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contemporary creation+

東京・吉祥寺の大正通りにあるショップcontemporary creation+です。
日本の注目のデザイナーの最新作やオートクチュールのドレス、世界の名デザイナーの稀少なアーカイブまで取り揃える、服好きの聖地のような小さなお店です。
サッカー好きなので、サッカー記事も多いです。
contemporary creation+
武蔵野市吉祥寺本町2-31-2-101
tel+fax 0422-20-8101
http://guild3.exblog.jp

contemporary creation+年末年始 営業のお知らせ

contemporary creation+年末年始 営業のお知らせ

年内の営業は29日(木)までは通常通り営業
30日(金)は休み 
31日(土)は17:00までの営業

年明け
1月1日(日)、2日(月)、3日(火)は、お休み
1月4日(水)から通常通り営業いたします。

よろしくお願いいたします。

contemporary creation+

武蔵野市吉祥寺本町2-31-2-101
tel 0422-20-8101  open=12:30〜21:00 月+金=休 (祝日の場合は営業)

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編

dan
イタリアでの生活は、率直に言って失望から始まりました。
授業が歴史の話ばかりなんです。それが1ヶ月か2ヶ月続きました。

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失望ですか?でも、歴史は大切だと思いますよ。

dan
僕も今はそう思うのですが、当時は退屈だったんですね。
イタリアまで来て何をやってるんだろうと。。

ccplus
デザインの歴史の話は、どこからスタートするんですか?

dan
建築ではなく、デザイン、インダストリアルデザインとして、世界に名を知られるようになったのは、戦後からです。1930年代から息吹きのようなものはあったんですが。
フィアットとかオリベッティはここらへんから片鱗を見せ出します。1500とかMP1です。
ピニンファリーナも。

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オリベッティは、イタリアの企業なんですね。ナルホド。そういえば、グッチとコラボのオリベッティのタイプライターを友人から貰って持ってます。壊れていて使えないのですが、カッコイイです(笑)
フィアッ1500は、よく映画で見るやつですね。マフィアが乗っていたりする車。
ピニンファリーナは、僕も大好きです。

ところで、イタリアというと、ファシズムのデザインや、後の共産主義的・社会主義的デザイン、そして所謂『未来派』という流れがあると思うのですが、それらは、どう関連しているのでしょう??

dan
ファシズムとデザイン(イタリア合理主義建築や未来派芸術)は一時的にしろ、大衆性と革新等の同じ夢を見ていました(ここらへんはとてもややこしいです。。)トリエンナーレもこの頃から始まりました。
ファシズムっていうのは、基本的に社会主義からスタートしているんです。

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そういえば、ナチスも社会主義ですね。名前が『国家社会主義労働者党』ですものね。。

dan
ナチスもデザインの面では国家社会主義なので、すごく発達した部分もあったと思います。ポルシェとかワーゲン作ったりアウトバーン作ったり先進的でした。
ただ、他の面が良く無かったわけですけど。。

ccplus
国家で毒ガスやら兵器やら、様々開発して人殺しましたからね。
そういう運動は、自分達がやってることが正しいと思い込むところがやっかいです。
もっとも、ナチスやイタリアや日本だけでなく、共産主義のソ連や自由経済の連合国も、全く同じだったわけですよね。戦争って、そういうものです。
話を続けてください。

dan
一方で、戦後貧しい時代には、ファシズムに対抗するレジスタントとしての共産主義や社会主義思想の浸透からのデザインが始まり、映画『自転車泥棒』に出てくるようなアイテム 自転車とポスターデザインは、やはり発達したと聞いています。秘密警察とかから逃げたり、プロパガンダ用のポスターを籠に入れたり出来たりと生活必需品だったようです。

そのころのイタリアにはジオポンティ(DOMUSの創設者でもある)のような偉大な芸術家や、オリベッティのようなそれを形にする企業、発表する場所であるトリエンナーレや、それらをまとめあげるメディア『ドムス』が揃いつつありました。どこの國でもそうですが、これらの要素が揃わないと、大きなうねりを生む事は無い様な気がします。

ccplus
ファッションの世界で、マルタンマルジェラやアントワープ6などが盛り上がったのもまさにそれですよね。デザイナーの力だけじゃなくて、周辺が盛り上がった結果としてああなったわけですよね。
第二次大戦前のデザインは勉強しないのですか?

dan
授業としては戦後からはじまります。

戦後、焦土化した北イタリアに、住宅、生活用品を大量に規格化して制作する必要がありました。それを実現したのが、これらのデザイナーだったのです。
まず、皆が必要としている住宅をデザイナー達が提供したということがあります。
イタリアで、デザイナーが尊敬されているのは、これが理由な気もします。

そして、イタリアンデザインのモダニズムは、ここらへんから本格化しているように思います。
それまではあくまでクラフトマンシップにのっとた物作りでした。それが工業化されていきます。

で、イギリスの産業革命後の物作りにありがちな、美的ではない粗悪品が出回るようになります。
そこでおこなわれたQT8と呼ばれる都市計画もそうではないでしょうか。
当然ながらここらへんの建築家は社会主義思想の人が多いです。

そこから、それではまずいという人たちが出てきます。
内容は異なりますが、遅めのイタリアンアーツ&クラフト解釈のような運動が出て来ます。

そして手工芸に逆戻りするのではなく、工業製品の中にも美的な感覚を生み出して行きます。
ここらへんが一般的なイタリアンデザインの始まりではないでしょうか?

現在のフェラーリ等で有名なピニンファリーナが制作した車が象徴的です。
カーデザインがリードしていました。 同じ時期のヴェスパとかも綺麗です。

この波にのってスーパースターデザイナーが生まれてきます。
こういう勉強をしました

ccplus
イタリアも敗戦国なので、日本と同じで、焼け跡からモダンデザインが出てくるんですね、なるほど。。

dan
先生はまさにこの輝かしい時代を生で感じ取った人なんですけど、どこか郷愁にもにた感情を持ちながら語ります。「あぁ、良い時代だった」みたいな。

それ以降は50年代の黄金期以降、経済の悪化、学生運動やら労働運動等、不安定な社会に呼応するようにイタリアンデザインの抱える問題も表面化してきます。。。

疲弊した近代化からの脱却という意味で ここらへんから、ポストモダン的なデザインやアヴァンギャルドなデザイン、その後、反ポストモダンになりという表現だけをみるとややこしい世界になります。
そして低迷していきます。

故に、現在のイタリアンデザインについては、ほぼ語られる事はありませんでしたね。
デザインも堅実な物が多い様な気がします。
つい最近は何かもう少しポストなになに的な浮かれた感じがしますが、何なのかはわかりません。。

状況も変わっています。

イタリアンデザインの華やかさの象徴であるデパート『リナシェンテ』が買収される時代です。
たしか伊勢丹かタイの会社が持ってるはずですが。。。

もうイタリアンデザインというものはスタイルとしてはありますが、大衆の生活にも美を、という姿勢は薄れて来ていますね。ALLESI 高いですし笑
生え抜きではなく外国人デザイナーがディレクターとしてもてはやされる事も多いですしね。。

一方では、外国人にも平等にチャンスが与えられているという意味で懐は深いとも言えますが。

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イタリアは歴史がローマ時代から連綿とありますからね。
歴史が連続して積み重なっているので、現代のデザインが出てくるチャンスが少ないかもしれません。
トスカナ地方にあるシエナとか、街が本当に美しいですものね。
広場の傾斜の角度とか半端無く美しく完璧です。あれだけ完璧にデザインされた街に付け加えるものは無いんじゃないかと思ってしまいますよね。
日本は、その点、ダイナミックに変わっているので、現代のデザインが出てきやすいということもあるかもしれません。

dan
だから、デザインは、ほとんどミラノで発展していったようです。
ミラノは大戦でかなりの部分が焼け落ちてしまってますから。
ローマとかは、そういうのが無いですからね。

ccplus
日本もそうですよね。
やはり、復興とデザインというのがポイントになるかもしれません。
敗戦国のデザインと戦勝国のデザインの違いみたいなものを体系化して調べていったら、もしかすると、ものすごく面白いかもしれませんね。

でも、たとえば、イタリアでいえば、第二次大戦後の街は、体系的に建てられていき、日本の街は無秩序になっていったわけですよね。
それはなぜなんだろうと思いますが。

dan
domusでは、デザイナーを育てるというよりも『プロジェクティスタ』を育てようとしていました。
デザインというのは、『手技』で、デッサンに近い意味なんですけど、
『プロジェクティスタ』っていうのは、『プロジェクトを統括する人』という位置づけになるのです。

この『プロジェクトを統括する人』っていうのが、デザイナーという職業で、イタリアでは、ものすごく尊敬される立場なんです。

この『プロジェクティスタ』は、計画を立案して実行するのを統括する立場なので、資金も動かしますし、政治にも関わるわけです。
イタリアのデザイナーというのは、日本でいうデザイナーとかなり違うと思います。

喩えていうと、ミケランジェロとかレオナルド・ダ・ヴィンチみたいなものですね。超人みたいな感じです。

ccplus
それは、メディチ家の時代から延々と続いているのでしょうね。
日本の場合は、『プロジェクティスタ』みたいな人が、ほとんど居ないんですね。だからこういう状況になっているんだと思います。

dan
出る杭は打たれますますからね。日本は。。

ccplus
そうですね。苦笑
イタリアでは、どうやって『プロジェクティスタ』を育てているのですか??

dan
そうですね。産学協同というか、DOMUSは、在学中から企業の仕事を学生達が受けるんです。
プロジェクトチームを作って、企業から依頼されたデザインを行う。
プロジェクトリーダーはプロの人が一人入っているのですが、実質的にその人はほとんど何もしなくて、生徒達が、企業の要望に答えてやり取り出来るんです。
ヴーヴグリコとかモエエシャンドンのボトルデザインとかスワロフスキーのガラスデザインなんかもやりました。一流企業といきなり仕事が出来るのです。
もちろん、そのデザインが採用されることもありますし、採用されないこともあるのですが、企業はリサーチも兼ねているので、採用されなくてもリサーチ料が支払われる場合もあります。

DOMUSでは基本的に大広間にテーブル、それと小さなワークショップしかありませんでした。
全てのジャンル(建築、ファッション、プロダクト、インテリア)の研究生が、大広間にて入り乱れて勉強します。 各々のクラスの学生が何をしているのかが分かります。
そしてそこでは意見交換や、共同のプロジェクトが生まれたりします。

縦割りの授業体制ではなく、デザインというくくりの中で、クラス全体が関係出来ます。

校長は言いました。

「DOMUSはカクテルシェーカーのようなもの。箱でしかない。あとは、あなた達の化学反応なのだ」と。
生活空間全てを統括して設計して行くイタリアンデザインの特徴が現れています

ccplus
それは素晴らしい制度ですね!
日本もどんどんやってもらいたいですね。

dan
本当にそう思います。
向こうの企業の責任者と直接やり取りが出来るので、コネも出来ますし、やり方も憶えてるので、DOMUSを出た人は、まず、就職するのではなく、デザイナーとして直接企業とやり取りしようとします。
ほとんどの人が、そうしますね。

ccplus
暖さんは、人に会う行動力が凄いなあと思って見ていたのですが、基本的に会いたいと思っている人、見てもらいたい人に直接話をもっていきますよね?

dan
基本的に、こちらが会いたい人に直接持っていけば良いと思うんです。
欧州だと、権限を持った人に話を持って行くと、すんなり話が決まります。

たとえば、こちらが作品を見せるために欧州の大企業のデザインを統括している
立場の人に会いたいと言うと、取り次いでくれる人が居るのですが、
ミラノサローネのどこどこに何時という感じで、担当の人が作品を見てくれたりします。

そこでは、誰が持って来たかより、何を持って来ていて、それがどのように企業に貢献する材料なのかを見定めようとします。

そして、その立場の人が、美についてきちんと理解してくれているんです。
デザインとかアートに対して、きちんと勉強していて、見る眼も肥えていて、きちんと判断してくれるのです。それは、デザイナーとして、とてもやりやすいです。

もちろん、そこから製品化となると、道のりは厳しいのですが。

一方、日本のある大企業にもアポイントを取ったのですが、担当の人は、作品も見ずに、「経歴書とポートフォリオありますか?」と聞かれました。そこに作品を持参しているのにです。

目の前にある作品やアイデアではなく、履歴書の方が大事みたいなんです。

ccplus
そうなんですよね、そこが大問題なんですね。
日本では、作品そのものよりカタログや資料と言われますし。。広告代理店やメディアとタイアップして露出した仕事をしてるから採用とかそんな感じでしょう?
もしくは、こういうのが流行ってるんですとコーディネーターとか広告代理店的な人に言われて、じゃあ、それでいきましょう。みたいな感じです。

向こうは話が早いですよね。
日本だと、まず持ち帰って会議にかけると言われてしまいますが。。

dan
それが面倒なので、現在でもイタリアを発表の場に選んでいるということはあります。
イタリアで学んだことは、とりあえず皆、自分の力で生きていくことを考えるし、実際自分の力で生きていくことが出来る。それをデザイナーが皆実践してるということです。

DOMUSでは、デザイナーが集まるサロンのようなカフェがあるんです。そこに行くと色々なプロジェクトが進行している。そして、欧州のどこの展示会場に行っても、やっぱりそういう仲間達が居る。

そういう環境に皆が居るんです。

それは、とても大きいと思います。
仕事がしやすいですし。

向こうは、いろいろなパーティーとかカフェとか、そういうところで、仕事の話が進んでいく場合が多いです。

ccplus
日本だと、会社の仕事が急がし過ぎたり、会社の後の時間が、愚痴を言う場だったりしますからね。そういう非公式的でクリエイティブ場がなかなか無いですからね。

dan
もっとそういう場が必要だと思います。
それに、日本は、とりあえず就職するじゃないですか?企業の傘下のデザイナーになろうとする。

ccplus
日本のデザイナーって、ほとんどが下請けみたいな感じになってしまっているんですよね。
やたらデザイナーがいっぱい居たりして。

dan
少なくとも、イタリアでは、デザイナーは、人々から尊敬されます。
デザイナーは、尊敬される職業なんです。
私がデザイナーです。と言うと、工場の人やスタッフの人は、必ず一目置いてくれますね。
街の人の理解も違います。

ccplus
日本もそうなってほしいです。
それには、美とかデザインの根本を理解して他人に伝える説得力がないとダメですよね。
それと、クライアントが理解してくらないとダメだし。。向こうは、それがあるんですよね。
その辺りが難しいところではありますが。。

イタリアで一番学んだのは何ですか?

dan
欧州で一番学んだのは、プレゼンテーション力もありますけど、社交力ですね。

ccplus
暖さんは、交友範囲の広さとか友達の多さに驚かされるのですが、昔から社交的だったのですか?
それとも、欧州に行ってから??

dan
昔からな気がします。
人とコミュニケーションすることが好きなんです。コミュニケーションするためにデザインしているといっても良いくらいなんです。

ccplus
ミラノサローネに出展されているそうですが、ミラノサローネについて、聞かせていただけませんか??

dan
ミラノでは、ミラノサローネという大規模なデザインイベントがあって、そこで出展させていただいているのですが、そのイベントをやっている時は、街中がお祭り騒ぎなんです。
デザインそのものを祝福してるような感じです。街のあちこちで様々なイベントが開かれています。

ミラノサローネの外側ではfuoriサローネという、ミラノサローネには入りきれなくなった若手のデザイナー達がシャッターの下りた商店とかをその時だけ借りて展示していたりします。その雰囲気が好きなんです。

そして、fuoriサローネがマンネリ化してくると、更にその外側でfuori fuoriサローネっていうイベントをやっていたりします。
どんどん面白いことをやろうとしている人達が更新されていくのです。

ccplus
なるほど、パリコレの時にマレの外側からオベルカンフとかの周縁で若手が発表しているのと同じですね。

dan
そうですね、そういうことを日本でもやっていきたいという風に思います。

ccplus
是非やってください。協力しますので!

dan
2009年にイタリアの大学院domusは卒業したのですが、そういうこともあって、日本に帰ろうと思いました。
でも、発表は欧州でもやろうと思ったのです。

第三部帰国編につづく

帰国編は、さらに面白くなりますので、ご期待ください。

クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/23231910.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/25152709.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/01/19210940.html

クリエイターインタビューシリーズ

クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/03/31151012.html

クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖

クリエイター・インタビュー第一回は、DAN TOMIMATSU

デザイナーのインタビューを始めようと思った時、第一回は、富松暖氏にしようと思った。

なぜ富松暖氏にしようと思ったのか?というと、プロダクトデザインの立場からファッションを見ることが出来ると思ったからだ。

現在、ファッションの世界は、大きな問題を抱え込んでいるように見える。

この状況を突破する為に、まず、ファッション100%では無い人の話から始めたいと思う。
ファッションを別の角度で見てみる必要があると思うのだ。

インタビューは、かれこれ10時間以上行われており、現在なお継続中である。
そして、現在、まとめ中だ。
それなので、数回に分けたロングインタビューになります。

このインタビューは、これからのデザインに、一筋の光を見いだすことが出来れば良いなという風に思います。

以下本文

富松暖 以下dan
インタビュイー:contemporary creation+ 以下ccplus

ccplus
本日は、ありがとうございます。
えーと、まず、暖さんは、たしかお父さんが彫刻家で、お母さんがテキスタイル・デザイナーなんですよね?
そういう家庭で育つと、なんか服のデザイナーになりそうだなという気がするのですが、ファッションデザイナーになる気は無かったのですか?

dan
こちらこそ、ありがとうございます。
実は、卒業制作は服だったのです。
なので、今でもファッションへの憧れはあります。

父が木で彫刻を作っているんですよ。それで、木材調達のために東京から奈良へ引っ越したのです。
「子供は大自然の中で育つべき」という父の教育方針もありました。

ボーイスカウトとか、カヌーをやらされたりとかしたのですが、嫌で、引きこもっていました。笑
それでも、モトクロスをやらされて、あげく大怪我をして、余計に引きこもりになりました。
奈良の田舎で、『ファッション通信』を見るのが楽しみな、そんな子供でした。

ccplus
奈良にはいつからいつまで居たのですか?

dan
小学生から中学生までです。
母は東京の人だったので、田舎の生活に戸惑っていたのですが、テキスタイルデザイナーなので、草木染めに転向しました。
それで、野山で草木を採集してストールとか布を染め上げて作品を作り、発表は東京なので、たまに東京へ行くという暮らしをしていました。

ccplus
暖さんは作風が都会的ですけど、意外と自然の中で育っていて、しかもルーツがものすごく自然なのですね。
そういえば、いろいろな作品やロゴとかの表現に自然の秩序の移し替えみたいな、そういうものを常に観察していた人じゃないと出来ないような、本質的な美しさを感じます

dan
ありがとうございます。
自分では、全然気付かないのですが、もしかしたらそうなのかもしれません。
父の教育のおかげだったのかもしれません。

ccplus
高校からはどうされたのですか?

dan
高校は大阪の高校に行きました。
奈良から40分くらいで大阪に行けるのです。
大阪は美術の予備校もあったので。
京都市立芸術大学を目指して勉強していたんです。
ところが、母が病気で倒れまして、東京にしか病院が無いということで、東京に戻ってきました。

ccplus
お母様はどうされたのですか?

dan
亡くなりました。
癌だったのです。
ものすごくショックを受けました。
父などは、名前を変えました。
母の名前がルミというのですが、父は、ミキオで、母の名前のルミを自分の名前の中に入れてルミキという名前に本当に変えたのです。
母が死んでから、ずっと毎日母の分もご飯を必ず作っています。

ccplus
奥さんの名前と自分の名前を一体化するっていうのは初めて聞きました。よほど愛していらしたのでしょうね。

dan
そうですね、でも逆に心配になります。再婚した方が良いのではないか?とか。

(その後のDAN TOMIMATSUの作品は、彼のお母さんが亡くなったことに対する影響が色濃く見てとれるようになる。失われた幸福への回帰や、現在あるものの永続性に対する願望などが、作品になって繰り返し現れてくる。もちろん、それが彼の作品の魅力になっていることは間違いないと思う。編集注)

ccplus
卒業制作は服だったんですね。
たしか出身は、多摩美の造形ですよね?

dan
そうです。多摩美術大学の造形表現学部というところです。
その前に立美って立川美術学校という予備校に行ってました。
ほとんど勉強しなくて、いつもカフェとかでうろうろしてました。
落ちこぼれだったんです。

ccplus
落ちこぼれだったとは、現在のコンセプチュアルで頭良さそうなデザインからは想像出来ませんね。
なぜ落ちこぼれだったんですか?

dan
いつもデッサンばかりやっていて、意味が分らなかったんです。デザインを勉強しに来てるのに、なぜデッサンばかりなのか?それが分らなかったんです。
現在は、分るんですけど。
デッサンは、ものの見方を養うために必要なんです。
じっとものを見て、描いていると、ディテールとか陰影とか色々なものに気付くのです。
それをやった人とやらなかった人は、デザインが全く違うようになると思います。
今では、やって良かったなという風に思います。

ccplus
デザイナーとかアーティストもそうですけど、『人が見えないものが見えてくる能力』っていうのが必要ですよね。どれだけ見えてくるのかが重要だと思います。

ファッションデザイナーになろうとは思わなかったのですか?

dan
高校生の頃はファッション大好きでしたので、考えました。
でも、ファションをやるとしても、直ぐにファッションの専門学校に行くというのがピンと来なくて、まずデザインの勉強をしようと思ったんです。
デザインとは何なのか?を学ばないといけないと思いました。

多摩美では、デザインとはコミュニケーションだということを しきりに言われました。

ccplus
うちの店もcontemporary creation+communication development 現代の創造とコミュニケーションの発展 という名前が付いてまして、まさにそれです 笑

dan
もう一つは、デザインの歴史とか基礎みたいなものを学びたかったということがあります。
プロダクトデザインは、産業革命があって、アーツ&クラフト運動があって、バウハウスがあってという流れが基礎にありますよね。

ccplus
ファッションの世界は、それがなかなか見えて来ないですよね。
ココ・シャネルやイヴ・サンローランについて語る人は居ても、産業革命について語る人は、ほとんど聞いたことがありません。
ファッションこそが産業革命を作ったのにです。
これは、大変おかしいという風に思います。

dan
僕もその辺りを考えたかったんです。

ccplus
産業革命が起こしたファッションへの渇望が、女工哀史のような、劣悪な労働環境を産み出したわけですし、それが、手仕事による、用の美をもたらすアーツ&クラフツ運動を産み出したわけですよね。
この辺、話し出すと長くなりますので、ここは端折りますが。。
それで、どうしたんですか?

dan
多摩美の3年生の時に、服を卒業制作で作ろうと決めて、多摩美に行きながら伊藤衣服研究所というところに服を勉強しに行きました。

ccplus
ファッションの勉強もしているんですね。
卒業制作は、どういうものを作ったんですか?

dan
『ポートレート・クローズ=肖像服』っていうタイトルで、人の身体を石膏で型取りして、カタチを作りました。

プロダクトデザインを勉強していたので、プロダクトデザインって、『問題解決』だという風に多摩美では言われていたんですよ。
後にイタリアに行って、必ずしもそういうアプローチだけでは無いことに気付くのですけど、当時はそういう風に思っていました。

問題を解決するために、取手の部分のカタチがどうなるとか、そういう風に出来ていくのです。
それを服に当てはめてみたのです。

では、そもそも服とは何なのか?
なんで、人間はこんなに体毛が薄いのか?
それは、毛皮を着ていたからに違い無い。
毛皮を着ていたから、結果的に体毛が薄くなって、服を着ざるを得なくなった。
結果的に服が必需品になっていったと思うんです。

それから、社会的な地位とかシンボルとか色々なものが付加されるわけですけど、基本はそうですよね。

もう一つ、毛皮を着なかった人達が居て、その人達の服って『入れ墨』になっていくんです。服が必要無くって、呪術的な意味が残っていったんです。
物理的には毛皮で精神的には入れ墨なのかなと。

ccplus
そうですよね。あと、アフリカとかの人は、日射しを避けるために赤土を皮膚に塗ったりしますよね。物理的には、赤土系と毛皮系が居たと思います。
赤土系の人達が入れ墨になっていったんじゃないか?
あと、狩猟系の人達は、狩った獣の毛皮を着ることで擬態し、獲物を獲得することが出来たり、洪水や津波みたいな災害にあった時に、毛皮を着てた人達だけが生き残って、毛が薄い人達ばかりになっていったのではないかと思います。
あと、海に潜った人も居たはずですが。。(余談)

dan
そう思います。
それが段々社会的なイメージの操作の対象になっていったというか
イメージを取り替えるための服になっていった。

では、破壊されないイメージとしての服って何んだろうと思ったんです。

服のイメージってあるじゃないですか。あれはシルエットだと思うんです。
で、服を機能として突き詰めていくと、義肢になっていくと思うのです。
義肢って義手とか義足とかの義肢です。

人間の身体の一部としての服が義肢です。
それで、義肢としての服を作りました。

石膏で型取りした腕の部分をシャツと組み合わせて、その人自体のシルエット=イメージをシャツに反映されるという作品でした。

それで、人間には、誰かになりたいという願望があると思うんです。
身の回りに居る人の誰かになってみたいというようなイメージ、手本とする人に憧れるみたいな。

それと同時に、人間には、欠損したものを補う役割として衣服があると思うんです。
それは、毛皮を着ていたから体毛が薄くなっていて、逆に寒くなったら、服が必要みたいな、物理的な欠損を補う部分と、理想的なイメージの自分に到達するために、自分に足りない部分を服に求める精神的な欠損を補う部分があるように思えます。

呪術的な部分ですよね。
それを誰かのイメージ=義肢を着ることで表現しようとしました。

これは、アンチモード=プロダクトデザインの領域から服を考えたのですが、ただ、人間のどの部分を反映させるのか?自分が選んでいる時点で、やはり、イメージを選んでいる=モードになってしまったなという風に思いました。

ccplus
ほとんどコンセプチュアルアートの世界ですね。
元々、衣服の誕生は、狩った獲物の毛皮を身に纏って狩猟をしたことなんですね。『違う何かに変身したいという願望』は、ですから、人間が根源的に持っている、人間が人間である、そして衣服が衣服である根源の部分だという風に思います。

卒業してから直ぐイタリアへ行ったんですか?

dan
いいえ、イタリアの大学も試験が英語なんです。それでまず、イギリスのブリストルというところの語学学校に行きました。
1年くらい居ました。
イギリスのRCAかセントマーティンか、イタリアのDOMUSを受けようと思って。
最初にDOMUSアカデミーに受かってしまったので、イタリアに行くことにしました。
キャロル・クリスチャン・ポエルっていうファッションデザイナーが好きだったんです。彼がDOMUSだったので。
実は、キャロル・クリスチャン・ポエルのアトリエの数件隣りに住んでました。DOMUSの直ぐ近くなんです。

ccplus
僕もキャロルのコート愛用してますので、羨ましいですね。
ところで、イギリスでの生活では何かを得ましたか?

dan
イギリスは試験勉強していたので、あまり得るものは無かったです。
奴隷の部屋に住んでいたんです。地下にあるんですけど、だだ広くて。

ccplus
やはり、イギリスはそうなんですか?

dan
イギリス全部がそうというわけではなくって、たまたま住んでいたところがそうだったのかもしれませんけど。

ブリストルは奴隷貿易で栄えた街だったというのがあります。

ホワイトレディスロードとか
ブラックボーイストリートとか、
奴隷記念館とかもありました。

奴隷の部屋は地下と屋上と責められた時、家事の時にもっとも逃げづらい部屋に決まっていました。

ccplus

そうなんですね。

アントワープとかだと、気に入られると、どこでも500ユーロで貸してくれるらしいですけどね。アーティスト支援で。
ビル一棟借りて500ユーロっていう話も聞きました。
では、イタリアの話を聞きましょうか。

つづく
次回 第二部 イタリア編 (大変面白いですので、お楽しみに!)

クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/23231910.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/25152709.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/01/19210940.html

クリエイターインタビューシリーズ

クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/03/31151012.html

contemporary creation+ Art Christmas

contemporary creation+ Art Christmas

2011.12.23fri , 12.24sat

地震や原発被害など、未曾有の災害が起きた2011年の日本。

そんな今年も残りあとわずか。

contemporary creation+では、人々の笑顔を取り戻すこと
出来ることをやること。

悪いことから良いことへ、少しでも流れを変えるべく

contemporary creation+ Art Christmasを開催します。

通常の商品に加え、
様々なアーティストが、クリスマスから新年に相応しい作品を発表&発売

大切な人へのプレゼント、自分へのご褒美 目の保養 等々

工夫をこらしたアートや作品をお楽しみください。

期間中、お茶やお菓子、ワインなど、様々出てくると思います。
特に23日の夜は、パーティーになります。

参加アーティストも、お店に来たりしますので、是非遊びに来てください。

そして、お買い上げの方には、contemporary creation+ から お得なプレゼントがあります。
もちろん、ギフトラッピングも無料でやりますので、よろしくお願いいたします。

参加アーティスト・デザイナー

□DAN TOMIMATSU
アクセサリー・プロダクトデザイナー
http://www.dantomimatsu.com/

ラバーバンドに新シリーズ追加(予定)
RE CRYSTAL RINGも オーダー受け付け

□小浜はるみ / Harumi Obama
写真家 / photoglapher
http://www1.parkcity.ne.jp/obama/

2012新作カレンダー&撮り下ろしオリジナルプリント発表
http://casavouta.exblog.jp/

editor in chief mapmagazine
http://www1.parkcity.ne.jp/magazine/

□aiko szki
アクセサリーデザイナー
http://aikoszki.web.fc2.com/

新作ガマグチネックレス発売

Gamaguchi Necklace
http://aikoszki.web.fc2.com/accesory.html

□Miho Tanaka
デザイナー
homepage see you soon

merciシリーズと新作リメイクの服を発売

オートクチュール・ウェディングドレス オーダー受け付け開始

等々 様々行います。

よろしくお願いいたします。

contemporary creation+
contemporary creation+communication development
http://www1.parkcity.ne.jp/ccplus/

#101 2-31-2 kichijyoji-honchyo musashino city tokyo japan  180-0004
tel / 0422-20-8101  
open 12:30-21:00
close : monday +friday(without holiday)

武蔵野市吉祥寺本町2-31-2-101
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福島第一原発冷温停止発表の影で起きていたこと

サッカー記事のつもりでしたが、柏負けてしまったので、後にします。
本日は重要なニュースがあるのでまとめです。

福島第一原発が冷温停止だそうで、本当なら目出たいところなのですが、そうでもなさそうです。

というのも、金曜日の午後に発表するのは、権力に都合が悪い情報というのがセオリー。
それは、土曜日の朝刊が一番読む確率が低いからなんですが、福島第一原発冷温停止の発表は、なぜかそのセオリー通りの金曜の午後。

政権に有利な良い情報なはずなのに、おかしいですね。

で、なぜここで発表されたのか?考えてみますと。。

他に、ものすごく権力側に都合が悪い出来事があって、それを吹き飛ばすためだと考えると辻褄が合いますね。そうですね。

では、その権力に都合が悪い出来事とは何でしょうか??

小沢一郎裁判における前田元検事の陳述ですね。

以下引用 ゲンダイ

<この国の検察、警察はデッチ上げで犯罪、犯人を捏造している>

「私が裁判官なら(小沢)無罪と判決を書く」とまで言い放ったのだ。

以下全文は
http://gendai.net/articles/view/syakai/134259

これですね。

そもそも、なぜ小沢一郎の秘書が逮捕されたのか?というと、千葉県知事選のためだったんですね。

権力側というのは、所謂『ラングレー』の手羽先のことですが、千葉県知事が革新勢力だとまずいことがあったんです。
なので、千葉県知事を手羽先の森田健作(偽名)にしたかった。(本名じゃ無くても国会議員や知事に立候補出来るんですよ、この国は。。おかしいと思いませんか??鉛筆書きなのもね。。)

なので、民主党の人気を落とす必要があった。
それで、当時民主党の代表だった小沢一郎の秘書を逮捕したわけです。

この事件で民主党の人気はがた落ちし、結果として森田健作が千葉県知事になるわけです。

森田健作は、当時、自民党の幹部であったにも関わらず、そのことを隠し、無所属として立候補していました。

その後、結果として千葉県を地盤とした野田首相が誕生したというわけです。

そりゃ、都合悪いですよね。

ちなみに、小沢一郎が冤罪だから、小沢が正義で、小沢が日本を立て直すと信じている小沢信者さんが、ここのところやけに増えたのですが、現在はどうか知らないけれど、元々小沢さんも『ラングレー』エージェントですよ。

そもそも、小沢一郎の『日本改造計画』に序文を書いているのは、『ラングレー』を作ったスタンダード石油の本家の人ですよ。(現在のトップが分家のデビッドさんなだけ)

『ノリエガ』『パナマ』『池田』でググルと色々出てきます。

2大政党制というのは、イギリスやアメリカを見れば分るように、一部の超権力者に都合が良いシステムなんです。
両方にエージェントを送っておけば良いわけですから。

彼らは、そのシステムをオザワンに作らせたわけです。

それから時間が経って、あれこれ起きたわけですが。

郵政民営化反対選挙の後、民主党には、少なくとも、当時の自民党よりも我々一般市民に近い人が居たので、そういう人達に権力を握らせない仕組みが、超権力者達には必要だったんです。

で、オザワンのような核武装の独立勢力を援助して、日本の核武装に必要な『もんじゅ』を動かさせて、それを止めるために、別の勢力を動かして、事件や事故を起こしつつ、結果として左派をパージして、さらにエネルギーや武器を売り込み、もっとも自分達の都合の良い展開にしているということなんじゃないかと思います。

松本サリン事件=阪神淡路大震災=地下鉄サリン事件=もんじゅ爆発の時も、311地震=福島第一原発事故の時も、全く同じように進んでいます。

おそらく、第二次世界大戦の時も。。

それが分らないと、たぶん一生日本の政治が理解出来ないと思います。

東京地検特捜部というのは、元々日本がアメリカに占領された時に、占領軍GSの側から『ラングレー』の側に権力が移行する時があったわけですが、GS側の勢力を追い落とすために『昭和電工疑獄事件』という事件が作られたわけです。
その事件のために作られた組織が、東京地検特捜部というわけです。

だから、そもそも東京地検特捜部というのは、『ラングレー』の機関なんですね。

ちなみに、昭和電工疑獄事件後に昭和電工の社長に就任したのは、日野原節三といいまして、地下鉄サリン事件でほとんどの患者が運び込まれることになる元米軍極東中央病院の院長と同じ名前の人なんですね。

米軍極東中央病院の日野原重明さんは、偶然にも、日本赤軍の『よど号』事件の人質だったりしたわけですよ。

で、そもそも小沢一郎の秘書を逮捕した郵政不正事件で証拠を捏造したのがバレて捕まった大坪弘道検事は、福島第一原発のプルサーマル計画に反対して国策逮捕された佐藤栄佐久知事や、地下鉄サリン事件のサリンを作ったとされる土屋正実死刑囚の供述を取った人物なんですね。

ご存知のように、福島第一原発のプルサーマルが動いていなかったら、今回の誰かさん達の作戦は不可能だったわけです。
というのも、プルサーマルというのは、プルトニウムを使っているので、核爆弾を使っても、原発が爆発しちゃったら、分らなくなるからです。

土屋正実死刑囚が言っていたのは、「自分は実験でサリンを作ったけど、地下鉄サリン事件で使われたサリンは、自分が作ったサリンじゃ無い」ということでした。「自分が作ったサリンは、製造過程で不純物が必ず出てくるはずだが、地下鉄サリン事件の時には、その不純物が出てきていない」と言ってたんです。

なぜか、クスリでアッパラパーにされてしまったのか、その辺りは有耶無耶にされ、そのまま死刑判決になってましたけど。

松本サリン事件では、オウム信者の人達がマスクも防護服も付けずに、ワークと称してサリンを撒いたそうなんですが、誰もサリン中毒になって無いわけです。
そんなんでサリン撒いたら、即死です。

しかも、信者がサリン撒く前から複数の人が中毒症状を訴えていたわけです。

もちろん、現場では宇宙服みたいなものを着た人の目撃談やらがいろいろあるのですが、裁判の短縮のためと称して、それらの人が証言台に立つことはありませんでした。

その影で、河野義之さん冤罪だけが騒がれたわけです。

松本智津夫裁判の安田弁護士も、地下鉄サリン事件における秘密を検証しようとして別件逮捕されました。
あきらかにでっちあげなので、1審で無罪判決が出ていたにも関わらず、12月8日のリメンバーパールハーバーの日に有罪が確定してしまいました。

で、オウムというのは、1月17日の阪神淡路大震災が起きるのを知っていたとか、人工地震を研究していたとか、色々興味深いんですが、そういう勢力に情報をリークされて操られていたんでしょうね。

オウム事件で死刑が確定したのは13人。

なぜ13人だか分りますか?

キリストと12人の弟子っていう意味なんです。

偽メシアが現れるっていう、誰かさん達の予言通りっていうわけです。
そういうことを日本の裁判所が現実にやっているんです。

で、もちろん、死刑が確定すると、死刑したことにして、エージェントの人達は釈放されるのでしょう。

東京拘置所は、GHQが作った巣鴨プリズンですからね。

というか、そもそも、特定の日以外は、拘置所の中には居ないんじゃないかと思いますけどね、工作員の人達は。。

ちなみに、オウムの宗教法人を認可したのは鈴木俊一都知事ですが、この人は、オウムの村井が刺された前日に都知事を引退しています。

そして、鈴木俊一都知事は、水曜会といって、『ラングレー』に支援された岸信介政権の内閣の要である内閣官房副長官だったのです。

つまり、エージェントだったということです。

さらに言えば、昭和電工疑獄事件で逮捕された人の中からも、ラングレーのエージェントが多数出てくるわけです。

たとえば、民社党を作った西尾末広もそうです。
民社党というのは、GSの側である社会党を分裂させるためにラングレーが資金援助して作った政党であることが、アメリカの公式資料から判明しています。

民社党というのは、日本に原発作らせる目的もあったので、原発利権でもありました。

旧民社党=民社協会の人は、民主党の中にも沢山居ますが、要所要所の国家公安委員長ですとか、防衛大臣ですとか、法務大臣、文部科学大臣というのは、この旧民社党の人脈が出てくるわけです。

松本サリン事件の時もそうですし、311地震の時もそうです。

怪しい事件が起きた地元の政治家は、民社協会がものすごく多いです。

ちなみに、現在は、減税の側に立とうとしているようですが。。
また、いろいろ作戦があるのでしょう。

このように、私達一般市民をうまく誤摩化して、上手く誘導して権力機構というのは維持されているのです。
知れば知るほど巧妙に出来ています。

それでは、本日はこの辺で

なかなか書けませんが、服やデザインの話なども、近々やりたいです

FIFAクラブワールドカップ 柏レイソル対モンテレイ 試合分析

contemporary creation+恒例のサッカー分析が、changefashionにも登場です。
以下試合のレポ

サッカークラブワールドカップは準々決勝
開催地枠で出場し、オセアニア王者を下した柏と北中米カリブ海王者のメキシコ・モンテレイが対決。

面白かったですねえ。この試合。
最後までワクワクドキドキでした!

12月11日(日)19:30 / 会場:豊田スタジアム

柏レイソル1−1モンテレイ(メキシコ)
 PK戦 4−3

得点者
レアンドロ・ドミンゲス(後半8分)
スアソ(後半13分)

GK: 21 菅野孝憲
DF: 3 近藤直也
  4 酒井宏樹
  5 増嶋竜也
  22 橋本和
MF: 7 大谷秀和
  10 レアンドロ・ドミンゲス
  15 ジョルジ・ワグネル
  18 田中順也
  28 栗澤僚一
FW: 19 工藤壮人
  → 11 林陵平(延長後半0分)

昨年J2を圧倒的な成績で制した柏。
開幕戦をテレビで見たのだが、そのちゃんとしたサッカーに驚きました。

結局、J2,J1を連覇し、クラブワールドカップへの出場を決めた。
クラブワールドカップでは、開幕戦のオークランドシティを前半の2−0から後半押し込まれたものの、ゴールキーパー菅野の圧倒的なファインセーブでピンチをしのぎ、準々決勝へ。

対戦相手は、北中米カリブ海王者のメキシコ・モンテレイ。

その先発メンバーを見てみると。。

GK: 1 オロスコ
DF: 4 オソリオ
  5 チャベス
  → 20 アジョビ(延長前半0分)
  15 バサンタ
  21 ミエル
MF: 8 L・ペレス
  17 サバラ
  18 カルドーソ
  → 24 S・ペレス(延長前半11分)
FW: 11 サンターナ
  → 9 デニグリス(延長前半7分)
  19 デルガド
  26 スアソ

ワールドカップ南米予選の得点王チリのスアソを始めとして、アルゼンチン代表のデルガドやカルドソなど凄い選手がいっぱい居ます。

なんでメキシコリーグでやっているのかいな??という感じ。

それは、実は柏のブラジル人2人もそうで、ジョルジュ・ワグネルとレアンドロ・ドミンゲス、この二人はもの凄く良い選手です。

今までのJリーガーの中でもトップクラスの選手だと思います。

果たして、来年、この2人は柏に残っているのでしょうか??
活躍すればするほど、可能性が低くなっていくような。。

さて試合は、序盤から圧倒的なモンテレイペース。
うわ、こりゃ強い。
パスが早いし、動きがクイックで、柏のディフェンス陣ついていけません。
ヤバいですね。
しかし、なんとか身体をはってセーブ。
菅野ががんばる。
ポストに当たる。

かろうじて点が入らない。

そうこうしているうちに、エースのスアソが足を傷めたもよう。

これが、結果的に柏に味方しましたね。
あのままスアソが無傷だったらヤバかった。

柏のやり方は、典型的なブラジル式の4−4−2
この4−4−2は、中央の四角形=センターバックとボランチの2人がユニットで守り、サイドの2人はどちらかというと攻撃よりです。

このシステムの弱点は、サイドの攻防で敗れると、サイドが守備に引きずられてしまい、押し込まれてしまうこと。

そして、柏の生命線はブラジルの2人。この2人を抑えるためには、サイドバックの裏を狙って、彼らに守備をやらせて力を削ぐことでした。

その通りの攻撃をモンテレイがやります。

特に、柏の左サイドバック橋本の守備力が、攻撃に比べて劣っているので、橋本の裏が狙われました。
そう、安田が居た頃のガンバのやられ方にそっくりです。

で、これを防ぐためには、フォワードの動きが重要なんですね。

相手のサイドバックをフォワードが引きつけるようにしなきゃいけない。
つまり、センターバックとサイドバックの間のスペースを使うようにする。
この事で、相手のサイドバックの上がりを防ぐことが出来ます。

その辺りの修正で、前半の後半は何とかなった感じ。

ただ、この試合、ジョルジュワグネルの献身的な守備に何度も助けられた柏でした。本当に良い選手ですね。サンパイオ以来じゃないですか?こんなブラジル人は。。

試合展開ですが、おそらくネルシーニョのことなので、ハーフタイムに根本的な修正をしてくると思いましたが、してきましたね。

これは、相手が2トップなんだけれども、事実上スアソのワントップで、サイドの選手のマークが甘くなっていたのを修正。
さらに、サイドバックをがんがん上がらせた。
相手に中盤での数的優位を作らせないためです。

守備もフォワードの2人がコースを消して、中盤でカットする方法に切り替えました。

これで機能するようになりました。

一方、前半、ハイプレスと裏への飛び出しをやっていたモンテレイは、体力面から少しペースダウン。

柏は、前半は守備の面でも、あまりトップから行かないようにして体力温存してましたからね。

得点シーンは素晴らしいものでした。
まさにワールドクラスのプレー

各国のスカウトが涎ものでしょう。
田中順也も良かったですが、レアンドロドミンゲス凄すぎ!
いやあ、レアンドロドミンゲス、来年日本に居るかなあ??
居ないだろうなあ、これは。。

しかし、モンテレイもすぐさま反撃。

得点した勢いで前がかりになった柏の左サイドの裏のスペースをついて折り返し、スアソが流し込んで同点。
スアソ、足引きずってますよ。足引きずりながらこれですからねえ。。

やはり、モンテレイ強いです。

その後、柏は交代選手で勝負をかけるのか?と思いきや、交代要因を使わず、延長戦へ。

ここでも3人の交代枠を使ったモンテレイに対して、柏は1枚だけ。
試合は動かずに PK戦になりました。

ここで再び大活躍したのがゴールキーパーの菅野。
とにかく、読みが早く、反応が鋭いです。

こういうキーパー、川口能活以来ですね。

ということで、PK戦を制して柏が勝利しました。

この試合、選手交代などは?がつきました。
クラブワールドカップは中二日の試合が続きます。
体力面から考えると、90分で決着を付けたかったところでしょう。

が、恐らく、ディフェンスにそれほど高さの無い柏は、相手のフォワードが大型化したため、選手を変えられなくなった可能性があります。

それを差し引いても、ネルシーニョのサッカーは面白いですし、修正も適切です。
やはり、オリヴェイラと並んで、本当に良い監督なんだと思います。
過ぎし日の読売ヴェルディ黄金時代を思い起こさせますよね。

そして、優秀なコーチ陣も見逃せません。
ヘッドコーチは、あの井原正巳さん。
ゴールキーパーコーチはJリーグ最高のキーパーの一人、シジマールです。

優秀なスタッフが適切に指導し、柏は充実期を迎えています。
体力トレーニングも充実し、落ちないスタミナも素晴らしい。

どこまで行けるか?是非見てみたいです。

次は南米王者、サントスとの一戦です。

text by
contemporary creation+
http://www1.parkcity.ne.jp/ccplus/

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リメンバー・パールハーバーと311地震

12月8日=リメンバー・パールハーバーを軸に、今週のニュースまとめです。

12月8日は、日米開戦で真珠湾攻撃した日。つまり、リメンバー・パールハーバー

911ニューヨーク同時多発テロが起きたのは、リメンバー・パールハーバーから60周年の2001年。映画『パールハーバー』を公開した年でした。

今年は、70周年。
で、311地震です。(汗)

今年の3月11日に世界で公開された映画は『バトルロサンゼルス』
これは、真珠湾攻撃の翌年、アメリカで実際に起きた、日本軍による米本土爆撃というラジオ実況による嘘の戦闘『バトルオブロサンゼルス』をモチーフにした映画でした。

なぜ、この嘘の戦闘が行われたのか?と言いますと、『日系人を強制収容所に送り込むため』にでっちあげた戦闘だったわけです。

2011年の12月8日、死刑廃止運動で知られる安田弁護士に有罪判決が出ました。
なぜ1審で無罪だった事件で有罪判決が決まったのか?

それは、安田弁護士が、地下鉄サリン事件の松本智津夫死刑囚の国選弁護人だった時に、地下鉄サリン事件における『知られてはいけない秘密』を裁判で検証しようとしていたためでした。

そのために、別件で逮捕して拘留したわけです。
もちろん、無罪だったので1審では無罪判決が出たのですが、2011年の12月8日(リメンバー・パールハーバー)に、わざわざ有罪判決にしたのです。

裁判長は、那須 弘平
最近の管理人が怪しいと思う事件の大半をこの人が裁いてますね。
和歌山毒入りカレー事件とかですね。
無差別殺人なはずなのに、なぜか死んだのは、自治会の会長と副会長という不思議。しかも、小泉政権の情報工作担当だった某議員の地元)

こういう世間を騒がす大事件の判決の日には、必ず『世間を騒がせたくない大事件』の何かがあると決まってるんですね。
で、この時は、冤罪だった足利事件のDNAの再検査で一致する確率が著しく低かった事が分ったことだったわけです。

ちなみに、那須 弘平と同じ高校出身に以下の人が居ます。

野沢 太三 
ブッシュ(子)が大統領に就任した2001年に起きた『附属池田小事件』で、犯人とされた宅間守に死刑執行した法務大臣
日韓トンネル研究会4代目会長

ちなみに、311地震・福島第一原発事故当時の文部科学大臣(原発担当)は、高木義明
この人も日韓トンネル研究会です。

もっとちなみに言うと、穴に水を圧力かけて注入すると地震が起きます(まめ知識)

宮下 創平
ブッシュ(父)時代の湾岸戦争当時、PKO協力法を成立させた防衛大臣
村山内閣の環境大臣で水俣病担当(オウムの松本智津夫は胎児性水俣病のため弱視になっていたことに留意)
小渕内閣の厚生大臣(その後様々な事件を引き起こすSSRI型抗鬱剤を認可。ちなみにアメリカで認可されたのは父ブッシュ大統領の時=それ以来、日本の自殺者は年間1万5千人も増加)

伊藤 公介
ブッシュ(父)時代の湾岸戦争当時、PKO協力法を成立させた時の衆議院法務委員長
パチンコ・チェーンストア協会政治アドバイザー

安田弁護士は、光市母子殺害事件でも弁護をしていて、これがマスコミに散々叩かれています。
なぜ叩かれたのか?
マスコミで誰かが叩かれる時は、反対側を必ず見ましょう。
これが、ニュースを読む時のセオリーです。

それは、光市母子殺害事件というマスコミの話題を独占するトピックの影で、日米ガイドライン法という、軍事的に重要な法律が通過していたからです。

つまり、光市母子殺害事件は、米軍の都合のために利用された事件だったのです。

死刑を執行するのは、東京拘置所。
これは、元々米軍の巣鴨プリズンです。
どうなっているのかは、誰も知らないわけです。
地元の政治家は、ずっとアベ元首相の家庭教師だった元警察官僚ですし。。
アベ元首相の祖父が、日米安全保障条約を結んだ時の総理大臣ですしね。

ちなみに、地下鉄サリン事件は、米軍によると北朝鮮の犯行としています。その背後にロシアが居たことになってるわけです。

でも、あの事件は、ようするに、『もんじゅ』を動かした日本の核政策を止め、生物化学兵器を一般住民に使って、元米軍極東中央病院で追跡調査=人体実験
さらに、北朝鮮の危険を煽って、レーガン・中曽根政権で企画した使えなくてお蔵入りしていた出来損ないミサイル防衛計画を5兆円余で売り込むことに成功と、米軍にとって、まことに有利な事件だったわけですよ。

1994年に核兵器大量生産可能な高速増殖炉『もんじゅ』を動かした時には、松本サリン事件→1・17阪神淡路大震災→3・20地下鉄サリン事件12・08もんじゅナトリウム爆発事故でした。
もちろん、『リメンバー・パールハーバー』です。

ちなみに、1月17日は、湾岸戦争を開始した日。3月20日は、イラク戦争を開始した日ですね。

今回は、2010年にもんじゅ稼働
3・11大震災→福島第一原発事故→巨大スロー台風被害=国道311号線沿線→となってます。

ちなみに、米国が『リメンバー何々』とやるのは、日本だけではありません。

そもそも、テキサス州はアメリカでは無くメキシコ領だったのですが、原油が見つかったので、不法に移住をしまして、占拠したんですね。
これに怒ったメキシコが、不法占拠した人達を攻撃します。

これを、米側は見殺しにしておいて、『リメンバーアラモ』=アラモ砦の虐殺を忘れるな!というスローガンにして、メチャクチャ大きな部隊でメキシコ軍を打ち破って、テキサス州を乗っ取ったわけです。

その油田の権益を握ったのが、おなじみのブッシュ一族です。

昔から、ずーっと同じことをしているんですよ。KKKの人達は。。

DAN TOMIMATSU RUBBER BAND+RE CRYSTAL RING

先日、展示・受注会を行ったDAN TOMIMATSUのリングやブレスは、好評のため継続してオーダーを受けることになりました。

基本的に、オーダーいただいてから3週間ほどでお届け出来ます。
サイズなど様々選べます。
(ラバーバンドの一部サイズのみ、そのまま御持ち帰りいただけます)

欲しい方は、お店に並んでますので、是非! プレゼントにも最適です。 よろしくお願いいたします。

昨日は、DAN TOMIMATSUのNEXT PROJECTについて聞きました。
これは、素晴らしいプロジェクトだと思いますので、近日中にお知らせ出来ると思います。

現在、インタビューまとめ中なので、もう暫くお待ちください。

DAN TOMIMATSU の RE CRYSTAL RINGですが、氷砂糖がモチーフになります。

子供の頃に舐めた氷砂糖は、舐めると溶けて無くなってしまうわけですが、それを固定化し再結晶させることによって、その甘い記憶を蘇らせようというスイートなプロジェクトなのです。

そのため、氷砂糖そのもので型を作り、シルバーを流し込んで整形しています。

氷砂糖にはいくつかの種類があります。

もう一つは、氷砂糖を一旦コンピューターに取り込みCADで3D立体化してから作っているシリーズもあります。

共に28,000yen(tax in)

それをそれぞれ焼き付け塗装したバージョンもあります。

これは、より氷砂糖化し、白くなっています。

31,000yen(tax in)

ラバーバンド リング

輪ゴムを腕に付けた時の形状をシルバーと 22kで再現したもの。 デザイナーの間で、もの凄い人気です! 一つをつけるのも良いですが、複数付けるのもお洒落。 薄手のニットやカットソーの上から付けるのも、これまた良いです〜

7,900yen(tax in)

□dan tomimatsu 富松暖

プロダクトデザイナー アクセサリーデザイナー

彫刻家の父とテキスタイルデザイナーの母との間に生まれる
多摩美術大学造形表現学部卒業後 渡英 後 イタリアへ
CAROL CHRISTIAN POELLなどを輩出したイタリアDOMUS ACADEMY にてヴーヴグリコのボトルやスワロフスキーなどのデザインを手掛ける

修士課程修了後 帰国

ドライフラワーを作る過程を楽しむ花瓶『veil』
照明に虹がかかって見える画期的な照明システム『YONIJI』などを開発

デザインデュオ『dantoyoh』設立 プロダクトデザインを手掛ける傍ら、自らのデザインによるアクセサリーのブランドを発表

世界有数のチタン加工工場と組んだチタン削り出しのアクセサリー
輪ゴムをモチーフにしたブレスレットなどで話題になる。

最新作は氷砂糖をモチーフにした指輪を発表。

DAN TOMIMATSU
http://www.dantomimatsu.com/

contemporary creation+
http://www1.parkcity.ne.jp/ccplus/

武蔵野市吉祥寺本町2-31-2-101
tel+fax 0422-20-8101
open=12:30〜21:00 月+金=休 (祝日の場合は営業)

311地震と情報操作のセオリーについて

みなさんは、ニュースをどうやって見ているでしょうか?

ここでは、ニュースを立体的に読む方法を解説しながら読んでいきたいと思います。

まず、情報を操作したい人達が、どうやって世論をコントロールしているのか?
そのセオリーを見ていきたいと思います。

ニュースの報道の仕方にはセオリーがいくつかあります。

1、まず、権力に都合が悪い発表は、金曜の午後にされる。
これは、土曜の朝刊を読む確率が一番低いからだそうです。

なので、土曜日の朝刊をじっくり読むのがコツです。

2、広告の手法が使われている。
なので、新製品発表のタイミングに合わせて広告を準備していくように、タイミングを合わせて、事件や事故が起きたり、発表があったり、犯人が逮捕されていったりします。
そのタイミングに注目しましょう。

3,手品の手法が使われる

だそうです。

管理人は、この10年間、様々な事件や事象を研究してきたのですが、結論から言えば、世間を騒がす大事件の95%は陰謀か捏造です。

なので、世間を騒がす大事件が起きたら、まず、それは陰謀か捏造なんじゃないかと思った方が良いと思います。
もちろん、例外はあります。
でも、あくまでも、それは例外です。

では、なぜ世間を騒がす大事件や人を恐怖に陥れる凶悪犯罪の95%が陰謀か捏造なのでしょうか??

それは、世論を操作するために、その事件・事象が必要だからなのです。

これは、様々な大事件の地元政治家や、関わった人達、捜査指揮した人達や、運ばれた病院やら、検死した人物や、裁いた裁判官、死刑に立ち会った人、それに刑務所の地元政治家を調べれば、たちどころに分ります。

世間を騒がす大事件における、それらのプレイヤーは、ものすごく限られた人脈しか出てこないのです。
いつも同じ。

つまり、世間を騒がす大事件は、ものすごく限られた人脈がコントロールしているのです。

たとえば、愛知県では年間2件しか検死解剖がされていませんでした。
米軍基地のある神奈川県では、たった3人の監察医が、全ての検死を担当しています。

たとえば、死刑囚が居る東京拘置所というのは、元GHQの巣鴨プリズンなのです。第二次大戦の戦犯を裁いて収容した巣鴨プリズンです。
そして、その地元政治家は、ここ数十年、ずっと同じ元警察キャリアが当選しています。

地下鉄サリン事件で、ほとんどの患者が運ばれたのは、元米軍極東中央病院である聖路加国際病院です。たまたま偶然、事件の3年前に戦時用の病棟が出来、そこにほとんどの患者が運び込まれたのだそうです。

聖路加は、東京大空襲の時、後に米軍が使うため、爆撃目標から外されていました。一説には、聖路加の屋上から米軍機を誘導していたという話もあるそうです。そして、米軍極東中央病院になり、本体は聖路加に、築地分院は国立がんセンターになりました。
ちなみに、東京大空襲は3月10日でした。

今回の311地震でも、たまたま偶然、空母ロナルドレーガンが、地震の翌々日の3月13日に三陸沖に姿を現しましたよね。

1月10日にサンディエゴを出港した空母ロナルドレーガンが、311の双子素数である313、つまり3月13日に、都合よく『ともだち作戦』を行いにやってきたのです。
(偉い人達は素数を暗号に使っているそうです。素数の秘密がバレると、世界中の重要機密が危険にさらされるため、必死に守っていると、NHK BSの番組でやっていました)

ちなみに、311というのは、スリー・イレブン、つまり白人至上主義団体『KKK』(アメリカに住んでいたネイティブアメリカンの人々の居住地や資源を奪って自分達のものにする『マニフェストデスティニー=決定された未来』などという標語を掲げるレイシスト・アメリカ白人の団体)の隠語なんだそうです。(Kが11番目のアルファベットなため)

もっとちなみに言うと、2011年11月11日=スリー・イレブンに、日本奴隷化法案であるTPPへの交渉参加が決まりました。。汗

ところで空母ロナルドレーガンは、通常、極東の担当ではない空母だそうで、2月28日から3月10日まで行われた米韓合同演習に参加していないのです。
では、なんで、わざわざ2ヶ月もかけて、現場海域までやって来たのでしょうか??不思議ですねえ〜

そして、最大余震が起きる4月7日の2日前の4月5日に、都合良く作戦を終え、現場海域を離れていったのです。
その後、411で更に一発来ましたけど、でかい地震が。

ちなみに、福島第一原発の放射能漏れ事故で癌になると、国立がんセンターのお世話になることになるのでしょう。
地下鉄サリン事件の時と一緒で。。またまた米軍極東中央病院に。。あれれ

で、調べてみると、日本だけではなく世界中で、実に都合よく、米軍が災害の度に現れ、救援活動をしていることが分ってきたのです。

コンセプトは『現代の創造とコミュニケーションの発展』

こんにちは。
ひょんなことから、changefashionにブログを書くことになりました。

changefashionは、ファッションを通じたコミュニケーションのあり方を模索していると聞きました。

実は、うちの店の正式名称は、contemporary creation+communication devalopmentといいまして(長い名前ですみません!)『現代の創造とコミュニケーションの発展』をコンセプトにしています。

メインブログの方は、膨大な資料や情報が蓄積されてまして、価値はあると思うのですが、初めて読む人には、何が何だか分らなかもしれないので、こちらの方は、分りやすいブログにしたいと思います。

基本は、ファッションとアートですが、サッカー分析、ニュース分析も交えてお送りしたいと思っております。

そして、これらの議論の場に出来れば、と、思います。
よろしくお願いいたします。

サッカー南アフリカワールドカップ大会の時に、サッカー日本代表の議論を沢山の人達と行いました。
様々な議論が噴出しました。
ちなみに、これらの議論を通じて管理人のメインブログは、当時、『小野伸二』でgoogle検索すると3位、『岡田ジャパン』で12位までいきました。今でも『トルシエジャパン』で検索すると5位くらいに出てきます(笑)

賛否両論様々な議論が出たのです。

だけど、結果的に、これらの議論は、日本代表のサッカーを正しい方向に変え、結果が出て、皆が幸せになりました。
現在のサッカー日本代表は、これらの議論の上に行われていると思います。

そして、管理人は、新潟県中越沖地震における柏崎刈羽原発事故の時に、日本の原発行政や地震についての無茶苦茶さを知り、これについても議論を展開していきました。
しかし、これは、サッカーのようには、大きな議論に発展しませんでした。
当時のアクセス数は、たったの150
これでは、社会を変える力にはなりません。

結果として、3・11地震が起き、福島第一原発は爆発し、取り返しがつかない事態になりました。

これは、皆が、本当の情報に接することがなく、嘘の情報に騙されたまま、議論が進まなかったためだと思います。

原発事故を受けて、ブログのアクセス数は数十倍になりましたし、今ではかなりの人が、事実を共有していると思います。が、事故になってからでは遅過ぎるのです。

現在、日本は深刻な問題を抱えています。
人工的に起こされる地震(2000年以降、大きな地震の数は、それまでの6〜7倍も起きています!そのほとんどが、なんらかの人工的な要素が絡んだ地震だと考えられています=地下核爆発含む)や気象操作。作られる冤罪事件。そしてTPPの問題。
これらの問題を、大好きなサッカーやファッションを語るのと同じように、熱く議論していかないと、この国は滅びます。

そして、サッカーが皆を幸せにしていったように、皆の議論やコミュニケーションが、この国のファッションや社会を、もっと素晴らしい方向に変えていくことが出来るようにしていきたいと思います。

管理人は、日本のアートやファッション、そしてデザインをもっと面白くしていきたいです。そして、世界に通用するデザイナーを産み出していきたいと思ってます。
その思いは、今までもこれからも変わりません。

それらに皆様の力を少しでも借りることが出来たらと思います。

よろしくお願いいたします。