Interview

菅原 マツリ

原宿ストリートのアイコンとしてそのファッション性、カリスマ性により多くの人から指示を得ている菅原 マツリ。東京農大バイオビジネス学科に通学する傍らカメラマンとしてスナップ撮影をしたり、被写体としても様々な媒体に登場、原宿HIRO SHOPのスタッフとして店頭にも立っている。
 今回は彼女の原点である”原宿”の話を中心に、インディペンデントに活動する東京ブランドのマネジメントを数多く手掛け、HIRO SHOPの店長でもあるniCoの時多氏(かるぴす)に同席してもらい様々な話を聞いた。

―ファッションを好きになったきっかけはなんですか

服は小さい頃からずっと好きで保育園の時からお母さんが服を選んでくれないので自分で選んでいたんです。アニメのお姫様達がはいているスカートが欲しくてお母さんに縫ってもらったのが紫のサテン地、くるぶしの上のものだったんですけど「絶対にひきずりたいの」って言っていましたね。小さい時からそういうのは好きで、「ファッションって面白いな」って思ったのはgap PRESSとSTREETを中学校の時に見た時です。「何これ!」って“エンターテインメント”の感覚でファッションを見ていました。

―中学生の時からコレクション雑誌やスナップ雑誌を見ていたんですね

凄く面白かったですよ。色奇麗だし、お化粧も凄いし。
ジョン•ガリアーノが顔を白く塗ってベビードールみたいなコレクションの時は凄く印象に残っています。ただ「やばい」と思った時はブランドをチェックするのではなく写真をずっと見ていたのでブランドに関しては何も知りませんでした。大学に入ってみんなが話をしている固有名詞がわからなかったので好きなものを見つけたらそのブランドをチェックしたりするようになったんです。
私は奈良裕也さんを大学2年生まで知らなくて、それで皆に衝撃の目で見られたり。それくらい何も知らなかったんです。

―大学に入るまではどんな生活を過ごしていたんですか

中学生時代は山梨の標高千メートルくらいのところで乗馬やスケートをして過ごしていました。中学の決まりで何か部活をやらなければいけなかったんですけど部活にやりたいのがなくて少年スポーツクラブに入ると特別に帰宅部に入れるんです。実家は貧乏だったんですけどどうしても乗馬をやりたくて交渉して観光客に乗馬を教える代わりに1ヶ月5000円で乗馬をさせてもらっていました。
小学校5年生の時から文化に行くって決めていて、文化卒の母親と二人で勝手に校内見学行ってみたり。「お金がいっぱいかかる」と言われていたので文化にいく為に定時制の高校に通い、バイトをいっぱいして、貯金をためていました。それが何かミスって農大に辿り着いてしまったんですけど。

―なぜ農大だったんですか

気づかないうちにコンプレックスがあったみたいです。大学というのはお金持ちと頭が良い人しかいけないと思っていたので。自分は頭が良くなかったし、勿論お金もなかった、だから大学という選択肢がなかったんです。そんな私がいけるわけないと思ったのですがとりあえず受けてみようと。
結局推薦で大学は受かったのですが大学はその時に入らなかったら受けたくても受けれない、文化は後からでも入ろうと思えば入れる、だから辞めたくなるまで行こうと思ってやっていたらいつの間にか4年生になっていたんです。

―大学の友達とはファッションの話ってするんですか

ほとんどしないですね。でも原宿にいる時もファッションの話はほとんどしないですね。

―今周りにはファッションが好きな友達が集まっていると思いますがそういう人たちはどこで知り合ったんですか

そういう人たちが集まる場所は原宿です。でも原宿で知り合うのではなくてDOGに行ったり、ミキリハッシンに行ったりする時に色んな人とすれ違うんです。それが週5にもなるとお互いに話をしたことはなくても「あっ!」てなるんですよ。それでちょっと外れたところで何かイベントだったり、共通の友達の友達だったりを介して挨拶をして今度道であったら「こんにちは」みたいな関係になって。全部それです。全てはストリートからです。
(表参道交差点前の)GAPがなくなったじゃないですか。それってどうでも良いことだと思っていたんですけど今思うと凄く痛手でしたね。

―ずっと待ち合わせがGAP前でしたからね。おしゃれな人が自然にそこに集まってきていた感じはしますね

でも私はGAP前にそういうスナップで有名な人たちが集まっていたリアルの世代からは少し外れているんです。

―今はそういう場所が無くなってきている感じはしますね。今だとローソン前がそこにあたると思うんですけど

そうですね。私の周りには「誰々って人がいて〜」っていうのを教えてくれる人がいてGAP前が聖地だったと聞かされたり、あの頃は凄かったみたい話をされるんです。それに最近90年代という言葉を凄く良く耳にする。POTTOの山本さんのトークショーでもそういう言葉が出てきて「90年代が面白かった」って。でもその当時私は原宿にいない、私にしたらそれは過去の歴史なんです。それを原宿にいたら「あの頃は良かった。でも今はつまらない」って毎日聞かされるんです。でも話で聞いたり、写真で見たら確かにエキサイティングで今とは全く違うとは思うけど、私は今がつまらないとは思わないんですよ。だから今から10年後に原宿にいて10年前を思い返したら「あの頃は凄かった。面白かった。」って思うのかなって考えています。
でもそういうのを踏まえた上でやっぱり今は元気がないみたいな感覚も確かにあるかもしれないですね。

かるぴす(以下か)―比べるのがナンセンスですよね。時代背景も全然違うんですから

そうですね。原宿には海外からもたくさん観光客が来て「原宿ファッションを見たい」ってなっているんですけどそれも元々はほとんどの人が原宿にはゴスロリや90年代のサイバー、シノラーとかの着こなしをしていると思って見に来ているらしいんです。最近では少しずつ原宿と言えば「重ね着」みたいに理解されてきているようなんですけど。

―2000年代前半にはお店に人が並んでいましたからね。開店前に並ばないと欲しいものが完売みたいなそんな状況も当たり前のようにあった。でも最近ではそういうのはあまりなくなりましたよね。「雑誌の影響力」ということも関係しているのかもしれませんが

並ぶというその感覚は今は秋葉原に移った気がします。でもSUPREMEは今でも並んでいますよね。
確かに雑誌の影響力は弱くなったと思います。ただカタログの雑誌をださいと思って自分たちが始めたウェブが凄く格好良かったらいいけど、そうではなくて雑誌よりカタログっぽかったり役割分担が出来ていない、そんなウェブが多い気がします。
ちょっとブログで有名だった子が雑誌のプロモデルになりかわったりする、そういうのは凄く今っぽいですよね。

か―僕らの時代は雑誌や先輩から聞くとかしか情報がなかった。でもネットが普及して情報が広がると同時にファッションが元気がないと叫ばれるようになってきた。僕はそれもリンクしていると思うんですよね

絶対していると思います。

か―昔はそれしか情報ツールがなかったからそれが良いってすりこまれるわけじゃないですか。僕はおしゃれな先輩に聞いていたんですよ。当時は雑誌のスナップに載ったらスターだった。雑誌に載ったら地元に帰ったらスターだった

今でも地方は少しそういう感じがあるかもしれないですね。

か―その頃に比べたらスナップは特別感がなくなりましたね。僕は雑誌にのりたくて当時Factoryで誰も買わないような服を買っていたんです。膝にウィッグがついたパンツとか。それがHIROのファーストコレクションだった。衝撃だったんですけど「インパクト勝負でこれ着ていたら雑誌載れるだろう」って。
その頃は「今日はあの雑誌に載りたいからあのブランドを来て行こう」って撮られたい雑誌によって着こなしを変えたりしていました

スナップに載るということはやっぱり嬉しいですね。自分が着たい服を着てそれで完結して満足なんですけどそれをスナップされたら撮ってくれた人にお洒落って認めてもらえてさらにそれが全国に発信される。
私はスナップを撮る側でもあったのですがスナップをすることにより「あなたのことをお洒落だと思うから写真に撮らせてください」「あなたのここが好きです」ってその人と一歩踏み込んで会話が出来るじゃないですか。
でも「この人に撮られたら凄く嬉しい」、「この人に撮られたい」と思う人が今、いないのがやっぱり残念ですね。

―以前は原宿の靴屋で働いたり、スナップ等をして毎日原宿にいたようですが今は以前に比べて行く機会も少なくなったと思いますが

最近は以前より原宿に行く機会は減りましたね。
もともと興味があった原宿という街に足を運んでショッピングしていたのが仕事でいかなければいけなくなって5年くらい毎日通勤感覚で原宿に行っていた。ローソン前やGAP前にたむろしている人たちを横目にかつかつと靴を売りにいく。それがスナップに変わって原宿という街の中に入れるようになった。スナップという仕事は原宿の街の中に入れて、みんなと会話が出来て凄く良い仕事だったんです。でも徐々にそれになれてくると最近の原宿退屈だなみたいな気分になってしまった。
そのスナップが終わって今はHIROSHOPで働かせてもらっている。でもHIROSHOPは原宿からは少し離れていてそこに遊びに来てくれる人としか会話が出来ない、自分からふらっとぼーっと出来ない環境になって、今まで無意味だと思っていたことが意外とコミュニケーションや情報交換の場としてツイッターやインターネットの場よりも生身の良い出会いの場になっていたんだなと感じるんです。だから今は原宿が若干恋しくなっていますね。

―どういう基準でスナップを撮る人を選んでいたんですか

センスです。見ておしゃれだなと思う人。自分が良いと思うか、好きか嫌いかなんですよ。

かーファッションってそういうものですよね。感覚的なものというか

自分の美的センスを信じていますね。

―まつりさんが思う、この人はお洒落だみたいな人はいますか

平川(武治)さんは凄くお洒落だと思いますしJuvenile (Hall Rollcall)の入江さんもお洒落だと思います。あとはS Nakabaのデザイナーさん。
お洒落と思う人はいるけど、常に尊敬出来るみたいな人はいないです。

―今はHIRO SHOPで働いていますがどうですか

凄く楽しいです。HIROさんの洋服は色んなモチーフを使っているし、様々なカルチャーが入っているので本当はもっとHIROさんに色んな話を聞きたいんですけどまだあまり聞けていません。たまにHIROさんからそういう話を聞ける時は凄く楽しいし勉強になります。
今は自分で情報を拾えるけど雑誌で読んだ言葉だけで伝えてくる人の言葉はあまり伝わってこない。でもHIROさんみたいに実際にリアルを感じた人の話はもっと聞きたい。自分の経験がある人はやっぱり凄いと思います。

―今若い子の間で影響力あるものはなんですか

私も知らないので知りたいです。以前はスナップされて嬉しいのはドロップだった。でも最近は聞かない。それに雑誌も聞かなくなりましたね。

―買い物はネットでしますか

服は買った事無いです。身につけるものは手触りを確かめてから買いたいですね。

―今後原宿という街はどのように変わって行くと思いますか

街としての役割は特に変わらないと思います(服屋が沢山あって、風俗やパチンコが無くて明治神宮がある)。
それに大きなビルが増えても、基本的には通り沿いの小さなお店がいっぱいで独特の人と人との距離感は変わらないと思う。
変わるとしたら、原宿に来る人の種類かなとも考えたけど、でも目的の多くは服に関わっているに違いないから、そんなに変わらないのかもしれない。
私の希望としては、もう少し多面的に発展して欲しいですね。カルチャーの美味しいところを「ファッション」に並べて完結させるよりは、相互的に効果を生むような立体的な何かがあった方が、原宿が活気づく気がします。

―ウェブや雑誌等のスナップに頻繁に掲載され、まつりさん自身ファッションリーダーの一人として認識されていると思うのですがそう思われること、若い人がファッションの参考にすることに対してどう思いますか

私は自分にとって居心地の良い服を選ぶようにしていますが、他人がそれを良いと思ってくれればやはり満足度は高まります。
もしも私を参考にするならば、自分にとって居心地の良い服を探して欲しいです。

―おしゃれになりたいと思っている人へ何かアドバイスをください

自分の特徴を把握するのは大切だと思います。着たい服が自分に似合わなかったときにその理由がわかれば、少しの工夫で似合うようになったりする気がする。あとは、とにかく色々試着して、似合う服を探すのも手なのかな~って。
でも結局一番は本人にとっての居心地の良さな気もします。

―今は大学生ですが今後の展望等はありますか

今は就職活動の代わりに、ブランドで働いたり、スタイリストをしたり、作品をつくったり、スナップしたり、面白そうな人に話しを聞いたり、なるべくアクティブに動くようにしています。今はまだ趣味の域を超えるものは少ないけど、卒業する頃には今の延長線上で何か形になれば良いなと思います。
それにバックパッカーも20代でやりたいことの一つ!です。

Interview & Text:Masaki Takida

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菅原マツリ
1988年8月16日生まれ

2010~2011年 ニコニコ動画公式snap「ニコガールズコレクション」カメラマンとして、新宿・渋谷・原宿・秋葉原の4つのエリアで輝く女の子をストリートスナップ撮影。
同コンテンツの取材でJFWや「原宿コレクション」「ママコレ」「コミックマーケット」なども撮影。
また、スタイリスト山口壮大のディレクションによる企画「NEO・COS展」にカメラマンとしてNEO・COSな女の子を探しスナップ撮影、その様子をwebで連載。
ラフォーレ原宿での展示即売会やカオスラウンジの様子を記録。定期的にblogも担当。一部のスナップが別冊スープなどの紙面に掲載。
原宿ストリートのアイコンとしてそのファッション性、カリスマ性により多くの人から指示を得る。

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