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MASATO ASHIDA

蘆田 暢人

建築家
1975年 京都生まれ
京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了
内藤廣建築設計事務所を経て独立

蘆田暢人建築設計事務所 代表
ENERGY MEET 共同主宰

e-mail: mstashd@gmail.com
twitter: @masatoashida

地域性というネゲントロピー

今回の大震災による被害とその復興、そしていまだに収まる兆しもない原発とこれからの国家としてのエネルギー政策。いま日本人全員が不安と関心を持ち、それぞれの立場でいろいろな人がこれからの道を考え、行動に移し始めています。まだ、どこに進むべきかその行く末は見えていないのが現状だと思いますが、一つだけ確かなのは、これまでのパラダイムを根本的に変えていかなければいけないということでしょう。

近代は、モノや文化やテクノロジーが世界中に拡散・流通した時代です。もちろん、いまだにそれは続いています。言ってみれば、文化と技術のエントロピーが増大し続けているのです。

その結果、その世界中で同じようなモノが作られ、同じ技術が援用され、文化は停滞し、人間が制御しきれない大事故が起こってしまいました。

エントロピーの最大化は混乱とその先の活動停止、死にいたります。

現代科学では否定されてしまっていますが、ぼくはシュレディンガーが唱えた「生物体はネゲントロピー(負のエントロピー)を食べて生きてる」という言葉を、これからの時代はもう一度考えていかなければならないと思っています。

シュレディンガーは、物理学者で量子力学を創設した人ですが、生命とは何かということも追求しました。
その著書「生命とは何か」の中で、彼は、生命は自らのエントロピーが増大し死へと向かう移行過程で、環境から食物など秩序の高いものを吸収することで、低いエントロピーの秩序状態を保っていると語っています。

現在の世界でエントロピーが増大している状態の中でも同様に、文化や技術の面での負のエントロピーを吸収していく必要があると思います。

文化や技術におけるネゲントロピーとは何でしょうか?

いろいろなことが考えられると思いますが、ぼくはその一つは地域性という環境だと思っています。

時代精神とも言えるような、もはや抗えない世界的な流行の通底奏音に身を委ねつつ、地域性あるいは局所性に向き合い、それを取り込むこと。どこかで見たことのあるようなものではなく、ココでしか実現できないものを作ること。

その地域性とは、流通しないものである必要があります。
一時期、アンチ近代の流れ、言い換えればモダニズムからの脱却を図るため、特に建築の世界では、地域主義といったものが声高に叫ばれました。
そこで取り上げられた地域性とは、材料や様式的な固有の文化だったと思います。それすらも結局、表現の上では流通が可能だったため、似たようなものが至る所で消費されてしまいました。

流通しない地域性とは、その場所固有の光や空気、温度や湿度、風という環境です。
それも、それらを定量化して扱うのではなく、定量化され得ない「質」というものを捉えて、それに応えるような表現で地域性を取り込むことが求められるような気がします。

「環境建築」というものが、最近の地球温暖化防止の流れを受けてもてはやされています。しかし、これもほぼ同じような技術や方法論であちこちで作られています。ドイツと日本で同じガラスのダブルスキンのビルでいいのか?と疑問に思います。本来の「環境」というものを捉えていないのではないでしょうか。

と、ここまで書いて何ですが、実は今日はこういうことを書くつもりはありませんでした。

数ヶ月前に、とあるプロジェクトの敷地を見に中国に行ったのですが、そのときに体験したことを綴るつもりでした。
これからそのことを書きますが、その中国での体験と先の大震災で目の当たりにした現実から、このようなことを考えずにはおれませんでした。

中国は北京経由で陶磁器で有名な景徳鎮という街に行きました。

景徳鎮は宋代から続く歴史のある街で、長江の南にある田舎町です。(それでも人口が30万人いるというのが中国のすごいところですが・・・)

北京もそうですが、景徳鎮の市街地も近代化されていて、建物はどこででもみるようなビルが並んでいます。その市街地に、ほぼスラム化してる歴史街区がありました。

景徳鎮の歴史街区

この地区に何件か古い住居があったので、住んでいる方にお願いして中を見せてもらいました。この地区の古い住居は集合住宅の形式になっていて、中に入るといわゆるドマ空間があり、共用キッチンになっています。各住戸はそのドマを中心につながっているようです。

どの住居にも特徴的だったのは、ドマ空間にトップライト(天窓)またはハイサイドライト(高窓)で光が取り入れられていることでした。
その光の差し込み方が非常に美しく、照明のほとんどない内部空間もすばらしかった。

伝統住居のドマ

伝統住居のドマ

前々回のブログで「陰影礼賛」と水平にリバウンドして入ってくる光によって形作られる日本の住居空間について触れましたが、この地域では高いところから差し込む光によって空間が作られていました。
日本とは異なる質の光がここにはありました。

訪れたのが冬だったこともあるかもしれませんが、この地域の光は、乾いているのにやわらかく、面的に拡がって降り注ぐような光でした。

このような光だからこそ、それを上から取り込む空間の作り方がなされてきたのでしょう。日差しが刺すように強い地域や雨が多い地域ではこうはいかない。
光の地域性あるいは風土性というものを強く感じました。

別の場所で昔の磁器の窯を復元した施設でもこのような空間が見られました。

景徳鎮の民窯(民間経営の窯)

「天井」という言葉があります。日本では、屋根の下に張る仕上のことを指す言葉ですが、中国では風水的秩序において個々の住居に「気」が注ぐ「天の井戸」なのです。

伝統住居の天井

風水とは土地の環境を読み解く技術だったのでしょう。

ここでは、一例として光の地域性の例を挙げました。
光だけでなく空気や風など、世界中でいろいろな質の環境があることは、旅行などで訪れても実感できるかと思います。

今日は建築のことばかりになってしまいました。
「流通しない地域性」というものは、ファッションにはなかなか適応できないかもしれません。
ファッションは特に流通と消費の速度が大きい分野ですから。

しかし、そもそも衣服も元々その地域の環境に呼応する形で生まれたものでしょう。
夏に皮膚にまとわりつくような独特な湿度の空気になる京都や日差しが強く朝夕の寒暖差が非常に大きい長野などで、そこで着るためにデザインされた服というのがあってもいいのではないかと思います。

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