Interview

Waltz 秋藤 真弘 ”20歳のオーナー/バイヤーが奏でるWaltz” 1/3

セレクトショップCEMENT storeの奥に今年4月、新たに1つのセレクトショップがオープンした。『Waltz』のオーナーである秋藤氏は、若干20歳という若さで自らの店を構えた。

国内ブランドを中心にセレクトされ、様々な表情を持ちながら、どこか溶け込み合う 『Waltz』の服。洋服に対して真摯に向き合う彼が厳選した服には、独自の審美眼がむき出しになっている。洋服との距離が近い空間。

彼は何を見て、何を語るのか。服に抱く純粋な想いを伺った。

―まず秋藤さんの簡単なバックグラウンドを教えてください。

1991年生まれ東京出身です。
元々僕はネガティブで人見知りで人間として明らかにマイナスな要素が多すぎる人間だったんです。それを変えたいと思っていました。それでポジティブになる為にニーチェの言葉集を読んだんです。それでポジティブになった。
僕は凄くナルシストでもあったんですけど、その言葉にはマイナスな要素が多い。三島由紀夫の金閣寺を読んだ時にやにやしながらナルシストだなーと思いながら笑って読んだんです。僕も面白いと言うことはナルシストということだなと思って。そうしたら見え方が変わって来た。僕自身が良いと思っているから全てがOKみたいな考え方に。だからといって自分が格好良いみたいなスタンスではないんですけど。自分の中で自分が良いから他人に何を言われようとOkだし他人が何をしようとOkみたいな。だんだんそんな感じに丸くなっていったんです。

中学校でヤンキーぶったり、高校でちゃらちゃらしたり、男が通る道みたいのを通ったんですよ中高は一貫して反抗期でしたし。高校時代は古着が好きでした。堂本剛さんが好きで、彼が通っているヌードトランプに行ったりしていました。僕も彼と同じように髪型を頻繁に変えていましたし、彼は僕と同じで上半身の体格が凄く良いというコンプレックスがある。それに身長もあまり高くない。それでもスリムなパンツを履いたり、ジャケットを着ていたり、ファッションを楽しんでいるように見えたんです。参考にしていました。

高校3年生の時にお洒落したいなと思いtune, fruitsが出したショップガイドを持ちながらその本に載っているお店を全部回ったんです。そのときに出会ったのがXANADUでした。まだオープンしたてでドレッシーな服が多いなという印象でした。そこからXANADUさんにお世話になることが多くなった。そこからですね、ファッションが好きになっていったのは。それまでは女性にもてる為にお洒落をしようと思っていたんです。
そこからは色々なブランドを着て、全身真っ黒な服装をしていました。

それで高校を卒業して今年の1月まで文化服装学院に通いそこから学校を辞めてWaltzを出店しました。

―なぜ黒い洋服にはまっていったのでしょうか?

ファッションの右も左もわからなかった。黒い洋服はスタイルよく見せるのでコンプレックスを隠すことが出来る。でもだんだん拘束されるような服に飽きて来てしまった。未だにモードは好きですし持ってもいますがあまり着ていないですね。結局体をメインで考えてその上に衣服を羽織る。体が美しくないと駄目だなと思い、それからはオーバーサイズの洋服を買うようになっていきました。ラフシモンズも凄く好きだったんですけど最近はそういう洋服は見るだけになってしまいました。昔からあまり一貫性がないのかもしれません。

―なにを目指してファッションの専門学校に行ったのでしょうか?

最初はもてたかったので美容師を目指していたんです。それで日美(日本美容)の研修に行ったりしました。丁度その頃ヒールを履き始めて、僕は周りの友人からtuneだよねって言われるようになったんです。だんだん奇抜なスタイルになっていったんです。それでだんだん美容師じゃないなって思い始めて。友達に「ファッションなら文化というところが日本で一番有名だよ」って。それでパンフレットをもらったんです。お洒落をしたい、服を作る方ではなかったのでビジネスやスタイリスト、そっちだと思っていた、それでスタイリスト科にしました。特別スタイリストになりたかったというのではなく自分でお洒落がしたかった、それに当時からお店は出したいと思っていました。

僕は基本的に頭がよろしくないので感覚とタイミングかなと。ビジネス科だと自分が面白くないと思うような授業ばかりかなと。結局スタイリスト科も感覚的なものを伸ばすような授業は多くなかったのですが。とらわれたくないというか、自分が良いと思うか思わないか、それだけでやっていこうと思っていました。

―入ってみてどうでしたか?

学生としては凄く楽しかったです。友達は出来たし、飲みにも行った、でも刺激になったかというとそうではなかった。生きる上で大切にすること、人を見た目で判断しないとか、遅刻しないとか。そういう人間的な根本として必要なことは凄く勉強になった。でもファッションの部分だったり、どういう洋服が良いのかだったりは教えてもらえなかった。
ここのお店を出店することになったのもそういう中学、高校生活があって、専門の生活があったからこそと思っているので特に後悔はありませんが。

―専門学校で学んだ以外に特にファッション業界での経験がないそうですが、ファッション業界で一度働いてから、ノウハウを得てからお店を出そうとは思わなかったのですか?

僕は人の下で働くということに凄く抵抗がある。自分自身まだまだ子供なところもあるので。ただその要素が大事だったりして。ファッションはやっぱり感覚が優先されるべき現状な中で、僕の中でそういうのを外に発信しているような、感覚がメインだけどあとから売り上げがついてくるみたいなお店がなかなか少ないと思うんです。だから入りたいところがあるかと言われても正直ぴんとこない。

だったら留学しようとロンドンに2年くらい行こうと思っていたんです。外人の女性が凄く好きですし英語喋れたら良いなと思っていたし。英語が喋れるようになるなら2年くらい無駄じゃない、楽しんで帰って来ようと思っていたんです。

去年の夏くらいまでそうやって思っていた。でも(CEMENT)田島さんと(noitisnart)矢作さんに「ここで何かやれば」と言われて、少しずつ考えるようになったんです。ファッションに関しては全く無知ですし、「いやいやいや」と言っていたんですけど。その後にKa na taの加藤さんに(高円寺の)即興でお会いして、話をする機会があったんです。そうしたら「秋藤ちゃん面白いね」って。僕が2月か3月くらいにお店を出す機会がもしかしたらあるという話をしたら「それだったらKa na taの洋服置くよ」って言ってくれて。ストイックに目の前でやれるようなことがあったので当たって砕けろだからとりあえずこっちでやってしまおうかって。そこからはお店をやることで具体的に話を進めていき、他のデザイナーさんにも話をしてオープンに向けて動きだしました。留学費用にまわす予定だったお金を父親に借りこのお店を出すことにしたんです。

―お店を出すことに対して親はどんな反応をしたのですか?

「やっちゃいなよ」って。僕は家では色んなことに対して文句を言ってばかりいるような子だったので「反骨精神あるからやってみれば。それで見えてくるものがあるでしょ。いい面でも悪い面でも。」って。
うちの親は最初から応援してくれて。父親は元々起業家なので経営の部分とか飲みながらアドバイス受けたりもしました。
母親は感覚的に尊敬していて、僕が好きな画家さんや絵、写真、映画のこととか聞くと大体知っているんです。今は主婦なんですけど昔は原美術館で働いていたんです。洋服に特別詳しいわけではないんですけど美的感覚は凄く長けている。お洒落だと思いますし。

お店の話があるまで、学校はちゃんといっていたんですけどその話があってからとりあえず考えなきゃと思って2週間くらいぼーっとしていたんです。そうしたら留年しますという連絡がきて。それから学校に行きはしたんですけどでも結局毎日行ったとしても出席日数がぎりぎりになる。2月にKa na taの受注界をやることが決まっていたので後1週間は休みをとらなければいけない。でも公欠が採れないと言われ、それで結局辞めることになったんです。
結果論ですが「高卒になったらここでやっていかなければいけないという気持ちも強まるし、いいんじゃない」って父親が言ってくれたんです。
やめるつもりはなかったんですけど結局やめることになったんです。

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