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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

gallery 110

changefashionのニュースでも取り上げていただいたので、既にご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、京都にファッション専門のギャラリーを作ります。

設立の経緯や今後の展覧会情報についてはこちらのブログをご覧下さい。

7月14日18時〜オープニングパーティをやるので、関西の方は(それ以外の方も!)よかったら遊びに来て下さい。

凝ったケータリングなどはご用意出来ないのですが、ひたすらたこ焼き焼く予定です。

このギャラリーは貸しスペースとしても使ってもらえます。展覧会でも展示会でも受注会でもレクチャーでもフリマでも、ファッションに関することなら何でも構わないので、ぜひぜひご連絡下さい。料金は比較的安く設定しています。

あと、8月末には同じビルのなかにお店も作る予定です。そちらはまたお知らせいたします。

『vanitas』とギャラリーとお店

今日はお知らせばかりでごめんなさい。

その1。

創刊号から軽く1年以上経ってしまいましたが、ファッションの批評誌『fashionista』改め『vanitas』第2号を発行することができました。

名古屋以西では既に販売開始しており、東京は水曜日から発売の予定です。

取扱店や目次などはここをご覧下さい。

その2。

関西在住の研究者、キュレーター、デザイナーが集まって、ファッションに特化したギャラリーを開くことになりました。場所は京都です。

ギャラリー開設の目的としては、まずはファッションに特化した作品発表の場を作りたい、ということがあります。

最近、ファッションの学校を卒業して就職した後も自分で服を作り続ける人をときどき見るのですが、そういう人が作品を発表する場はほとんどありません。

もちろん、普通の貸しギャラリーを借りるということはできるのですが、ファッション専門のスペースというものがあってもいいんじゃないかと思ったのがきっかけです。

それと同時に、いいものを作っている人をきちんと歴史(文脈)に乗せたい、という目的もあります。

たとえば、僕はこの前のエスモードの卒展で横澤琴葉さん+高瀬恵さんの作品に感銘を受けたのですが、「卒展」という枠のみで展示をしている限り、残念ながらファッションの歴史に乗ることはありません。

ヨーロッパでは、山縣良和さんがアントニオ・マラス(でしたっけ?)にポンピドゥーでの展示に誘われたように、面白いものを作る学生をすくいあげることもあったりしますが、日本では残念ながらそんなことはほとんどありません。

それをファッション専門のギャラリーというところで取り上げていけば、ある種の文脈が作れるのではないかと思うのです。

そのほか、展示会や受注会への貸しスペースとしての機能も持たせるつもりです。

最近、東京以外で受注会を開催する若いデザイナー/ブランドが増えてきています。そういう人たちが気軽に使えるような場所にもできたら、と。

24平米ほどの小さな空間ですが、そんなことを考えています。

資本がまったくないため(笑)、ウェブサイトなどはまだまだできません。とりあえずTwitterで情報を小出しにしていく予定ですので、よろしければこちらを見てみて下さい。

その3。

そして勢いでお店も開くことになりました。

ギャラリーのお隣です。

服と本を中心にしたお店です。

こちらもとりあえずTwitterで情報を出していきます。ここからどうぞ。

勢いで決めたので、取扱ブランドなどは未定です(笑)

色々考えていることはあるので、また近々お知らせいたします。

(アン)スタイリッシュということ

スタイリッシュstylishという英単語があります。日本語に訳そうとしてもこれというものがありませんが(「おしゃれ」という今はあまり使わないことばがぴったりかもしれません)、この単語は普通、見た目の良さを褒めるときの言葉として使われます。

最近のブランドやショップのルックブックとかカタログを見ていると、スタイリッシュと形容したくなるものが少なからずありますよね。顔立ちの整った外国人モデルを使ったきれいな写真が使われ、レイアウトも洗練されていて、といった感じのものが。

しかしながら、stylishという言葉はもともとstyle(様式)という言葉から派生しています。そう考えると、stylishというのは「様式的」と考えられるのではないでしょうか。事実、スタイリッシュという印象を受けるイメージは、すでに一定の評価が得られ、それを「おしゃれ」だとみなす価値観が人口に膾炙し、広く共有されたものと言えます。

スタイリッシュなイメージは、いまここにおいてはポジティブな印象を生み出すことは間違いないでしょう。ですが、様式化されているということは硬直しているということと同義でもあります。悪い言い方をすれば、作り手の独自の意図や挑戦が感じられない、保守的なものでしかありません。すでにある「様式」に則っているだけなのですから。

ここで言いたいのは保守的な表現やものづくりが悪いというわけではまったくありません。そういったものも重要ですし、また需要もありますので。が、もし何か新しいことをやりたいと思っているデザイナーがいるのであれば、安直にスタイリッシュなイメージをつくるよりも、アンスタイリッシュな──英語で”unstylish”というのは「ださい」という意味になってしまうのですが、非様式化ととらえてください──イメージをつくることに挑戦してもらいたいな、と思う今日この頃です。

エスモード卒展にて

一昨日、エスモード東京校の卒業制作を見てきたのですが、とてもよい作品がありました。

横澤琴葉さん(デザイン)と高瀬恵さん(パターン)の二人組です。

ちゃんと説明したいのですが、展示が今日までらしいので取り急ぎ画像だけいくつかご紹介を。

是非、実物を色々な方に見に行ってほしいです。

(展示の詳細はこちら

writtenafterwardsの山縣さんが彼女の作品についてtwitterで少し触れているので、よろしければそちらもご覧ください。

https://twitter.com/writtenbyyoshi

©横澤琴葉+高瀬恵

ヘアメイク:チームSABFA  原康人  松原尚輝

撮影:鈴木俊則 大島千尋

ジンメル、流行、1911年

“ある品物が急速な流行の交替に屈服するにつれて、同種の品物の「安い」生産の必要が強くなる。たんに、広範な範囲の、したがってどちらかといえば貧しい人びとが、工業を彼らにかたどって規定するだけの購買力をもち、すくなくとも現代的なものの堅牢でない外観をもつ対象物だけを要求するからというばかりではなく、社会の上層すら、もしその物品が比較的安くなければ、下層の追迫によって彼らに強要される急速な流行の交替をなしえないからである。こうしてここにある奇妙な円環が成立する。流行が急速に交替するにつれて、物はいっそう安くならねばならず、物が安くなるにつれて、それはいっそう急速な流行の交替へと消費者を招き生産者を駆り立てるのである。”

ゲオルク・ジンメル『文化の哲学』1911年

(『ジンメル著作集7』円子修平他訳、白水社、1976年、57頁)

ANREALAGEの本とトークイベント

ファッションっぽい仕事をしましたので、お知らせです。

現在、パルコミュージアムで開催されているANREALAGE展に際して出版された書籍『A REAL UN REAL AGE』でANREALAGE論を書いています。

そして、展覧会のトークイベントにも出ることになりました。

平川武治さんと工藤雅人さんと一緒です。司会は森永さん。

平川さんと公の場で話をするなんて最初で最後だと思うので(もしまたあったらごめんなさい)、よろしければぜひ。

VESTOJ

つい最近、とある美術館である雑誌を見つけてとても嬉しくなったので皆様にお知らせを。

そのタイトルは『VESTOJ』、そして “The Journal of Sartorial Matters” というサブタイトルが付いています。これを直訳すれば「衣服の問題を扱う学術誌」ということです。

詳細はウェブサイトをご覧いただいた方がよいのですが、要するに僕と水野大二郎君が作っている『fashionista』と似たような目的を持っている感じなんです。

僕が見つけたのは現在出ている第3号なのですが、どうやら2009年に第1号が出版されていたようですね。

まだ全然中身を見られていないのですが、こんなのあったよ!とお知らせしたくなってブログを書きました。

個人的には第2号の特集「Fashion and Magic」が気になるのですが、そういえば、僕も今年愛知県美術館で開催されていた「魔術/美術」展のカタログにも「ファッションと魔法」みたいなお題で文章を書きました。

内容はここで『魔法少女まどか☆マギカ』について書いたものを膨らませたような感じですが、どこかで見かけたらお手に取ってみて下さい。

あと、最近は『ユリイカ』の永野護特集で小野原誠さんとの『ファイブスター物語』についての対談が掲載されています。

『VESTOJ』の話をするつもりが、なんか自分の宣伝になってしまったので、この辺でやめておきます。それにしても最近アニメとかマンガについてばかり書いたり喋ったりしている気がしますね。。

近いうちにファッションっぽいお仕事のお知らせもしたいと思います。

なんとなく誤解されていそうなことについて。

僕はよくファストファッションについて批判的に書くことがありますが、必ずしもその存在を否定しているわけではありません。

飲食業界で高級レストランとファストフードが共存しているように、ファッションでもハイファッションとファストファッションが共存してよいと思っています。

ただし、その裏で理不尽に泣かされている人がいないという前提で。

安く服が買えることでファッションを楽しむことができる人が増えるのは素晴らしいことですよね。

でも、その価値が安さだけにあるのなら、それはやっぱり成熟した文化のあり方だとは思えない。

モノに対して適切な対価を支払うのが大人ってものではないでしょうか。

でも、それが可能になるためには社会全体を変えていかないといけない。今は若者にお金が回ってこない社会になっていると思うから。お金のない人に、服にちゃんとお金を払えって言っても無理な話だし。

そして、ファッションは楽しければそれでいい、服はかわいければそれでいい、っていう人がいるのもわかります。

でも、本当にファッションが好きなら、楽しさの先にあるものを、かわいさの先にあることを考えてほしい。

ファッションにあまり興味がない人もそうするべきだとは思っていないです。

(そんなことができたらどんなに素晴らしいことかとは思いますが。)

だって身の回りのこと全部について細かく考え始めたらきりがないし、疲れてしまうから。

だから、せめてファッションが好きな人だけは、楽しさやかわいさだけで終わってほしくないのです、と願っているのです。

僕が二日続けてブログ書くなんて、明日雨が降りませんように。

「F∪T∪RE BEA∪TY」展の最後の部屋に補助線を引くための二、三の事柄

今日は現在開催中の「F∪T∪RE BEA∪TY」展の最後の部屋についてのお話です。

あまり展覧会について僕が書くことはしない方がよいのかもしれませんが、展示がわかりにくいと思うので少しだけ補助線を。

あくまで僕の個人的見解としてお読み下さい。

ちなみに、このブログで既に書いていることとほとんど同じなので、「またか」と思われるかも知れませんが、ご容赦のほどを。

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第4セクションのタイトルにも使われている「物語」ですが、いわゆる「ストーリー/お話」という意味だけでなく、もう少し広い意味を持たせています。

一枚の絵画、一本の映画、一篇の小説などと比べると、一枚の服のもつ情報量はきわめて少ないです。たとえば映画であればプロットがあり、役者がいて、映像が次々に流れ、音楽がつけられ、と人間の感覚では認識しきれないほどの情報が詰まっています。映画について語る場合、あらすじを述べるだけでも10分や20分かけられます。一方で、衣服の場合は色、形──しかもほとんど定型がある──、生地の質感など、きわめて少量の要素しかありません。

このように、衣服はただでさえ情報量が少ないのに、近年隆盛しているファストファッションなどは、デザイナーの思想や、制作における職人的な手仕事など、さらに色々なものをそぎ落としています。これらはその意味で「軽い」服だといえます。

(これはファストファッションに限らず、「制作のコンセプトやテーマはありません。自分がかわいいと思うものを作っています」と言ってしまうようなデザイナーなどもそうです。)

一方で、衣服にできるだけ多くの情報を付与するようなデザイナーが現われています。その付与の仕方は、ASEEDONCLOUDのように(狭義の)物語を作ったり、Aski Kataskiのようにわざわざ蚤の市などで古い布を集めてきたりと様々です。

軽い方へ軽い方へと向かう潮流に抗うかのように──とはいえ、本人たちにはそうした反骨精神のようなものがあるわけではありませんが──、彼等は服そのものに、あるいは服の背後にさまざまな要素──これを物語と僕は読んでいるのですが──を加えているのです。

言い換えれば「重い」服を作っていること、それが選出のひとつのポイントです。

もうひとつは「コミュニケーション」です。熱海のコミュニティに溶け込みつつ制作・発表するEatable of Many Ordersのように、パリや東京といった「ファッション都市」で活動するだけで事足れりとしないあり方。「ファッション・コンシャス」な人以外の層とのコミュニケーションをこれまでのデザイナーはなおざりにしてきたように思うからです。換言すれば、共生する(ベタな言葉ですが)デザイナーであること、それがもうひとつのポイントです。

もう少し詳しく知りたい方はこのカタログ(別冊)をご覧ください。恐らく理解の助けになるのではないかと思います。

samulo

旅行に行くとき、前もってその土地の情報──観光地やお店など──を調べておかないと、なかなか効率よく回ることはできませんが、何も調べない旅行もまた楽しいですよね。予想もしなかったものに邂逅することができたりして。

先日、鹿児島に少しだけ滞在したのですが、そのときに出会ったブランドの紹介を。

コミュニティ・デザイナーの山崎亮さんが関わったという「マルヤガーデンズ」をふらっと見に行き、たまたま入ったお店の人に鹿児島のお店を色々聞いて回ってみました。(ちなみにそのお店というのはCHIN JUKAN POTTERYというところで、ここも素敵なお店でした。)

教えてもらったお店に行って、そこに置いてあった別の店のショップカードが気になり訪れた店がsamulo。ジュエリーブランドのアトリエ兼ショップです。

繁華街から少し離れた地域にたつひっそりとした佇まいの、ここを目的としていなければ通り過ぎてしまいそうなお店で、何というか、月並みな言い方ではありますが、自分がどこにいるのかを忘れさせてくれるような場でした。ディスプレイ、音楽、什器、そして作品のすべてが調和の取れた空気を構成している、とても心地の良い空間。

紀元前から現代まで、洋の東西を問わず集められたモノを使いながら一点一点手作りされたネックレスやブレスレットは、いわゆるラグジュアリーな印象を与えるものではありません。むしろ、形や色の違うパーツが密度高く組み合わされ、ともすれば無秩序な、雑然とした印象を与えかねないものです。それにもかかわらず、言ってみれば洗練されたプリミティヴィティとでも形容できそうな、あまりに優雅な雰囲気をたたえていました。

僕が無知なだけで、もしかしたら有名なブランドなのかもしれません。が、地方にはsamuloのようなブランドがまだまだあるのかと思うと、何だか嬉しくなってしまって、このブログが地方のブランド紹介になってしまいそうです。

『fashionista』

1年前から作っていたファッションの批評誌『fashionista』がようやく完成します。

コンテンツはこちらをご覧下さい。

このコンテンツをご覧いただければわかるように、批評誌といってもコレクションやデザイナーの批評をすることだけが目的ではありません。

このブログでも散々言ってきましたが、ファッション批評をちゃんとやろうと思ったら歴史や概念の整備がまず必要です。

そこで、この雑誌が目指すのは、批評というシステムを作動させるために必要なことの堆積です。

この雑誌を一冊出して世界が変わるとは思っていません。ですが、まずはきっかけを作らないと何も始まりません。

『fashionista』を入口にして、「ファッションを考えること」について少しでも興味を持っていただけたら幸いです。

大阪のスタンダードブックストアや東京のSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSなど、少しずつ取扱店が決まってきていますが、こちらから注文もできます。

取扱店などの情報はfacebook、twitter、blogなどで少しずつ更新しています。

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3月3日(土)には、大阪のスタンダードブックストア心斎橋にて、寄稿者の井上雅人さんを迎えたトークイベントも行います。

もちろんその場で購入することもできますので、是非ご来場下さい。

詳細はこちらで。

commune

先日、滋賀県の彦根にあるcommuneというブランドのアトリエ兼ショップに行ってきました。というか、話には聞いていたので行ってみようかなと思っていた矢先、ぶらぶら歩いていたらたまたま行き着きました。

communeはシャツに特化したブランドで、サイズがあればそこで売っている既製のものも買えるのですが、採寸してもらってオーダーすることも可能。既製品は15000円ほどで、オーダーしても+8000円程度だそうです。

最近は、既存のファッションシステムに乗らないブランドや地方を拠点にするブランドも増えつつありますが(たとえばPOTTOなんかがそうです ね)、ここも そのひとつだと言えます。大きなビジネスを目指す人達は、やれ中国だ、やれアジアだと拡大することを考えるようですが、そういう進歩史観的な考え方(人類 は常に進歩しているし、進歩するべきだ、といったような考え方)はもうやめてもよいのではないでしょうか。

販売だけでなく生産に関してもそうですよね。今は人件費の安い中国で縫製をしてコストを抑えたりもできるけど、この先中国の人件費が日本並みになったらどうするか。

恐らくもっと安いところを探すんでしょう。でも、そこもまた日本並みになったら?

そんなことを繰り返していくうちに、恐らく各国の差が段々なくなっていくでしょう。そうすると、安い服なんて作ることができなくなります。

すぐにそうした未来が訪れるわけではありません。でも、明日のことや1年後のことと同じように、10年後、50年後のことを考えることも必要ではないでしょうか。

commune のデザイナーさんの話によると、地元のお客さんは割と少ないそうです。それは寂しいことではありますけど、逆に言えば可能性が秘められていると見ることも できるはずですよね。日本の地方の人たちがどうすればファッションに向き合ってくれるか、そこにひとつの未来が転がっているように思います。