でいたいと思うんですよね。今でも2週間、もしくは1週間に一度は模様替えをするんです。そうすることで自分達の精神衛生的にも色んな方法を模索出来るし飽きないしここのあるべき姿だと思うんですよね。入ってきた人がここにきて何か作りたいと思ってすぐに作れるようにだとかすぐに環境を変えてその人達の表現したい物をヘルプ出来るような場所にしたと思ったから自分達であまりにも作り込みすぎるとそこに関与する余裕が無いというか余剰がなくなってくるから常に自由な空間でいたい。自分達も自由で空間も自由でいたら空気とも自由でいれるかなって。
―始める前に具体的にやりたいことは決まっていたんですか
無かったかな。ロンドンいたこともあって日本のことを全然知らなかったから具体的に何がしたいと言ってイベントをしたわけじゃなかったんです。ロンドンで例えばPhotographer’s Galleryって2個スペースがあって1つカフェになっていて見に来た人がコーヒー飲みながら作品のことについて話す場所がある、そういうのが欲しいなと思っていたから何かをするというよりはそういう場所を作る。もっと言えばその人が場所を作る場所を作ると言うか来た人が何かを作ることでその場所が何かになっていくというような場所を作りたいと思ったのでそこで何をして何かを見せたいと言うよりは関与する人がこのVacantに色付けをしていくというのを期待していたんです。やることというのは人から聞いたり、教えてもらったり、紹介してもらったりでやっと見つけてきた感じで最初にこれをやろうという感じではなかったですね。
続く