Interview

ohta 1/6


私は不思議な世界に住んでいます
朝 知らない國からの風に 草木は揺れ
いつかの懐かしい雰囲気を思い出す・・・・

2000年頃より『soak』をスタートしイエール出展を機にブランド名を自身の名字である『ohta』に改名。コレクションは自身以外の世界との基点であり、意義のある日々への道標、この道程に軌跡を残し新たな起点となるよう心地よい服作りを続けるデザイナーの太田雅貴氏に話を聞いた。

―まず昨年からブログを始めていますがなぜ始めようと思ったんですか

特に「なんで」という理由はないんです。ただ、なるべく走り書きはやめて、ちゃんと読みやすくということだけは考えて書いています。

―言葉で伝えたいという気持ちがあったのでしょうか

強いて言えば「何かを伝えたい」、というのではなく自分に対しての戒め的な部分はあります。基本的にブログには否定的なことや暗くなることはあまり書きたくないんです。日常生活の中で「良いな」って思ったこととかって忙しかったりすると忘れたりするじゃないですか。そういうことや自分が「こういうことをこうしたらもっといいのにな」とか「こうやって生きていったらもっといいんじゃないか」とかそういうことをふと思ったりするじゃないですか。それをただ記していくというのがもしかしたら一番の理由かもしれないです。

―ブログ書くのにも凄く時間かかってそうですよね

時間かかってますね。修正するので。

―それはブランドイメージ的な部分での修正ですか

ブランドイメージに直接かかわるかどうかはわからないんですが僕はパターンも縫製も行うので、服一着作るにしてもあれやこれや何回も手直ししてやるんです。あの日記が出来上がる服だとして考えた時にやっぱりばばばって作って出すんじゃなくて、何回も何回も修正して自分の書きたいことを書く。なるべく読みやすいようにというのはブランドのそこと通ずるところではあると思いますね。

―玉井君のブログに太田さんの話が書かれていました

書かれていましたね。たまにチェックしていますよ。

―その内容なんですが今もビックリマンシール集められているんですか

集めていますよ。もう止まらないんですよね。何なんですかね。もう馬鹿らしいですよ。お菓子なしで何百円、何千円とかしたりするので。僕が集めているのは今のやつではなく昔のものなので。多分切手(を集めるの)と同じ感覚なんです。

―その時その時のシリーズを集めているのではなく昔コンプリート出来なかったものを探し集めているんですね

そうですね。

―僕も昔は集めていましたね。今の若い子達ってアニメから影響を受けたデザインをしている人も多いのですがビックリマンがデザインに影響を与えたということはあるんでしょうか

それは無いと思いますね。わからないですけど。

―ファイルとかも持ってたりするんですか

当時ロッテから出たやつの他に安いファイルがあったんです。表にビックリマンの真似をした絵が書かれていたファイル、駄菓子屋さんとかで100円とかで売っているようなファイル、それを集めていたんですよ。偽物のアルバム。収集癖があるんですよね。(その他には)切手と牛乳の蓋の締めてないやつとか(牛乳瓶のキャップ)。そういうのを小学校からずっと集めていますね。

―洋服も集めていたりするんですか

洋服は無いんですよね。古着はもともと好きだったんですけどヴィンテージの希少価値とかあるモノには興味が無くて、多分そういう部分は切手とかビックリマンで補われていたんですよね。だから服にはないですね。

―自分の作った洋服は全部持っているんですか

無いものもいっぱいありますね。

―それは収集したりしないんですか

本当はそれが一番いいんですよね。自分の作った服をビックリマンのファイルに入れるような。ただ、今は作り終わった時点で「あ、ここが良くないな」とかわかるからあまりそういう感じにならないんですよね。次ってなっちゃうんですよね。でも最近は少しだけ納得のした服が出来てきたんです。まだまだですけど。

―自分の服はそんなに持っていないんですか

そんなことは無いですね。あるはありますよ。10年以上やって来ているので。

―元々は名古屋市出身ですよね

兵庫ですね。でも1歳とか2歳の時に名古屋に来ているので名古屋の人ですね。

―ファッションに興味を持ったのはいつ頃なんですか

お金が無くて買いに行ったりはしてないですけど中学校くらいですかね。その頃から自分の服装というものを気にはなっていましたね。

―それはなぜなんですか

わからないです。

―周りの目線とかもあるのでしょうか

なんでしょうね。でも周りの目線も関係していると思います。緑のモノが小学校から好きで、文房具でも服でもそうなんですけど。一着、黄緑色の半ズボンがあって、勿論親が買ってきたものなんですけど、そればかりはいていた記憶があるんですよ。

―僕が初めて見た(09-10 A/W)太田さんの洋服も緑ばかりでしたね

緑が好きなんですよね。

―その頃はどういうものが好きだったんですか

なんでしょうね。高校生の頃は古着ですね。お金が無かったので安いものを色々買っていました。

―ブランド物には興味が無かったんですか

名古屋にはMIDWESTがあったので高校生の頃から良く行っていましたね。

―何か買われていたんですか

ウォルター(W & L.T)とか買っていました。あとはマルジェラとか頑張って買ったりもしました。ブランド物はよく見に行っていたんですけど買えなかったのでたまに買うという感じでほとんどは古着でしたね。

―デザイナーズブランドも好きだったということですね

好きでしたね。ハイファッションとかでコレクションの写真とか良く見ていました。

―ちょっと意外ですね。ではトレンドとかも気にされていたんですか

今もそうなんですけどトレンドはあまりよくわからないですね。ただショーとかを面白いなって思って見ていただけで。

―どういうブランドが好きだったんですか。やっぱりアントワープ系ですか

そうですね。僕らが高校生の頃一気に来た感じでしたからね。でもただ見てたという感じですね。それがどうこう、考え方がどうのとかは特に気にせず。今もそうなんですけど。

―何かで見たんですがデザイナーを目指す前は美容師を目指していたんですよね

美容師はただ受けたってだけなんですよね。最初本当はパン屋さんになりたかったんです。調理学校に行きたくて。でもお金が家に無くて。僕が受けた服飾と美容の学校は物凄く安かったんです。

―美容師になりたかったというわけではなかったんですね

ただ服飾とか髪の毛とかに興味があったというだけであまり深くは考えていなかったですね。

―結局服飾を選んだのはなぜだったんですか

それは受けた美容の学校に落ちたからですね。割と進学校に通っていたんですけどあまり学校に行って無くて出席日数が厳しい学校と聞いていたので多分落ちたんだと思うんですよね。テストは簡単でしたから。今考えると落ちて良かったんですけど。どこかで働こうかなと思っていたんですけど90%以上進学するような学校だったので担任が「そういうところにはあまり行かせたくない。夜間学校なら行けるだろ」って進めてきたのが服飾の学校だったんですよね。だったら服作ってるからそれじゃ受けてみますということで服飾の学校を受けたんです。

続く

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