Interview

WIM NEELS 1/2

ウィム・ニールスは1965年ベルギー アントワープ生まれ。
1988年、マルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンら「アントワープ・シックス」を輩出したアントワープ王立芸術アカデミーファッション科を首席で卒業し、ウォルター ヴァン ベイレンドンクのアシスタントを務めて91年に独立。1992年秋冬にレディースのファーストコレクションを、1996年秋冬からメンズコレクションをスタートさせたが、「もっとエンドユーザーの立場に立った服作りがしたい」という理由でそれまでのライセンス契約を打ち切り、全ての工程を自らコントロールする道を選び、2000年「VETEMETS WIM NEELS」としてブランドを再スタートさせた。
また2008年S/Sには「VETEMENTS・・」から派生した新ラインとして「DAILY」がスタート。これまでのアイディアをより一歩進めた「アンチファッションピープルに向けたファッション」とも言うべき、彼らしいアイロニーが詰まったコレクションとなっている。
 彼の洋服はファッションブランドにはあまり興味がなくとも、自分を表現する上で必要とされる洋服を求める人々に向けて、日常を過ごしていく上での生活着を提案、シンプルな中にも彼らしいデフォルメされたディティールがどことなくユニークさを感じさせる。

—洋服を作る上でどんなところからインスピレーションを得られるのですか

それは難しい答えですね。何か特定の一つのものにインスピレーションを得ることはありません。最初のアイデアとしては洋服を作るということ。インスピレーションではないのですがコレクションのDNAは静寂の美のようなものです。このようなコレクションは人々が洋服の個性によってその洋服を買うというのとは反対に位置しているような気がします。そこに特別な個性というものは存在しないのです。
また私は一つのコレクションに特別なテーマを設けている訳ではなくアイデアをコンテニューしています。時にはファブリックからインスピレーションを得ることもあり、時には色からインスピレーションを得ることもある。また時にはミリタリーをインスピレーションにすることもありますし特定のテーマを設けることもあります。常に自分自身が見たものや感じたもの、読んだものから影響を受けています。また時には自分自身からインスピレーションを受けることもあります。

—あなたが自身のブランドを立ち上げてから20年もの月日が流れています。どのようにファッションシーンは変わってきたのでしょうか

数えきれないくらい変わってきました。私がビジネスをスタートしたのは90年代初頭です。90年代はスーパーモデルブームの名残がまだありました。今はその頃に比べるとビジネスの面でいうとより困難できつい時期と言えるでしょう。
今の人々は自分が何を着たいのか、何を買いたいのかということを理解しています。

—それは良いことなのでしょうか、それとも悪い方向に向かっているのでしょうか

私に取ってそれは良いことだと言えるでしょう。それぞれが意識を持って洋服を選んでいるのです。勿論今でもトレンドというものは存在し、ビッグブランドと言えるブランドは存在するのですが、以前よりそういったものは少なくなり洋服を作る人にとっては難しい世の中になってきています。80年代は全ての人がクローンのように同じものを着ていました。今はバリエーションが広がっています。
一番大きな変化だと思うのは日本ブランドが10、15年前に比べて世界から注目を集めているということです。以前はヨーロッパでは日本ブランドがそれほど注目されていませんでしたが今では日本の洋服を見つけるのは容易くなりました。

—何かお気に入りの日本ブランドはありますか

ブランドを好きになるにはそれぞれ違った理由があります。私はScyeやKolorなどの日本ブランドが好きです。同じようなコレクションではありませんが私のコレクションのようにそれらのブランドには静寂の美のようなものを感じるのです。
その他にはコムデギャルソン、コレクションが好きとは言いませんが彼らのコンセプトが好きです。彼らがこれから何をしていくのか、どういう方向に向かっていくのかということには凄く興味を持っています。

—一時代を築いたデザイナーでも倒産を経験し、消えてしまったデザイナーも多数います。20年もブランドを続けられている理由とはなんでしょうか

地道に続けていることが大事なんだと思います。デザイナーというのは大きく分ければ2つのグループに分けることが出来ると思います。アヴァンギャルドなコレクションを作っているデザイナーもいます。それは私がしていることではありません。私に取ってボディは重要で、そのバランスをクリエイトしています。
今は高価な洋服を作るデザイナーにとってとてもタフな時期であると思います。強い信念を持ち続け、様々な事柄に対応出来る努力が必要です。


—アントワープ卒業生の多くはモードの世界に身を置き、ショーをやっています。あなたは他のアントワープの卒業生に比べそういった部分からは離れた活動をしているように感じます

私はただ洋服を作るのが好きなのです。もし私のことを違った言い方をしたいのであればファッションデザイナーではなく“ドレスメーカー”という言葉の方が合っているのではないでしょうか。ファッションということ自体にはそれほど興味がありません。私はただ自分が興味を持っていること、良いと思うものを形にしているのです。私のコレクションはとてもパーソナルなもので、有名になりたいとか成功したいという気持ちはありません。もし私の作り出すものが良いものであればそれが時には誰かの手によってピックアップされるかもしれません。私自身はそういうことをそんなに気に留めていません。有名なブランドには有名なデザイナーが必要です。私はそういうタイプのデザイナーではありません。アントワープの他の生徒達に比べより静かなタイプだったと思います。
私が以前ウォルターのアトリエで働いていたとき「あなたはウォルターの下で働いているのね。ストレンジだわ」って言われたことがありました。でも自分とは全く違うテイストのデザイナーのもとで働くのはとても興味深い経験でした。同じタイプの人の下で働くのではつまらないです。違ったタイプの人であればコミュニケーションが出来るのです。

—私の周りの友人は学生時代ウォルターに凄く影響を受けたと語っている人が多いですが彼から何か学んだことはありますか

私は彼をベストデザイナーの一人だとは思っていません。私が彼を尊敬する理由としては彼には明確なスタイルがあること。それにもかかわらず彼は異なった考え方や異なったスタイルにもとてもオープンな人物です。これはとても重要なことなのですが自分がデザインしているものは自分だけの為のものではありません。他の人がどんなものを作っているのかということも重要なのです。他のデザイナーに対してオープンなマインドを持たなければとても自己中心的なものになってしまうでしょう。彼は常に新しいものに対して貪欲です。その部分が彼がアカデミーにフィットしている理由の一つでもあると思います。彼のスキルから何かを学ぶのではなく、彼の姿勢、スタイルから学ぶことがたくさんあるのではないかと思います。

—あなたはアントワープで生まれ、アントワープで育ち、そして今でもアントワープで暮らしていますよね。アントワープにいることがあなたのデザインにとって重要なのでしょうか

他の仕事でイタリアに住んでいたこともあります。ただ常にアントワープに落ち着いています。アントワープが凄く好きということではありません。ただアントワープは私にとってのホームなのです。ここにずっといたいということではなくどこか違う場所で暮らしてみたいという気持ちもあります。ただこれまではずっとアントワープでした。
ただそのことが私のクリエイションに大きな影響を与えているとは思いません。ここに住んでいる他のデザイナー達と比べて私は早い段階で他のブランドや他の会社でも働いています。イタリアでも何年か働いているし、日本やロンドンでも働いている。私はMujiの為にも働いたし様々な場所で様々なデザイナーの下で働いています。それは自分のブランド以外のエキストラのお金を手に入れる為だけでなくより広い視野を持つ為に働いてきたのです。そういう経験をしてきたのは私だけとは言いませんがそういうことをした最初のデザイナーの一人だと思います。
だからアントワープが私のデザインにとって重要な要素だとは言いません。イタリアの要素を取り入れることもあるし、日本の要素も取り入れることがある。世界のどこにいてもその要素を取り入れることはあります。私は典型的なアントワープ卒のデザイナー達とは違うと思います。

—ではあなたのデザインにベルギー人としてのルーツを感じますか

それは感じられると思います。アイロニックな感覚や視点、そういったものはベルギー人の中にあるアイデアではないかと思います。現実主義的な考え方もベルギー人に通じていることかなと思います。

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