Interview

POTTO 「UF男とネス子たち」 3/3

大事なのはものがちゃんとあるということ。それは大前提。それがファッションであるかどうかが大事

→POTTO 「UF男とネス子たち」 2/3
→POTTO 「UF男とネス子たち」 1/3

逆に今回のショーを見てどういう風に思いましたか?(山本)

―面白かったけどなんだこれみたいな感覚はみんなあったと思います。

なにやりたかったんだろうって思ったということですか?

―それは思いましたね。

二人で喋っていてたとえばここにかわいい犬がいる。そしたらどう思いますか?
犬はいないけど犬超かわいいよねって僕が言ってたらどうします?でもあなたには見えてないんです。

―この人どうしちゃったんだろうって思います。

でも僕には見えているんです。僕はいると思っている。僕からしたらあなたの方が頭おかしいと感じてしまう。それは見えている、いるなって思うと自分には見えなくてもそこにかわいい犬がいるって思うと思うんです。それが今回のショーでなんだったんだろうという一番の原因です。
犬がいねーよって最初から思ってるから何だったんだろうと思うんです。

―なんだったんだろうという感想は正しいということですね?

正しいとか正しくないとかはないけど正しいです。
でもそれはまだ消化できていないということです。犬かわいいねっていうことをやりたいんです。
子供は妖精が見れると言うじゃないですか。それがリアルなんです。それがほんとのこと。いないからということじゃなくて。いないかもしれないけど彼の中ではいる。ということはそれが一つの空間で、それが現実。それがいっぱいあるのがほんと。それを自分が見えないからいるわけないじゃんといってたらそうじゃない。そうじゃなくてほんとにいるよっていう。そういうことをやりたかったというか服を作ってそういうことを思ってるからそうなっちゃうんです。

―じゃー一部も誰かが着てたかもしれないということですか?

着てたかもしれないではなく着ていました。幽霊が着ていたんです。着ていたのにまた人間がきちゃったみたいな二人羽織りですよ。

―え、幽霊が着てたんですか?大丈夫ですか?取りつかれないですか?

そういう悪いことはしない幽霊なのでだいじょうぶです。
世界は一個じゃない、現実は一つじゃない。正しい正しくないじゃないけど現実は一個じゃない。写真を撮っているときも誰もみないし、そこに存在してないじゃないかというくらい。誰もまったく気にしないし。誰一人見ない。
本当はなかったのかもしれない。本当にないんじゃないかというくらい誰もみない。隣にあるけどないような感じです。

―枝光さん(山本さんの奥さん)はショーの最中「これで大丈夫?」って言っていましたよ。

それは最初からずっと言っていましたよ。服がちょっとできてきて大丈夫?って。ちょっとかわいいのができてくるとまた大丈夫?って。内容についても本当にこれで大丈夫って?
最初はずたぶくろだけど大丈夫って?だけど最後はずたぶくろじゃないけど大丈夫?になって。
最初は葉っぱから始まるんですよ。創世記みたい話だから。そこから始まってだんだん現代の服になっていく。

―先ほども言いましたが服が思い出せないんですよ・・・・

それはよかったことかもしれないですね。

―出演者は勿論POTTOの服を着ていたんですよね?

そうではありません。
面白いなって思ったのはPOTTOのショーなのにPOTTOの服が出ている時間が一番少ない。それぞれの出演者はみんな自分の服を着ていたんです。
POTTOを着ていたのはモデルの二人が着ていた15体だけです。

―全部衣装だと思っていました

それだとつまらないですよね。「ステージ全部おれが作ったぜ!」ってなってしまいますよね。

―そういう当然の先入観で見ていました。POTTOぽくないなとは思っていましたがそれぞれの方とのコラボかなと。

そうしたら話が変わってしまいます。
俺のショーを見てくれって感じになってしまう。わざわざPOTTOの服を作って着てもらうより自分の服を着てもらった方が良さがでる。貸してって言われたら全然いいですけど。それぞれが違う空間だから別にPOTTOを着る必要はないんです。

―POTTOのショーにいる他の出演者たちだからですか?

POTTOのショーをやっているのはモデルたちであってその他の人たちはいないんです。たとえば柴田さんは自分の空間で歌を歌っているだけです。それが彼女にPOTTOを着てもらっちゃうと全部がPOTTOのショーになってしまう。
ショーとはこういうものだという先入観を思われてもしょうがないけど僕は違う。
全然関係ないところで話ができるのを含めショーなんです。
時代は常に変わっているんです。

―アラスカン(ネオ)のライブの最中はモデルが出てきませんでしたがそれはなぜですか?

それは世界が終わった後の話だからです。世界が終わって違うところにいっている。だからその後誰も出てこない。アラスカン(ネオ)はそういうこと。

―いまいちよくわかりませんがあるっちゃーあるし、ないっちゃーないということですか?

あるし、ないし、過去と未来は一緒ということです。あるんだけど全部ある。そういう意味。すでに全部ある。過去があって今があって、未来があるわけじゃない。全て一緒。
全部ある。そういう空間。だから古いかもしれないし新しいかもしれないし未来かもしれない。
僕はやばい人じゃないですけどすべてがつながっているんです。あまり真剣に話を聞いてもらえないんですけど。でも未来も過去も同じなんです。これやったからとか、これやんないと将来どうとかは嘘で一切関係ない。全部あるから。

―今も未来ということですか?

今は未来です。石器時代にマンモスの肉を食べていたのは滝田さん。まさに滝田さんが肉を食べてた。先祖がとかじゃなくて。僕はその横で釣りをしていた。その人と滝田さんが同じ。
ちなみに僕は無宗教です。周りの人は僕のこういった話に対して聞き流すすべをもっている。今のところこの話を誰もわかっていない、わかっているふりをして話を聞いてくれる人はいますけど。

―じゃー結局わからないということで大丈夫ですか?

いやだめです。わかってもらいたいと思って僕は話をしているんです。
でもショーを見て何か思った。そこが大事なんです。
理解しようとするからだめ。理解するとかじゃなくて感じるかどうか。

―それが感じられないから困っているんです。

感じられないですよね。そうですか。でも警戒しないで下さい。

―警戒はしてないんですけど言っている意味がわからないので・・・

まー大体そうなりますよね。
その人なりになんか泣きたくなるみたいなので大丈夫です。子供には僕の言いたいことがたぶんわかると思いますよ。子供ってほんとうに一番全部がわかってる。だんだん大人になるにつれてわからなくさせられる。
例えばipadって名前はないですよね。ipadと付けたから名前があるのであって別にipadじゃないじゃないですか。ipadですよっていったからみんなそう思っているだけ。でもよく考えたらそれはipadじゃない。ipadという風に名前を付けられたもの。本当に空っぽにして考えればipadじゃないなって思いますよね。コップもコップだって言われて教えられたからコップっておもうけど別にコップじゃない。水のはいるものをコップと言ってるだけで別にコップじゃない。その前の話。そうなっていく前の話のことを言ってるんです。

―では山本さん作る服もPOTTOではないということですか?

そうです。あのショーでPOTTOの服になったんです。だから今は売られている。売られている服はPOTTOの服ですよって言われてipadと一緒でPOTTOの服になった。
服の枠で考えるからわからなくなる。ファッションショーとか、服とか、ファッションという先入観があるから。勿論ファッションというところでやってはいますけど。

―先ほど次回について3月といわれていましたが今後いわゆるオーソドックスなランウェイショーをやることはあるのでしょうか?

次は普通のランウェイショーをやります!やっぱり次かどうかはわからないですけど。別に変わったことをしようとしているわけではないので。変わったことをやろうと思っているわけじゃないし、変わったことをやりたいわけでもない、それに変わったことだと思っていない。

―では何をしようと思っているんですか?

さっき言ったようなことをどうやったらできるか。僕が作るのは洋服なので。それが自己表現かどうかはよくわからないですけど。
次回かどうかはわからないけどそういうオーソドックスものをやる場合もあります。

―昔はやってますもんね

やってますね。
でもそれもよく考えたらわからない。ファッションショー見ているとなんで歩いてきたんだろ、帰っちゃったみたいな。だからなんでもいいと思うんです。
大事なのはものがちゃんとあるということ。それは大前提。適当に作ってもモデルが着てあるいたらそれなりにはなります。でもそれはまたちょっと違う。それがファッションであるかどうかが大事。実際にはファッションかどうかはどうでも良いことだけど、思いが詰まっているかどうか。
喫茶店で一対一のファッションショーもやってみていい。一人ずつ縫い付けたり、そういうこともやってみたいなと思います。

Interview & Text:Masaki Takida

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