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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

表層としての魔法少女

少し前に放送され、話題を呼んだアニメ「魔法少女 まどか☆マギカ」。細かなあらすじは公式サイトを見ていただいた方がよいのですが、魔女と戦う魔法少女に憧れを抱いたヒロインのまどかの思考回路が現代の ファッションにとってとても示唆的な行動をとっていました。
まどかと友人のさやかは魔法少女の仕事を理解するために、既に魔法少女として戦っているマミの魔女退治についていくことになります。その際、さやかは戦いの見学の準備として金属バットを持ってきましたが、一方のまどかがしたことと言えば、魔法少女の衣装デザインだったのです。このシーンは現代の衣服観を象徴しているように感じました。

これはすなわち、まどかにとって魔法少女という職業/属性を象徴するものが、魔女退治という行為や活動に直結するもの(武器や魔法など)ではなく、視覚的に魔法少女を表象する衣服だった、ということです。まどかは魔法少女の中身ではなく、表層にあこがれていたと言っても過言ではありません。事実、魔法少女のリアルな活動内容を知ったまどかは、魔法少女になりたくないと思うようになりました。

一日の多くをパソコンやタブレット型PC、あるいはスマートフォンの前で過ごす人は次第に多くなっています。仕事のやりとりにメールを使うのなら、相手のリアルな生活(いまどこで何をしているか)などを考慮する必要はまったくありません。ツイッターやニコニコ動画でのコミュニケーションにおいても、相手と同じ時間を過ごしていることは必ずしも必要ではありません(濱野智史さんはこれを「選択同期」や「疑似同期」といった言葉で説明しています)。つまり、私たちはディスプレイの表層に残された他者の痕跡と戯れているとも言えるのです。

同様に、着用者の表層を形作る衣服は、まさにその人の痕跡でもあります(美術でいえば、クリスチャン・ボルタンスキーの古着の作品、塩田千春の靴の作品などはそのことを想起させてくれます)。まどかは魔法少女を衣装という表層=痕跡でのみ認識し、もはや魔法少女という実体など視野に入っていなかったのです。

このように、他者を表層において認識するという点において、まどかの魔法少女観と現代のコミュニケーションのあり方には通底しています。その意味では、一般に考えられているのとは逆に、衣服という表層は私たちの存在にとって今後より重要になっていくのかもしれません。

2 Responses to “表層としての魔法少女”

  1. snoozer より:

    蘆田さんはじめまして

    snoozerと申します
    ファッションと批評に興味があり、いつも蘆田さんのサイトでは勉強させていただいています。

    「魔法少女 まどか☆マギカ」の論点おもしろいですね!
    作品を見てみたくなりました。SF大賞の候補策にもなっていますね
    蘆田さんのファッション批評を打ち立てようとするご活躍がますます発展されますように祈っております

    それでは失礼します

  2. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    snoozerさま

    コメントありがとうございます!
    「魔法少女 まどか☆マギカ」は今回のブログの話を除いても面白い作品だと思いますので、よろしければ是非ご覧下さい!