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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

ファッションの歴史

今日は、前回のブログのコメント欄で回答したことの補足として、既存のファッション史の問題点について少し書きたいと思います。

ファッションという分野は学術的な研究対象になってからまだ年月がそれほど経っていないので、現状ではその歴史に関しても十全に語られているとは言えません。もちろん衣服のフォルムの変遷、つまり様式史という意味ではほとんど完成しています。しかし、歴史の認識というのは様式史だけですむ話ではありません。もう少し理論的な側面も必要なのです。

たとえば、モダニズムやポストモダニズムといった概念があります。装飾を排した機能主義的な建築のことをモダニズム建築と呼ばれているのを聞いたことがあるのではないでしょうか。デザインでもやはり機能主義的なものをモダニズムとすることが多いと思います(バウハウスなど)。しかし、このモダニズムということば、実は分野によって使われ方が違うのです。たとえば美術であれば、アメリカの批評家クレメント・グリーンバーグはモダニズムを自己批判による「純化」のプロセスだと捉え、絵画の独自性である「平面性」の強調がモダニズム絵画の特徴だと述べたりしています(たとえばジャクソン・ポロックなど)。グリーンバーグの用法とは別に、印象派や20世紀に入ってからの未来派・ダダ・シュルレアリスムなどを「モダン・アート」と呼ぶことも多いです。

細かい問題を話し出すときりがないのですが、とりあえずは分野によってモダニズムの用法が違うことがわかると思います。それでは、ファッションはどうでしょうか。

そもそも建築やデザインとファッションは歴史が違います。少なくとも、一見似ていそうなデザイン史の枠組みでファッションを語ることすらされてきませんでした。しかし、現在のファッション史では、そのほとんどが「モダニズム=機能主義=シャネル」という図式で考えてしまっています。この何となしの考え方がデザイン史や建築史と時代的にもあってしまったために(というか、同時代からシャネルを拾ったのでしょうが)、ファッション史における固有のモダニズムが考えられてこなかったのです。

モダニズムを考えるには、詩人のシャルル・ボードレール(1821〜1867)がモダニティ(近代性)という概念について論じていたことを参照する必要があります。そのボードレールの論を見ていくと、モダニティは「流行」と結びついた概念だと言われています。だとすれば、建築やデザインの話を持ち出さなくても、そもそもファッションはその性質そのものがモダニズム的なものだとも言えるのです。もちろん、別の見方も可能です。たしか『エフェメラの帝国』の著者ジル・リポヴェッキーはミニスカートをモダニズムと捉えていた気がします(記憶違いだったらごめんなさい)。

歴史をどう把握するかという問題は、今どのような立ち位置でファッションを作るか、あるいはどのような視点でデザイナー/作品を評するかなど、制作側の人間と理論側の人間のどちらにとっても、事物の見方を与えてくれる材料になり得るはずです。そのためにも、ファッションに固有の言語/概念で、ファッション史を語ることをしなければいけないのですが、もう少し時間がかかりそうです。ファッション研究をする人がもっと増えてくれればよいのですが。

2 Responses to “ファッションの歴史”

  1. あきこ より:

    興味深く読ませて頂いています、ありがとうございます。
    古本屋で手に入れた”オートクチュール100年展”のカタログにて
    バベリー バークスという方が”ファッションの構造の歴史”というエッセイ、を書いていてオススメです。おそらくこのかたはコレクターで、ウォルトやポワレのパターンまでも写真とともに提示し、(ウォルトの大きな4つの部分に裁断されているケープなど)”縮小/reduction”の起る前の世紀末から1970年までのファッション史を簡潔に語っているのですが。

    ビジネス、政治的背景、環境、欲望、テクノロジー、、、、、色々な上で
    ファッション、モードを批評するのは、”前提”が特定しにくいと思うので、
    服そのものの物的証拠、構造をアナライズすること、そういう研究が育って欲しいし、その上で現代に役立つ歴史軸が、浸透すればいいな,と,思っています。

  2. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    あきこさま

    コメントありがとうございます。
    ”オートクチュール100年展”のカタログ、未読でした。ご紹介いただいたエッセイ、おもしろそうですね。
    衣服のスタイル(というかシルエット)ではなく、構造から歴史を見るということはすごく大事なことだと思います。パターンというものは建築やデザイン、絵画や彫刻にはないファッション特有のものですし、そこに着目すればデザインや建築とは別の歴史の見方が考えられるはずなので。

    「服そのものの物的証拠、構造をアナライズすること、そういう研究が育って欲しいし、その上で現代に役立つ歴史軸が、浸透すればいいな」というあきこさんのご意見、まったくその通りだと思います。歴史の見方は様々なので、概念や社会背景から衣服を見ることも必要ですが、やはり衣服そのものの構造っていちばんの本質ですもんね。しかもそこは僕たち理論側の人間には弱い部分でもありますし、パターンや素材などの知識をもっと持たねばならないと痛感します。

    それと同時に、過去の衣服を見られる機会ももっと作っていかないといけないですよね。それは前回書いたアーカイヴや展覧会の問題にも通底することですし。

    こうやってコメントをいただくと、色々なことを考えさせられたり気づかされたりしますので、今後書いていくことについてもまたご意見やご指摘をいただければ嬉しいです。