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DAIJIRO MIZUNO

水野大二郎 / Daijiro Mizuno

1979年、東京生まれ。Royal College of Art 博士後期課程修了、芸術博士(ファッションデザイン)。

京都造形芸術大学 ファッションデザインコース非常勤講師/同大学ウルトラファクトリー・クリティカルデザインラボ ディレクター/
DESIGNEAST 実行委員/FabLab Japan メンバー/
ファッション批評誌 FASHIONISTA(仮)を蘆田裕史と共同責任編集の元、2012年2月に刊行予定。

Twitter アカウント:@daijirom / @mag_fashionista / @narumizu2011 / @designeast01
Webサイト:www.daijirom.com

シアタープロダクツとアンリアレイジとファッションは更新できるのか会議:ファッションとデジタルファブリケーション

こんにちは、水野です。

先週、シアタープロダクツとアンリアレイジのショーを見させていただきました。
そして、「ファッションは更新できるのか?会議」もスタートしました。
僕は司会として第0回に全体のまとめを、第1回にDIYからDIWOへ、そして
Do It For Othersという可能性について議論したりしていました。

そんな流れの中で、デジタル工作機械によって成立するファッションデザインの可能性を最近いろいろと考えています。

Neil GershenfeldのFABという本があったり、あるいは
Bas Van AbelのOPEN DESIGN NOWという本があったりする
デジタル工作機械を用いたものづくり=デジタルファブリケーション
ですが、どんな未来がまっているのでしょうか。

以前のブログのエントリーにもいろいろ書きましたが、
今回はデジタルファブリケーションを用いたデザインがシアタープロダクツと
アンリアレイジからも(他のデザイナーの方ももちろん取り組まれていますが)
でてきたのをふまえて、どんなことが考えられるのかをかいてみたいと思います。

ーーー

時間。
データがPC上でつくられてしまえば、すぐに出力可能です。
ラピッド・プロトタイピングと呼称されていますが、試作品づくりに小回りがきく
デジタルファブリケーションは、3Dプリンタのみならず、レーザーカッターや
デジタルプリンティング、デジタル刺繍、カッティングプロッターなど様々な
機械によって様々な素材でつくることが可能です。

オン・デマンド。
必要な時に、必要な量を、必要な分だけ作る事が可能です。
しかも、デザイン、製造、販売、流通と個人レベルでもできるようになりました。

マスカスタマイゼーション。
マスプロダクションとマスコンサンプション(大量生産と大量消費)だけでなく、
マスカスタマイゼーション(大量カスタマイズ)もデジタルデータならではの魅力です。あるいは、カスタマイズすることを前提にデータを公開することも不可能ではなくなりました。

古いデザインの回復。
壊れたものを完璧に修復するのみならず、古いデザインをウェブ上で探して出力することも不可能ではありません。版権切れしてコピーライトフリーになっていると、ますます古いデザインを完璧に復活させることも容易になります。

ニッチマーケットの開拓。
ロングテールと言われている販売機会の少ないモノも、ウェブでは欲しいひとによって見つけ出されることも容易です。少量、変量生産が可能なデジタルファブリケーションによって大量生産のためのマーケット開拓が離散的な状況になってきた今こそ、コア層にむけたものづくりが可能となっています。

複雑な形状の具現化。
これまで大量生産ベースでしか見合わなかった複雑なデザインを具現化するためのコストや労力が、デジタルファブリケーションによってかなり下がりました。これによって、複雑なデザインがこれまでよりも飛躍的に容易に製品化することが可能となりました。

コミュニティの生成。
デジタルデータを共有するコミュニティによって、デザインの価値が安定して流通、維持することが可能となります。オンラインと実空間両方で生み出されるコミュニティは文化的観点からは教えあい、高めあう「ソーシャルネットワーク」が、ビジネス的観点からは「マーケット」の創出が作り出されます。

玄人と素人の関係性。
デジタルデータが一度公開され、デジタルファブリケーションが汎用的になると、だれもがデザイナーになれます。これまで素人扱いされていた消費者がデザイナーになり、これまで玄人扱いされたデザイナーは「つくりかたのつくりかた」を考えたりするようになる意味でメタ・デザイナーとでも呼べるような存在へと進化していきます。そこでは「体験」などをお金にかえるような仕組みもデザインとよばれるようになります。

ーーー

と、いいことばかりあるように見えるデジタルファブリケーションですが、懸念されることもまだあります。

ーーー

コスト。
少量、変量生産はこれまでの産業の体系とフィットしません。材料費も高くつきます。

モチベーション。
素人扱いされていた消費者がデザイナーとなり、ものづくりの仕組みが再編されるようになるためには、これまで買う事ばかり考えていた人につくることを促すことが必要です。倫理的、環境的、文化的、歴史的理由からつくることを再考するのはいいのですが、実際につくるためのモチベーションをどうやって維持しうるのかを考える必要があります。

クラウド化。
古いデザインがデータベース化し、さらに新しいデザインのデータも有象無象のデザイナーによってウェブ上にアップされるとどれがどれだか、価値の見分けがつきづらくなります。情報の海をいかに泳ぐ事ができるのかが問われます。

倫理。
パクリ合いのみならず、差別的表現でも何でも、誰もがどのようにでもデザインしえる状況になります。

ーーー

シアタープロダクツは、クリエイティブコモンズライセンスを用いて新しいコミュニティを作り出すことや維持可能なものづくりや消費のあり方についてみんなで考え、楽しんでものをつくり、使っていこうという意識があった作品が発表されました。他方でアンリアレイジは、レーザーカッターなどを用いて極めて複雑な模様をカットしたりしつつ、意味論的祖型としてのふくのかたちを表現されていました。ヘリンボーンのカットのように繊細なものから、ベストの縫い代のような骨まで、レーザーカッターの可能性をファッションデザインで追求されていました。両者とも、決して技術的側面のみを強調するのではなく、作品を通してどのような価値をもたらしたいのか、それを具現化するための手段としてデジタルファブリケーションがあることに、共感しています。

デジタルデータによってうみだされる作品がもたらす未来のものづくりは、革新的なアイデアをかたちにするデザイナーたちと、そのコミュニティによってどんどん具現化していきます。しかも、それはものづくりから社会づくりへとシフトし、消費者とデザイナー、デザイナーと工場、工場と消費者の関係性を大きくかえていっています。

実験的な試みを続けるデザイナーのみんなを、ちょっとでも助けることができないかなあと日々思っています。

水野

DESIGNEAST03の開催

こんにちは、水野です。

9・15ー17まで、今年も自分が実行委員をつとめるデザインのシンポジウム/エキシビション/ワークショップ/イベント、DESIGNEASTを開催します。

2009年に行われたプレイベント「DESIGNEAST00」では、まず世界で起こる現状/事例を知るために世界で活躍するデザイナー、企業人、メディアを招聘し、トークを中心としたイベントを開催。翌年からは名村造船所跡地に場所を移し、「DESIGNEAST01」では“ソーシャル・サスティナビリティ”をテーマにさまざまなコンテンツを展開、国内外のデザイナーや思想家を招聘し、作品紹介や対談を通して、維持可能な社会をつくるデザインのあり方を探りました。昨年の「DESIGNEAST02」は“周縁と中心”をテーマに開催し、ファッション、建築、プロダクトなど、ジャンルを横断したゲストを招聘、トークセッションやワークショップ、マーケットや映像上映など実施。3日間を通して3,000人近い来場者に恵まれました。

本年は9月15、16、17日の3日間、“状況との対話”をテーマに、来場者、ゲスト、実行委員がともに考える、さまざまな人が出会い、対話する状況をつくり出します。

http://designeast.jp/

http://www.facebook.com/designeastpress

今年のテーマは「状況との対話」です。ファッションに関することでいうと:

例えば、THEATRE PRODUCTS による「”THEATRE, yours” 00 workshop」では、デザイナーの型紙と生地を購入し、来場者がその場で服を制作するワークショップ(各回定員20名 予約制、事前予約はTHEATRE PRODUCTSのウェブサイトをご覧ください。予約状況に余裕がある場合は当日予約も受け付けます)を開催します。ここでは、ファッションデザインにおける型紙のあり方(インストラクタブルとして、オープンデザインとして、セルフビルドデザインとして)を考えながらシアターの服をつくることができます。

また、「ファッションは更新できるのか?会議」を17日に開催します。これはドリフターズインターナショナルの金森香さん+Arts&Lawとの共同企画で、私は進行役として「DIYからDo it with others、そしてDo it for others」へと進化?するソーシャルなものづくりと情報環境との連動についてファッションの見地から考えよう、というもので、ファブラボの田中浩也さん、社会学者の成実弘至さんを始めとして、Creative Commons Japanの方やFabLabを関西に立ち上げるにはどうしたらいいかを話し合うFabFoo Kansaiなども相まってみんなでこれからのものづくりのあり方を考えよう!という時間が午後にあります。

もちろん、FASHIONISTAも蘆田裕史くんと一緒に、次号の計画の話などを皆様と議論できたらと思っています。ちょうど東京都現代美術館でFuture Beauty展も開催しましたし、ファッションを取り巻く状況を議論するにはちょうど面白い時期です。

ファッションだけでに留まらない「状況との対話」ですが、他のデザイン領域ではどんなことが
おきているのでしょう。
例えば、PROPS 

http://props.a-ri.jp/

という団体が今年のDESIGNEASTへ来ていただきますが、
「不動産・建築の見地から社会イノベーションを考える」というこのシンポジウムに象徴されるように、
もはやデザイナーや建築家だけがいればどうにかなる、というものではないのが昨今の社会状況です。
情報技術などによって成立する社会の中にいる多様な利害関係者の1人として、いかに状況をつくりだす
ことができるのかというのがここでも問われているのではないかと思います。

そんな中で、デザイナーや建築家は何を考えれてこれからやっていけばいいのか?
「デザイン」という言葉は昨今至るところで聞くようになりましたが、DESIGNEASTでは
もともとデザインに携わる仕事をされてきた多くの方からの多様な意見がぶつかり、
ゲスト間のみならず来場者との対話の中で新しいデザイナーの職能について考えることができたらと
思っています。

9・15−17、ぜひ大阪へ。

ファッションと最近の2.0と

こんにちは、水野です。

今日は、2.0についてちょっとかいてみたいと思います。

先日、山崎泰寛さん、藤村龍至さん、岡田栄造さんらが「アノニマスデザイン2.0」と題した
シンポジウムを京都と東京にて開催されてました。

http://togetter.com/li/255894

トゥギャりを追ってみてみると、匿名性と署名性を工業化社会における柳宗理の活動から
情報化社会における今日にデザイナー・建築家の職能と関連づけつつ話が展開されていること、
ファシリテータとしてのあり方などについての話などがあります。
アーキテクト2.0も含め、興味深い動きです。

また、イタリアではAutoprogettazione(エンツォ・マーリのオープンソースファニチャー)の
2.0版も展開され、ミラノサローネで紹介されました。

http://www.domusweb.it/en/news/autoprogettazione-20-on-display/

Autoprogettazione (Self-Project)は、セルフビルドを考えるプロジェクトです。
以前にはAAにおいてAutoprogettazione Revisited という展覧会なども開催され、
情報化社会におけるデザインの署名性について展開されているようにも思えますが、
アノニマスデザイン2.0とは異なる位相において話が展開されているようです。
「集合知、派生知、淘汰知」というモデルをふまえ
「アルゴリズミック・デザイン」と「パーソナル・ファブリケーション」の
あいだを考えることはかなり重要であろうと思ってます。

僕個人としては、アーティストとアーキテクトのあいだにいるガーデナーや一般市民について
ちょっと考えを整理できたらと思ってます。

ちょうどFabLab Japan発起人の田中浩也さんが「FABLIFE」を、
そしてクリエイティブコモンズの活動にも関わられているドミニク・チェンさんが
「フリーカルチャーをつくるためのガイドブック」を出版されたこともあり、
盛り上がりをますます見せつつある状況になってます。

web2.0から展開する双方向のプラットフォームや考え方は実に様々ですが、
かたやファッションになるとどんなものがあるでしょう。

ちょうど装苑がDIY特集をやっているということで見てみたら、
DIY GIRLのスタイル紹介と、Yohji Yamamotoのシャツパターンが掲載されていました。
僕はてっきり

http://craftzine.com/

のような内容をその見出しから予想してましたが、若干違っていたようです。

マーケティング2.0から3.0にバージョンアップする可能性もふくめ、
ファッションにおいて2.0はどういう意味なのかを捉える機会があると
いいなとおもいつつ、いろいろ画策中です。

慶應義塾大学環境情報学部へ

こんにちは、水野です。

この度、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の環境情報学部にて
専任講師として今年度から着任することになりました。
今度ともご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。

そして、ファッションの批評誌『ファッショニスタ』ご購入下さった皆様
ありがとうございました。今後も一緒に状況を作っていきましょう。

さて、来週からいよいよSFCにて、「デザイン言語」講座の1つとして
ファッションデザインを扱う講座を開始します。

ファッションデザインの制作に携わったことのない学生でも
どのようにファッションを理解し、制作するための基本的な知識を
講義内では多角的に扱っていく予定です。

去年は早稲田にて繊維研究会の活動にちょこっと参加させてもらいましたが、
ここSFCでもファッション関係のことを考えたり実践したりしたい学生が
いる様子で、もうすぐ皆さんにあえるのが楽しみです。

SFCは本当に多様で、学生たちの能力もまちまちです。
ファッションから考えることも多様に広がる可能性があります。

もともと「デザイン言語」「デザイン言語2.0」を学生の時から
読んでいたこともあり(デザイン言語にはHAPTIC展の紹介の中で津村さんの作品についても
触れられてます)、そうなったら面白いなあーと思っていたことが現実になっている
という感じでとても興味深いです。

多様な社会的課題をはらむファッションデザインの豊かさを、
多様なまま、まず理解してみて、その上で身体、社会、歴史、制作プロセスなどの
切り口を各自が持ちかえってもらえたら面白くなるのではないかと
考えています。

そして、「そもそもダーツとは何?」みたいな技術的な話もして、実践してもらわないといけません。
3次元の空間を布で生成するための技法としてのパターンカッティングの基本的思考とは、意外と
建築にもつながっている点があります。
AAというロンドンの建築の学校において、こんな実験的作品制作もされています:

http://futuresplus.wordpress.com/2011/10/24/building-fashion-aa-fall-2011-paris/

建築とファッションを結びつけ、ここまでできる学生がいたら怖いです。。。
とはいえ、これを実際に縫うことができる人はおそらくほぼ、いないでしょうが。

とにかく私たちの生活にとてもなじみが深く、が故に多様な社会的課題をはらみ、
そしてコンピュテーショナルパターンカッティングも可能になっていきているが、
実際に「ぬう」「あむ」「はる」「とめる」という原初的制作プロセスを経るとどうなってしまうのか。
そしてそれを纏うことでどのようにその作品が自己にとって、あるいは他者との間で受容されるのか。

そんなことを考えています。

とりあえず、SFCでファッションを考えてみたらどうなるのか、楽しみです。

fashionista ついに刊行間近

こんにちは、水野です。

蘆田裕史くんと一緒に立ち上げたファッション批評誌、fashionistaの刊行が間近に迫って参りました。
刊行記念イベントを大阪・スタンダードブックストアで開催致しますので、
皆様お誘い合わせの上ぜひ!

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日本にはファッションの批評がない、としばしば言われます。
ファッションは文化として認められないことがよくあるが、
その理由の一端はここにあるのではないでしょうか。

ファッションがビジネスであることを謳いながら、「ファッションに批評は似合わない」と言われることもありますが、現代では美術も音楽も映画も文学もおしなべてビジネスとしての側面をもっており、ファッションだけが特権的な立場にあるわけでもありません。

そのような状況に一石を投じるべく、
ファッションの批評誌が創刊されます。
『fashionista』は「批評誌」を謳っていますが、狭義の「批評」におさまるものではありません。研究者やデザイナーによる論文や試論、インタビュー、海外のファッション研究の紹介など、様々なコンテンツがあります。
一見すると「批評」以外のものが多いように思われるかもしれませんが、それらはすべて未来のファッション批評の構築のためにあります。

その第一歩を記念し、執筆者の一人である井上雅人氏を迎え、スタンダードブックストア心斎橋にてトークイベントを開催いたします。

『fashionista』のことだけでなく、広くファッション批評について語る予定ですので、ファッションに興味のある方は是非!

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『fashionista 刊行記念トークイベント――ファッションの批評について考える』

【出演】
井上雅人
ファッショニスタ編集委員 蘆田裕史・水野大二郎

【日時】
2012年3月3日(土)
開場11:30 開演12:00 

【会場】
スタンダードブックストア 心斎橋 BFカフェ
大阪市中央区西心斎橋2-2-12
クリスタグランドビル
TEL 06-6484-2239
■営業時間:11:00~22:30

【料金】
一般:1,000円 学生700円
★1ドリンク代金を含みます。

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という内容です。

気になるfashionistaのコンテンツですが:

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INTERVIEW
ANREALAGE 森永邦彦
mame 黒河内真衣子
早稲田大学 繊維研究会 x 東京大学 fab

PAPER
千葉雅也「クラウド化するギャル男──「ギャル男ヘア」の成立をめぐる表象文化史とその批評的解釈の試み」
井上雅人「80年代をどう捉えるか」
朝倉三枝「ジャンヌ・ランバン──20世紀モードの静かなる改革者」
小原和也+白土卓哉「ストリートのコミュニケーション」(公募)

INTERNATIONAL PERSPECTIVE
研究機関紹介
 アントワープ州立モード美術館(ベルギー)
展覧会紹介
 「ファッションとシュルレアリスム」
 「ベルンハルト・ウィルヘルム――完全想起」
 「今世紀を伝える――アートとファッションの100年」
 「ジャパン・ファッション・ナウ」
 「ハウス・オブ・ヴィクター&ロルフ」
書籍紹介
 キャロライン・エヴァンス
  『エッジのファッション――スペクタクル、モダニティと死』
 エリザベス・ウィルソン
  『夢を纏って――ファッションとモダニティ』
 ジル・リポヴェッキー
  『エフェメラの帝国――現代社会におけるモードとその運命』
 『ファッション・セオリー』論文タイトル一覧
インタビュー
 ヴァレリー・スティール(ファッション工科大学附属美術館ディレクター)

CRITICAL ESSAY
村田明子「RAF SIMONSの英雄的節操に関する云々」
石関亮 「規定と逸脱──トム・ブラウンのスーツ・スタイルとそのデザイン」
小澤京子「シアタープロダクツのマニエラ」
大久保俊「再考/ハイダー・アッカーマン」
田村俊明「ゼロから始めよう」(公募)

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となっております。
当日、販売を予定しておりますのですぐに手にとってみたい方、ぜひお越し下さい。

早稲田大学繊維研究会 インスタレーションとトーク

こんにちは、水野です。

あっという間に年末ですが、早稲田大学繊維研究会のインスタレーションとトークがあり、ゲストとしてお声がけいただきました。パルコの高野公三子さんとファッショニスタ編集委員の二人(蘆田裕史くんと私)、繊維研究会の代表の堀井さん、小林さん司会による座談会形式が去る12/18にありました。

トークの前に、まず展示されていた作品についてお話を少ししたいと思います。僕は実は、プロの作品か専門的にファッションを学んでいる学生の作品以外で服作りに携わる人の展覧会の伺うことはこれまでほとんどありませんでした。その時と同等の評価軸で作品を見るのは違うんじゃないかと思って見させてもらいました。個々の作品の完成度に関してコメントがしづらいので、全体の感想まとめとして書きたいと思います。

縫製やパターン製図に関する技術、アイデアを形にするという意味で大切ですよね。デザインする行為の包括性を考えると、ディテールのスタディとかを経て、技術的側面からデザインを洗練させることも必要かなと思いました。あるいは、ドローイングしながら切り返し線やダーツの位置など、分析的ドローイングのエクササイズからデザインの記号性を検証していくというように、技術的側面と批評的視座を並列的に実践において理解してみたりするのもいいかもしれません。

それと同様に、デザインのネタになる個人的体験としてのエピソード、夢、直感、欲望と、客観的な資料としての歴史、芸術、科学など、もっと幅広くネタを集め、利用できるようにデザインの方法論自体を考えて見てもいいのではないかと思いました。ファッション雑誌ばかりを見てデザインをしていると、消尽した、あるいは誕生したばかりの、緊張感あるデザインの状態を創り出すのが難しくなります。記号的操作の方法論自体を問い直しながら、すでにある様々なネタをファッション以外からも発見しつつ、独自の態度としての制作方法論を確立するためにも、デザイナー、アーティスト、エンジニア、クラフトマン、サイエンティストらがこれまでうみだしてきた形をよく見て、知って、データベースとして使えるようにしたりするといいかもしれないなと思いました。セレンディピティ的なアイデアが引き出しやすくなるかも。あるいは、ベルグソンがいっていた記憶ーイマージュ的な話とかにも繋がるかもしれないですね。

以上、アイデアと技術と形を横断する実践的思考としてのデザインがより洗練されると、展示物の見応えが伺うお話との相乗効果で本当に面白くなるのではと思いました。そして、そこに批評的な視座を様々なフェーズに挿入することによってデザイナー独自のモノの見方が生成されるといいなーと思っています。

さて、トークですが、とにかく感動したのは繊維研究会の司会のお二人を始めとした、繊維研究会のメンバーの意識の高さです。特に司会の小林さんは哲学を学ばれていて、代表の建築を学ばれている堀井さんと同様、論客として自身の考えを自身が見つけた問題に対して極めて誠実に語る姿が印象的でした。 来場者の皆さんがわかったかどうかは多少気になるところではありますが、とにかく彼らの熱意、問題意識、考えは伝わったのではないかと思います。学生運動の集会のような雰囲気もどこかしらにあったかのような状態で、個人的には楽しかったです。

トークの内容は、ストリートファッションにおけるアプロプリエーションなどのボトムアップの創造性やギャルの話、ゼロ年代のファッションの話、ファッションと批評の可能性についての話と多岐に渡りました。僕としてはデザインのコミュニケーション、方法論、Web2.0との関連性などから立ち現れるアーキテクト的存在の重要性の指摘をしたり、批評の在り方の可能性を提示したりしてみたつもりです。スマートモブスや一般意思2.0の紹介などもしたり、複数化するアイデンティティーズの話をしたりもしましたから、ファッションデザインの作品論みたいなのを期待されていた人は困惑したかと思います。

でも、ユニクロやH&M、ナイキやプーマなどがデザイナーとコラボレーションして商品を開発する昨今です。デザインの価値を理解するには、
普通の服にあたかもうもれてしまったデザイナーの創造性を発掘するような作業も必要になってきてしまいました。かつてビッグステイトメントをだすスペクタクル型デザイナーは多くいましたが、今は数える程です。デザイナーの価値とは、作品にのみ発見されるだけではなく、その背後や周辺にあるストーリーにも発見されるべきだし、そういう状況を丁寧に設計しないと価値が伝わらないという課題があります。コミュニティを作るデザイナーや、ドメスティックな状況を生み出す傾向というのもどこか「価値の共有」という点から共通するものがあるのでしょうか。

とにかく、司会のお二人の熱意あって大盛況でした。とても面白かったので、今後も早稲田大学繊維研究会を注視して行きたいと思います。
ありがとうございました。

「感じる服、考える服」展で感じて考えたこと

こんにちは、水野です。
9月23−25まで開催したDESIGNEASTは、無事開催し、滞り無く終えることができました。今年も様々な形でデザインする状況を話し合ったりすることができ、来場頂いた皆様に感謝申し上げます。

さて、今回のブログは初台・オペラシティギャラリーにて現在開催中の「感じる服、考える服」展を観覧させていただいた後、考えたことを書いてみようかと思います。日頃大変お世話になっている京都造形芸術大学准教授の成実弘至先生も開催のキュレーションに関わられた展覧会ということもあり、大変楽しみにしていた展覧会でした。

この展覧会は、まず会場にはいると空間構成を設計された中村竜治さんによる「穏やかで暴力的」な白い宙に浮く梁に目を惹かれました。目線が白く設定されていることで広い空間を分節しているのですが、材質が鉄骨で頭をぶつけると痛いですし、くぐるのが多くてしんどかったです。養老天命反転地のことを考えるとそこまで危険ではないかもしれませんが、ドストエフスキーよろしく「壁に頭をぶつける」ことなく方向転換がよりスムースになっていたら最高でした。

建物自体を設計した建築家vs建物の施設課や消防局vsキュレーターvs展示空間の建築家vs展示するファッションデザイナーvs観覧者、というややこしいそれぞれの思惑があるのは間違いないと思います。中村さんといえば、西武百貨店や2010年のデザインタイド、はたまた青山のコスチュームナショナルなど、少ない手数によって空間を規定していく建築が多いように感じています。この展覧会の空間は、訪れる人は梁をいっぱいくぐらなければならず、頭を注意しないといけないという意味で不親切ですが、展示空間や展示作品にとっては開放的であると同時に閉鎖的でもあるし、空間の規定の方法としては面白い試みだと思いました。

さて、梁をくぐれば作品です。本展では多様な方向性をもつファッションデザイナーが「感じる服、考える服」の2つの軸に沿うような形で選定されているのかなと思います。展示企画はその意味で作家の方向性をリスペクトしたやり方になっているように感じました。服飾史の文脈から設定されたキュレーションではないという意味では、京都服飾文化研究財団がこれまでやってきたキュレーションとは異なるというところもあって面白いかなと思います。

ただ、美術館という場所でファッションデザイン展をすることは難しいです。ファッションデザインを現代美術の文脈で捉えようとする試みなどもこれまでにありましたが、ファッションデザインの「デザイン」の部分をまずしっかり捉えていく必要性が重要なんだろうなと思いました。これまで「ファッション」とは何か、という議論がわりと多くなされてきたと思うのですが、それをふまえつつも「デザイン」とは何なのかを感じたり考えたりする場として展覧会があってもいいなあと思っています。美術館だから、展覧会だから、ということで「ファインアート」と関係づけようと意気込まずに、「デザイン」の展覧会としてやればいいし(文学も演劇もデザインもアートじゃないかと思いますし)、ファッションデザインの文脈をしっかりつくることがまず大切なのではないかと思っています。

例えばデザインは「実用」という点と密接につながっているかと思います。ソマルタの無縫製ニットでつつまれたファニチャーや服、あるいはまとふが展示空間で着用を促すことに代表されるのは実用に関する展示です。しかし両者は人間工学的な実用性、あるいはユーティリティがデザインの主眼におかれているわけではなく、デザイナーの提示する美について体験する場となっているように感じます。となると、ファッションデザインはたとえば「UX」(ユーザー・エクスペリエンス)の観点から見たとき、何をどのように訴えているのでしょう? また、実用的なデザインの基点となっているのは「身体」ですが、アンリアレイジの展示は「絶対的な基準としての身体」としてのマネキンを崩してみることで私たちを挑発してきます。モノづくりの世界におけるデジタル・ファブリケーションやマス・カスタマイゼーションの時代が来ているといわれて久しいわけですが、アンリアレイジによる身体と衣服の関係性の問いかけから、私たちはどのような未来を導き出すことができるのでしょう?

さらに、ミナ・ペルホネンの作品にも明らかなように、サステナブルなモノづくりの在り方を、そのプロセスの開示などから価値として紹介していくことも可能かと思います。「生産」や「倫理」といった部分と密接に関係するデザインから、エコ・ファッション、エシカル・ファッション、スロー・ファッションやいろいろなファッションが出てきましたが、Thomas Thwaitesの1からトースターをつくるプロジェクトのように生産工程自体に価値をはっきりと可視化させることは可能なのでしょうか?

以上「実用」「UX」「身体」「生産」「倫理」といったキーワードを例として出してみましたが、他のデザイン領域でよく見かけるキーワードと共にファッションデザインを捉えることもできるはずです。しかし、自明なことかもしれませんが、人間の生活に貢献するモノや仕組みとしてのデザインの価値は、ファッションでは「美しさ」や「イメージ」といった情動的な部分にその比重が多くあるように感じます。アントワープのモード美術館で展示シノグラフィが重視され、包括的なイメージを展示しているのも、衣服単体で展示しても何が価値なのかよく見えない点と関連しているのではないでしょうか。

そこで、ファッションデザインにおける「世界観」という言葉について、私たちはもっと考える必要があるのではないかと思っています。「世界観」とはセカイ系という話じゃなくて、総合的芸術として様々な知覚に刺激をもたらしながら物語を紡ぎ出すこと、 デザイナーたる作り手の価値観を見える化する諸要因を統合するもの、と簡単に位置づけた上で話を進めましょう。
例えば、それはシアタープロダクツやケイスケカンダの活動や作品の発表形式などに強く現れているかと思います。ゆるやかでありながらしっかりと紐帯で繋がったコミュニティを生成、維持、強化、淘汰したりする方法論としての「世界観」の提示にモノのみならず空間も提示していくというのは面白い点ですね。ファニチャーデザイナーがイスを展示する為にインテリアまでデザインしてしまうような、包括的な提示をどうしていつもファッションは必要としてしまうのでしょう。
とにかく、「世界観」を形成することが部分の調和を図り、統合を促すための科学的方法論の欠如から生み出されたファッションデザイン特有の「意味の成しかた」なのだとすれば、「感じる服」は「考える服」とは異なる位相でも、理解を求めているのではないでしょうか。

どのようにすれば、服を着たり、見たり、考えたり、デザインしたりすることがより面白くなるのでしょう? この展覧会では、参加したデザイナーの世界観をリスペクトしているが故に、展示物は各デザイナーによってバラバラで、よくも悪くも混在しています。ですから、ファッションデザインって何だろう?他のデザイン領域と何がどう、なぜ違うんだろう?バラバラだけど、どれが自分にとって面白いだろう?と、来場者自身が考える事が大切なのではないかと思います。「デザイン」の展覧会としてファッションデザインの文化を形成していくための多様な視点の提示が本展にあるように感じます。多様な参加デザイナーの作品を見て、ひとこと「アートだね」と建設的でない意見を発して終わりでは、しょうもないです。「ファッションデザインって何だ?」という問いかけから「こういうことかな?」という意見をもって見たり感じたり考えたりするのがいいと思います。

*ちなみに、「世界観」の話は以前にジュリアナ・ブルーノとウルリッヒ・リーマンによるレクチャーにおいて「Holistic Experience」という言い方で紹介されていました。ジュリアナ・ブルーノ「Atlas of Emotion」において該当箇所があるかと思いますのでご興味のある方はぜひ。

DESIGNEAST02 周縁と中心の開催のお知らせ

こんにちは、水野です。

本日は、DESIGNEAST02「周縁と中心」についてお話したいと思います。

以前のブログエントリー(5月11日)にも書いたのですが、DESIGNEASTは自主的に僕を含む5人の若手デザイナーらが「デザインする状況をデザインする」ことを大阪で考え、実践すべく生まれたシンポジウム/イベント/展覧会です。

今年はテーマとして「周縁と中心」というキーワードを挙げてみました。

ツイッターなどに代表された震災直後の情報交換の速度と密度をふまえると、FabLabの話ではありませんが、消費することに新しい考え方がうまれるのではないかと思っています。つまり、これまで「中心」とされてきたモノゴトをゆるがすかのような「周縁」の可能性について私たちは考え、実践していかなければならないのでは、と。

今年のDESIGNEASTは、様々なゲストをお迎えして9月23、24、25日に渡り開催されます。プロジェクトやシステムのデザイン、建築、プロダクト、ファッションなどなど、そのジャンルは多様です。

すでに、artscapeというサイトで書いていた僕のブログでその内容の一部を紹介させていただきました:

http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/3485/

http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/3499/

上記の内容以外にも、沢山のコンテンツを用意しています。

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まず、ワークショップ。

去年、マイクロパトロン/マイクロペイメント/DIWOの仕組みを実践すべく1000円で図面を販売して、ゲストデザイナーによる設計のオリジナルプロダクトをつくれるワークショップを開催しました。今年も同じ内容のワークショップがありますが、材料を限定しています。

今年の材料は「宮古ボード」です。震災によって廃材となったかつての家が、現在パーティクルボードにして販売されてます。これを正規の値段で購入し、その材料を使って来場者の皆さんがゲストデザイナーによる設計のオリジナルプロダクトをDIWOで作ることができます。今回は、海外に在住しているデザイナーのみなさんのみを対象にご協力頂きました。合計9組のデザイナーに参加して頂いています。個人的には、マイケル・マリオットさんに参加していただけたことがとてもうれしいです。デザインもマリオットさんらしい、渋くていい感じのものになっています。それ以外にも、ピーター・マリゴールドさんやトーマス・アロンゾさんなど、いろいろな方にご協力していただきました。ぜひ参加してみてください。

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そして、映像。

ジャスパー・モリソン。彼の伝説となっているプレゼンテーションがあります。一言も喋らない、自身のデザインの考えを伝える映像「a world without words」。これは本にもなっています。ジャスパー・モリソンさんのご厚意により、映像をお借りして上映させていただけることになりました。これまで世界でも数回しか流されていない映像を、3日間だけ見ることができます。ジャスパー・モリソンのデザインに対する考え方を、言葉なしの映像だけから読み取ることができるかどうか。楽しみですね。

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さらに、バー。

去年まで、レクチャー中心で運営しつつも出来る限りカジュアルな場での意見の交換ができたらと思っていました。そこで、今年はバーを設計。そこで、意見の交換ができるようにしています。バーの設計は、建築家の永山祐子さんに依頼させていただきました。毎日異なるバーマスターの元、いろいろな話が展開されます。永山さんもチーママとして来場されるかも?これも楽しみですね。

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そしてもちろん、素晴らしいゲストのみなさん。

今年もまた、実にいろいろなゲストの方がいらっしゃいます。情熱大陸にも出演されたコミュニティ・デザイナーの山崎亮さんや、スプツニ子!も来るという噂も!
もちろん、ファッションからもゲストがいらっしゃいます。ドリフターズインターナショナルから藤原さん、金森さんを、writtenafterwardsからは山縣さんを、「ファッションは語りはじめた」にも寄稿している批評家の蘆田くんをお招きしています。

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これ以外にも、展覧会、マーケット、ショップ、フードなどなど実に多彩なコンテンツを「周縁と中心」をテーマにご用意しています。

都市、あるいは「グローバル・シティ」としての東京に住んでいると、「地方」に全く意識が払われず、中国やシンガポール、インドなどについつい目を向けがちです。しかし、今や東京中心でコンテンツは生み出される必要性がなくなっています。世界のどこででも、モノゴトを引き起こすことは可能になりつつあるのです。

東京に一元化する創造性を日本中へと拡散することによって社会環境を良くしていくこと。そんなこともふまえつつ、この3連休はぜひ大阪まで足を運んで、DESIGNEAST02にご来場ください。

http://www.designeast.jp/

FabLab、開かれたものづくりについて

こんにちは、水野です。

前回から時間が経ってしまいましたが、ひきつづきFabLab、から「開かれたものづくり」についてお話したいと思います。

さて、前回MAKEやCraftなどを紹介しながら、と書きました。MAKEやCraftとは、オライリーが出版している雑誌です。MAKEの方はよりエンジニアベースのノリのものづくり(男っぽい?)に対して、Craftの方はより工芸ベースのものづくり(女っぽい?)と簡単に位置づけることができるでしょうか。どちらも材料を削り出したり、基盤にはんだづけしたりと、いろいろなプロセスを経て誰でもつくることができる事実を共有しています。ある種のものづくりレシピ紹介雑誌とでも規定できるでしょうか。ただ、面白いのは既存のモノをハッキングすることも含めて、大量消費・大量生産のものづくりを批判的に捉えつつ、ウィットに富んだものづくりを紹介している点です。これらの雑誌が示唆しているのは、ものづくりの未来像でもあります。日本では「大人の科学」等がこれに共鳴した内容を展開しているといえるでしょうか。

MAKE Japanは、Make Tokyo Meetingと題してこれまで複数回にわたり、その賛同者が作品を発表する機会をつくっています。これがすごく楽しい空間で、コミケ的でもあるし、展覧会的でもあるし、学会のパネル発表的でもあります。インスタレーションやパフォーマンス、ワークショップやレクチャーも会期中にあります。
アーティスト、デザイナー、エンジニアなど、多彩な人たちがものづくり(Fabrication)の楽しさ(Fabulous)を共有すべく作られた実験場(Laboratory)なのでしょう。そういう意味で、MAKEとFabLabはとても近い距離にあるといえますし、実際僕がFabLabを知ることになったのはMTM05でした。その時見たのが、たしかCupcake CNCとRepRapといわれているガレージキットのような3Dプリンタで、それが何を意味しているのかがすぐに解り非常に興奮したのを覚えています。それが当時、SFC FabLab Betaや多摩美ハッカースペースで展開しているのを知ったわけです。現在では、FabLabは鎌倉、つくば、金沢とその活動を日本全国へと展開しつつ、東大や東京芸大、東工大の付属高校などでもデジタルファブリケーションの動きがでてきつつある状況です。それを関西でも考える場所がつくれたらと、Critical Design Labは考えています。

デジタルものづくりは今、ものづくり2.0といわれるステージへむけて進化しています。それは、3Dプリンタが3Dプリンタをつくる、という自己複製(ものづくりのための道具をつくる)などに現れています。RepRapなどの道具がそれにあたるわけですが、未来のものづくりはひとまず情報空間における情報共有をベースに展開していくことが誰の目にも明らかになっています。
その情報共有の在り方は、共同出資やマイクロパトロンの仕組み、例えばTee PartyやCamp Fireなどのウェブサイトで実践されています。

「たくさん売ってビッグになる」ことだけがデザイナーの目指すべき方向ではなくなりつつあります。それは、環境、倫理、経済などの点からも、かなり難しくなりつつあるからです。日本の内需拡大を目指すための仕組みは、かなり飽和しています。それではどのように海外に届けるか。ネットを利用して、情報空間を利用せざるを得なくなるとしたとき、情報空間特有の文化とどういう関わりしろをもつべきか。「必要分売ってミディアムになる」ことでやっていけるなら、それも目指す方向になるのではないか。

「必要分」を売るためのコンテンツやネットワーク、資金を調達するための仕組みを考えることは、既存の体系から離れることを意味するのかもしれません。
もちろん、既存の仕組みとしての商品展示会から離れてビジネスを展開するのは危険なことかもしれません。しかし、情報空間との連動において可能になった事はあまりに大きく、そのチャンスを十全に捉えきれていないところもあるかと思います。pixivとカオスラウンジの話が最近ネットでは出ていますが、現実空間と情報空間では文化的差異があることも事実です。

しかし、ファッション産業の形態はしなやかに進化しながら、21世紀型洋装店を展開していくこともできるのではないでしょうか。特にパーソナル・ファブリケーション(ひとりでものづくり)がデジタル・ファブリケーション(デジタルものづくり)によって支えられるとき、USBミシンやカッティングマシン、インクジェットプリンタがあることで「売る」コンテンツや仕組みは変容せざるを得ないのではないか。

開かれたものづくりの状況は、デザイナーにとってチャンスとなるのか危険な状況になるのか。それは、自身が「仕組み」としてのデザインを構築するかどうかにもかかってくるのではないかと思っています。極端にいえばコンテンツが面白ければ猫も杓子もデザイナーになれる状況がきているからこそ、デザイナーがやるべきことが明確になってきていると感じています。

FabLabについて

こんにちは、水野です。

今回は、僕も参加している一般市民に開かれた制作工房「FabLab」について、簡単にお話したいと思います。

http://fablabjapan.org/what-is-fablab/

をみていただけたら全てはわかるかと思いますが:
ファブラボとは、3次元プリンタやカッティングマシンなどの工作機械を備えた一般市民のためのオープンな工房と、その世界的なネットワークです。「Fab」には「Fabrication(ものづくり)」と「Fabulous(愉快な、素晴らしい)」という2つの意味が込められています。ファブラボは、次世代のものづくりの「インフラ」だといえます。インターネット(というインフラ)が普及することによって、誰もが自由に情報発信することができるようになったように、ファブラボ(というインフラ)が各地に普及することで、誰もが自由にものづくりを行えるようになることが期待されています。そして、いずれは3次元プリンタやカッティングマシンが一家に一台普及する時代がやってくると考えられています。

ファブラボのような場所が世界にできつつある中で、デザイナーの役割は今後大きくかわるだろうと予想されます。モノをつくってうる人から、モノをつくるための仕組みをつくる人や、モノをつくることを手助けする人になるのではないか、と考えられるからです。

といえど、自らがものづくりに積極的に関与することが「面倒くさい」という人も多くいることでしょうし、デザイナーがつくった作品のようなクオリティは無理だ、という人もいることでしょう。

しかしながら、プレタポルテの文化(1960年代)、あるいはオートクチュールの文化(1910年代、あるいはワースがでてきた19世紀中盤)から、現在までは、長い人類に歴史を見てみるとそれほど時間が経っていません。それでも、「買って当たり前」の社会状況になっているわけです。

自分でものづくりに積極的に関与して初めて気づくことも沢山あると思います。
ファッションの世界でも、ものづくりの仕組みを考え直す時期が来ているのではないか。
ボトムアップの創造性について、ファッションはもうちょっと考えることができてもいいのでは、と思います。

そんなことを考えつつ、次回もMAKEやCraftなどを紹介しながら、開かれたものづくりについてお話できたらと思います。

Fashionistaについて ー批評はケチをつけることじゃないー

こんにちは、水野です。

今回は、蘆田裕史くんと一緒に刊行にむけて準備しているファッションの批評誌についてお話したいと思います。

彼のブログにもあるように「端的に言うと、批評という行為はある作品の評価を言語化すること」と僕も思います。その積み重ねが歴史をつくる。

歴史をつくる、なんて大層なことをいわずとも、いろいろ議論をしていくこと。そうすることから、デザインを支える「文化」そのものがつくられることも可能になるからです。「美しいデザイン」をどうやって、なぜ、なにをもってしてつくることが可能なのか?たくさんの服が毎年生み出され続けるわけですから、「どこらへんはどういい」とか「どういう歴史が生み出された」という話をしてもいいと思います。

そそうすれば、デザイナーはなぜ、何をどうやって表現するのかがより明確になってくるはずですし、力強い「独自性」を発揮するための土壌がより多くの人のために作られると思います。

例えば「脱構築」ファッションとか「ミニマル」ファッションとか、怪しい言葉がファッションの中には存在します。建築や美術から言葉を拝借してやってきたとしても、独自の読み替えがそこにはなされているはずです。それをどう捉えることができるのか。それがどう衣服のデザインにおいて展開されたのか。「脱構築」=ズレてる、左右比対称、穴が開いている、ボロい、とか、「ミニマル」=装飾が少ない、シンプルな形をしている、ワントーン、とか。そんな程度ではない、とするなら何なのか?そんな程度の話なら、ロラン・バルトが「モードの体系」でもいっているような話に収斂してしまう。そうではなくって、何がいえるのか。

蘆田くんの以前のブログには、平川さんのたてた評価項目を明解にした
文章があります。5つの評価ですね:

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1)クリエイティビティ:
時代観と美意識をバランスで診てそのデザイナーのオリジナリティを読む。
2)クオリティ:
どれだけその服が美しくクオリティ高く出来上がっているか。作られた服に対する気持ちのクオリティと技術面からのクオリティ。
3)イメージ:
デザイナーが感じる時代観とその雰囲気や気分をどのようにイメージングしているか?そのアイディアと独創性。
4)ウェアラブル:
着れる服であること。時代が求める機能性や汎応用性をも含めた着れる服であること。ここで僕はファッションはアートでないという視点を重視。着る人の心や気分そして環境や風景とのバランスを感じ読む。
5)プライス:
当然ファッションもビジネスであるため、モノに見合った価格が大切。ここではどれだけそのデザイナーたちがプロであるか?を読む。身勝手な自己満足におぼれたデザイナーはここで落ちる。
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インスピレーション源になった要素群がどのように構成され、現れたのか。何に、なぜ興味があったのか。それがなぜ今開示されることになったのか。どのようにそれが成立したのか。

たとえ直感によって制作が支えられたとしても、どのような経緯から直観的にアイデアが生まれたのかを説明することは可能のはずです。

そういう事を考えてみた時、「過去」にどのような人がいて、どのようにデザインを考えついたのか、ということと比較したり、参照したりすることは当然なのではないでしょうか。それが「学ぶ」ことなのではないか。「学ぶ」ことを可能にするには「歴史」が必要で、それをつくるための言葉やアーカイブが必要になるわけです。

もちろん、職人のように「しゃべらず、かたらず」の世界で見よう見まねからスタートすることも可能ですが、僕も含めて海外でファッションを学んでくると、求められるのは、独自の「発想の中軸」の言語化です。その上で、衣服をプロとして制作、販売するのであれば、そこに「生産」「流通」「利用」などの観点から、作りやすさ、持ち運びしやすさ、着やすさなど、様々な点も考慮にいれるべきなのは明らかです。

しかし、それは「何を目的としているのか」を比較すると上位概念ではない。かといって、それをないがしろにすればデザインは誰の手にも届かない。
もっといえば、デザインとはそもそも何なのか。「人間の生活に肯定的に貢献する一連の道具や事象」なんでしょうか。極めて上位の概念すら欠けたまま、なんとなく進んではいないか。それなしにアートかファッションか、とか、どうやって線引きをすればいいのかもよくわかりません。

とにかく、「どうつくるか」と「何をつくるか」は、vice versaの関係であり、「なぜつくるか」によって支えられていると思うのです。そして、情動/論理の両義的な存在としての知的なアイデアを言葉として捉えたい、と個人的に考えています。

昨今では「ギルティ・フリー」かどうか(フェアトレードなど、産業における倫理的な課題)なども評価の軸に乗ってきていると思いますので、その点は社会との密接な関係をもつプロにしか扱うことができないところなのかもしれません。そんなことも含め、衣服は単体で表現される「世界観」だけでなく、背後に潜むデザイナーの「思考」自体も楽しむべきものになりつつあると感じています。知的な、というのは論理的である、というだけでなく、情動的でもあるということですし、それもまたvice versaな関係です。

それこそが「ハイ・ファッション」と呼称されるようなデザイナーによる作品とファストファッションに代表される大量生産品とが異なる点であるといえるのではないでしょうか。

だとすれば、私たちは今、こんな社会状況下にあって、ケチをつけあっている場合ではないと思うのです。批評=ケチをつけることではなく、こうしたらもっと面白くなるかも!とか、ここがこういう理由で面白い!とか、すごくポジティブなものにもなるはずです。それは、ジャーナリスティックな視点ではなく、より厳密にすることも出来るはずです。

かくかくしかじかの理由から、この作品は面白い!と批評することで初めて、「あー、そうか、そういう考え方で制作することもできるな」と、人にインパクトを与えることが可能になります。「すでに見たことがあるからダメ」「こんなの私好きじゃない」では、「じゃあどうすればいいの?」で止まってしまう。それ以上に何かを引き起こすために、一緒にどうしようか?と考える状況をつくることが何より必要ではないでしょうか。

従って今必要な批評とは、どうやったらより面白いデザインをつくれるだろうか、をみんなで考えて、よりよい状況をつくるためのものだと思っています。「ケチ」つけても何も始まらないです。何かを、なんらかの意思をもって実践した上で、トライアル&エラーの反復から修正していくような、おおらかな批評の在り方が今必要ではないでしょうか。

否定的な批評よりも、具体的にどうしたらよりよくなる可能性があるのか。肯定的な批評ができないなら、できないなりのアイデアの提示があってもいいと思っています。

島宇宙の中での不毛な争いだけは、日本のためになりません。
言い方を変えるだけで、大変有意義な意見になるかもしれませんから、
言葉にする時はポジティブなインパクトを生むことを前提としたいなと
思っています。

そんな事を考えつつ、Fashionista創刊に向けて動いています。

Critical Design Labについて

こんにちは、水野です。

Life & Designの楢崎様、コメントありがとうございました!
今年もDESIGNEASTを宜しくお願い致します。

このブログは、校正をせずに生の勢いで書くというルールを自分に課しているため
後で読み込むと日本語が一部おかしかったりします。が、それも併せてお楽しみください。

先週まで京都・Artzoneにて、「ドリフのファッション研究室」にも主宰者として登壇されていた、建築家の藤原徹平さんファシリテーションによる対話実験が開催されていました。

そして、5/29には現在、大学で上司?にあたるコミュニティ・デザイナーの山崎亮さんが情熱大陸で特集されていました。

その話をしたくてしょうがないのですが、そこはあえてこらえ、別の話をしようかと思っています。しかし、非常に面白かったです。情熱大陸はテレビだから仕方ないのですが、ファッションクラスタの方はぜひ、FASHIONISTAの共同責任編集をしている蘆田くんが登壇した回のハッシュタグをtwitterで追いかけてみてはいかがでしょう。#az0528です。

横断領域的な知の構造について様々な角度から議論が会期中されていたわけですが、もちろんファッションもその射程に入っているというところがいいですよね。対話実験では、建築家の言語化能力の高さは明らかですが、他ジャンルの人たちの身体性のある言語のシャープさ、「精度」に関してもやはり別の面白さがあると思いました。

自分の博士論文でも書いたのですが、単純な二項対立としての知/肉や、理論/感覚というのは非常につまらない。そうではなくて、その間の交通論を考えるべきであって、それはファッションでも不可能ではない。デザイナーとしてかつてやってた時のことを振り返っても、そう思います。菊竹清訓の「か・かた・かたち」とか、そのモデルとなる体系はなんでもなんでもいい。問題は、語るべき方法論をファッションの中に設定する試みをしない限り、いつまでたっても言語/非言語の間を結ぶことができないわけですから。

さて、そんなことを書きながら、本日の題はUltra Factory Critical Design Labについて書こうと思います。まず、京都造形芸術大学に位置する、謎の工房Ultra Factoryについて。2008年の6月に、現代美術作家のヤノベケンジさんをディレクターに設立された工房施設です。ここでは、第一線で活躍する様々なアーティスト/デザイナー/エンジニアなどの方をお招きし、学生と共に制作するプロジェクトを展開しています。もちろん学生1人でも制作をしにくることができますが、もっと早く現場のことをしり、苦悩するアーティストやデザイナーと共に制作に従事することから、より効率よく「手で考える」ことを達成できたらと思っています。

その中で、僕はDESIGNEASTの実行委員でもある原田くんと共にDesign Labを運営しています。ここではデザインをしっかりプロセスをふんで制作するために言語化し、その上で作品をつくることを目指しています。簡単にいうとそんな感じで、学生を毎年10人くらい輩出しています。

その名前、Critical Design Labのクリティカル=批評的/批判的な、というのは、批評的精神を引き受けつつデザインをする、という意味で、デザインを否定しているわけではないです。ニュアンスとしてよく、批評=否定しまくる、という感じで受け止められがちですけど、批評は否定ではないです。その名前の由来の一つは、前述の「言語化」することにあるのですが、もう一つはAnthony Dunne とFiona Rabyが提唱する「Critical Design」にもあります。今月のAXISの表紙になってる二人ですね。

Fionaさんにはレクチャーをしに来て頂いたこともありますが、とにかく面白いのは
「デザインは問題解決をするだけでなく、問題提起するためにもある」という観点です。現在アーティスト?として活躍中のスプツニ子こと尾崎ヒロミさん、Design Tide Tokyoに出展していたスズキユウリくん、「覗かれ穴」の岡田憲一くん、アンカーズラボのメンバーの柳澤知明くんなど、後進に面白い人たちが沢山でてきました。あと、アンカーズラボ/ライゾマがアルスエレクトロニカで受賞されたとのこと、おめでとうございます。

ファッションデザインでは、「問題解決型」のデザインは少ないです。特にハイファッションの世界では、足が変形しようが、チクチクして着づらかろうが、洗濯できない素材だろうが、そんなことは関係ないわけです。強いて言えば、解決すべき問題は「美しくみせる」ことでしょうか。でも、プロダクトデザインなどの世界では問題解決を基本に位置づける場合が多いわけですね、「好転する」ことを目的としているわけです。

しかしながら、「好転」することを拒み、むしろ我々を挑発してくるような作品をつくるためのナラティブによって、サイエンスフィクションの小説のように私たちの判断を一時停止させる力がデザインでもできる、という言い方をTony Dunneはするわけです。その為に現在をよくリサーチしよう、そして素晴らしい作品をつくろう、ということで、社会科学的見地からのリサーチを多岐に渡って彼らは行っています。今はバイオテクノロジー系にはまっているようですが。

なんにせよ、そのようなデザインの在り方も含めて横断的視座を育てるためにDesign Labは運営されています。だから、リサーチ&デザインの&の部分をとても大切にしています。

ファッションデザインでは、「問題提起」し、我々を挑発することもあまりない。社会と私たちの関係性について挑発するような作品はすくないのではないでしょうか。実用的に「問題解決」することも少ない。じゃあ何をしているのか。様々な社会的問題に対して、解決も提起も何もしないで「表現」する、というのもこの社会状況下いかがなものか?
なんていう思いから、ファッションショーが延期されたりしたのでしょうか。

そうだとするなら、ファッションデザインとは果たして何なのか。どういう社会との関係性を構築すべきなのか。そのための作品とは、どのようにつくり、どのようなアイデアを提示していくことができるのか。これまで、議論の対象にもならなかったような「建築」的な言語化能力も身につけていくことから、これまでのファッションデザインの領域で語られてきたアイデアがより明確になる契機がそこにあるのかもしれません。

自分を中心にした同心円を描くにあたり、自分近辺の話のみならず、遠くの社会圏に至るまで描き、そららに等価に価値を見いだすことはファッションに可能か。それは倫理、環境、歴史、社会、科学技術など様々な文化にも言及することになるやもしれませんね。

Critical Designについて詳しく知りたい方は、Hertzian TalesとかDesign Noirとかをおすすめします。とても面白いです。映画「Objectified」にも出てました。