いまから3年前、京都造形芸大でファッション史の授業を担当していたときに出会った小梶真吾君。
今まで出会ったなかで、抜群のセンスを持った学生でした。センスと一言で言ってしまうと身も蓋もありませんが、判断力や思考力、そしてもちろん創造力も、デザイナーにとって必要な能力すべてを彼は持っていました。
その小梶君の卒業制作のタイトルは「服バカ日誌」。
一見人を食ったようにみえるタイトルですが、服を作ること、そして売ることにきちんと向き合った作品です。
地味かもしれませんが、これこそファッション教育が目指すひとつのモデルだと僕は思います。
ファッションを学ぶ学生の多くは、自分が服を作る必然性を考えることのないまま卒業していくように見えます。そういう学生はファッションデザインとかファッションデザイナーとかいう言葉は使う割に、デザインという概念について考えることがありません。
デザインには論理が必要です。こんなこと言うとすぐ「ファッションは感覚だ」と反論する人がいます。けれども、たとえば料理の場合はどうでしょうか。
砂糖や塩の分量を「なんとなく」決めてしまう料理人はいませんよね。既存のレシピを研究し、自分でも試行錯誤を繰り返した上で自分がベストだと思う分量を決める。そこには論理があります。
丈ひとつ決めるにしても、ボタンの数を決めるにしても、ポケットの位置を決めるにしても、本当は論理と試行錯誤が必要だと思うのです。
なんとなく作っても、一度や二度はたまたまいいものが出来るかもしれない。でも、そんなやり方だとそれ以上展開することができない。
同様に、デザインには5W1Hのようなものが必要です。誰が、どこで、どんなシチュエーションでそれを使うのか。目的がなければデザインはできません。学校だけでなく、コンテストにおいても、そんな基本が考えられていない。そんな状況でいいデザイナーを数多く育てるなんて無理ですよね。
小梶君のようにセンスがある人は、必要なもの/ことに自分で気づけるのでしょう。でもそれは教育の結果ではない。学校教育の結果として、こんな卒業制作が出てくるようにしたい。そんなことを考えています。
小梶君の話をしようと思ったのに、話がだいぶ逸れてしまいました。でも、彼はおそらく目立つのが好きなわけでもないので、このくらいでいいのかもしれません。
興味がある人は彼のルックブックをご覧ください。古くさい価値観にしばられたルックブックしか作れないプロのデザイナーにこそ見てほしいです。
見ます!!