Blog

SHUN OKUBO

SHUN OKUBO / 大久保 俊

エスモード東京校で学んだ後、2002年パリに渡りステュディオ・ベルソーに入学。同校卒業後ROBERT NORMAND,BALENCIAGA,HAIDER ACKERMANN等のメゾンで経験を重ねる。2007年、ジュエリーブランドSHUN OKUBO&ASSOCIATESを立ち上げる。2009年、株式会社SHUN OKUBO&ASSOCIATESを設立。
SHUN OKUBOデザイナー。オンワードBEIGE,ジュエリーデザイナー。

Official HP: www.shunokubo.com
Facebook: http://www.facebook.com/pages/Shun-Okubo/388696241209283
Twitter: http://twitter.com/SHUN_OKUBO

Karl Fritsch展

こんにちは。今回はお勧めの展覧会のお知らせです。

個人的に好きなコンテンポラリージュエリーの作家は何人かいるのですが、

そのひとりにドイツのジュエリー作家 カール・フリッチがいます。

さて、そのフリッチが今週末より、僕の作品もお世話になっているgallery deux poissonsにて展示を行います。

本人も来日するそうなので僕もお会いしにでかけようと思います。

彼の作品は数年前にComme des Garcons青山店で取り扱いがあったりして、日本でも少しずつ知られる存在になりつつあります。

彼の作品の特徴は、その荒々しい素材感、有機的なフォルム&ディテール、溢れ出る色彩にあります。

そんな、強く、そして繊細さとタフさと可愛らしさが同居したオブジェクトはたいへん美しいものばかりです。

今日、ファッション紙などで取り上げられるジュエリーは、まだまだ保守的なものが多く、彼の作品のようにモードにしっくり馴染み、タフなクリエーティビティを発揮しているジュエリーは非常に稀です。

彼のジュエリーは僕の作品とは全く異なりますが、向いている方向は同じ、、と言いましょうか、

何かシンパシーを感じる存在ではあります。(こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが。。笑)

すぐれたコンテンポラリージュエリー作家が来日する機会はあまりありませんし、彼のクリエーションに触れられる貴重な機会です。ぜひ一度、お近くにいらしたときはお立ち寄りを。

カール・フリッチ プロフィール

Karl Fritsch -Cowboy Rings from Kiwiland-

gallery deux poissons
2010年6月25日-7月11日(月曜休み)12:00-20:00
オープニング 6月25日(金)18:30-20:30
150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-3-6 B1F
T03 5795 0451 F03 5795 0452
info@deuxpoissons.com

Open 12:00-20:00 Close Monday


DARK PLOT

いつものメンツ、堀内太郎、鈴木紫織ちゃん、錦見未央ちゃんと晩ご飯。

ご近所で、しかも気がつけばみんな同業者、面白いですね。

さらに世代が一緒でもあるし、同じ海外帰りで、なんだかホッとする仲間です。

話はぐるんぐるん回り飛び跳ね爆発するけど、このかみ合う感じは心地よい。

古き良きパリのサロンとまではいきませんが、僕たちは渋谷の裏のほうでなんとなくたまに一緒にいたりします。

裏渋谷系?w

ところで僕らの世代は何世代っていうんだろうか?

世代的にはUNDERCOVERさんやTOGAさんより一回り下、ミントデザインさんよりもさらに下、

というくらいのところでしょうか?

この世代のムーブメント、直感ですが、何か大きく動きそうな気がします。

こんな風に、新しいことが目の前で動き出しているのを日々目撃しながら生きること。そして束の間の安堵。

今日も夜が更けていきます。

be calm

(Photo by AYA YAMAMOTO)

先日の朝9時頃、LUISE BOURGEOISの訃報を友人からの連絡で知り、偶然にもその前の晩も彼女の作品集を眺めていた、

深い悲しみに任せてその夜、会ったこともない彼女のために長い長い弔辞をしたためBLOGにアップしようと思って、

その文章を一晩寝かせてみることにし、そして朝起きたらなんと今度は大野一雄さんの訃報を聞き、

そのせいでなぜか冷静に戻りBOURGEOISのために書いた”I LOVE YOU DO YOU LOVE ME”というタイトルのその弔辞を読み返してみると、僕の彼女に対する変質的な愛情がリアヲタのようで何とも恥ずかしく、それをアップすることをギリギリセーフで断念。危ないあぶない。

マアオチツケとにかく BOURGEOISは死んだ。

「I HAVE BEEN TO HELL AND BACK.

AND LET ME TELL YOU,

IT WAS

WONDERFUL」

“untitle”(I HAVE BEEN TO HELL)(1996)

いまは地獄にいらっしゃるのでしょうか?天国にいらっしゃるのでしょうか?

強靭なゴーストを持った彼女のことですから、みんな心配はしていないですから、

喪に服すのは夜寝る前だけにして、僕自身は加速して生きて行くべきだ、と自分に言い聞かせる。

あなたの作品から溢れ出す、不安、驚き、疑い、謎、暴力、狂気、官能、曖昧さ、神秘性、愛、

なんて言葉を連呼していたらきっと激しく叱責なさるでしょうから、これから先は僕はただただ静かに(BE CALM)あなたのことを思い、そして進んでいきます。

today

こんばんは。

4回目のブログです。

どこどこのパーティーに行ったとか、みなさんその辺を書いていらっしゃることが多いので、

それも大変面白いのですが、僕は僕らしい何を書くべきかと色々悩んではいたのですが、あまり悩み過ぎてもしょうがありませんので徒然なるままに書かせて頂くのがよいかなと最近思うようになりましたので、つらつらと書かせて頂きます。

さて、僕は学生生活がおわる頃まで民芸運動に影響を受けていました。ウィリアム・モリスのArts&craftsというよりも、もっと日本人のど真中にある柳宗悦さんや河井寛次郎さんら、そして現代の柳宗理さんらの思想の影響をたいへん大きく受けておりました。他に多大な影響を受けていたのは現代音楽と建築なのでしたが。

音楽と建築はさておき、現代に生きている僕はやはり現代に生きている柳宗理さんのいう民芸の精神にたいへん興味がありました。

ざっくり言うと、父親である宗悦さんと息子の宗理さんの思想的な違いは、宗理さんの言う機械などによる大量生産を民芸として認めるという点でした。宗悦さんをはじめとする初期の民芸思想の方々はそのあたりにかなりの違和感を持たれてそうですが、宗理さんはアノニマス(無名性)であること、民衆の生活に根ざしていること、という宗悦さんが主張した民芸の主要な特性の他に、そこそこの値段であること、美しいデザインであること、大量生産できることというコンテキストを加えました。

学生であった僕も、たくさんの美しいデザインのプロダクツが民衆の生活の中で生き生きと輝き、使われる様を夢想しただけで、不思議と幸せな気分になるのでした。たとえばガブリエル・シャネルが「わたしは、ただ、世の中から美しくない物を減らしたいだけ」と言ったように、人々が安価な値段で美しいものを日々使い暮らして行く様を考えただけで幸せな気分になるのでした。

そんなことを思いながら、モード学校の一学生であった僕は、Louis VuittonやHermesなど、高級ブランドの他に、誰もが買える安価で、デザイン性の高い衣服を作ることがこの世界の次の時代に必要なことではないのかと自然と考えるようになったのでした。生活の中に美しいものが溢れた世界、それはきっとすばらしい。。

ですが、高級ブランドの値段が高いというのにはそれなりに理由があります。あたりまえですがプロダクツのクオリティや、その生産にかかるコストがそれです。先日COMME DES GARCONSの川久保さんが朝日新聞のインタビュー言っていた通り、良い服にはそれ相応の手間や職人の仕事が関わっており、それ相応の価格になるのはあたりまえのことなのです。良い服は高い。数千円のスーツなんて、普通に考えたらあり得ない、もしかしたら誰かがその安価な生産の間で泣いているのかもしれない。

とはいえ、人々の生活には良い服が必要です。今日、そのあたりのモヤモヤを少しずつ解消しつつあると思われがちなのがファーストファッションのメーカーとして知られるブランドでしょう。みなさんがご存知のように、超一流のデザイナーを迎えてデザインをさせ、且つ、大量生産することにより価格を大きく下げた商品を打ち出し続けています。シンプルで洗練されたデザイン、低価格、それなりのクオリティ。数年前に僕が夢見ていたことが既に現実になってきています。

しかしながら、このような、かつては僕が理想としていた時代が続いている中、本当は満足するはずなのに相当の違和感があるのは何故なのだろう、この気持ちはなんなのか?それは、そもそもファッション(モード)の下部構造である、”他者とは違う自分でありたい”という人々の欲望が置き去りにされている点でしょう。

他人とは違う自分でいたい、と皆が思うとき、その人々の欲望は瞬時に並列化され、矛盾が生じます。しかし、その矛盾は、周りの人々ととの差異は求めるが、大きく変わった装いはしたくない、という意識と拮抗し、その矛盾は意識の外へ追いやられてしまいます。それが20世紀までのファッションでした。その矛盾を見ないふりをしながらも、人々は衣服で着飾るという振る舞いに一喜一憂してきました。それは決して愚かなことではないでしょう、それは我々が考える動物である人間たる所以でもあるからです。

しかし、ファーストファッションのクオリティ(価格、デザインを含める)が飛躍的に向上した今日、他者と違う自分でありたいという人々の欲望が希薄になってきている気がしています。値段が安くて、デザインも機能も優れた衣服、ある意味、理想郷を絵に描いたような世界。それが少しずつ現実になてきたとき、この虚しさは、やはり人々がファッションで自己主張をする機会が減ってきているからでしょう。ファッションのそれはゲームのようなものかもしれません、しかしながら、我々の文化でもあります。

世の中がマキシマルに向かっているときはミニマルに向かいたい。皆が憂鬱なときはハイテンションで速くありたい。世界が興奮状態のときは理性的でありたい。そんな振り子のように、モードの最先端、先の先で新しい官能を作るクリエイターは進んできたはずです。少なくとも僕はそう思います。

理想を追い求めるあまり、なにかが置き去りにされてしまった。それがゼロ年代のファッション界かもしれないと今思ったりしてしまいます。

柳宗理さんが近代に考えて来られた民芸の精神を孕んだプロダクツデザインの世界と呼応するファッションデザインの世界、それは、それほど幸せな世界ではなかったのかもしれない(純粋なプロダクトデザインは別ですよ!文脈がまるで違うので。。)。それが今ふと帰宅途中に考えていたことです。しかし、このchangefashionに集まっている方々は面白い、新しい時代の匂いがする。僕らはここから何か新しいものを始めなければいけない。理想郷の先にある物、“お客さんのため”の先にあるもの。モードが紡いで来たものは今日の世界ように真面目っ子でないと信じたい。もっと自由で偶有性に満ちた世界だと信じたい。

受注会at WR代官山店

今回は告知をさせて頂きます。

本日14日(金)から16日(日)までWR代官山店で新作受注会を行います。

17日以降1ヶ月間はいくつか商品を残しますが、ラインナップが充実しているのは16日までとなります。

今回はジュエリーを真空パックにしたGOLD LEAFシリーズ、ジュエルの原石を用いたシリーズの展開となります。

GOLD LEAFシリーズは金沢の金箔をふんだんに使用し、原石のシリーズはbororoさんという宝石商の方に貴石をセレクトして頂きました。奇跡はスリランカ、ミャンマー、ベトナムなどbororoの赤地さんが世界をご自身の足でまわって探して来たり、彼女のコネクションによって各地から直送されて来たものばかり。日本ではなかなか見られない貴重なジュエルをお客様に選んで頂き、世界で立った一つのジュエリーをお作り致します。

皆様のご来場を心よりお待ちしております!

WR代官山

■住所 東京都渋谷区代官山町20-23
代官山ラヴェリア1F
■TEL 03-5489-1457
■営業時間 12:00~20:00





夏の夜の穴

東京の今夜みたいな気候はパリの夏の夜の空気にとても似ている。

湿気も少なく、気温も高過ぎず、しかも今日はお休み。快適すぐる。こんな夜はパリにいたときの空気感のまま過ごせる。

東京のグレー色でちょっと重い空気の中で生活していて、急にパリの空気をはらんだ暗闇に包まれるのはなんだか心地良い。

前に村上龍さんが言ってたんだけど、夜はまるで生き物のようにやってきて世界を覆う。モードも少しだけ近いところがあるかもしれない。モードはいま流行の”クラウド”のように雲に例えてもいいかもしれませんが。

ところで、こないだカオスラウンジの方々とファッション関係の方々のUstしてるのをちょっと見ることができた。断片的にしか見れなかったのだけど、いろいろ思うところがあったんだけど、ファッションという言葉が大風呂敷過ぎて、何か手に負えなくなちゃてる感じ。僕にとってはモードっていうことをまた意識させたれた放送でした。

あと、changefashionのブログを書いているような、例えばアカデミーやセントマーチンから来た方々の本当のすごさって、モードの歴史の線上にちゃんと立っているってこと。それは日本の大変貴重な財産ですね。そのあたりも再認識させられました。いままでは、いまさらボードリヤールじゃないけれど、モードの模倣はその模倣を生んで、並列化されて、それでもモードっぽかったのに、最近はオリジナルが希薄になり過ぎて(モードの不在)コピーがコピーたり得なくなっている状況になってきた気がする僕だけなのだろうか。モードは文化だしガリアーノのように一見右脳的であっても知的なもので、それは衣服の歴史です。

産業としてのファッションを否定するつもりは全くありませんが、モードかデモデ(モードじゃないこと)かを冷静な目で見つめ直すこと、その辺りに立ち戻るのもファッションを整理するのには良い方法かもしれません。

さて、明日はお客さんが3人も。早く寝なきゃ。


はなればなれに

ゴダールの初期の映画に『はなればなれに』(1964)(原題”BANDE A PART”)という作品がある。映画監督のタランティーノもこの映画のファンで、彼の会社の名前を”BANDE A PART”にしたのはよく知られている。
若きアンナ・カリーナ、サミー・フレイそしてクロード・ブラッスールの3 人が、パリの街を駆け抜けつつ、成りゆきから大金を目当てに強盗を行う、というのがさっぞくりとしたストーリーである。オディール(アン ナ・カリー ナ)の一目惚れや、3人のマジ ソンダンスや、ルーブル美術館での疾走、地下鉄でのカリーナの神懸かり的に美しい歌(歌の途中で地下鉄の”LIBERTE”という駅名が映される、これは小さな奇跡 だ。真の映画というのは小さな奇跡、奇跡のカットが必要である)。それらがパリの街と、この映画を眩いばかりに輝かせる。

思えば、僕もパリで数えきれないほど多くの人々に出会った。友人、師匠のような存在の人たち、デザイナーやアーティスト。日本に帰ってきて、東京でも頻繁に会 うパリ時代の友達がいるが、実際に映画のオディール達のようにたくさんの人達とはなればなれになった。そして、山本耀司さんの言葉を引用すれば、クリエーションをするという行為は一人で砂漠を歩くような、しばしば非常に孤独な作業かもしれない。

このCHANGE FASHIONのブログに投稿している方々も、もしかしたらそんな”はなればなれ”を何度も繰り返して、いまの場所にたどり着いたに違いない。ただ、このようなWeb上の人が集まる場所で、別れてしまった人々やこれから出会うであろう人達、または僕の作品を好きになってくれた人々とコミュニケートすることができるかもしれない。何かを作りだすときの孤独が解消されるわけではないけれど、色々な人達とユニゾンできるかもしれない。そんな漠然とした期待が、今、ある。この場を借りて、ブログに誘ってくれたディレクターの滝田君に深く感謝するとともに、第1回目の投稿とさせて頂こうと思う。

次回からの投稿は今日のゴダールの映画のように、ファッションのこと以外のことも書いていきます(そしてもう少しだけ緩めに)。たまに更新するので、もしよかったら覗いてみてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。