水野大二郎君と共同で発行しているファッションの批評誌『vanitas』の第3号をようやく発売することができました。
目次や取扱店などはこちらをご覧ください。
元NAiyMAのデザイナー、柳田剛さんのインタビューが個人的にはオススメです。
他では絶対読めないでしょうから。
と、宣伝だけで終わりそうな雰囲気のエントリーですが、今日はこの宣伝が主目的ではないのです!
今日ブログを書こうと思ったのは、繊研新聞社の「ファッション意識調査」(言い換えれば「服飾系専門学校生のよく買うブランドランキング」)が少し前に話題になっていたことに端を発します。
「ファッションを勉強する学生の買うブランドがファストファッションばかり買っているなんてけしからん!」という感じで、ファッション業界の将来を憂うような発言が散見されました。ファッションを勉強しているのであれば、もっと良い服を買うべき/着るべきだ、と。
そうしたコメントを見て、正直なところ驚きを禁じ得ませんでした。これまでのファッション業界はそういう未来を望んでいるようにしか思えなかったからです。
まず、19世紀に生まれたオート・クチュールが20世紀後半になってプレタポルテに取って代わられたとき、その運命がおおよそ決まりました。つまり、大量生産による価格の引き下げが是とされたわけです。その後、プレタポルテのブランドのなかでもセカンドラインやディフュージョンラインなどが作られて価格帯は低下の一途をたどってきました。つまり、現在のファストファッションが隆盛を誇る状況は生まれるべくして生まれたと言えるのです。
もうひとつは、服の「良さ」についてです。僕のような人間がファッション批評が必要だと主張するときまって
「ファッションに必要なのは感覚だけで、論理なんかいらない」
「説明が必要な服なんてだめだ、服は見た目がすべてだ」
「ファッションは言語化なんてするべきではない」
などと言う人がいまいます。でも、よくよく考えてみると、批評がないということは、どんな服が良い服なのか誰も説明しないということです。
言葉で良さを説明することなしに、「おまえら良い服がどういうものかわかれよ」なんて傲慢もいいところではないでしょうか。
そもそも、良い服ってなんなのでしょう?それを考えるのが批評です。
批評に唯一解はありません。その基準は人それぞれです。パターンを見る人もいれば、コンセプトを見る人もいますし、ビジネスの方法論に注目する人もいるでしょう。その論理に整合性があれば、読者が納得することができれば成立します。ですので、「良い服」というもののあり方もさまざまです。
まず必要なのは各自が良い服とは何かを考え、議論すること。それをしてもいないのに現状を嘆くというのはちょっと理不尽ではないでしょうか。