今日いろいろと今起こっているファッションについてなんか考えてみました。
でここ最近二次創作が話題になっていたのがきっかけで
コピーとオリジナルについて 何度か ぼやっとだけど考えていました。
(二次創作は考えたきっかけで今回の内容とは関係ないです)
まあみんなもよく見るとは思いますが
特に日本のデザイナー クリエーションがなぜか評価されてる人たちに
よくいるのですが完全に誰かがやったデザインをそのままパクッて自分のブランドで
だして堂々としている人たち。
ただそれが すごく雑誌や媒体でとてもよく評価されて
コピーの部分には触れられず
雑誌によっては オリジナルのブランドよりも前のページで紹介されてしまい
もともとやっていたデザイナーの方が偽者っぽくうつってるときもあります。
ただ
実際 オリジナルを知らずにその雑誌をみたひとは
それをみて感動し ファッションに興味を持つきっかけがうまれる可能性があります。
ぼくのまわりでも そのような人は何人もいます
それは トータルで考えるといいことにもみえます。
それがなければ 興味さえなかった人がファッションを好きになるというのはいいことです。
ただそれによってオリジナルのブランドにいろいろなダメージが行くのは
とても悲しいことでもあります。
実際この不況の中オリジナルがコピーよりブランド経営が厳しいことが
残念ながらよく起こります。
実は僕も知らないで感動してこころうたれたものが
オリジナルじゃなかったときもあるしきづいてないだけでさがせばもっとありそうです
これってどうなの??って考えていたのですが
いやいや
やはり そこらへんの問題よりも
さらに大きな問題としては ファストファッションも
あり 大手メゾンが
必死になって考え出しているものを オリジナルよりも早く
おもいっきりコピーして安く店頭に並べています。
最近では モード側の会社もお金が必要なので
ついつい そのようなファストファッションと組んで
ビジネスをはじめてます。 最近では百貨店とかも、、、
とうぜんいまは 不景気もあり コピー云々以前に
安くて気軽に楽しめるものが 時代でありむしろファッションではあると思います。
彼らは規模は大きいしイメージ作りにとてつもないお金を使って
いいモデル 写真家で時代感を作っていきます。だから
もともとはダサいと思われていたものがいまでは
雑誌とかでもCHANELの広告のとなりに普通にあったりします。
いろいろと問題は何層にもなっていて
奥深くまで 混ざり合っているのでなおさら混乱します。
僕も普段はこのような問題はかなりこころひろげてぼやーーと考えるつもりだったのですが
ふとここ最近見たクリエーターの作品で
あきらかにもう見たことあるものを
堂々とオリジナルとして発表しているそして
それをみて知らないがために
喜んでいる人たちの状況を
みて なんか せつなくなり考えてしまいました。
やはり頭で理解しこころをひろくしても
瞬間的に 受け入れなれないことがあります、、、
でも
結局そんなの関係ねー
ってなって
自分は自分 まわりを批判するとかじゃなくて
自分と自分が信じれる人と同じ方向を見て
価値あるものをうみだしていく
それだけです。(ここも実は頭では分かっていても気になるとこ)
なんかでも情報って怖い、
自分で選んで 情報を集めれる時代ではあるけど
そんな気がしているだけで
実はどんどん 体に勝手に入ってきて
こころにこっそり進入します。
いまの東京ではこの情報をとめて
生きるのって不可能です。
テレビとインターネットきって寝よ。
コピーとオリジナル
その混沌とした背景には、00年代中頃から全体的に浸透し始めたミックスカルチャーが引き金かなって思ってます。
最終的な結論は出ていますが、
多くの人にとってみれば、コピーかオリジナルは”五十歩百歩”の世界だと思います。
ただ、懸念されてるように線引きをする人達にも問題はあると思います。
誰に発信したいか?が創り手にとって大切だと思います。
受け手は、純粋に何を受け取りかが大切だと思います。
結果的に、それがファッション(=一つの時代の答え)として成立していると思います。
自分を信じるのが難しい時代だなって思います。
その反面、それを貫けた人は次の時代の芽になると思います。
銀座 松坂屋にforever 21が出来る事を知った時は衝撃でした…
銀座にH&Mが出来た時も…
何だか悲しいです。
コピーとオリジナル…
オリジナルによってコピーは成り立っているのに
コピーがオリジナルに危害を加えるのは
何だか本末転倒な感じがします…
ファストファッションにも
もちろん利点はありますが
ファッションという“物”に
“真剣に”向き合わなくなるという
重大なリスクが伴う物だなあ
と私は思います。。。
これからどうなって行くのでしょうか…
時代だから何でもあり?
受け手から見たらどちらも変らないという視点
それは問題がすり替わっているような気がします。
ある人が誰かの家の大切なものを盗んできました。
それを質屋に売りました。
だれかがそれを安く買う事が出来ました。
それは買い手から見たらどちらも変りませんよね。
買い手から見てそれが同じだったらその行為は
時代という名のもとに消化されるのでしょうか?
それは時代なのかな?
もしそうだったとしても自分はしょうがないという
答えじゃないものに向かいたいです。
そしてこれは消費者の視点よりも
もっと作る側の視点だと思います。
コピーの度合いにもよると思いますが、
クリエーションをする意志がない人達にとってはおかまい無しなんでしょう。
ファッションからクリエーションをとったら、何が残るっていうんでしょうか。
着る、身に着ける、という人間の行動における感受性が近年とても貧弱になってきている気がします。
多くのことにおいて上には上があるなかで、このコピーされる物事も、”最後”に評価する多くの知識と考えをもった人がどう評価したか、がまた世の中の考えを変えていくのではないでしょうか。
今はその過程かもいざしれず、10年後20年後の”今”を創造していると考えれば、悩みもすこし軽くなるのではないでしょうか。