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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

ファッションとアート

何の話から始めればよいのか悩んだのですが、まずは自己紹介がてら僕の研究内容について書くことにします。

一言でいえば、僕がいま興味を持っているのは20世紀前半のファッションとアート(*1)の関係です。

たとえば、1909年にフランスの新聞『フィガロ』に「宣言」を発表することから始まったイタリアの未来派は、1944年に主導者マリネッティの死とともに終焉を迎えるまで、数多くの宣言を発表してきました。そのなかには衣服や流行に関する宣言が少なからずあり、彼らは自ら衣服のデザインも行っていました。

あるいは、未来派と活動の時期が重なるシュルレアリスムの作家たちもやはり、ファッションについて色々な発言をしています。彼らは衣服制作に手を染めることはなかったものの、絵画や写真に表象される衣服や身体に興味深い特徴がみられます。

このようなテクストや作品から、芸術家の衣服やファッションに対する見解を導き出すことを目的としています。

では、そもそも何故このような作業が必要なのでしょうか。

歴史的には、いま言ったような内容が美術史と服飾史の狭間にあるために、掘り下げられてこなかったから、というのがひとつ。

もうひとつは、20世紀の半ばまで、思想家と呼ばれるひとたちが衣服について語らなかったため(*2)、衣服に関心を寄せていた芸術家たちの考えを見れば、様々な衣服論を構築することができるのではないか、と考えたからです。

ブログであまり長い文章を書いても読まれないと思うので、詳しい内容については追々書いていくことにします。未来派とファッションについて書いたものはここにpdfが置かれているので、興味のある方はダウンロードしてみてください。

(*1)個人的には、「アート」という表現はあまり好きではないのですが、最近はこちらが主流なので、読みやすさを考えてとりあえず長いものに巻かれておきます。ファッションという言葉も本当は定義が必要なのですが、その話は長くなるのでまた今度。

(*2)「衣服そのもの」ではなく「流行」という現象については、20世紀以前も論じられています。

2 Responses to “ファッションとアート”

  1. 『未来派におけるモードの特権性』拝見しました。未来派という切り口、とても面白かったです。もし機会があればお話を伺いたいです!

  2. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    大久保さま

    コメントありがとうございます!
    早速読んでくださった方がいらっしゃるなんて、とても嬉しいです。
    こちらこそ、大久保さんのブログやインタビューを拝読して面白そうな方だと思っておりましたので、是非一度お話ししたいです。