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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
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ファッションと「物語」 その3

その2から大分たってしまいました・・・

今回取り上げたいのはいわゆるサブカルチャーと呼ばれるジャンルです。その代表としてコスプレとゴスロリを主に取りあげます。

これらのジャンルに共通するものとしても、物語を考えることができるからです。

ではまずコスプレから。

コスプレは、あるキャラクター(=オリジナル)を真似たもの(=コピー)であることは異論の余地がないでしょう。そう考えると、コスプレという行為はオリジナルに可能な限り近づくことを目的としているようにも思われます。しかし、実際にコスプレをしている人たちを見ても、そうは感じられません。コミケのようなイベントでも、オリジナルにできるだけ近づけようとするよりも、元のキャラが認知される程度の記号性を持っていればよいとされているように思われます。だとすると、オリジナルへの同一化よりも、そのキャラを演じるという行為の方がより重要なのではないでしょうか。

すなわち、コスプレとは、同人誌が新たな物語(いわゆる二次創作など)を生成するのと同様に、自分が物語の一部になることを目指したものだといえるのです。

では、ゴスロリ(ゴシックだけでもロリータだけでもよいのですが)はどうでしょうか。

ゴスロリのスタイルを定義するのは難しいのですが、それはこのスタイルがデータベース的だからというのが理由のひとつにあります。つまり、概ね共通する要素があっても、決定的な要素がないのです。

ゴスロリは言わずと知れたようにゴシック+ロリータですが、高原英理は『ゴシックハート』において、ゴシック的なるものを次のように語っています。ちょっと長いのですが、引用しておきます。

色ならば黒。時間なら夜か夕暮れ。場所は文字通りゴシック建築の中か、それに準ずるような荒涼感と薄暗さを持つ廃墟や古い建築物のあるところ。現代より過去。ヨーロッパの中世。古めかしい装い。暖かみより冷たさ。怪物・異形・異端・悪・苦痛・死の表現。損なわれたものや損なわれた身体。身体の改変・変容。物語として描かれる場合には暴力と惨劇。怪奇と恐怖。猟奇的なもの。頽廃的なもの。あるいは一転して無垢なものへの憧憬。その表現としての人形。少女趣味。様式美の尊重。両性具有、天使、悪魔など、西洋由来の神秘的イメージ。驚異。崇高さへの系統。終末感。装飾的・儀式的・呪術的なしぐさや振る舞い。夢と幻想への耽溺。別世界の夢想。アンチ・キリスト。アンチ・ヒューマン。

(高原英理『ゴシックハート』)

これに加えて、ロリータ的なもののデータベースも同様にあります。そのゴシックとロリータのデータベースが合わさったもののなかから自分の好みの要素を抽出し、ひとつのスタイルに仕上げる。そこで生じるのはやはり物語であり、世界観ということばが頻繁に使われるのもそのためです。ここではとりあえずゴスロリを例に挙げましたが、ゴシックだけでもロリータだけでも同様です。

たとえばロリータの場合でも映画『下妻物語』は、深田恭子演じる竜ヶ崎桃子が冒頭で「ロココへの憧憬」を語るところから始まります。これに象徴されているように、衣服を通してその裏にある物語(『下妻物語』の場合はロココという物語)へとアクセスしているのだと考えることができます。

(この点において、単なるデータベースで終わるファストファッションとの違いがあります。)

そのほか、大槻ケンヂ『ロッキン・ホース・バレリーナ』などでも、ゴスロリと物語の関係がわかりやすく表出されています。小説としても面白いので、興味がある方は読んでみてください。

今回とりあげたコスプレやゴスロリ以外にも、アゲ嬢なども同様ですね。『小悪魔ageha』を読めば一目瞭然なように、アゲ嬢と呼ばれる女性たちが自分の過去の出来事や理想の生活などの物語をこれでもかというくらい語っています。

おそらく現代では物語を希求する人が多くなってきているのだと思います。それを時代の趨勢だと捉えるのであれば、物語性の希薄なハイファッションに関心を持たない人が増えるのも肯けるのではないでしょうか。

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