Interview

ohta 2/6

「パターンやデザインは学校に行って無かったので誰も教えてくれないですよね。でも自分のやり方が正しいかどうかって別に無いと思います。デザイン然り、パターン然り」

―高校生の頃から服作りを始められていたんですか

作っていましたね。恐らく高2からだと思うんですけど。古着屋さんに行ってパンツ2000円とかで買うじゃないですか。その丈詰めをしたい。でもその古着屋の近くのお店で頼むと1000円取られるんですよ。それが高くて親のミシンを出して丈詰めをしてその延長で「自分でも作れるんじゃないか」というので作り始めたんです。

―リメークということですか

リメークはしなかったですね。ばらして新聞紙で型紙取って布買ってきて作るとか。
専門学校は行ったんですけどすぐに辞めました。学校嫌いなんで。

―学校のやり方に不満があったということですか

そうですね。学校に対する不満もあるし学校の雰囲気も不満はありましたね。生徒が適当に来て、適当に先生に言われたことをやって、適当に帰っていくという、それ自体が違うなと思ったんです。学校のやり方で言うと例えば型紙の授業をやると担任の先生が黒板に書くんですけどそれは既に教科書に書いてあることなんです。数値が書いてあってそれを説明しているんですけど「その数字はどこから来るのか」とか「なんでこうなるのか」というのを僕としては聞きたかったんですよ。型紙が出来上がる一個前の元を教えてもらわないと応用利かないじゃないですか。でも先生に聞いても教えてくれないというかわからないというか。デザイン画の授業にしても「このコンクールはこういうデザイナーの人がいるから系統的にはこういう風だ」とかそんな感じなんですよね。

―入試の勉強と一緒ですよね。ここは出るからやっておけとか

一緒ですね。それで「これは違うな」、「これはわけわからんな」と思って行かなくなりましたね。ただ課題だけは出していました。1年だけはちゃんと卒業して2年目はほとんど行ってないですね。学校に行った記憶が無いので学校の記憶が無いですね。

―バイトはされていたんですか

ずっとバイトしていましたねコンビニとか。

―それは服を作る為のバイトですか

服を作る為ですね。学校を辞めた時点で「これで絶対食っていく」という気ではいたんですよね。

―ohtaの前身であるsoakを立ち上げたのはいつだったんですか

正直あまり覚えていないですね。

―最初からsoakという名前を使ってやっていたんですか

学校に入った時にはもうそうでしたね。

―soakという名前はどこからきたんですか

あまり記憶していないんですけど決めないといけないという時にたまたま落ちていた本の名前が「soak」だったとかそういうレベルです。だからなんの意味もないです。記憶が無いのでよくわからないですけど。

―洋服をお店に置き始めたのはいつ頃ですか

高校生の時には既にお店に置いてもらっていましたね。名古屋の隣の市にあったお店なんですけど。そこは割と若い人の洋服が置いてある場所で。

―Kokon to Zaiみたいな感じで若いデザイナー達の作品を積極的に扱う的な

そんなに格好良くはないですけどノリ的にはそんな感じです。

―洋服は実際に売れたんですか

売れないですね。売れるわけはないですよ。

―値段はどうやって決めていたんですか

覚えてないですね。適当にやっていたと思いますよ。

―最初に作ったものはなんだったんですか

シャツかTシャツだったと思います。覚えてないですし残ってないですね。大した想い出じゃないんだと思います。

―シーズンベースで服作りを始められたのはいつ頃ですか

22,23歳の頃だと思います。学校を辞めてから2,3年経ってからですね。バイトもその頃には辞めて服だけで生活していたと思います。

―お店はどうやって探したんですか

足ですね。最初は(住んでいた)名古屋ですよね。全部自分で縫製とかやっていたので数を大量に売る必要も無くて、材料費だけなので2,3件だけでもまわしていけたんですよね。その頃からスタッフも一人いたんですけど同じパンツとか100本とか作ったりしなければいけなくなってきて「これは違うだろう」ということで工場に出すことにしたんです。それで工場出すことによって時間が出来たので「県外に行こう」ってなったんです。

―パターンやデザインは自分で学ばれたんですか

そうですね。学校に行って無かったので誰も教えてくれないですよね。

―では今でも自分のやり方が正しいかどうかわからないということですか

そうですね。あまり正しいって無いと思うんですけど。デザイン然り、パターン然り。

―お店は少しずつ広がって行ったんですか

東京で展示会やるようになってから海外でも展示会始めたんですよ。そこから徐々に広がっていったという感じですね。

―ブランドをやるということで東京に出るつもりはなかったんですか

全く無いですね。思いつかなかったですね。

―それは名古屋が好きだったからそこで留まりたかったということでしょうか

特に好きでもないですね。ただずっと住んでいたので。住み心地は良いし、街の感じも良く知っている。でもあまり考えたことはないですね。その時、その時が精一杯で。

―ブランドを始めてから東京に出てくるまで10年くらいかかっていますよね

そうですね。東京に来たかったかというとあまり来たかったわけではない。ただ新幹線代やホテル代とかを考えると(東京に引っ越さないと)きついなと。

―出たくなかったけど出てこざるを得なかったと

「どっちでもいいや」という気分ですけど東京に来る機会が増えたからですね。人がいっぱいいるから良いこともあるのかなとは思いますけどまだそれはわからないです。この辺(新宿)には絶対住めないなと思いますね。(中心から)離れたかったので少し遠く(府中市)なってしまったんです。あまり人ごみが得意じゃないので。川が必要なんですよね、前の名古屋に住んでいた時もそうだったんですけど。

―デザインを考えている時に川に行ったりもするんですか

しますね。疲れた時にも行くし、弁当を持って昼ご飯を食べに行ったりもします。

―今住まれている場所には満足されているんですか

今の場所は凄く良いですね。静かなので。名古屋で住んでいた場所より人は少ないですし。

―名古屋に住んでいた時は中心地に住まれていたんですか

そうですね。新幹線にすぐ乗れるような場所だったので。だから今は凄く住み心地が良いです。東京に来たという感じもしないですし。新宿に出るまで50分くらいかかりますし。府中の中でも栄えてない方の駅なんですよね。インターンの子も2時間くらいかけてアトリエまで来てくれています。

続く

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