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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

ファッションと「物語」 その1

前々回の記事で書いた、ファッションにおける「物語」について。

この「物語」という言葉はいわゆる「お話」よりも広い意味合いで捉えられる言葉ですが、今日はまず「お話」の意味での「物語」について書きたいと思います。

他の分野と同じく、ファッションにおいても「コピー」が批判されるべきものだとすれば、その評価基準のひとつに「新しさ」や「オリジナリティ」があることは否定できない事実です。しかし、ファッションにおいて「新しさ」を提示することは容易ではありません。女性服に関して言えば、1960年代にミニスカートが流行するまでは、新しいシルエットを生み出すことが可能でした。しかしながら、それ以上スカートのヘムラインを上げることができなくなり、決定的に新しいシルエットを作ることがきわめて困難になったように思います(もちろん、細かいフォルムにおいては可能ですが)。

ではどのようにして「新しさ」を生み出せるのか。その答えのひとつが「物語」にあるように思います。80年代のファッションにおいてコム・デ・ギャルソンが成し遂げたことのひとつに「物語性の導入」があります。コム・デ・ギャルソンがパリ・コレクションに参入した当時、ブランド名はデザイナーの名前に由来するものがほとんどでした(*2)。そこに「少年のように」というフレーズが持ち込まれたことの意義は少なくありません。もちろん、これだけではコンセプトのレヴェルにとどまっており、実際に物語を作っていたとは言えません。しかし、その導入としては十分すぎるのではないでしょうか。

美術(絵画や彫刻)や音楽、文学、映画といったジャンルにおいては、物語が提示されることは珍しくありません。一方、デザイン(ファッションだけでなく、建築やプロダクトなども含めて)においてそれが可能かどうか考えてみると、少なくとも簡単なことではないことがわかるでしょう。

しかし、ファッションはプロダクトや建築とは異なり、作品それ自体で完結するものではなく、様々な表現媒体を使って提示するものです。オート・クチュールの祖とされるシャルル=フレドリック・ウォルト(*1)(1825〜1895)以来、ショー形式で作品を提示する手法が普及しました。そして、とりわけ20世紀以降、画家や写真家にイラストや写真を依頼するデザイナーも増えます。このようなことが行われてきた理由のひとつに、衣服の持つ情報量が少ないことが挙げられると思います(これは既に書いたとおり、批評とも関係する話です)。情報量の少なさを補うために、様々なメディア(表現媒体)を使ってイメージを膨らませる必要が出てくるのです。そして、このメディアを使えば物語を生み出すことも可能なのです。

最近、ファッションにおいて物語を作り上げるデザイナーたちが増えてきているように思います。例を挙げるなら、FUGAHUMやwrittenafterwardsなどです。前者は架空の王国を設定し、その歴史の断面を提示する、いわば物語消費(*3)的なやり方であり、後者はショーでの物語そのものを提示したり、モデルをキャラクター化することによって物語性を付与したりしていると考えられます。

様々なメディアが普及した今日、ファッションにおける物語の提示は様々な可能性を孕んでいるのではないかと個人的に思っています。

最初に書いたように、今回は「お話」という直接的な意味での「物語」について書きましたが、次回はこの概念をもう少し大きな意味で捉えていきたいと思います。

(*1)英語読みではチャールズ=フレデリック・ワースと表記されます。

(*2)まだきちんとした調査ができていないので、「ほとんど」としておきます。

(*3)大塚英志が提唱した概念。大雑把な言い方をすれば、ビックリマンチョコレートのシール1枚1枚のように、受け手が「物語」の断片を消費することを指します。

4 Responses to “ファッションと「物語」 その1”

  1. ザキヤマ より:

    毎回とてもおもしろいです!!

  2. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    ありがとうございます!

  3. language carine より:

    新しさ、オリジナリティについて、Barthe(1967?)のテキストに関するdeath of author を思い起こさせます。テキストのみならず、ファッションにおける創造性はブリコラージュの連続のように感じます。

  4. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    そうですね。創造性に関してはlanguage carineさんの仰る通りだと思います。今日書いた記事ではデータベース的なものとしてのファッションという観点から書いてますので、そちらもご一読いただければ幸いです。

    ファッションにおける作家性というのも本当は難しいんですよね。現代ではデザイナーひとりに帰されるものでもないはずですし。