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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
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ANREALAGEと可塑的な身体

ANREALAGEは批評の対象にされやすいと思われるかもしれませんが、実はその逆で、これほど批評が書きにくいデザイナーはいないのではないでしょうか。というのは、身体のプロポーションを変えてしまった前回のコレクションも同様ですが、見る人すべてがコンセプトを理解してしまうからです。これは、ANREALAGEのプレゼンテーションの巧みさに起因します。

今回のショーであれば、インヴィテーションに添えられた風船が何を意味するのか、それを推測するところから謎解きが始まります(もちろん、インヴィテーションがなくとも問題はありませんが)。ショーが始まると、明らかにフォルムのおかしな身体をもったモデルが登場しますが、空気でふくらんだ肩にエポーレットが付いていたり、途中で空気のない普通の身体があらわれたりと、徐々にヒントが与えられ、最後に空気の抜けた身体に着せられた服によって解答が提示されます。

美術にせよファッションにせよ、一般にコンセプチュアルな作品というものは説明なくして理解することができません。マルセル・デュシャンの便器(『噴水』)やマルタン・マルジェラの黴ドレスなどを、作品だけを見て理解することはほぼ不可能です。しかし、ANREALAGEは、視覚的な要素のみでコンセプチュアルな作品を理解させてくれます。このわかりやすいコンセプチュアルはANREALAGEの大きな特徴のひとつだと言えるでしょう。そして、このわかりやすさ故に、批評的なテクストを書くのが難しくなってしまうのです。

とはいえ、ANREALAGEにおいて評価できる点はこのプレゼンテーションだけではありません。ここでは、今回のコレクションにおける身体の問題について考えてみたいと思います。

これまでのファッション論でも、身体と衣服との関係が問われることはしばしばありました。ですが、そこで扱われる身体は概してスタティック(静的)なものとして捉えられていたように思われます。しかし、身体は本当に静的で固定化されたものなのでしょうか。

成長が止まってからも、私たちの身体は絶えず変化しています。ダイエットで痩せてみたり、食べ過ぎて太ってみたり、トレーニングで筋肉をつけてみたり、あるいは妊娠によって腹部だけが膨らむこともあります。

さらに、整形(形成)手術(plastic surgery)など外部からの力によって身体を変化させることも可能です。こうした変化する身体を可塑的(プラスティック)な身体と呼ぶこともできるかもしれません(*1)。哲学者のカトリーヌ・マラブーは可塑性(plasticity)という概念について、形を受けとる能力と形を与える能力を同時にもつと述べているのですが、これはそのまま身体と衣服との関係にもあてはまるように思われます。身体は、たとえばコルセットによって形作られることもあれば、逆に身につけられたマタニティ・ウェアのように、衣服のフォルムを規定することもあります。ANREALAGEはこの身体の可塑性を、まさにプラスティックの素材によって作られた身体を用いることで私たちに見せてくれたと言えます。

今回のANREALAGEの作品は、コム・デ・ギャルソンの「こぶドレス」と比較されたりもしているようですが、こぶドレスはその通称が示しているように、あくまで衣服にこぶがついたものであり、既存の身体観で見るならば身体の問題を提起しているとは言えません(*2)。ですが、ANREALAGEはショーの最後にプラスティックな身体のみを提示していたことからもわかるように、はっきりと身体への眼差しが見て取れるのです。

後半部分は色々と端折りすぎたので、わかりにくい内容になってしまったかもしれませんが、ANREALAGEが提示する身体からは、様々な問題が引き出せることを理解してもらえればと思います。

(*1) 「可塑性」のもっと精緻な議論に興味がある方は、千葉雅也さんの「マラブーによるヘーゲルの整形手術」(『ヘーゲル入門』)を参照下さい。

千葉さんがここで、ドラァグ・クイーンへの「変態」について言及しているのですが、ファッション論的にはこのあたりの議論も面白いと思います。

(*2) 以前少し書いた、「潜在的な身体としての衣服」という身体観をとる場合、また別の話になるのですが、ここでは省略します。

7 Responses to “ANREALAGEと可塑的な身体”

  1. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    追記:
    マラブーには触れていませんが、成実弘至さんも「ボディの戦後史──グラマラスボディからプラスチックボディへ」(『モードと身体』角川書店)において「可塑的なからだ」という表現を使っていました。

  2. akira より:

    蘆田さんが2010年の現代においてこのコレクションをどのように評価しておられるか時代性をベースに伺いたいです。
    ファッションは時代を映し出す物だと思いますが、90年代の造形とANREALAGEさんのこのコレクションにはどのような違いがあるとお考えでしょうか?

  3. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    akira様

    たしかにファッション・デザイナーは時代を考えなければならないとは思いますが、必ずしもファッションが時代を映し出す必要はないと思っています。

    「安くてそれなりのものを求める」という時代をファスト・ファッションが映し出しているということはできます。しかしながら、ファッション・デザイナーは時代を映すだけではなく(そうした人がいてもよいのですが)、時代に逆らって、新しい時代を作り出すこともできるはずです。

    たとえば80年代のコム・デ・ギャルソンは時代を映していたというよりも、時代の空気を読まずに、新しい価値観を作り出したと言えるでしょう。

    とはいえ、時代に乗るにせよ時代に逆らうにせよ、「いまここ」という現代という位置を考える必要はあると思います。

    それを踏まえた上で、まず「時代性」ということからですが、現代は(少し前からですが)身体性が少しずつ変容している時代です。たとえば「文章を書く」という行為をひとつとっても、その方法がどんどん変わっていますし、ヴァーチャルな世界にもある種の身体を見出すこともできます。
    そのなかでANREALAGEは身体の問題に正面から取り組んでいるブランドであることは間違いありません。

    そして、90年代の造形とANREALAGEとの差異については、記事のなかで書いたことの繰り返しになってしまうのですが、90年代は身体がスタティックなものとして捉えられていた一方で、今回のANREALAGEは身体が可塑的であること──形を与えることも受けとることもできる──を巧みに示せているという点だと思います。

  4. akira より:

    とても興味深いご意見ありがとうございます。

    「今回のANREALAGEは身体が可塑的であること──形を与えることも受けとることもできる──を巧みに示せているという点だと思います」
    とありますが、どのような点でそれをお感じになられましたか?

    体がスタティックであること、現在はそれが変容するものという価値観が生まれた中で身体の問題に対して働きかける事はテーマでありコンセプトだと思いますが、クリエーションはコンセプトをどのように表現するかだと思っています。
    クリエーションについて90年代とANREALAGEの違いについてはどのようにお考えでしょうか?

  5. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    ご返信ありがとうございます。

    まず1点目ですが、身体の可塑性を表すためには、変化のプロセスを見せることがもっとも効果的です。それを、インスタレーションとは異なり時間軸が存在するショーという形式で見せていたことが理由として挙げられると思います。
    もうひとつは身体をplastic(日本語のプラスティックとはちょっとニュアンスが変わるので、こう表記します)で作り、そこから可塑性という概念が読み取れることです。

    2点目のご質問(コンセプトの表現方法)については、まずAREALAGEのプレゼンテーションは90年代(というより歴史)の延長線上にあると言え、完全に新しい表現というわけではありません。たとえば90年代であればSHINICHIRO ARAKAWAなど、様々なプレゼンテーションの方法を試みていた人もいます。そうしたデザイナーの系譜として位置づけることは可能ですが、それは新しくないということではなく、自身の歴史的な位置づけをきちんと認識できているという意味でむしろ評価されることではないでしょうか。

    僕はファッションを衣服だけで成立するものではなく、その周囲にあるものまで含めて捉えたいと思っているので上記のような回答をしましたが、akiraさんの仰る「クリエーション」は「衣服そのものにおける表現」ということでしょうか。
    だとすれば、現在の僕にはそれをパブリックな場できちんと言語化できる能力が足りていないため、それをはっきり言うことができません。
    たとえば、今の若手であればTARO HORIUCHIやAKIRA NAKAといったデザイナーを適切に評価するためにはそこが必要なので、これから勉強していきたいと思っております。
    言い訳がましい言い方になるかもしれませんが、このことはこれまでのファッションのジャーナリズムや批評において、指示内容がよくわからない形容詞が多用され、衣服を語るボキャブラリーが蓄積されなかったことに起因するとも思っています。
    たとえば、「エレガントなスタイル」と言われるときに、エレガントとはどういうことなのか、何をもってエレガントと形容することができるのか、そういったことを考える人があまりいなかったのではないでしょうか。(僕が勉強不足なだけかもしれませんので、そういう人がいれば教えていただきたいです。)

    批評言語の構築には時間が必要ですし、またひとりでできるものでもありません。理想的なのは、そうしたことを作る側の人間とと見る側の人間が一緒に考えていくことだとも思います。
    akiraさんがどちら側の方なのかわかりませんが、今回でも別の機会でもかまいませんので、どういった視点で衣服を見られるのかをお教えいただければ嬉しいです。

    長文失礼いたしました。

  6. AKIKO MURATA / 村田 明子 より:

    あっしーだーせんせ、akiraさん、
    明けましておめでとうございます。

    ANREALAGE、タロウ(ホリウチ)くんがたまたま一緒に
    連れて行ってくれたので、ショウを見させて頂きました。

    私たちの身体は絶えず変化しています。ダイエットで痩せてみたり、食べ過ぎて太ってみたり、トレーニングで筋肉をつけてみたり、あるいは妊娠によって腹部だけが膨らむこともあります。

    などと、身体の可塑性について
    アシダさんが書いていらっしゃることに、
    ナルホド、と思ったのですが、

    個人的な感想として、
    ギャザー、ニット、パッチワークを、
    バルーン、芯を組んだものにのっける
    という、わりと、プリミティブな方法でヴォリュームをつけており、
    膨らむことに対しては
    身体の可塑性への考慮があったとも考えられますが、
    凹みに関してまったくデザインが行き届いてなく、
    洋服創りの技巧というか、
    造形的な美しさが感じられませんでした。

    歴史衣装などで見られる大きなスカートに見られるように
    クッションや、ボーンを組んだもののうえに
    布をのせるやり方はよく使われる事なので、
    その種のビックシルエットをみせて、
    皆さんをエキサイトさせた事はよかったと思います。

  7. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    AKIKO MURATAさま

    明けましておめでとうございます。
    新年最初のコメントありがとうございました。

    ANREALAGEに関して、技法的な観点からは、確かにまだまだ荒削りなところが多いかもしれません。
    (個人的には膨らみの方をもっと「造形的に美しく」できたのではないか、とも思ったのですが。)
    ただ、上にも書いたように、ANREALAGEのもっとも評価できる点はやはりコンセプトの立て方とその提示の方法にあると思うのです。

    作品をどう見るかの基準は色々あって当然ですし、ある観点から見て良い作品であっても、別の観点から見ると悪いとみなされることはあると思います。
    ANREALAGEに関しても、賛否両論あって当然です。
    (というか、ない方が気持ち悪いですよね。)
    繰り返しになりますが、大事なのはそれをきちんと議論する場をつくることだと思います。
    ですので、村田さんやakiraさんのように、はっきりと意見を言う方がどんどん出てきてくれると嬉しいです。