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MASATO ASHIDA

蘆田 暢人

建築家
1975年 京都生まれ
京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了
内藤廣建築設計事務所を経て独立

蘆田暢人建築設計事務所 代表
ENERGY MEET 共同主宰

e-mail: mstashd@gmail.com
twitter: @masatoashida

装飾考

 先日、村田明子さん率いるMA déshabilléの展示会レセプションで開かれた國分功一郎先生のトークショーに行ってきました。タイトルは ’Fashion as Prodigality’ —浪費としてのファッションは可能か—。國分氏の主張する消費と浪費の違いから、話は装飾へとつながり、「衣服はそもそも装飾である!」との結論。非常に刺激的な内容でした。

 ここでのファッションにおける装飾とは、言ってみれば「プレゼンテーションとしての衣服」つまり、保温や礼儀といった衣服の機能性という側面ではなく、自らの身体を飾り、他人を魅せるための役割ということだったかと思います。
 國分氏は消費と浪費という観点において、次のように定義づけています。浪費とは、「必要を超えて物を受け取ること」つまり贅沢であり、それには限界があり、満足がある。それに対して、消費という行動においては、人は物自体に所有欲がわくのではなく、物が置かれている状況、そしてその記号性を欲するというのです。それはつまり「ブランド」や「グルメ」など「ブーム」に乗って、ひたすらに更新される「流行」というものを追い求めることだといえるでしょう。そこには限界がなく、満足することがないのです。

 國分氏は「浪費としてのファッション」、つまり満足を得るためのファッションを提言されていました。衣服はそもそも装飾であるから、自分が満足を得るために自らを飾る。それは消費の海に流されない行動だといえるのでしょう。
 自らを飾ること、つまり装飾としてのファッション、一体それはどういうことなのか、それを考えてみたいと思います。

 装飾とは何か? その問いに答えるのは非常に難しいように思います。全てのものが複合化し、多様化した現代においては、純粋な装飾あるいは純粋な機能、それらを個別に取り出すのは困難でしょう。衣服で言えば、染められた糸で織られた服は装飾か?ステッチは?柄は?腕より長い袖は?などなど。

 そもそも装飾とは、自然や神の世界を、世俗としての人間の社会(共同体)につなげるものだったのではないでしょうか。例えば、ゴシック建築のバラ窓、ギリシャ神殿のアカンサス模様、ドレスを彩る花模様。それらには、花言葉のように意味があり、17世紀頃のヨーロッパで盛んだったアレゴリー(寓意)表現のように物を媒介にした意図の伝達に使われていました。人は装飾という無機化された自然をコミュニケーションの媒介とすることで、自然とのつながりを失うことなく、社会を営んできたのです。

 そう考えると、19世紀末の建築家アドルフ・ロースが『装飾と犯罪』において、装飾は未開人のものであり、近代人は装飾を排するべきだと語ったことは、近代化/工業化した社会が、自然を克服し、自然から遊離する方向に進んだこととパラレルになります。近代社会は自然と同様に装飾からも遠ざかったのです。
 そして、突き進んだ近代化/工業化は、「合理的」という価値を生むことで、装飾/社会の中の自然を「過剰なもの」として排除したのです。その流れは、情報化社会に突入するとさらに加速されます。通信機器の発展は、記号の加速度的な流通を生み、消費社会が生み出されたのです。

 ぼくは衣服(ファッション)とはコミュニケーションツールだと思っています。今日会う人に合わせて服を選ぶこと、服を通して他人に自分の印象を与えることなど、これらは言葉にならない人とのコミュニケーションだと思います。消費としてのファッションは、流行という大きな波と自分との関わりにしか目が向いてなく、そこに対話はないといえるのではないでしょうか。

 現代は、近代化/工業化の反省からふたたび自然に目が向けられています。どこを見ても「環境問題」の話題が尽きません。デザインも自然に寄り添うべきだと思います。そこに再び装飾の可能性が生まれるのではないでしょうか。しかしそれは、決して昔のような装飾のあり方ではないでしょう。自然といっても、装飾のモチーフに多用されていた植物だけに限るものではありません。ぼくたちは改めて現代の装飾を考えていかないといけないと思います。

 対話的なコミュニケーションの媒介としての装飾的なもの。

 ファッションでいうとそれは素材に目を向けることかもしれません。あるいは衣服単体に留まらず、場所を作ることかもしれません。
 日本人は、人と出会ったとき、挨拶に続いてよく天気や季節の話をします。まさしく自然をコミュニケーションの契機にしているのです。この日本人的なコミュニケーションの作法は、ファッションにおける装飾のありかたを示唆している気がします。

FashionScape

先日、オペラシティの「感じる服、考える服展」に行ってきました。
10組のファッションデザイナーによる意欲的な展示は実に刺激的でした。

展示計画は建築家の中村竜二氏によるもの。展覧会における区割りのあたらしい方法を試みられていました。
全体としては、ギャラリー自体のサイズと展示作品と展示計画がそれぞれにややかみ合ってない印象を受けました。
オペラシティのハコ自体については、言っても仕方ないところもあるので、ここでは触れません。

展示計画それ自体はすばらしいと思います。技術的にもかなりハイレベル。一見さらりと作られているように見えますが、簡単にできるようなものではありません。しかしながら、今回の展示作品との関係性がうまく構築されていたかというと、あまりそのような感じは受けませんでした。

くぐらなければ超えられない高さに梁が設けられていることで、鑑賞者は展示空間への身体的な参加を促されることになります。
「見る」という行為の美術館における特権化に対して、鑑賞者に身体への意識をさせ、通常の鑑賞とは異なった体験をさせるような演出をいとしたのでしょう。
しかしながらこの新しい鑑賞の体験は、作品との間に生まれる体験というよりは、この展示計画との間に生まれているように感じられました。端的に言えば、ファッションの展示でなくてもよかったのではないかということです。

始めは、展示空間に「身体性」を持ち込むと言うことが、ファッションとの関連なのではないかと思ったのですが、自分が「梁をくぐる」という与えられた行為を繰り返すうちに、この行為から生まれる「身体性」に違和感を覚えました。
少なくともファッションの身体性とは違うという違和感だったんだと思います。
どちらかというと舞踏的あるいは演劇的な身体性だと思います。舞台衣装の展示ならよかったかもしれない。直感的ですが。

せっかくファッションの展示をするのならば、ファッションでしかできないこと、あるいは普段触れられないファッションの世界を体験できるような展示空間を作り出す方が魅力的な気がします。たとえば普段なかなか参加することのできない、ファッションショーの空間を疑似体験させるような企画など。
唯一試着ができたまとふは、ファッションの体験を展示につなげた例といえるでしょう。

展示作品はそれぞれのデザイナーの世界観が表れていて、大変興味深かったです。
大きく分けると批評系と物語系に分かれるのではないかと思います。
ただし、ミントデザインズなどはそのどちらにも当てはまらず、むしろグラフィックデザインと通ずるような印象でした。

批評系とは、アンリアレイジやケイスケカンダのように、既存の制度あるいは社会に対して別の視点を新たに提示するようなクリエイション。
物語系とはシアタープロダクツやh.NAOTOのように独自の物語をその場に出現させるクリエイション。
リトゥンアフターワーズはそのどちらも包含するような展示でした。

また、非常に関心を持ったのは、それぞれのデザイナーの技術の高さでした。ソマルタのシームレスなニットの技術は、素人目にも非常に高い。
シアターのハイテクを駆使した展示も技術への志向を感じましたし、他のデザイナーも、それぞれが高い技術を持って創作活動を行っているのがひしひしと伝わってきました。

欲を言えば、ここに作り出されている世界の先をもっと見たいと思いました。
それは、それぞれのデザイナーの作品が都市を、あるいは社会を席巻したとき、そこにはどういった風景や人間関係が生まれるのか、それをデザイナーはどう思い描いているのかというヴィジョンです。
もちろん、実際にはそんなことはあり得ないでしょう。(ユニクロなどはかなり席巻していますが・・・)
建築も同じです。一つの町が一人の建築家のデザインで作られるなんていうことは、現代ではありえません。
しかし、それでも一つの思想として、あるいは理想として、そんな絵を描いたりします。それは、単体では社会に対して力を持ち得ない建築を、社会に対して投機するための建築家から社会へのメッセージのようなものです。

ファッションデザインでもそういった「風景」を見たいと思いました。風景は単体では作れません。現代あるいは未来の社会におけるファッションから照射される風景。いろいろなデザイナーにそれぞれの「FashionScape」を描いてもらいたいと感じた展覧会でした。

いろんなことを書きましたが、こうやって展示を通していろんなことを考えることができた、ということはこの展覧会は成功だったのではないかと思います。

RE:音を纏う

もうだいぶ時間がたってしまいましたが、先日SHUN OKUBOさんの展示会で、”komm tanz mit mir”(”私と踊って”)というシリーズを拝見しました。
大久保さんもブログで触れてくださいましたが、これは音を纏うジュエリーだと感じました。

このシリーズは音をテーマにしたものでしたが、ジュエリーに差し挟まれた鈴はびっくりするぐらい美しい音色を奏でます。
特に大久保さんのブログにも写真がアップされているドーナツ型の鈴は、振り方や持ち方によって音色が変わり、カタチもとても魅力的で芸術作品のようなすばらしいものでした。
その鈴の音を聞いたときに、ふと現代生活の中では「音」というものが乏しくなっているような思いに駆られました。

ファッションにおいても、聴覚を楽しませることはあまりないのではないでしょうか。
視覚はいうなれず、たとえばオーガニックコットンのような心地よい素材は触覚を楽しませます。嗅覚には香水がある。

いうまでもなく身の回りに音は溢れています。自分が発する声も含め、様々な音の中でぼくたちは生活し、音楽というすばらしい文化もあります。
聴覚は、視覚と同様、五感の中でもっとも他人と共有しやすい感覚なので、音というものは必然的に共同性さらには社会性を帯びているのです。
儀式や祝祭などにおいて、古来から音というものは共同体が一つになるためのツールとして利用されてきました。

現代社会には、いい音と悪い音があります。車の排気音や電車の走行音は静寂な生活を阻害する悪い音、反対に音楽などはいい音でしょう。悪い音は得てして社会問題になり、否が応でも共有化されています。
しかし、いい音の方はというと、むしろ個人化に向かってきたような気がします。
今では、音楽はイヤホンで聴いたり、あるいは集団で時間を共有するコンサートなどにおいても、暗い空間でステージにだけ光の当たった状態でそこだけに意識を集中しながら音を楽しみます。
また、カフェなどで流れるBGMは、他人の会話が気にならないようにするために使われているのでしょう。
社会とまではいわなくとも、周囲の人と音を通じて関係をつくるということが少なくなっているような気がします。(カラオケは別かもしれませんね。笑)

近代は視覚にもっとも焦点が当てられ、特権化された時代でした。
写真や映像技術の発展が社会に浸透し、世の中には「イメージ」が溢れるようになります。音楽という芸術は、その中でも息絶えることなく脈々と引き継がれてきていますが、生活の中では音に気を払うことが失われていったように感じます。

服装の面からいうと、着物は衣ずりの音や裾が床をすって歩く音は、当時を生きる人の所作と結びつき、作法を通じて人間関係にまで影響を与えるものでした。音について気を払わざるを得ない文化がそこにはありました。

建築に目をやれば、昔の日本の建築は絶妙な音空間を作りだしていました。現代のような固い素材ではなく、木、それも杉や檜のような軟らかい木が使われていて、静かな心地よい音環境の中で風の音や鳥のさえずりなどの自然の音と一体化するような空間が生まれています。
今でも残る寺社仏閣に行った際に、そのような体験をみなさんも感じてらっしゃるのではないでしょうか。

音に気を払われていないことが多いという点では、現代の建築も同じです。目に見えるデザインだけ凝っていて、中に入るとひどい音の環境という建物は結構あります。仮に気を払っていても、壁や天井で吸音する程度。どちらかというと性能だけに目を向けていて、ネガティブに扱っている感じです。もっと複合的かつポジティブに、デザインとして音の環境をつくることが必要だと思います。

みんながそれぞれ自分の音を纏い、そのちょっとした仕草とともに奏でられる個性。人とのふれあいが少し豊かになる気がします。

大久保さんの今回の作品にその可能性を感じました。

音は踊りとも密接につながっています。長くなるので踊りについてはまたの機会に触れたいと思いますが、まさに大久保さんの今回の”komm tanz mit mir”というシリーズは、そこに触れた作品だと思います。

post3.11 これからデザインにできること

10月26日から11月6日まで、六本木のAXISギャラリーで「post3.11 これからデザインにできること」展が開催されます。

post3.11 これからデザインにできること

ぼくは、11月5日のデザインミーティングに参加します。テーマは「探す/切り開く」。エネルギーの専門家お二人との鼎談です。

まだどのような話になるかまったくわかりませんが、エネルギーをデザインという切り口でとりあげるトークイベントはほとんど例がないと思いますので、興味を持たれた方はぜひご参加ください。

エネルギーの話はすぐにファッションデザインにダイレクトに結びつく話ではないかもしれません。ただ、現代においてエネルギーは衣・食・住とともに人の生活になくてはならないものです。
今の日本においては、エネルギーは技術論あるいは制度論の文脈でしか取り扱われていません。それを人に関わるところまで引き寄せ、文化として形をつくっていきたい。
そのきっかけとなるような話ができればと思っています。

森美術館では現在、「メタボリズムの未来都市展」という1960年代に描かれた建築と都市にまつわる展覧会が開催されています。

そのメタボリズムというムーブメントの発端となった1960年の「世界デザイン会議」は、建築家を始めグラフィックやプロダクトのデザイナーが世界中から集まって、モダニズムを超克する新たなる社会の未来像を議論し合った場でした。

このメタボリズムにいま再び注目が集まっているのは、3.11以後の社会を再構築していかなければいけないという意識の集積からでしょう。
そのモデルとしてメタボリズムが取り上げられてるような気がします。

しかし、これからの復興は、60年代に描かれたものとは全く異なる形をとるでしょう。
今までのような右肩上がりの成長を前提にしたものでは成立しません。
今後人口が減り続ける日本において、ベクトルは左上に向かうべきです。
左向きとは、文明の発展ではなく、人の「生」の根源へと目を向けるベクトルです。
そして、その「生」のあり方を向上させていく、そのように文化を紡いでいかないといけないと切に思います。

世界デザイン会議には、ファッションデザイナーは参加していませんでした。
高度成長期の国家あるいは国土主体の大きな物語に、ファッションがアンカーできなかったのは、時代の流れからすると当然だったのでしょう。
ちなみに、エネルギーにはデザインというマインドさえ生まれていませんでした。

左上に向かうベクトルの主体は、国家でも国土でもなく、人です。
あるいはもう少し範囲を広げて、地域やコミュニティでしょう。
そこではファッションの役割が大きくなるような気がしています。

「これからデザインにできること」
答えの見つからない問いかもしれませんが、デザインに関わる人間は皆考えなければならないテーマではないかと思います。

関係性の国

昨今の震災に対する政治や社会の動向などを見ていると、つくづく日本という国は、論理で動くのではなく関係で動く国なんだなと思います。
論理的には正しいはずのことが素直にその方向に進まない。
原発に関する3.11以後の国や自治体の対応は、世界の他の国々のメディアを散見したところ、彼らには理解不能なようです。

何せ、ヨーロッパではドイツやイタリアなど数カ国が原発の廃絶へ舵を切ったのに、当事者である日本では依然その方向に舵を切らない。にとどまらず、北海道では原発を再稼働までしてしまった模様。まだ余震つづくこの状況で、です。どう考えても論理的に正しくないですよね、これ。

そもそも日本語というのは、自分のことを指し示す一人称が話す相手によって変化します。「私」だったり「オレ」だったり、女の子の中には名前で自分のことを指したりもします。相手との関係によって自分自身の呼び方を使い分けています。

言語学には詳しくないので、同じような言語が他にあるかは知りませんが、欧米語や中国語では、一人称は絶対的です。
そこでは、自分という確固たる個が持つ一つの論理を他の人のそれとぶつけ、闘わせ、社会を作っていくものなのでしょう。

日本では、おそらく昔からそのような形で社会が構成されてこなかったのではないでしょうか。
論理的かどうかが問われるのではなく、共同体の関係の中で「調整」して物事が構築されていくのです。
そのような共同体の中では、論理的な正しさをいかに振りかざしても何も変わらないのが現実です。
むしろそういった環境を受け入れて、いかにいい方向へ関係性を作り出していくか、そこに目を向けなければならないと思います。
今の社会のありかたは、逆にこうした日本的な姿勢が否定されてしまっているような気がします。執拗に「透明性」を求めたり、「社会正義」を確立しようという動きが最近は目につきます。
少し前に、日本でマイケル・サンデル氏の著作がもてはやされたのは、そういった風潮を如実に表しているような気がしてなりません。

もちろん論理的な正しさを求めることを否定する気は全くありませんが、もともと持つ私たちの社会の慣習から目を背けながら社会を変えていこうとするのは難しいのではないでしょうか。

そのような社会の中でのものづくりのあり方も、関係性の中で生まれていくものだと思います。自分の理念をただひたすらに主張するのではなく、自分の思想やデザインへの意志を他人の言葉に翻訳し、その物語に接続すること。
翻訳可能性が高ければ高いほど、いろいろな人たちの物語に接続することができる、優れたデザインと言えると思います。

デザインの翻訳可能性とは、決して昨今よく言われるような「多様性」とは異なります。
「多様な使い方ができる」「多様なアクティビティを誘発する」といった売り文句は、作り手の思考停止以外の何ものでもありません。結局のところそれぞれの物語に接続する方法を見いだす努力を放棄しているからです。

翻訳可能性の高い形式や型は、長く使い続けられるものになるでしょう。
このことに関しては、また次回にでも詳しく書いていきたいと思います。

なんだかファッションとは全く関係ないことを書いてしまいましたが、今年の9.11という日は気楽には過ごせない日でした。

感性としての力学-山本耀司『MY DEAR BOMB』

ぼくは作り手が自分の手がけた「物」について書く文章をあまり読みません。
言葉と物は決して一致することはないので、その二つを無理矢理結びつけようとすることに違和感を持っているからです。

でも、作り手が普段考えていることや、迷い、悩み、問題意識などを語る言葉には興味があります。
その言語化された思考から生み出される物がどのようなものであるか、それを見ることで刺激を受けることがよくあります。

山本耀司さんの『MY DEAR BOMB』を読みました。
ファッションデザイナーが作品を一切載せない、1冊のまとまった書籍を出すというのは珍しいのではないでしょうか。

前半は、山本耀司というデザイナーの破天荒な半生を綴ったワイルドなテキストで、彼にとっての人生論ともいえる内容。

振り返ってみると、ぼくが自分が着る服を意識するようになった80年代後半、母親がことあるごとに「Y’s、Y’s」と口走っていました。そんな母親が中学生のぼくに買い与えたTシャツには、「Comme des Garçons」と書いてありました・・・。その時はよくわからなかったのですが、そのうちに、あれだけ言っていたY’sは何だったんだと疑問に思うようになりました。ともあれ、その当時は一般の人の意識の上でもファッションデザイナーといえば、耀司さんと川久保玲さんだったんでしょうね。

そんな思い出にも浸りながら読み進めると、後半は創作論ともいえるデザインのポリシーや姿勢、問題意識へと話が移ります。

その中で語られる、彼のクリエイションの根幹とは、下の引用に凝縮して述べられているような、「人間の身体に支えられる布地の様態」に対する執拗な想像力に由来するものなのではないかと思います。


自分の方法、それは布地と人間の身体が教えてくれる。
デザイン画が服を作るのではない。わたしはいつも言う、「いいか、布地が教えてくれるから」。布地が、いったいどういう具合に垂れたがるのか、揺れたがるのか、落ちたがるのか。

あたりまえのことかもしれませんが、衣服は人間の身体に支えられることで初めて成立します。そして、その支えられる身体は個体によって異なります。
ファッションデザインとは、支えられるものがその時々によって異なるという偶然性に依存するものと言えるのです。

ぼくは、この世界で物をデザインすることは全て力学に左右されると思っています。
立体であればその対象は概ねにして重力でしょう。
形態は力の集積として顕れます。その見えない「力」というものを捉え、記述しようとする方法のことを力学と言えるのではないかと思います。

そして、どのような分野であれ、新しい力学が見いだせたときに、新しいものが生まれると思います。逆に言えば、そこに新しい力学がないのであれば、例え一瞬目新しい物に見えたとしても、それはうわべだけで、真に新しいデザインは生まれないといっても過言ではない気がしています。

ファッションデザインの場合は、衣服が重力に抗って自立しないため、支えられる身体をどのように捉え、設定し、それにどのような素材をどのような形で当てるかということが焦点になります。
そこで生まれる素材の様態、布の襞やゆらめきを捉えようとする視座こそが、耀司さんが向き合う力学なのです。極めて感性的な。

建築やプロダクトは、エンジニアリングとして力学を構築する分野です。

ファッションデザインは、そういった側面から言えば、全く異なるものでしょう。
ファッションデザインは、感性として力学を構築するのです。

力学はとてもシンプルです。
シンプルであるが故に、それに対する視点と解法は無限にあるはずです。

超高層の森の中でのBBQ

先日、豊洲にある CAFE;HAUS というお店で、とある集まりがありました。
この CAFE;HAUS というお店、豊洲という東京の臨海部で、ここ数年再開発が進み超高層マンションがニョキニョキ建ちはじめた場所にあります。銀座から車で10分程度で着いてしまうようなところです。
そこで、なんと庭でバーベキューができてしまうのです。
残念ながら、某大規模複合商業施設に遮られて、海を望むことができないのですが、このロケーションで、潤沢な庭があり、そこでBBQを提供するというスタイルは、今までになかったお店のあり方だと思います。

BBQというとよくあるのは、場所の提供だけ行い、食材や調理は利用者に委ねるというものですが、このお店は食材はもとより、焼き方までも指南していただけるのです。
驚くべきことに、この焼き方次第で全く味が変わってしまうのです!奥が深い。
ぼくたちは、オーナーの石渡さんにほぼ全て焼いていただいたので、完全に満喫できたと思います。
また、食材へのこだわりはもちろんとして、使う機材や炭などにいたっても厳選されています。
それも、ただいいものを集めたというわけではなくて、提供したいサービスに合わせて、それぞれのエレメントが選択されているのです。
この姿勢は本当に素晴らしいと思いました。

決して華美ではなく、純粋に食材の本質を最大限に引き出すための技術を提供する。
それも、一方的に提供するのではなく、お客さんも調理というプロセスに参加するというBBQの特徴もあります。
当然、そこにはコミュニケーションが生まれます。
それだけでなく、場所の魅力も最大限に生かしている。
そして、単純に楽しい。

何気ない一夜の晩餐の場なのですが、このお店のありかたにこれからの建築も含めたデザインに求められる姿勢を再認識させられた気がします。
それは、本質へのまなざし、技術の追求、プロセスの共有化、コミュニケーションの創出です。
これらがないと時間を超えて生き残れるものは生まれないと思います。

この姿勢はきっとこれからの日本に必要な新しい形の物語に通じていくと思います。

それは、一方的とも言えるような大きなところで作られる大きな物語ではなく、とはいえ、小さなところに閉じこもって自閉的な小さな物語を作るのではなく、小さなところからたくさんの人が共有できる大きな物語を作ることです。

決して人間が抗えない自然の驚異に絶えずさらされ、人口が右肩下がりで減っていき、地域の格差が大きくなって行く。
そんなこの国のこれからを考えると、今までのような発展的近代幻想を抱いているような姿勢では立ちゆかなくなるでしょう。

集まった面々がブランディングデザイナー、不動産コーディネーター、銀行で都市の再開発の投資を担う方、大学で教鞭を執る方、建築家とそれぞれ違う立場でデザインに関わる人たちということもあって、そんなことに思いを馳せました。

ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

剰余としてのデザインを超えて

日本のデザインは変わらなければならないと思っています。

3.11以降、様々な価値のパラダイムは変わっていくでしょう。というか、変わらなければならない。経済も、生産も、生活も。直線上の進歩史観、全てが想定できるという幻想。戦後からこれまでの右肩上がりの発展は、震災の前から、いずれ来る人口の減少する社会に向けて変えていかなければならないと認識されていましたが、その切実性がより明白になってきたと感じています。

日本では、デザインはこれまで+αの価値と捉えられてきたと思います。付加価値として、必須ではなく、よりよくするものと。いわば剰余としてものです。

資本主義経済とは、マルクスが言ったように、絶えざる剰余価値の増殖過程であるため、デザインもその剰余価値に与する形でその永久機関に突き動かされてきました。消費の海を泳いできたのです。

消費とは、費やして消すことです。そうやって忘れていく。忘却こそが近代化の特質なのではないでしょうか。

しかし、忘れてはいけないことがある。それが3.11以降の日本が背負っていかなければならない価値だと思います。

剰余としてのデザインは消費されます。どんどん新しいアイデアが形になっては消えていく。それはそれで素晴らしいことかもしれません。
しかし、消費されないデザインがもっと生まれてこなければならないと思います。全てがそうである必要はないのでしょうが。

剰余としてのデザインは、時に煙たがられ、コストがかかるといった認識で拒絶されたりします。

建築では、「標準設計」という制度があります。
公共建築や駅などで定められているのですが、行政などが地域や建物の特殊性をたいして考慮もせずに、「標準」というスペックを決めているのです。それ以外のデザインをしようとすると、仮にコストアップにつながらなかったとしても抵抗を受けたりします。
これは、デザインが剰余として捉えられている典型だと思います。

デザインとは本来そんなものではないと思っています。生み出されるモノを取り巻く状況や環境、作る工程、使われ方などの特殊性を徹底的に突き詰めること。それが本来のデザインという行為だと思います。
そうやって生み出されたものには、強さがあります。時を耐えて受け継がれる価値を持ちます。

また、そのようなデザインはコスト・値段も適正になるはずです。建築ではたまに聞く話ですが、お金がなかったからいいデザインができなかったなどということは、何の言い訳にもなりません。その状況で生み出される見事なデザインは存立可能なのです。

公共建築はこの標準+剰余といった価値体系を変えていかなければなりません。しかしそれは、決して好き勝手なカッコイイデザインを生み出すためではありません。それぞれの建物が置かれた特殊性を最大限に生かしたデザインが求められるのです。

ファッションデザインは、意外と剰余価値が捉えにくい分野ではないかと思ってます。「標準仕様」たるものがないからです。
価値の設定がそれぞれ皆異なるだけで、その価値の中で創作が行われているような印象があります。剰余価値を意識しているような感じがしません。
買い手側もそれぞれ自分なりの価値を持って、その特殊性の中で着るものを選んでいるのでしょう。そういうマーケットが成立している。つまりは、多元的な価値の体系ができているような気がします。
ただしこれは、全く外から見ている印象なので、ファッションをやっている方が、「価値」というものをそれぞれどう設定されているかは、聞いてみたいところです。

いずれにせよ、ぼくは剰余としてのデザインを超えて、本質としてのデザインを模索していくしかないと思っています。

感覚することの想像力

南方熊楠という日本の思想史の中でも異彩を放った人がいます。生涯を通して粘菌を研究したのですが、その思想はその植物学、微生物学に留まらず、民俗学、哲学までも、というか、もはやそういったカテゴリーを拒絶するぐらいの壮絶なる思考を生み出しました。
その熊楠の思想の中に、「事の学」というものがあります。「心」と「物」が交わるところに「事」が生まれ、この世界のあらゆるものが「事」として現象する。そして彼は、この「事」の本質に対する洞察が学問に欠けていると考えました。
彼はその「事」の例として、建築をあげています。
建築家は、建物のイメージやアイデアを心にえがき、それを図面化し、模型をつくり、それを元にして職人さんの手によって建物が造られます。
つまり、設計図や模型、そして職人さんとのコミュニケーションが「心」と「物」を結ぶ「事」なのです。

それだけでなく、建築にはもう一つの「事」が生まれると僕は考えています。それは、完成した後の建物とそこに訪れたり、住んだりする人の感情・行為との間に生まれる「事」です。この二重の「事」をどのようなかたちで生み出すか、それが建築という行為だと思います。

先日、ギャラリー・間で開催中の「五十嵐淳展 状態の構築」を見てきました。
http://www.toto.co.jp/gallerma/

建築の展覧会とファッションショーを比較してみるのは、おもしろいかもしれません。
両方とも、本来体験する方法以外で表現されるということが共通しています。(建築は当然、実際の建物ですらないのですが)間接的な手段による発表としかなり得ないわけです。
建築は実際の空間を体験することで感覚するものですし、衣服は実際に着ることで感じるものでしょう。

まず、建築の展覧会についてですが、それは概ね図面・模型・写真・CGなどのパースを使って表現されます。まれにモックアップという、実際の建物の部分が展示されたりします。

展覧会はよく建築家の思考の過程を垣間見ることができるもの、と捉えられます。確かに、よくできた展覧会ではその思考の奇跡をたどることができます。
熊楠の言葉に沿えば、「事」を通して建築家の「心」を探るといったことでしょう。あるいは、もっと読解力の優れた人が見れば、「心」と「物」を「事」によっていかに結んだか、その「いかに」を図面・模型に見いだすことができます。

僕も当然そういった見方をすることもあります。
しかしそれは、むしろ批評的な立場から見ている場合でしょう。
作る立場から見ると、違う視座を持って望むことになります。
それは、先ほど述べた二重の「事」のうち、後者の「事」を生み出す者としての視座です。
図面や模型から、どういった「事」が生まれている空間なのかを想像するのです。自分がその空間に立った時、どういうことを感じるか、どのような行為を触発されるか、など。いわば、「感覚することの想像力」を最大限に働かせ、それによって刺激を受けます。

その視座に立った時、今回訪れた五十嵐淳さんの展覧会は、非常に刺激になりました。全て実際の建物の1/10のスケールの模型のみが展示されています。大部分が住宅です。図面は一切ありません。

みんな模型を覗き込んでます

模型は非常によくできていて、窓の部分などから覗くと実際の空間が想像できます。
恐らく五十嵐さん自身が、建物が置かれる環境において、その中で暮らす人がどう感じるか、どのような行為に導かれるかということにその思考を費やされてるのでしょう。そのことが伝わってきます。
欲を言えば、模型に人がいた方がよかったように思います。
1/10といわれても、建築プロパー以外の人はなかなかイメージしにくいでしょう。
同時に五十嵐さんの作品集も出ていますので、そちらの写真とセットで見てみるとよりイメージしやすいかもしれません。

近年いままで見たことのないようなカタチの建築が世界中で生まれています。それを否定はしませんが、カタチはわかりやすく、伝わりやすい。そういった建築がメディアにとりあげられ、いろいろなところで展覧会が行われています。
そういったもののみが流通すると、建築を志す人たちが「感覚することの想像力」を鍛えられなくなってしまうのではないかと危惧しています。
そういう意味で、その想像力を喚起するようなこの展覧会は素晴らしいと思うのです。

話を変えてファッションショー。
そもそもファッションのクリエイションは、特殊ではないかと僕は思っています。
建築家は自分の感覚や経験を手がかりあるいは拠りどころにしてモノをつくります。おそらくプロダクト系のデザイナーもそうでしょう。
しかし、例えば男性のファッションデザイナーは女性の服を着こなすことはできないにもかかわらず、女性の服をデザインする。
すごいことだと思います。
一体どのような感覚を拠り所にしてデザインをされているのか。
ファッションデザインにおける「事」とは何なのか。そのクリエイションの秘技のようなものを、いろんな方に伺ってみたいです。

そう考えると、ショーをデザイナーあるいはそれ以外の人がどういった視座で見ているかというのは、興味があります。
ショーで生み出される「事」とはどういったものなのでしょうか。
僕は実はショーを見たのは、恥ずかしながら1、2度しかありません。(誘ってください!!)
その時は正直、どう見ていいかわかりませんでした。自分の中で視座が確立できなかったのでしょう。戸惑った末に、そのショーの時間の中で、そこに流れる物語を読み取ろうとしました。それは少し、自分のいつもの立ち位置と違い、個人的には違和感がありました。
その時間の中に存在する「事」に対する想像力が働かなかったに違いありません。
次こそは是非!

デザインの時間

最近デザインにおける時間ということを考えさせられる機会が多いと感じています。

きっかけは、数年前に京都でとある建物を設計し、そのプロセスで考えたことや完成後改めて考えたことを建築関係の雑誌等に寄稿したときでした。
そのときは、京都という歴史ある都市につくられる建物のありかたを都市が持つ時間を手がかりに書きました。

その後震災があり、被災地であった東北の事例で言うと、50〜80年で繰り返される津波、1000年に一度の大地震という自然災害の周期に対して、建築あるいは都市がどうつくられるべきかということを、考え続けています。

また、先日「情熱大陸」でも取り上げられていましたが、山崎亮さんの活動、「コミュニティデザイン」ということは、それぞれのまち、集落が持つ時間をいかにコーディネートするかという、いわば地域の時間をデザインすることだと言えると思います。

「100000万年後の安全」といういま上映中の映画があります。

http://www.uplink.co.jp/100000/

フィンランドにある核廃棄物の最終処分場を題材にしたドキュメンタリー映画です。核廃棄物という人類にとって、数万年もの間危機となるものをどうやって後生にに伝えていくか、その葛藤が描かれています。言葉でなのか、グラフィックでなのか、どのような手段を使えば100000年後の人類に伝えられるか・・・。

その映画を見て思ったのは、人間が想像できる時間の範囲とは、自分を中心にして前後3世代くらいではないかということです。つまり、せいぜい200年程度でしょう。
その範囲を超えた時間に対しては、責任はとれない。そう考えると、当然責任をとれないモノはつくるべきではないと思います。

人は最大でも200年の時間しか想像できない。その200年の中で自分が作り出すモノがどの程度の時間生き続けるか、そこに想像力を働かせる必要があると思います。

今、時間を背負ったデザインがどれほど存在するでしょうか。

建築にもファッションにもプロダクトにも、それぞれ固有の時間があります。
そして、その中にもそれぞれデザインされるモノに授けられる時間があります。

また、そのモノがプレゼンテーションされるあり方にも時間の問題が現れます。
例えば、ファッションショー。
ショーとはそもそも一回性のものでしょう。それを例えばアーカイブ化、あるいは再現化する方法があるとすれば、そこに時間的な命題をどう組み込むのか。

モノのレベルで時間を意識的にデザインに組み込むこと。
それは、どのような分野であれディテールに顕れます。

かつて、ミース・ファン・デル・ローエという建築家は、「ディテールに神は宿る」と言いました。
ユニバーサル・スペースという、永続的で無時間的な空間をイメージしたミースならでは言葉だと思います。

まさにディテールには時間が宿るのです。

技術ー作ることの知

6月11日(土)にgreenz(http://greenz.jp/)さんが主催するgreen drinks PICNIC(http://atnd.org/events/16503)というイベントに参加させてもらい、エネルギーとデザインについて話すことになりましたので、その告知も含めて、今日は、エネルギーのことから書きたいと思います。

いま、日本だけでなく世界中で、電力を中心としたエネルギーについて考えなければならない時代が到来しています。

今回の大震災による原発事故がその話題の中心にありますが、地球温暖化の問題も含めると、国家レベルでは各国で十数年前からいろいろな施策が立てられ、まだ部分的かもしれませんが、実行されてきました。

日本では、今回の震災で起こった首都圏の停電などで、ようやくそれぞれ個人個人が自らの問題として、エネルギーのことに目を向けざるを得ない状況になったのではないかと察します。

エネルギーが国家、産業レベルでの大きな課題から、個人の課題へと降りてきつつあります。
当然のことながら、我々モノ作りに携わる者もこの課題に作り手として取り組んで行かなければならないと思っています。

近代技術の発展史に即して見ると、これからはエネルギーの時代だといえる気がしています。

19世紀の機械の時代、20世紀に入って、電気の時代、電子の時代、情報の時代という順で技術は進歩してきました。その後に続くのはエネルギーなのではないでしょうか。
当然これら全てのものが、それぞれ歩みを止めることなく継時的に発展していくのですが、エネルギーに関しては、新たなパラダイムが生まれつつあると感じています。

20世紀の技術と19世紀までの技術の根本的な違いは、20世紀の技術が国家あるいは企業などの大きな主体が利用・整備し、その後に個人の手に届くという経緯を持つことです。コンピューターやインターネットの普及がもっともわかりやすい例でしょう。

それに対し19世紀までの技術は、人が自ら行うことをよりよく、簡便に行うために発明されてきました。小さな主体が自らのために生み出すものだったのです。

大きな主体が作り出す技術は、個人が扱うことはほぼ不可能です。しかし、それが個人の手が届くところまで近づいたとき、そこにデザインが必要になります。
エネルギーは今、この段階に来ていると思います。

人と物がふれあうところにデザインが必要になります。

言い換えれば、デザインとは人と物をつなぐものなのです。
ぼくはそこに技術が介在するものだと思っています。
その技術にこそ、その時代の時代性が色濃く映し出されるからです。
時代を映し出し、社会にアンカーしないデザインは、単なるカタチ遊びにすぎません。

ただし、ここでいう「技術」とは、単に最先端技術のようなテクノロジーのみを指すものではありません。
技術とは、特殊な技・方法・道具と捉えられがちですが、それをそのまま利用するだけでは、デザインは生まれないのです。

「技術」ということを指す古代ギリシャ語は、「テクネー」といいます。
この語は、M.ハイデガーによれば、単なる「作ること」についての概念ではなく、「知」についての概念なのです。

どのような分野においても、デザインを行う者は、その時代がもつ技術の中に、その技術固有の知を見いだし、それを形にしていかなければならないと思います。

情報技術の中に、建築は知を見いだせていないと思います。これからも見いだせないかもしれません。
しかし、エネルギー技術の中には見いだしていかなければならないと思います。
それは決して、今行政を中心に推進されている「エコ建築」のようなものではないでしょう。

芸術の世界では、pixiv や TEAM LAB、カオス*ラウンジといった人たちが情報化技術に呼応した創作活動を行っています。

ファッションはこの時代の技術にどう呼応していくのでしょうか。
あるいは、身体にもっとも近いファッションは、時代の技術をよそに独自の発展していくのかもしれません。
もちろん、時代の主流となる大きな技術以外にもいろいろな技術があります。

技術という側面からファッションを捉えてみたいし、技術が生み出す衣服のかたちに非常に興味があります。

と考えていたら、太陽光ビキニなるものを見つけました。

http://youpouch.com/2011/06/05/181436/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+youpouch+%28Pouch%29&utm_content=Twitter

こういうことではないんでしょうね。

地域性というネゲントロピー

今回の大震災による被害とその復興、そしていまだに収まる兆しもない原発とこれからの国家としてのエネルギー政策。いま日本人全員が不安と関心を持ち、それぞれの立場でいろいろな人がこれからの道を考え、行動に移し始めています。まだ、どこに進むべきかその行く末は見えていないのが現状だと思いますが、一つだけ確かなのは、これまでのパラダイムを根本的に変えていかなければいけないということでしょう。

近代は、モノや文化やテクノロジーが世界中に拡散・流通した時代です。もちろん、いまだにそれは続いています。言ってみれば、文化と技術のエントロピーが増大し続けているのです。

その結果、その世界中で同じようなモノが作られ、同じ技術が援用され、文化は停滞し、人間が制御しきれない大事故が起こってしまいました。

エントロピーの最大化は混乱とその先の活動停止、死にいたります。

現代科学では否定されてしまっていますが、ぼくはシュレディンガーが唱えた「生物体はネゲントロピー(負のエントロピー)を食べて生きてる」という言葉を、これからの時代はもう一度考えていかなければならないと思っています。

シュレディンガーは、物理学者で量子力学を創設した人ですが、生命とは何かということも追求しました。
その著書「生命とは何か」の中で、彼は、生命は自らのエントロピーが増大し死へと向かう移行過程で、環境から食物など秩序の高いものを吸収することで、低いエントロピーの秩序状態を保っていると語っています。

現在の世界でエントロピーが増大している状態の中でも同様に、文化や技術の面での負のエントロピーを吸収していく必要があると思います。

文化や技術におけるネゲントロピーとは何でしょうか?

いろいろなことが考えられると思いますが、ぼくはその一つは地域性という環境だと思っています。

時代精神とも言えるような、もはや抗えない世界的な流行の通底奏音に身を委ねつつ、地域性あるいは局所性に向き合い、それを取り込むこと。どこかで見たことのあるようなものではなく、ココでしか実現できないものを作ること。

その地域性とは、流通しないものである必要があります。
一時期、アンチ近代の流れ、言い換えればモダニズムからの脱却を図るため、特に建築の世界では、地域主義といったものが声高に叫ばれました。
そこで取り上げられた地域性とは、材料や様式的な固有の文化だったと思います。それすらも結局、表現の上では流通が可能だったため、似たようなものが至る所で消費されてしまいました。

流通しない地域性とは、その場所固有の光や空気、温度や湿度、風という環境です。
それも、それらを定量化して扱うのではなく、定量化され得ない「質」というものを捉えて、それに応えるような表現で地域性を取り込むことが求められるような気がします。

「環境建築」というものが、最近の地球温暖化防止の流れを受けてもてはやされています。しかし、これもほぼ同じような技術や方法論であちこちで作られています。ドイツと日本で同じガラスのダブルスキンのビルでいいのか?と疑問に思います。本来の「環境」というものを捉えていないのではないでしょうか。

と、ここまで書いて何ですが、実は今日はこういうことを書くつもりはありませんでした。

数ヶ月前に、とあるプロジェクトの敷地を見に中国に行ったのですが、そのときに体験したことを綴るつもりでした。
これからそのことを書きますが、その中国での体験と先の大震災で目の当たりにした現実から、このようなことを考えずにはおれませんでした。

中国は北京経由で陶磁器で有名な景徳鎮という街に行きました。

景徳鎮は宋代から続く歴史のある街で、長江の南にある田舎町です。(それでも人口が30万人いるというのが中国のすごいところですが・・・)

北京もそうですが、景徳鎮の市街地も近代化されていて、建物はどこででもみるようなビルが並んでいます。その市街地に、ほぼスラム化してる歴史街区がありました。

景徳鎮の歴史街区

この地区に何件か古い住居があったので、住んでいる方にお願いして中を見せてもらいました。この地区の古い住居は集合住宅の形式になっていて、中に入るといわゆるドマ空間があり、共用キッチンになっています。各住戸はそのドマを中心につながっているようです。

どの住居にも特徴的だったのは、ドマ空間にトップライト(天窓)またはハイサイドライト(高窓)で光が取り入れられていることでした。
その光の差し込み方が非常に美しく、照明のほとんどない内部空間もすばらしかった。

伝統住居のドマ

伝統住居のドマ

前々回のブログで「陰影礼賛」と水平にリバウンドして入ってくる光によって形作られる日本の住居空間について触れましたが、この地域では高いところから差し込む光によって空間が作られていました。
日本とは異なる質の光がここにはありました。

訪れたのが冬だったこともあるかもしれませんが、この地域の光は、乾いているのにやわらかく、面的に拡がって降り注ぐような光でした。

このような光だからこそ、それを上から取り込む空間の作り方がなされてきたのでしょう。日差しが刺すように強い地域や雨が多い地域ではこうはいかない。
光の地域性あるいは風土性というものを強く感じました。

別の場所で昔の磁器の窯を復元した施設でもこのような空間が見られました。

景徳鎮の民窯(民間経営の窯)

「天井」という言葉があります。日本では、屋根の下に張る仕上のことを指す言葉ですが、中国では風水的秩序において個々の住居に「気」が注ぐ「天の井戸」なのです。

伝統住居の天井

風水とは土地の環境を読み解く技術だったのでしょう。

ここでは、一例として光の地域性の例を挙げました。
光だけでなく空気や風など、世界中でいろいろな質の環境があることは、旅行などで訪れても実感できるかと思います。

今日は建築のことばかりになってしまいました。
「流通しない地域性」というものは、ファッションにはなかなか適応できないかもしれません。
ファッションは特に流通と消費の速度が大きい分野ですから。

しかし、そもそも衣服も元々その地域の環境に呼応する形で生まれたものでしょう。
夏に皮膚にまとわりつくような独特な湿度の空気になる京都や日差しが強く朝夕の寒暖差が非常に大きい長野などで、そこで着るためにデザインされた服というのがあってもいいのではないかと思います。