Blog

SHUN OKUBO

SHUN OKUBO / 大久保 俊

エスモード東京校で学んだ後、2002年パリに渡りステュディオ・ベルソーに入学。同校卒業後ROBERT NORMAND,BALENCIAGA,HAIDER ACKERMANN等のメゾンで経験を重ねる。2007年、ジュエリーブランドSHUN OKUBO&ASSOCIATESを立ち上げる。2009年、株式会社SHUN OKUBO&ASSOCIATESを設立。
SHUN OKUBOデザイナー。オンワードBEIGE,ジュエリーデザイナー。

Official HP: www.shunokubo.com
Facebook: http://www.facebook.com/pages/Shun-Okubo/388696241209283
Twitter: http://twitter.com/SHUN_OKUBO

ザハ・ハディッドは語る

今日は本の紹介を少々。瀧口範子さん訳の新刊『ザハ・ハディッドは語る』が出ていたのでSPBSにて購入。

ザハ・ハディッドは語る [単行本]

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト (著), ザハ・ハディッド (著), 瀧口 範子 (翻訳) 瀧口さんの建築家関係の本はいつも独特の視点を持っており面白い。 きっと彼女が建築の専門家ではないというところが、他の建築雑誌や書籍と違う切り口になっているんだと思う。 今回はハンス・ウルリッヒ・オブリストがインタビューをしたもので、いま最も世界で注目されているキュレーター、インタビュアーの一人である彼の著作が瀧口さんの翻訳で読めるということで期待して購入した。 全7章からなる本書は、オブリストとザハの信頼関係からか、非常にリラックスした雰囲気で進められている。途中、オランダの建築家であるレム・コールハースも加わり非常に興味深いやり取りがなされる。訳者あとがきでも語られていたように、ザハ自信の「アラブ性」について語られているところなど、たわいもないお喋りのように軽やかな口調で話されているようにみえる。しかし、ザハがイラク出身の女性建築家であるということはよく語られるが、その幼少期の出来事など自らの過去について言及することはあまりないことだそう。さまざまな彼女が手がけた建築についても質問、説明がなされ、今日の建築家のトップランナーの思考、思想やその手法を確認するためには非常に興味深い1冊だと思う。ただ期待するほど密度の濃い内容ではないので、そこを良しとするかどうかは読者によって違うだろう。建築のビギナーにとっては最良の1冊でもあると思う。 僕が興味深かったのは、ソファーなどプロダクツデザインを作ることで建築という大きな”スケール”のものとの差異において、”スケール”というものを観察している、という点。そして、「現代生活を特徴づけている新しい社会的複合性」についての言及において、都市に住む住民が現在においては均一ではないということ、つまり職業も違えば民族的経験や文化も違う、都市には異なった種類のアジェンダが溢れているということ。もはや秘密のフォーミュラ(形式、方式)もグローバルな解決方法もないということ。そのあたりは、これからのファッションについて考える上でも何かヒントになるのではないか。 ところで、インタビューはNUMERO(仏)に掲載されたものもあるし、LACOSTEともコラボレーションで靴を発表したり、また2008年のCHANELのプロジェクト「CHANEL MOBILE ART」においてもザハはCHANELのために移動式の美術館を建築したことでも有名。決してファッションと無縁ではありません。 ついでなので、お勧めの瀧口さんの他の著作もご紹介します。

行動主義―レム・コールハースドキュメント [単行本]

瀧口 範子 (著) 僕が初めて読んだ瀧口さんの本です。他のコールハースの関連の書籍はよく読んでいたのですが、この”コールハース追っかけ本”は大変読み応えがあります。キネティック・エリート(移動し続ける知識人)の一人であるコールハースという人物が、どのように思考し建築ししているのかがよく分かる一冊。ブレア前首相のブレーンでもあったマーク・レナードや構造家セシル・バルモンド、他、多数の知的トップランナーへの貴重なインタビューも満載。はっきりいっておすすめ。僕がベルソー2年生の頃に出た本で、学生時代何度も読み直した本でもあります。

にほんの建築家 伊東豊雄・観察記 [単行本]

瀧口 範子 (著) 上に上げた『行動主義』のような、日本を代表する建築家である伊東豊雄さんの追っかけ本、とでも言ったらよいでしょうか。伊東さんの人柄まで伝わってくる伊東建築好きにとっては必読の書。駆け出しの頃の逸話や、近現代建築を越えていこうとする伊東さんの日々の死闘の記録。現在建築中のた台中オペラハウスについても少し書かれています。 ということで、今回は建築の素人でも大変読みやすい瀧口さんの著作のご紹介でした。

The Dark Night

OVAL(マーカス・ポップ)@代官山unit OCT.15.2010

ジェットラグで眠れずこんな時間に。

twitterでは“なるほど四時じゃねーの”が飛び交っています。

ちなみにブランド名であるSHUN_OKUBOというアカウントでツイッターをやっています

http://twitter.com/SHUN_OKUBO

ので、ポチ〜ッとフォローして頂けたら幸いです。

たまに緩いコメントもすることもありますがそのへんはご愛嬌。

さて、目が冴えてしまっているので、FAUCHONの紅茶を啜りつつ(砂糖無し)、

週末に行った代官山Unitでのイベントのお話をひとつ。

(ちなみに、展示会のお知らせが下のほうにあります!)

15日(金)のアクトはOVAL(マーカス・ポップ),渋谷慶一郎さん、ametsub(DJ SET)さんなど、僕の大好きなアーティストばかり。

これは行くしかない!と突撃しました。

会場には思想家・作家の東浩紀さんもいらっしゃって何やら物々しい雰囲気w(ちなみに、twitterで東さんが、ovalの音は渋谷さんのそれより粗く聴こえる、という主旨のツイートをしたところ、ovalファンに髪の毛を掴まれ喧嘩を売られたとか売られなかったとか。「喧嘩するなら表出ろ!」という定番の台詞が聞かれたとか聞かれなかったとか。オーディエンスも大いに盛り上がっていたようですね!)

さてさて、ametsubさんのDJが終わると渋谷さん登場!

日本の電子音楽シーンを牽引するレーベルATAKの主宰者である渋谷さん(http://twitter.com/keiichiroshibuy)のライブは

いつもゾクゾクするほどの緊張感と期待と快感でいっぱいです。

この夜は、いつにも増して禁欲的で左脳的(?)なライブだったと僕は感じました。

本人もライブ後twitterでは「昨日はどんな感じだったんだろ?自分じゃちょっとわからないけど、インスタレーションみたいな変わったライブになってましたね、結果的に(・_・;4:41 PM Oct 16th Echofonから」という呟きをされてましたが、

音に引き込ませては断絶させる、ビートを破壊させてそれをループさせる、かたやビートに乗らせつつそれをまた断絶させる、

というようなおよそクラブミュージックとしてはありえない手法で音の礫を繰り出していた、そんな印象を受けました。

ただこれがさっき言ったように単に禁欲的か?といえばそうではなく、

僕には逆にそのズレ/キャズム/ノイズ/非右脳的、という要素が寧ろ快感であって、

簡単に言うと、そのあたりがその晩渋谷さんが魅せた音楽の真骨頂ともいうべきものだったと思います。

僕はファンです(キッパリ)。

さて、その夜のメインアクトであるOVALですが、今回は9年ぶりのアルバムを引っさげて帰ってきました。


彼は先日ICC(インターコミュニケーションセンター)でも講演会を行ったくらい、

アカデミックな音の研究分野でも注目されるような珍しい存在です。

ICCの紹介によると1990年代半ばから、CDの音を故意に読み取り不能にし、音飛びなどのエラーを利用した実験的な電子音響音楽を発表した、前衛音楽の時代の寵児だったそうです。僕がはじめてちゃんと聴いたアルバムは2001年の『ovalcommerce』でしたので、知るのがちょっと遅かったのですが、当時そのアルバムを聴いてすぐにファンになってしまいました。

そんなこんなで、当時はちょっとストイックな感じだったのですが、今作は自ら楽器を演奏するなど、

かなり有機的な要素が増え、ストレートに心地よい音楽に仕上がっていたと思います。

ただ、細かい音色であったり組み立ては、前述の渋谷さんほどではないですが随所に禁欲的なズレや断絶なども含み、

彼らしいメロディー満載のアルバムになっていました。

ラップトップミュージックが蔓延し始めた9年前、彼はそれに嫌気がさし引退したわけですが、

恐らく今回は熟考に熟考を重ねて今回の音楽を作ったのでしょう(とはいえ、例えばkraftwerkは20年くらい余裕で新譜を発表しないこともあるので、それよりは俄然速いペースですねw)。しかし、なぜ今回のような回答だったのか、講演会を聴けに行けなくて本当に残念!

この新しい作品は、POPで、なんというか音色の暖かさとキレと間合いが、たいへん気持ちのいい音楽達だと思うのです。

僕の親友の音楽家も言ってましたが、表現者としてはやはり新しいことに踏み出していかなければならない、

その点ではこのようなアルバムは称賛に値する、僕もそう思います。

ただ、今回のようなシンプルな回答に至った経緯はなんだったのか?それとももっと複雑なロジックが潜んでいるのか?

まだアルバムをゆっくり聴いていないので後日情報収集しつつ考えていきたいと思います。

さてさて、今日から月曜日、Fashion weekですし忙しくなります。

そういえば、僕の展示会は19日(火)から21日(木)までです。

通常はバイヤー&プレスなどの方向けですが、友人、知人の皆様、ご興味のある方々、

夕方以降は会場も空くと思われますのでお気軽にお立ち寄りください。

内容的にはパリでの展示とほぼ同じになるかと思います。

ご来場を心よりお待ちしております。

火曜日はThis is fashionを観にいきますので火曜日の夜は居ないかもしれませんが、

その他の日でしたら21時くらいまではおります!

ではでは。

SHUN OKUBO新作ジュエリー展示会
10/19-21 11:00-19:00 (21時くらいまではおります)

Botan Ave. (SHOWROOM)

東京都渋谷区千駄ヶ谷4-12-8 SSUビル2F

T 03-6438-1730 contact@shunokubo.com

渡欧&帰国

前回もパリから書きましたが、久々にパリ、ロンドンへ行き、先日戻ってきました。

今回はたくさんの人との素晴らしい出会いや、骨董品の仕入れなど、とても有意義な旅となりました。

ロンドンではV&Aや自然科学系のミュージアムを中心に見て回り、バービカンセンターで行われているJAPANESE FASHION展も知人のご厚意で設営中にお邪魔することもできました。

展示を完全な形で拝見する事はできなかったわけですが、今回の展示を仕切っているKCIらしい、と言ってはらしい、ISSEYさん、ヨウジさん、コムデギャルソンを中心とした展示だったように思います。もちろん若手の作品もあり、MATOHUやMINT DESIGNS、UNDER COVER、MIKIO SAKABEなどが僕のなかでは印象的でした。KCIは、僕の知るかぎり衣服を文化・芸術作品としての収蔵を行っている唯一の学術的な専門機関です(ウェブでも利用可能になったデジタル・アーカイヴスは必見!)。特にファッションのようなうつろい、そして速い文化においては、このような希有な組織なくしてファッションの過去も未来も語り得ることはできません。という意味ではとても重要な組織であり、その展示には常に注目すべきでしょう。そして、敢えて言うならば、さらなる素晴らしい仕事を期待してなりません。

さて、今回の展示は日本でなく、パリでもなく、ある意味第三国的なロンドンで開催されるというのが興味深い。この展示がロンドンのファッション界でどのような反響があるのか(あったのか)、聞いてみたいところです。

また、展示のために訪れていたイッセイ・ミヤケチームにも合流させていただき、2泊3日の2夜ともご一緒させて頂きました。2日目の夜は彼らとお別れするのがちょっと寂しいくらい(笑)なんだか盛り上がっていました。

ちなみにイッセイ・ミヤケの新しい作品である132 5.ISSEY MIYAKEも大変素晴らしいコレクションでした。こちらは期間限定のラインということですが、まず、畳まれ、フラットになった幾何学的なフォルムが美しい。実は、はじめ写真で見たときは、僕は正直、フラットな状態の美しさを担保としてデザインを成り立たせている、というところに違和感があった(つまり3Dになった服は同様に美しいのか?という疑問があった)のですが、3Dになった服を間近で見るとそれははっきりと杞憂であることがすぐに分かりました。つまり着てみた状態も服として素晴らしい出来なのです。素材、シルエット、ディテール、なによりその軽やかさと鋭敏さは今までの一生さんよりもさらにISSEY MIYAKEらしい。さらに価格も、かなりリーズナブルになる予定だということも仰っていたので、店頭に並ぶようになりましたらまずは見に行かれる事をお勧めします。

また、CHANGE FAHIONでブログを書かれているLUI NEMETHさんのギャラリーにもお邪魔してきました。お父様であるCHRISTOPHER NEMETH氏の回顧展が行われていました。彼女のブログに会場でのたくさんの写真が載っていますが、その秀逸すぎるデッサン達に心底驚かされました。なにより、モチーフである手、糸、針は服への愛情で満ち満ちており、あらためてクリストファー氏への尊敬の念が湧いたのでした。

このギャラリーではLUIさんにもお会いできたし、その道中ではイタリアで活動されているネズミさん、ロンドンの世界的建築学校であるAAスクールを卒業し講師も勤めるテリーさんとも偶然知り合えました。

と、書いたのは旅のほんの一部なのですが、かなり濃厚な日々でありました。

お世話になった皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。

ところで、来週には東京のショウルームでSHUN OKUBOの展示会が始まります。

そして、19日にはTHIS IS FASHIONがrooms linkで行われます。最近はSAKABE MIKIOさんとお会いする機会が多いのですが、彼の”新しい何かをしよう、切り開こう”という意志は作品を通してビンビン伝わってきます。ショウをみるのが今から大変楽しみです。

PARIS展示会

ご無沙汰しております。

MIKIO SAKABEさんと同じショウルームに参加させて頂き、毎日北マレで営業の日々です。

昨日は前から興味があったジュエリーデザイナーのHEAVENが来てくれて話をしたのですが

その真剣な眼差しと淀みない言葉はなかなか日本では出会えない感じの素晴らしいキャラクターでした。

また今日は、先日ショウが終わったばかりのISSEI MIYAKEの宮前君も遊びに来てくれて楽しいひとときでした。

このあとロンドンに入るということなので、僕も向こうで合流しようと思います。

さて、となりのブースのfabrics interseasonがとてもかっこ良かったのでちょっとご紹介を。

先程changefashionクルーがシューティングをしていたので、近々写真がアップされると思いますが、

ぜひご覧頂きたいです。

今回はデニム生地を多く使っていたのですが、その使い方がとてもうまい。

マルジェラがデニムを扱うような、インテリジェンスが感じられます。

インテリジェンスと荒々しさが同居するようなこのブランドのスタイルは僕のツボでした。

今日入れて、あと3日。

また何かお伝えできればと思います。

ではでは。

SHUN OKUBOブース(一部)

『真夜中』映画長話

こんばんは。

前回お知らせした日本橋三越本店1Fでの期間限定ショップ、おかげさまで連日ご盛況を頂いております。

日本ではまだまだ希少な石は、鉱物マニアの方にとっても生唾ごっくんものだそうです(宝石商bororoさん談)。

火曜日までですので、ぜひぜひご来場ください!

さてさて、いま季刊誌『真夜中』「映画長話」の連載を読んでいます。

今回が最終回なのですが、蓮實重彦さん、黒沢清さん&青山真治さんの鼎談は本当に素晴らしい!!!

もはや向かうところ敵なし。いや、これ冗談じゃないですよ(真顔)

僕はこのお三方のお話が聞きたくて聞きたくてこの雑誌を買っていたようなものです。

ですから、今回の最終回はやはりさみしい。

もしリトル・モアの方がこのブログをご覧になっていたら、ぜひ書籍化をご検討いただきたいです!

と勝手に読者を代表してお願い申し上げます。切に。。

いまちょうど北野武の『アウトレイジ』のくだりを読んでいるのですが、椎名桔平と三浦友和を誉めるあたりさすが。

“なにもしていない”三浦友和の顔を誉めるあたりさすが。

そして”作品の徹底した無感動ぶり”、”大変な覚悟を持って撮られた映画”という評価。

このような視点でこの映画を批評できた媒体が幾許かもあったでしょうか。

これから、今年のカンヌと、ゴダールの『フィルム・ソシアリズム』の話に入っていきます。。

ゴダールは「カンヌには行かない」という主旨の手紙を事務局に送ったそうですが、その手紙に添えてあったとある日本人監督の肖像写真とは。。読んでのお楽しみです!僕はこれから読みますが!

& good night!

お知らせ 日本橋三越限定ショップ

本日9月1日から7日まで日本橋三越本店本館1階アクセサリーサロンにて期間限定ショップがオープン致します。

今回は宝石の貴石、半貴石(サファイア、スピネル、ダイヤモンドクォーツetc..)の原石を用いたジュエリーがメインです。

まだ研磨していない、野生の石がもつ強さとその豊かな色彩。

皆様のご来場を心よりお待ちしております。

今回は最近知り合ったbororoさんという宝石商さんに石を紹介頂きました。

bororoさんは世界を渡り歩き、さまざまな珍しい石をみつけて日本に帰ってきたたいへん優秀な宝石のコンシェルジュ。

日本ではほとんど見かけないような珍しい宝石も登場致します!どうぞご期待ください。

また、このイベントが終わると、予定では10月に展示会が2つ、12月に1つ、都内のショップにてクリスマスディスプレイ、

といろいろございます。またちょくちょくご報告しますので、ぜひ会場にいらして頂けると嬉しいです。

と、広告じみてしまってスミマセン。

8月はなんだかバタバタとしてしまい、美術館などにもあまり行けなかったのが非常に残念。

アリエッティもケン・ワタナベも観てないし、サマソニにも行けませんでした。

ただ一つ行けたのが多摩川の花火大会、これは楽しかった。

そういえば最近読んだ一冊、『縄文聖地巡礼』(坂本龍一、中沢新一)

またしてもこの二人か、という感じなのですが、図録もなかなか充実してるし、最近の政治やマネーの問題に一瞬でも嫌気がさしたかたにおすすめします。等価交換がまだなかった縄文人の思考。中沢新一の入門書としてもよい一冊です。

ではでは明日も早いのでとりとめもないこんな感じで失礼ではございますが今日は筆をおきます。

みなさんおやすみなさい。

『FILM SOCIALISME』J.L.GODARD

もう8月も後半になってきてしまいました。

バタバタとしていてすっかりブログの更新が遅くなってしまってすみません(泣)

今月はいろいろと準備で大慌てなのですが、先月は時間に余裕があったのでいろいろなトークショウを観てきました。

AXISギャラリーでのMIT石井教授の講演、3331 Arts Chiyodaでのクリスチャン・ボルタンスキーの講演、早稲田大学でのゴダール・シンポジウムでの菊地成孔さん&佐々木敦さんのトーク、紀伊國屋での『神話が考える』(福嶋亮大著)のイベントでの東浩紀さん+福嶋亮大さん+濱野智史さん+黒瀬陽平さん+渋谷慶一郎さんによるトーク、そしてドリフのファッション研究所etc..など。活字で講演の記録とか読むのもいいのですが、やはりアーティストや批評家がどのように話すのか、というところにも興味があるので最近は時間があれば行きたくなってしまいます。

こんだけ観たんだったらすぐにブログかけよって感じなのですがwこれからはガンバリマス。

ところで、前述のゴダールシンポジウムで大変話題になっていたのですが、ゴダールの新作が完成したそうです。

作品名は『FILM SOCIALISME』(以下SOCIALISME)。すごい直球ですw

マイケル・ムーアの『キャピタリズム』っていうのがありますけど、知ってて撮ったんでしょうか?ww

さて、ゴダールシンポジウムでは菊地成孔さんはやはり音楽家として“音”もしくは“音楽”の話を中心に語られていました。

そこで“キュルキュルキュルッ”というSOCIALISMEの予告編の音についての話になるのですが、

“キュルキュルキュルッ”っていう音はテープやレコードを早回しとかしたときに起こる現象ですよね。

勘のいい方はすぐに分かったと思いますが、そうなんです、この予告編、映画丸々一本分を早回しにして見せてしまっているんです。。なので我々は本編を一度もみていないけれど、この予告編を観るということは本編を全て観たことになる。。

これだからみんなゴダールから目が離せない。

その昔、批評家の浅田彰は、ゴダールの映画はどのシーンを切り取っても予告編の疾走感と強さがある、みたいなことを言ってたのを朧げながら記憶していますが、まさしく今回の予告編はその言葉を彷彿させます。

齢80にして疾走続けるゴダール。

この最新作を日本で観ることができるのはもう少し先らしいですが大変楽しみです。

(予告編は何種類もバージョン違いがあって“キュルキュルキュルッ”ではないのもあるので色々観てみるのをお勧めします。)

2010.07.20 AXIS・jikuトークセッション

タイトル「前陣速攻呟き卓球百連射」。

(先人速攻 wikiより:前陣速攻型(ぜんじんそっこうがた)とは、卓球において、台から離れずに前陣に張り付いて、ピッチとスピードで攻める戦型である。)

MITメディアラボ 副所長・教授の石井 裕さんの講演会を、六本木はAxisギャラリーで聴いてきました。

タイトルは一見何のことだかよく分からない感じですが、なんのことはない、今日は教授ご自身のTwitterの呟きを中心にお話をされました。ただ、呟きと言っても、普通の呟きではありません。その内容は様々なジャンルを自由自在に横断します。

石井教授の研究は「TANGIBLE BIT」。触れるコンピューター、とでも言いましょうか。
現在のコンピューターはモニタ、キーボード、マウスで動かしますが、
教授のそれは全く違う方法でコンピュータを動かします。

宮沢賢治の紙に描いた力強い直筆の詩がTANGIBLEの構想の出発だったそうです。

実際に触れるということは、ディスプレイ(ピクセル)で見て動かすことよりも体験として非常に強い。

また、上の写真で教授が持っている算盤、これも言ってしまえばTANGIBLEなものであり、

手で触って動かし計算し、動かした後に残ったビジュアルで結果を判断できる。

TANGIBLE BITの原型のようなものですね。

さて、その研究の中でもMusic bottleやPing Pong Plusなどが有名です。

とにかく、MITラボの理念というものは、作り出すものは新しくないと意味がない、それ以外は全てゴミ。
科学、物理、文学、詩、アート。。多角的な切り口から、いままで誰も見たことがないものを生み出すこと。

実用化されるものはごく僅かかもしれませんが、時間やお金の投資としては一見リスキーでも、

この研究には何かがあるかもしれないと思ってひた向きに突き進む力。

why?(なぜ?)、who care?(誰のために?)、so what?(だから何?)

創出されたアイデアは考え抜かれ、このように問われ鍛えられる。

そしてMITといえども卓越したアイデアなんてそうそうにでない(らしい)。

そして今日のトークの終盤で強調していたのは、MITの研究とはまだ誰も歩いていない未開の地を一人孤独に突き進んでいくことだ、ということ。歩いた後に道が出来る。高村光太郎ですね。
切り開いた未来は、自分が死んだ後の未来となって続いていくということ。

トークはまさに前陣速攻のごとく凄まじかったので(+凄まじいウィットw)、ひとつひとつを述懐するのは難しいのでこのくらいにしておきますが、

石井教授のtwitterのログを辿れば本日の講義内容が把握できると思われます。

気になる方は是非ご覧になってみて下さい。

石井教授 on twitter    http://twitter.com/ishii_mit

—–

その他キーワード

who is my boss? ダース・ベイダー/ ラベルを貼ってはいけない/ガラパゴス島(日本)/真理=蜃気楼/コンブとワカメ/愛板(iPad)/梅棹 忠夫『知的生産の先述』/痕跡- Trace of body/燕返し-Counter atack/クラウゼヴィッツ戦争論/ジェームズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』 etc…

McQ

ダンサー、シルヴィ・ギエムのドキュメンタリーをNHK BShiで観た。

フランスとドイツの合弁のテレビ局ARTEで制作されたものである。(ARTEは文化的なコンテンツを中心に番組を制作している欧州では有名なテレビ局。)コンテンポラリーダンスの荒野で葛藤する100年に一度出るかでないかという才能、ギエムの姿は終始美しかった。

そこへ唐突に、”ukiyo”というの演目のための衣装の仮縫いの風景が映し出されたその場面に、

Alexander McQUEENの姿が眼に飛び込んできた。

話し、見て、考え、布を裁ち、布に触れる。

ただそれだけの単純な動作が、なぜこんなにも心揺さぶるんだろう。

ただの天使だろ、この人は。

クラスター聴いてなんぼのクラスター

「クラスター聴いてなんぼのクラスター」(by 渋谷慶一郎さん on twitter)

その言葉に導かれ、先ほど、代官山unitの6周年記念に行って参りました。

メインのライブアクトはなんと、あのcluster。

clusterといえばドイツ、いや、世界の電子音楽のパイオニアとも言える存在で、

kraftwerkやBrian Enoと共に語られることが多い伝説のミュージシャン。

彼らのライブはやはり緊張感と期待感が満ち満ちていてとても素晴らしかった。

彼らがいままで活躍してきた“自負”という嫌な重さは皆無で、

強いて言えば、かつてより、より現代的な多彩な音色、慎み深さ、が彼らの強さを強調していた、そんなライブでした。

ライブが始まる前、ametsubさんとお話ししていたのですが、やはり彼もクラスターは是非みたかった!と、ちょっと興奮気味でした。

。。。歴史を垣間見た。。そして人多すぎ貧血寸前、そんな夜でした。

p.s.

clusterの前に演奏したBorisもたいへん素晴らしい演奏をみせてくれました!!!印象は(ちょっと失礼かもしれませんが)メタル好きの高校の軽音楽部が知的に驚くべき進化を遂げた!というような荒々しくも、スマートさが光るバンド。これからどんどん有名になってほしい!メルツバウさんとも一緒にやっているんですね!

ガイコツ先生と未来について考える

From the Dance of Death by Michael Wolgemut (1493)

メメント・モリ、という有名な言葉があります。

ラテン語で”自分がいつか死ぬということを忘れるな”という警告を込めた意味だそうです。

僕が初めてこの言葉を知ったのは藤原新也さんの『メメント・モリ』を読んだときだったと思います。

当時、日本語でキャッチコピーのように流行していたのはそれを意訳した”死を想え”という言葉でした。

死が現代よりも身近にあった古代戦乱の世の中で“自分がいつか死ぬということを忘れるな”というのも、あたりまえなような気がしてしまいますが(「死を想え?うるせーな、そんなの十分わかってるおっ!」という感じ?)、

嘘か真か、そもそもは“いつかは、というか明日、我々は死んでしまうんだから楽しく今日を生きようぜ”というような意味合いで使われていたそうです。

さて、そこで、宝飾品で有名なのがメメント・モリリングですね。
これは古来からメメント・モリという言葉と共に人々が身に着けたものだと言われています。

現代でもスカルリングは非常にポピュラーですが、実はその歴史は大変古いものです。

ところで先程毎日jpで見つけたのですが、赤い顔料でシカの描かれた日本最古の土器が出土したそうです。(←リンク)

よくよく写真を見てみると、これはこれは、とても可愛い赤い鹿が土器に並んでいます。

しかも見方によっては今の時代でも普通にありそうな、かなりモダンなイラストで驚きました。

祭事に使ったものかも、と記事には書かれていましたが、それはさておき2000年以上前の作品(just 祭事器?)が、

現代の僕たちに感動を与えるというのはやはり素晴らしい。美術館や博物館などで古美術を見るときもいつも感じます。

そこでふと思うのが、僕たちがいま作っているものが、例えば数百年後残って未来の人々に何かを与えられるか?ということ。

まあそれは難しくても、例えばこのBlogのログが200年後くらい後も広大なネットのどこかに残っていて、見てもらうことができるかもしれない、何かを感じてもらうことができるかもしれない。

これはM.I.T.の石井裕教授(Youtube, a speech for Stanford Uni.)が言っていたことにも似てるのですが、ちょっと冗談のような、でもぜんぜんリアルな、そんなことを考えると一瞬ですが壮大な気持ちになったりしてしまいます。

現代に生きてモノを作っている僕たちは、もしくは全ての表現者は、“メメント・モリ”という言葉を“自分が死ぬってことを忘れるな”というよりも、むしろ“自分の死後の世界を考えろ”という意味合いで使うのも悪くないのではないか。”死を想え but also think about Future!!!”

資料

今日の午後は資料を眺める時間が多かったが、

パリの学生時代に頃購入したこの一冊もパラパラとめくっていた。

“FASHION”  by Cathy Newman, NATIONAL GEOGRAPHIC.

デザインに至る道はその時々によって違うけれど、リミックス的な手法はHUSSEIN CHALAYANやNICOLAS GHESQUIEREや特にこの本から多くを学んだ気がする。

血が通っている民族服は超絶にストロングなため、なかなか太刀打ちできないが、自然と対話しその力を操る風水師のように、ときにデザイナーはその大きな力を借りてくる。

母校のSTUDIO BERCOTでは、言葉でそんなことを教えてくれることはなかったが、デザインメソッドとしてはこのような手法を一貫して叩き込まれた。

民族服だけではなく、世界に散らばっている、目に見えにるもの、目に見えにくいもの、目に見えないものをフィルタリングし、サンプリングする。

一見そういった態度は軽薄そうに見えるかもしれないが、まずはオープンマインドの精神とリスペクトの心と謙虚さからすべては始まる。

HUSSEINは人工的に作られたものに興味が強く(添付写真は民族服ですが、)、GHESQUIEREは過去のデザイナーのアーカイブから多くを取り入れ、HAIDER ACKERMANNは民族服からの影響がそれぞれ強かったと思う。デザイナーによって傾向はあるけれど、いずれも素晴らしいデザイナーは様々な場所からアイデアを拾い集めてくる。

ところで、上に書いたような大袈裟なものではありませんが、最近こっそりとBLOGもやっておりまして、基本毎日少しずつweb上に集めものをしています。

ゆったりとやっておりますので、ご興味のある方はたまに覗きに来て頂けたら嬉しいです。

http://thousandobjects.blogspot.com/


“FASHION” Cathy Newman, NATIONAL GEOGRAPHIC.

National Geographic

Amazon

モンゴルの民族服。

HUSSEIN CHALAYAN 1998S/Sコレクションより