Interview

nusumigui 山杢 勇馬 2/4

山縣さんからは色んなことを学びました。ものの見せ方一つとっても発見する部分が多くて、あの人は適当にやっている感はありますけどやる時はやる、やっぱり凄いところは本当に凄かったです

→nusumigui 山杢 勇馬 1/4

―(ここのがっこうには)服を学んでないし服のことを勉強しようと思い通ったということでしょうか?

そうですね。結局行ったんですけど服作りは全然学んでいませんが。エレメンタリーコースとアドバンスドコースに行きました。

―服作りが学べると思って行ったんですか?

何かが学べるのではないかと思っていました。ファッションということを。

―服は作れなかったんですよね?

作れなかったですね。

―ではまずエレメンタリーコースでのことを教えてください。

凄く楽しかったですよ。自分ってなんなんだろうとか自分の過去とか凄く色々考えました。今はここのがっこうは服という印象が強いのですが僕の時は服を作らなくてもよい、もう少し服じゃない部分も強かった。とりあえず自分とは何か、自分を知りなさいというのをずっと考えていた。結構皆悩んでいましたね。

最初の頃から僕は自分でリメイクした服を着ていっていたので山縣さんには「山杢君は自分でやるのが一番良いんじゃない?」ということを言われていました。玉井さんもそんな風に言ってくれていました。

―エレメンタリーコースを終えて一段階上であるアドバンスドコースに行こうと思ったのはなぜですか?

エレメンタリーが終わってただ色んなものが漠然としていたんです。いざ山縣さんに自分でやれと言われても実感が僕はあまりなかったし、ブランドをどうやって始めれば良いのかもわからなかった。それにエレメンタリーコースはポートフォリオ作りで服までたどり着いていない。自分がどういうものか考えてそこで終わっていた。形になったものがなかった。アドバンスドも最初は行く気がなかったんですけどあの場に行ったらどうにかなるかもと思い行こうか悩んでいたんです。最終目標、あの時はITSだったんですけどその目標があれば何か作れるんじゃないか?ずっと考えていたら締め切り前日くらいに山縣さんから電話がかかって来て「やろうよ」って。その場で「やります」って伝えました。

アドバンスドが始まるまでの間、エレメンタリーが終わってからはwrittenafterwardsの手伝いをしていて神々のコレクションの制作をしました。

―生のコレクション現場はどうでしたか?

最初はお手伝い感覚で入ったのですがショーピースの作成もやらせてくれて。山縣さんからは色んなことを学びました。ものの見せ方一つとっても発見する部分が多くて、あの人は適当にやっている感はありますけどやる時はやる、やっぱり凄いところは本当に凄かったです。僕がやばいと思ったところはメモっていましたね。

―例えばどんなところが凄かったのですか?

言葉じゃ言えないけどものの見せ方がとにかくうまかったですね。演出もうまく見せていますし。ショーピースの服は本当に小さいドレープの服ですけどドレープ感もそうですし、生地って切りっぱなしとか見えてたら駄目じゃないですか?そういうのをさりげなく隠したり。見えたら萎えるような部分を全部消し去るじゃないけどさりげなく来てさりげなくやるんです。そうやってささっと直した時はあ、すごいなって。短い期間でしたが空間を作るにしても見せ方とか、空間に入っているバランス感とか、こうすればこうなるんだみたいな、色々学んだ気がします。

僕は基本可愛いものが凄く好きだし小さい時からの写真を見ると小学5年生くらいまで常にぬいぐるみを持っているような子だった。妹とシルバニアファミリーやったり。色々考えると根本はそういうところにあったのかなと。
でもここのがっこうに入ってから色々やりたいことやっていてもみんなに「山縣さん意識したの?」と言われたりしていたんです。自分的に山縣さんを意識したり、受けを狙っているのではなくて本当のことを言ったら多分自分の作っている物がどことなく山縣さん寄りになっていたんだと思います。それに一番見てもらいたいのが山縣さんだった。アドバンスドで坂部さんからどう言われようと山縣さんから良いと言われたらそれで良いと思っていました。

でもブランドを始めることになった一番のきっかけは坂部さんです。アドバンスドのとき。凄く怖かったですけど。
ITSの作品作りで悩んでしまっていて着れないものばかり作っていたんです。デザイン画も着れるけどそれでは生活出来ない、コンテストっぽい服を描いていたんです。坂部さんに30枚デザイン画を描いてこいと言われてデザイン画を見せたら全部見終わった後に「で?なにがしたいの?ファッションじゃないじゃん。」と。その時に自分でリメイクした服を着ていたんです。「これは好きで着ているの?」って。僕は「好きで着ています」と。「これはちなみにどこの?」って聞かれたので「自分がつくりました」って言ったら「これでいいじゃん。山杢は自分の為に作った方がいいよ」って言ってくれて。それまではリメイクが恥ずかしかったんです。みんな一からちゃんと作っている、でも僕は有り合わせのもので作る。良いなと思ったものを見つけて来て腕とか切って繋げたりの洋服だった。リメイクの服をコンテストに出しては駄目だと勝手に思っていたんです。そしたら全然そんなことはないと言ってくれてそこから自分の作りたい物を作るようになりました。途中からITSなんてどうでも良いと思って、ふっきれましたし。

―卒業後、一度服ではなくて空間インスタレーションをしています。

ここのがっこうに行ってから何度か展示する機会があったんです。最初が横浜のギャラリー、その後にFAKEでやらせてもらった。でも悩んでしまった。服をやろうとは思ったんですけどタブロイドでは結局インスタレーションになってしまった。服だけで勝負するのは難しいなと思ってしまったんです。でもタブロイドでの展示は自分の中では凄く良いものが出来た。服は作ってないんですけど自分的には満足行く空間が出来たと思っています。
その後原宿の美容室アクアのギャラリースペースで展示をしてその時には初めて展示販売をしました。

―その後ブランドを始めています。なぜ自分でやろうと思ったのですか?

アクアの展示が終わっても全然何もなかったんです。服が売れるわけでもなく。それでも相変わらず原宿に来ていて、スナップに載るようになっていたんです。友達に「あの時に着ていたのってなんなの?」って言われ格安で材料費だけもらい友達伝いに服を作るようになっていったんです。
(ブランドを置いてある)マカロニックにはずっと通っていたんです。ここのがっこうにいる時もマカロニックに行っていつも作品を見てもらったりしていたんです。アドバンスドはITSを目指していた、作品をもっていって「良い結果だったらいいね」って。でもいざ終わってみたら何もなかった。そしたら青木さんが「勇馬君これからどうするの?服の世界は厳しいよ」って話をしてくれて。色々考えたのですが自分のブランドで生活出来たらいいなと思い青木さんにメールを送ったんです。「色々考えたんですけど服で食っていきたいです」って。そうしたら「いままで作ったもので自信があるものを15着持って来てくれ」って言われて店に服を持っていって青木さんに見てもらったら「やろうか」って言ってくれてマカロニックで自分のブランドを置いてもらえることになったんです。

―山杢君と同時期にここのがっこうに通っていた人もブランドを始めている人が多いです。刺激は受けていますか?

正直あまり気にならないですね。特にあいつが頑張っているからとかはないです。展示会とか行って頑張っているんだろうなとか思ったり一緒にご飯行ったりはしますけど。

―クリエイションの話とかしたりはないんですか?

西山君とはします。あの時のあのシルエットがいいよねとか。細かいディテールの話とか。テイストは全然違いますが根本は通じる部分があるんですよ。あのルックがよかったとかじゃなくて、あのルックのあのボタンのが格好良いとかで話しますね。
それに一度はブランドを一緒にやるという話もしたんです。彼は服を作るだけしか出来ない。スタイリングとか細かい部分、インスタレーション、物の見せ方を僕にお願いしたいと。そこから二人で一度展示をやったんです。それでも良かったんですけどとりあえず自分もやろうかなと。

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