Blog

TAKUYA KIKUTA

菊田琢也 / TAKUYA KIKUTA

1979年山形生まれ。縫製業を営む両親のもと、布に囲まれた環境のなかで育つ。
2003年筑波大学卒。在学時にファッション研究を志す。
その後、文化女子大学大学院博士後期課程を修了(被服環境学博士)。
現在、文化学園大学・女子美術大学他非常勤講師。専門は文化社会学(ファッション研究)。
近著に「装飾の排除から、過剰な装飾へ 「かわいい」から読み解くコムデギャルソン」(西谷真理子編『相対性コム デ ギャルソン論』フィルムアート社2012)、「やくしまるえつこの輪郭 素描される少女像」(『ユリイカ』第43巻第13号、青土社2011)など。

E-mail: tak.kikutaあっとgmail.com

音楽を着る02 Cigarettes & Alcohol

3本線が入ったアディダスのジャージによれよれのデニム、履き潰したスニーカーといった風貌の若者たちが、オアシスのライブ会場に多数押しよせたという意味でなら、NME誌の予言は当たっているのかもしれない。
  
  
音楽好きの若者たちにとって、いつからかジャージにデニム、スニーカーというのが1つのスタイルになった。それに、ギターケースを背負えば完璧なロック青年の出来上がり。
ロカビリーでもパンクでもヘビメタでもない新しいロックファッションの成立だ。
排他的に装いたいときはベースボールキャップを目深に被り、愛嬌を出したいときはボンボン付きのニット帽で外しを加える。ジャージの中はもちろん、Tシャツ×ロンTの重ね着。あるいは七分袖のラグランTシャツ。
ピンバッチや缶バッチ、それからステッカーやバックステージパスなんかを、リュックやエフェクターケースにベタベタ貼っては自分の趣向を表現する。
音へのこだわりはヘッドホンで演出。ギターロックと言えばGRADO。開放型につき、音漏れにはご用心を。
  
  
いつ頃から音楽と「ジャージ(トラックジャケット)」が結びつくようになったのでしょうか。
  
僕がぱっと思いつくのは、ボブ・マーリーがミズノのジャージやブラジル代表のサッカーユニフォーム(アディダス製)を着ていた例なのですが(きっと他にもありそう)、1970年代後半イギリスで、ボクシング用品を製造していたロンズデール社がザ・ジャムにステージ衣装を提供した辺りに1つのルーツを見出せそうです。
ファッション・アイコンは、もちろんポール・ウェラー御大。
フレッド・ペリーのポロシャツやロンズデールのトレーナーといったアイテムはそれ以前のモッズ・シーンにおいて既に着られていましたが、彼の登場によって「音楽」のイメージが強くなったのではないでしょうか。ラコステのポロシャツやアディダスのカントリーなどもそうしたアイテムですね。
  
ポール・ウェラーのファッションは、1979年からの「ネオ・モッズ」や1980年代にリヴァプールやマンチェスターを中心に登場した「カジュアルズ」と呼ばれるフーリガンたちのスタイルに影響を与えていきます。
また、1970年代頃からノーザンソウルのシーンで、アディダスのサッカーTシャツを着て踊る若者たちが登場し、その2つは、80年代のクラブやレイヴ会場へと流れ込んでいく。
その過程で、「ジャージ」というアイテムが次第に定着していったわけですが(たぶん)、決定的だったのは、ストーン・ローゼズの登場ではないでしょうか。
  
いたって普通なのに、どちらかと言えばダサいのに、なぜかそれが不思議にかっこいいと思わせる彼らの風貌は、マンチェスター・サウンドと呼ばれる音楽と共に多くの若者に影響を与えていきます。
とくにイアン・ブラウンが着るアディダスのジャージ。
ジャージにデニム、スニーカーというロックファッションの成立は、彼によるところがけっこう大きいのではないでしょうか。
ちょっと雑になってしまいましたが、こんな感じかなと思います。
  
  
さて、オアシスのギャラガー兄弟がアディダスのジャージを着る背景もここら辺にありそうです。
  
例えば、前述の「カジュアルズ」は、イタリアやフランスのスポーツウェアを好んで着る小綺麗なサッカーファンと、「スカリーズ」や「ペリーズ」と呼ばれるまさしくフーリガン!といった不良っぽいスタイルとに大きく二分することができます(昨年のロンドン暴動で話題になった「Chav」は後者の文脈に属する)。
  
マンチェスター・シティ(国際色の強いユナイテッドではなく)の熱狂的なサポーターで知られるノエル・ギャラガーのファッションはもちろん後者に属します。
オアシスのEP「Cigarettes & Alcohol」のジャケットには、アディダスのジャージにデニムという風貌のノエル・ギャラガーが写っているのですが、その姿は曲中で歌われる「結局、シガレットとアルコールがすべて」という心情を体現しているかのようにどこか野暮ったい。
  
その一方で、ブラーのデーモン・アルバーンが着るのはフィラのジャージ(「Girls and Boys」のPV)やディーゼルと思われるニット(「Beetlebum」のPV)。彼がイタリア製のアイテムを選択する趣向には、初期モッズのイタリアン・スーツや前述のカジュアルズ(小綺麗な方)に通じるものがありそうです。
それから、スラセンジャーのジャージ(「Parklife」のPV)を選んだりするあたりにファッションへのこだわりが感じられます。着こなし方もなかなかお洒落です。
  
周知の通り、オアシスとブラーは「ブリットポップ」と呼ばれる現象のなかで、労働階級出の「ワーキングクラスヒーロー」と中産階級出でアートスクール卒の「インテリアイドル」というかたちで対照的に語られるわけですが、そうしたメディアが半ば煽って作り出したかのような説明よりも、個人的な趣向が反映されるファッションというものから両者の差異について考えてみたいなぁと思うわけです。
  
  
余談ですが、同じ頃アメリカでは、ヒップホップ・シーンが浮上し始め、オールド・スクールと呼ばれた若者たちを中心に音楽とスポーツウェアが結びついていきます。こちらはコンバースのワンスターやアディダスのキャンパス、それからナイキのエア・ジョーダンといったバスケ寄りのアイテムが人気を集めていくあたりが興味深いです。

Comments are closed.