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contemporary creation+

東京・吉祥寺の大正通りにあるショップcontemporary creation+です。
日本の注目のデザイナーの最新作やオートクチュールのドレス、世界の名デザイナーの稀少なアーカイブまで取り揃える、服好きの聖地のような小さなお店です。
サッカー好きなので、サッカー記事も多いです。
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武蔵野市吉祥寺本町2-31-2-101
tel+fax 0422-20-8101
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クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1

クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI

今回は、東京は恵比寿の奥、広尾との中間地点に小さくて美しいアトリエ兼ショップを持つデザイナーTAKIZAWA NARUMIのインタビューです。
ほぼアトリエでデザイン、パターン、カッティング、縫製、仕上げを行われる服達は、本当に美しいです。

TAKIZAWA NARUMIインタビューの第一回は、核融合エネルギーの実現を目指していた理系の大学生が、服作りに向かうきっかけが語られています。

大変面白いので、是非お読みください。よろしくお願いいたします。

以下インタビュー

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こんにちは、本日はよろしくお願いいたします。

takizawa
よろしくお願いいたします。

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滝沢さんは、たしか東京理科大出身なんですよね??デザイナーの経歴としてはめずらしいですね。
どういう経緯でそちらに進まれたのですか?

takizawa
中学生のときに通っていた塾の先生がおもしろい先生で、教育改革を文部省に提案したり、英語の習得の仕方を考案して提案したりしていました。論文を勝手に送っていた訳です。一応リアクションもあったらしいです。
当時ぼくの知っている大人にはいないタイプの人でした。もっとも、周囲の大人にも変わり者と思われていたみたいですが。

授業中もよく内容が脱線していました。ぼくはそっちの方が楽しかった。だから授業が終わってからも二人でいつまでも話をしていました。全部は思い出せない位たくさんのことを話しました。
でも大体は未来のこと、これからの世の中のこと、それは子供達だってこと。

日本の将来を憂いていました、田舎のとても小さい町の隅っこで。

それでその話の中に「核融合』っていうのがあって、「これは水素が融合してエネルギーが発生する、核分裂とは違うエネルギーだ」と。
中学生には固い話だし、最初はチンプンカンプンでしたけれど、先生のおもしろいのはここからで、「太陽はこの原理で燃えているんだよ、つまり地球に小さい太陽を作るっていうこと。しかも 原料は水だからどこでも半永久に手に入る、すごいだろ!」
こんな風に説明されたら「将来、核融合を自分が完成させる!」となってしまい、それで理科大まで行きました。

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なるほど、きっかけは水素文明なのですね。

どういう環境で育ったのですか?たしか長野県出身ですよね??

takizawa
長野県です。311大震災の時、翌日に大きな地震のあった県北部の栄村の隣町です。

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それはまた大変な場所ですね。
あのあと、なぜか連続して大きな地震が起きましたけど、大丈夫だったんですか??

takizawa
実家は大丈夫でした。ですがあちこち崖が崩れたり、ひびわれたり、陥没したり。あまり報道されないのですが、大変な惨状だったようです。

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あの後は、実家に帰ったりしたのですか??

takizawa
そうですね。ですが元々よく帰る方です、ぼくは。家のまわりは360°山なのですが、それが落ち着くんです。山それ自体も好きなのですが、どこを見渡しても大きな山に囲まれているという景色がいいですね。
山の麓には千曲川(信濃川)が流れていて、その河川敷にある砕石場やコンクリートプラントも懐かしくて好きです。

ccplus
ファッションに興味を持ったのはいつ頃からですか?

takizawa
年の離れた兄と姉が居るんです。兄は7歳差、姉は5歳差です。
で、物心つく頃には、兄とか姉がファションとか音楽に凝っていて、それで影響を受けたのではないでしょうか。

でも、だからといってデザイナーになりたいとか思っていたわけではなくて、普通に、いろいろ情報を得たりするのが楽しかったのです。

ccplus
子供の頃はどういう風に育ったのですか?

takizawa
母は公務員で役所勤めでした。勤続四十数年です。とにかく毎日忙しそうだった記憶があります。
ですが、長い休みのときは課題や宿題を一緒にやってくれたことも思い出します。

日中子守りの出来るのがおばあちゃんしか居ないので、小さい頃は父がぼくを仕事現場に連れて行って
くれました。
別に手伝うでもなく、その周辺をぶらぶらしていましたが、嫌がるわけでもなく、よく仕事現場に行っていました。そういうものかなと思って。

父は身一つで土建会社を起こした人です。どんな苦労をして今にいたるのか、その経緯は聞いた事がありません。でもいつも活き活きとした姿しか見せる事のない人です。

自身は学費がなくて、思うように高等教育が受けられなかったということもあり、子供が勉強したいと願えば、援助を惜しまない感じでした。
ぼくよりもずっと発想力と行動力があって、クリエイティブな人だと思います。

ccplus
勉強はしましたか?

takizawa
勉強はしました。好きだから、という訳ではないですが。
教科書、参考書、過去問10年分、隅々まで暗記するくらいに。
勉強していないとなんだか不安だった学生時代でした。

ccplus
それで、東京理科大学に入ったのですよね??

takizawa
理工学部 物理科です。で、そこを中退して文化服装学院に入りました。

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また、なんでそういうところから、核融合やろうと思っていたところから、突然ファッションをやろうと思ったのですか??

takizawa
突然ファッション、という訳ではありませんが、短く説明するとすれば、大学の夏休み、そのひと月で価値観が変わったんです。

実家の土木建築の仕事を手伝いました。
ぼくは主に建物の基礎工事です。

幼少から見慣れていた仕事ですから、それなりにやれる自信はありました。

若気のいたりで、こういう仕事を少し下に見ていたのでしょう。正直にいうと。

そこでガツンとやられたわけです。

頭脳も体力も人間性も、すべてにおいて自分の小ささを自覚しました。
そんなあたりまえのことを、ですが。

現場監督に毎日怒られながらも必死に仕事に打ち込みましたね。出来ないままでお給料もらうのも恥ずかしいですし。

で、ひとつの工事が終わるわけです。

すると施主さんから感謝されるんです。
「良い仕事をしてくださってうれしいです。ありがとうございました」と頭を下げられるんです。なにも出来ないアルバイトのぼくに対してもです。

そしてそこで何十年という、人の営みが始まるのです。

とてもシンプルに感動しました。施行が完了する度に感動しました。

休憩の時にみなさんお菓子やお茶などを用意してくれます。仕事をしている人たちへのねぎらいや尊敬があるのでしょう。

一ヶ月に渡るアルバイト最後の日、やっと終わったと脱力しているぼくに、おじさん達が声をかけてくれるんです「ナルちゃん今日で最後なの?一緒に仕事出来て楽しかったよ、もっと一緒に仕事したかったな」

 ぼくが必死でくっついていた現場監督さんがまわりの人たちにこういっていたそうです「ナルミはなんにも出来ないけど、一度指示したことは忘れずにやってる。よくやってるよ」って。

ccplus
なるほど
その感覚はよく分ります。

うちも父が造園業なので、小さい頃からよく手伝っていました。

それで、何年かすると庭がどういう風に変わるとか、ずっと見てきたので、よく分ります。

職人さんて凄いんですよね。
何を成すべきなのか、本当によく分っていると思います。
それは、自分の手で、経験で積み上げていったものなんですよね。

造園の場合は、どれだけ綺麗な庭を作っても、時間を積み重ねても、遺産相続で庭が潰されて跡形も無くなってしまうことが多く、それが辛いのですが。。

建築というのは、目の前で、自分が関わってきちんとモノが出来上がっていくのを体験出来ますからね。物理学みたいな抽象的な概念ではなく、そういう目に見えて何かが出来上がる。そして、そこに人々の暮らしがあるっていうことに惹かれたのかもしれないですね。

それで、建築ではなく、なぜ服だったんですか?

takizawa
聞いたひとが納得するほどの理屈はなかったと思います。元々ファッションは好きでしたし、興味はありましたが。

夏休みが終わってアパートに戻り、課題をやらなければと思ってノートとペンをとり、教科書を開いたときにあれ、なにか違う気がする、と感じたんです。それでそのまま電車に乗って実家に戻り、夜中に両親に「大学を辞めさせて下さい」と言いました。

それで「どうするんだ?」と訊かれたときに、「服飾の勉強をする」といいました。他になにも思いつかなかった、事実はそれくらいのことです。

決してアパレルやデザイン業を軽視していた訳ではないですよ。ですがまだ学生だったので、そんなに高尚なことをやるとかいう決意ではなかったということです。
「なにか創りたい」という衝動のほうが前面にあったと思います。

ccplus
その、『なぜ服だったのか?』ということについて、もう少しお聞きしたいのですが、モードを知ったのはいつくらいですか?

TAKIZAWA
1996年とかそれくらいです。

ccplus
最初はどのブランドが好きでした?

TAKIZAWA
ラングです。HELMUT LANG プラダとかラングの全盛期の頃です。あとジルサンダーです。ミニマルで美しかったですね。

ccplus
僕も実は、こういう服をやりたいと思ったのは、イタリアでそういうブランドのウインドーディスプレー見た時からですね。当時、アートを見に欧州を旅していたのですが、イタリアのショップのウインドーディスプレーが衝撃的にカッコ良かったのです。まさに、現代美術だと思いました。元ジルサンダーのデザイナー 上榁むねのりさんも、たしかそういうことをおっしゃっていました。

TAKIZAWA
ミニマルっていう概念も好きです。性に合うといいますか。

ccplus
ミニマルなものが好きな人って、雪国の人が多いような気がします。
雪景色って、ミニマルで美しいですからね。

TAKIZAWA
雪景色の美しさっていうのは、たしかにあると思います。
僕は、生地の色を見る時に、何色か?を見ないんですよ。

生地の表面にある光の反射に反応しているような気がします。

ccplus
雪景色って時間帯によって光線の具合が変わって微妙に色彩が変化していきますからね。
それが美しいですよね。

そういえば、滝沢さんの服は、その微妙な光の当たり具合が、生地とかドレープに良く出てきるような気がします。

TAKIZAWA
それはどうもありがとうございます。
それで、その後にマルジェラとかアンドゥムルメステールとかマルクルビアンとか、雰囲気の違うブランドを知って、また別のデザインにも惹かれるようになりました。そういうのが、脳裏に残っていたのかもしれません。だから、服だったのかなと。でもやっぱり「ファッションデザイナーになりたい」とは全然考えたことはありませんでした。

ccplus
それは、一番面白いときにファッションを見たのだと思います。その辺りから2003年くらいまでが一番面白いでしょう。

イラク戦争あたりから段々面白くなくなっていったと思います。

おそらく、石油の値上がりで、ロシアとか中東の産油国がべらぼうに金持ちになって、その資金が金融界に流れ込んでバブルが起き、投機その他でお金持ちになった層がでてきて、そういうファッションを買う層が変質した為なんじゃないかと思います。
あくまでも顧客あっての服ですからね。

takizawa
ぼくに関しては、マルジェラ以前と以後でなにかが少し変わりました。

ccplus
そうですね、それは僕も共感します。マルジェラがみんなやってますからね、面白いことを。

takizawa
なにかを作ると「マルジェラ好きでしょ?」と言われることがよくあります。実際にマルタンさんがそういうサンプルを作っていなくても「マルジェラっぽい」となります。それで嫌なおもいをしているわけではないですが。

ccplus
ただ、作っていなくても、いつか作っている時もあるんですよね。それくらい、あれこれ作ってますよね。自分で工夫して作った服が、お客さんから、それ「今シーズンのマルジェラから出てますよ」と言われたことありますもの。
偶然、いじっていたら、同じところに辿り着いたということです。
僕は、特段マルジェラに憧れているわけでは無いのですが、自分の感覚に近いんですよね。だから、そういうのって自然に出てきますよね??

takizawa
もともとマルタンさんがやっているような、服とかそれに付帯する歴史に対するアプローチの仕方がぼくも好きなので、自然と近いところにおさまるんです。
そういう感覚とは違った解釈で表現しようと考えたりしました。自分オリジナルを探すとか。でもそもそも好きじゃないことをやっても、いいものがまだ作れないんです。

ccplus
困りましたね。

takizawa
困った事もありましたけど、今はそんなに気にしていません。

ccplus
このインタビューシリーズは、あくまで、『マルジェラ以降、もっとおもしろいファッションの創造』を目指してインタビューしてますので、あとで色々聞きます。
でも、確かに、あの一番面白い時期にファッションの洗礼をうければ、それはファッションがやりたくなりますよね。分かります。

takizawa
現在の人はどうなのでしょうね。何に反応してファッションをやろうと思うのか。

ccplus
どうなんでしょう?誰に反応して服作りをやろうと思うのか?いろいろ聞いてみたいですね。

で、服作りを勉強したいと思って文化服装学院に入ったわけですが、親から反対されませんでした??

takizawa
反対されました。「一時の気の迷いだから、大学を卒業してから考えなさい」と。親からしてみれば当然のことだと思います。まして、母は公務員ですから。

ccplus
どうやって説得したのですか?

takizawa
説得なんて出来ませんでした。言い張っただけです。
ただ最終的には、「反対も賛成も親としてナルミの幸せを願うからだ」ということを言われました。
それでファッションの道に進んだわけですが、ぼくの幸せそうな顔を見て、「母:これでよかったのかもしれない」といっていたよ、と後日姉から聞きました。

その2へ続く

TAKIZAWA NARUMI
http://temp.takizawa-narumicom.officelive.com/default.aspx

クリエイター・インタビューシリーズ

クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/23231910.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/25152709.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/01/19210940.html

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