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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
日本学術振興会特別研究員PD、京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターを経て、京都精華大学ファッションコース専任講師。
ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、ファッションのギャラリー「gallery 110」運営メンバー、服と本の店「コトバトフク」運営メンバー。

e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
twitter: @ihsorihadihsa

『vanitas』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

カオス*ラウンジとファッション、あるいは問いの立て方

今週の金曜日、「ドリフのファッション研究室」というトークイベントに出ます。

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7月9日(金) 19:00〜21:00
「ユースカルチャーとしてのカオスラウンジ、あるいはファッション」

・出演者
モデレーター:  蘆田裕史

カオスラウンジ:黒瀬陽平さん(美術家、美術評論家)
浅子佳英さん(建築家、インテリアデザイナー)
梅沢和木さん/梅ラボさん(アーティスト)
坂部三樹郎さん(MIKIO SAKABEデザイナー)
増田セバスチャンさん(6%DOKIDOKI代表)

http://drifters-intl.org/?cat=8

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最近の美術界を騒がせているカオス*ラウンジとファッションについてのお話ですが、

このテーマを見ると、「そもそもカオス*ラウンジとファッションを結び付けられるの?」という疑問が出るのではないかと思います。

正直なところ、僕自身もそれが可能かどうかわかりません。

しかし。

カオス*ラウンジとその中心人物である黒瀬陽平さんが2010年代の文化において様々な議論に関わっていることを考えるならば、「なぜカオス*ラウンジとファッションが結びつかない(と思われる)のか?」という問いを立てることも可能です。

たとえば、宇野常寛さん主催の第二次惑星開発委員会が発行する『ゼロ年代のすべて』という本(黒瀬さんも関わっています)では「ゼロ年代カルチャー総括座談会」と称して、ゼロ年代の漫画、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、小説、音楽、お笑い、美術、演劇が語られています(美術と演劇は座談会ではなく一人の論考)。それ以外に、「〈アーキテクチャ〉再考──建築・デザイン・作家性」と題された鼎談があり、建築とデザインの分野もカバーしていることがわかります。

ここになぜファッションが入らないのか。

もちろん、編集者(とその周辺)にファッションに関心を持つ人が少ないという理由が挙げられるでしょう。

では、なぜ「ファッションに関心を持つ人」が少ないのか。

それを「なぜカオス*ラウンジとファッションが結びつかない(と思われる)のか?」という問いとして提起し直すことによって、カオス*ラウンジ、ひいてはゼロ年代の文化をめぐる議論とファッションの関係を考えることの(不)可能性を浮き彫りにすることができるのではないでしょうか。

と、こんなことを漠然と考えているのですが、僕一人が話をするわけではないので(というか、モデレーターが自分の意見を言うことがどこまで許されるのかわかりません)、当日はどのような議論になるのか予測がつきません。

ustreamでの中継もあるとのことですので(トークが延長した場合でも、中継は21時で終了してしまうそうですが)、よろしければご覧ください。

ファッションと「物語」 その2

前回に引き続き、今回も「物語」について。

以前の記事で、モダンとポストモダンという概念について少し触れました。哲学者のジャン=フランソワ・リオタール(1924〜1998)によれば、ポストモダンとは「大きな物語」が凋落し、「小さな物語」がひしめく時代だとされます。

この「大きな物語」とは、皆がこうあるべきだ、こういうものだと信じている価値観やイデオロギーのことです。リオタール自身は大きな物語の例としてマルクス主義などを挙げているのですが、もっと身近な例で言えば、「男は一家の長として一生懸命働くべきだ」といったような価値観などが挙げられるでしょうか。しかし、こうした考えはポストモダンの時代においては、皆が共有しているわけではありません。その代わりに、主夫やフリーターといった多様なあり方(=小さな物語)が認められるようになったと言えます。

さて、この「大きな物語」に相当するものをファッションにおいて考えると、「ファッションは美しいものだ」という価値観を挙げることができるでしょう。1960年代にストリート・ファッションが隆盛するまで、パリのオート・クチュールを中心としたファッションの世界では流行によるシルエットやスタイルの変化はあれど、そのような考えが共有されていたように思われます。しかし、パンクやヒッピーといったストリート・ファッションによって、そうした神話が崩れ始め、ポストモダンに突入したと見ることもできます(*1)。

批評家・哲学者の東浩紀はオタク文化を分析した『動物化するポストモダン』においてこうしたポストモダンをデータベース的な世界だと捉え、前回触れた物語消費からデータベース消費への移行を語ります(*2)。東はオタク文化におけるデータベース的なものの例として萌え要素を挙げているのですが、この萌え要素は、アクセサリー(たとえばネコミミ、メガネ)や衣服(メイド服やナース服)、あるいはヘアスタイル(アホ毛や触覚、ツインテール)など少なからぬ割合でいわゆるファッションの範疇に入るものがあることはとても示唆的です。

このことは、データベースという概念はそもそもファッションと親和性が高いことと関係があるのではないでしょうか。実は、ファッションというものは元来データベース的なものと言えます。シャツを例に挙げてみれば、襟の形や袖の長さ、あるいはボタンの有無など、様々なディテールのデータベースがあり、そこから組み合わせを作ることによって、一枚のシャツが作られます。

アイテムのレヴェルだけでなく、スタイルのレヴェルでも同様です。たとえば、パンクのスタイルは安全ピンやスタッズ、ツンツンヘア(これは正式な呼び名があるのでしょうか?)など、衣服に用いられるもののデータベースの中から抽出して再構成したものです。

前回、物語について書いた記事を読んで、「いまさら物語?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、原則的に衣服それ自体が物語を持たず、データベース的なものとして考えられることを踏まえれば、いまファッションにおいて物語が重要性を持ちうることを理解してもらえるのではないでしょうか。

そう考えるならば、いかに衣服に巧妙に物語を組み込んでいるか、それが現代のファッションにおいてひとつの批評基準になり得るように思います。こう書くと、「それでも衣服それ自体が大事だ」という反論を持つ人もいるでしょう。しかし、衣服それ自体のみで勝負ができるのであれば、ショーや写真といった、衣服にイメージや物語を付与するメディアを用いていることの言い訳ができないはずです。

ここでいう「物語」は単純な「お話」以上のニュアンスを含めています。つまり、制作に用いる技法・技術(×××という○○地方に伝わる技法を用いて〜〜、とか)や特殊な素材、あるいは写真や映像によるコンセプトの表出など、さまざまなレヴェルのものを含めて「物語」と総称しています。

いかに「物語」を創出するか。これはファストファッションと差異化を図るためにも必要です。ファストファッションは、すぐれてデータベース的なものであり、物語が生み出されることがあまりないように思われます(*3)。僕自身、必ずしもファストファッションを否定的に捉えているわけではありませんが、デザイナーが今後生き残るためには、ファストファッションとどう違うのかを提示していかねばなりません。その答えのひとつが「物語」だと考えられるのではないでしょうか。

(*1)あくまでこれはリオタールの思想をファッションに適用した場合の見方です。もっといえば、リオタール自身も単純にモダンの後にポストモダンが来るとは考えていないため、本来はもっと複雑です。

(*2)このあたりの「物語」と「データベース」の関係については、たとえば宇野常寛『ゼロ年代の想像力』など、議論を拾っていくと、こちらも複雑になるのですが、ここでは詳しく触れません。

(*3)ないわけではないのですが、今のところは「モデルの○○ちゃんも着ている!」のように型にはまった物語しか作られていないように感じます。

ファッションと「物語」 その1

前々回の記事で書いた、ファッションにおける「物語」について。

この「物語」という言葉はいわゆる「お話」よりも広い意味合いで捉えられる言葉ですが、今日はまず「お話」の意味での「物語」について書きたいと思います。

他の分野と同じく、ファッションにおいても「コピー」が批判されるべきものだとすれば、その評価基準のひとつに「新しさ」や「オリジナリティ」があることは否定できない事実です。しかし、ファッションにおいて「新しさ」を提示することは容易ではありません。女性服に関して言えば、1960年代にミニスカートが流行するまでは、新しいシルエットを生み出すことが可能でした。しかしながら、それ以上スカートのヘムラインを上げることができなくなり、決定的に新しいシルエットを作ることがきわめて困難になったように思います(もちろん、細かいフォルムにおいては可能ですが)。

ではどのようにして「新しさ」を生み出せるのか。その答えのひとつが「物語」にあるように思います。80年代のファッションにおいてコム・デ・ギャルソンが成し遂げたことのひとつに「物語性の導入」があります。コム・デ・ギャルソンがパリ・コレクションに参入した当時、ブランド名はデザイナーの名前に由来するものがほとんどでした(*2)。そこに「少年のように」というフレーズが持ち込まれたことの意義は少なくありません。もちろん、これだけではコンセプトのレヴェルにとどまっており、実際に物語を作っていたとは言えません。しかし、その導入としては十分すぎるのではないでしょうか。

美術(絵画や彫刻)や音楽、文学、映画といったジャンルにおいては、物語が提示されることは珍しくありません。一方、デザイン(ファッションだけでなく、建築やプロダクトなども含めて)においてそれが可能かどうか考えてみると、少なくとも簡単なことではないことがわかるでしょう。

しかし、ファッションはプロダクトや建築とは異なり、作品それ自体で完結するものではなく、様々な表現媒体を使って提示するものです。オート・クチュールの祖とされるシャルル=フレドリック・ウォルト(*1)(1825〜1895)以来、ショー形式で作品を提示する手法が普及しました。そして、とりわけ20世紀以降、画家や写真家にイラストや写真を依頼するデザイナーも増えます。このようなことが行われてきた理由のひとつに、衣服の持つ情報量が少ないことが挙げられると思います(これは既に書いたとおり、批評とも関係する話です)。情報量の少なさを補うために、様々なメディア(表現媒体)を使ってイメージを膨らませる必要が出てくるのです。そして、このメディアを使えば物語を生み出すことも可能なのです。

最近、ファッションにおいて物語を作り上げるデザイナーたちが増えてきているように思います。例を挙げるなら、FUGAHUMやwrittenafterwardsなどです。前者は架空の王国を設定し、その歴史の断面を提示する、いわば物語消費(*3)的なやり方であり、後者はショーでの物語そのものを提示したり、モデルをキャラクター化することによって物語性を付与したりしていると考えられます。

様々なメディアが普及した今日、ファッションにおける物語の提示は様々な可能性を孕んでいるのではないかと個人的に思っています。

最初に書いたように、今回は「お話」という直接的な意味での「物語」について書きましたが、次回はこの概念をもう少し大きな意味で捉えていきたいと思います。

(*1)英語読みではチャールズ=フレデリック・ワースと表記されます。

(*2)まだきちんとした調査ができていないので、「ほとんど」としておきます。

(*3)大塚英志が提唱した概念。大雑把な言い方をすれば、ビックリマンチョコレートのシール1枚1枚のように、受け手が「物語」の断片を消費することを指します。

『けいおん!』と縞とミ・パルティ

「次回は物語について書きます」と宣言したのにもかかわらず、いまひとつうまくまとまらないので、とりあえず『けいおん!』(アニメ)の話をすることにします。

『けいおん!』というアニメは、女子校の軽音部に所属する4人の女の子が繰りひろげるコメディです(途中で一人部員が増えますが、それは置いておきます)。このアニメは、メインキャラクターの4人が学校という社会において「疎外」されていることがひとつの特徴だといえます。メインの4人以外の主な登場人物は、主人公である平沢唯の妹の平沢憂(うい)、幼なじみの真鍋和(のどか)、そして顧問の山中さわ子。興味深いことに、メインキャラクターが学校(=社会)と関わりを持つ際には、ほとんど常に生徒会役員の真鍋和を媒介します。つまり、真鍋和というメディアを通じてのみ、軽音部の4人は学校という社会と関わるのです。

実は、この社会から疎外された4人の状況が、ED(エンディング)で「衣服」を用いて象徴的にあらわされています。

見たことがない方はここで見てみてください。


4人が共通して身に着けている柄があるのがわかるでしょうか。

答えは縞模様です。

実は、この縞模様というものはとても面白い歴史を持っています。

『悪魔の布──縞模様の歴史』という本を書いたミシェル・パストゥローが言うには、もともと縞模様を身につけた人物は社会秩序の外部に置かれていたのです。たとえば罪人、病人、低級あるいは不名誉な職業といった理由で。さらにパストゥローが述べているのは、縞模様が音楽家の衣服でもあったということです(音楽家も社会の周縁に位置づけられてきたと彼は言います)。衣服は様々な機能を持っていますが、そのなかには社会的な機能(アイデンティティや権力の表示など)もあります。そしてこの縞模様という柄ひとつだけで、彼女たちが社会(学校)から疎外されていることを示すことができるのです。

そしてもうひとつ。キーボードの琴吹紬に着目すると、彼女の衣服は《ミ・パルティ》と呼ばれるものでもあります。《ミ・パルティ》とは身頃の中央で色分け(あるいは柄分け)された衣服のことで、これもやはり宮廷の道化や奉公人など、社会的に地位の低い人が身につけていたものです(*1)。メインキャラクターの4人のなかで、主人公の平沢唯は真鍋和という幼なじみがおり、田井中律と秋山澪は幼なじみ(*2)です。つまり、琴吹紬はこのなかでももっとも孤立した存在として描かれています。それがミ・パルティ+縞模様という最強コンビであらわされていると考えることができるのです。

と、服飾史的にアニメを見ることもできるんですよ、という話で時間稼ぎをして、次回こそ「物語」について書きたいと思います。

(*1)たとえば、リュック・ベッソン『ジャンヌ・ダルク』では城の衛兵が着ているのを見ることができます。

(*2)秋山澪はさらに、真鍋和とも仲良くなります。

writtenafterwards #06

今回はTabloidで行われたwrittenafterwardsのショーについて書くことにします。

冒頭から言い訳めいた発言で申し訳ないのですが──とはいえ必要だとも思っています──、コレクション評を書くにあたって僕のスタンスを表明しておくことにします。

僕は以前のブログで「そもそもファッションの批評が可能なのかどうか、僕自身にもまだわかりません。恐らく試行錯誤の繰り返しになるとも思います」と書きました。今回writtenafterwardsのショーについて書くこともその試行錯誤のなかのひとつであり、自分でも正当な判断なのかどうか自信はありません(書く以上、当然責任はありますが)。

ただ、現在のファッション雑誌のほとんどがショーのディスクリプション(描写)しかしていないことは問題だと思っているので、問題点と評価できる点を明確にすることが第一歩だと考えて書くことにします。

もうひとつ付け加えておきたいのは、ここで意味のない批判をするつもりはないことです。こちらも手探りの状態ですので、ただ叩きたいだけならわざわざここで取り上げません。おこがましい言い方かもしれませんが、作家が自分の作品を見つめ直すための、今後より良いものを作るための手助けになるようなことを書くことができればと思っています。

ここで書いたことに対する異論や反論などがあれば、是非コメントを書いてください。そうした議論の場も今後のために必要なもののひとつですので。

まずは今回のイベントとしての問題点から始めたいと思います。

「関係者」向けであったファッション・ショーを有料で一般に開放する試みは、ショーをパブリックな場におくことで、様々な議論を生むことができるという点ではよいのですが、はたして今回のショーが有料の興業として耐えうるものだったかというと、そうは思えません。その理由はホスピタリティのなさ、オーガナイズの悪さです。簡潔に言って、全員スタンディングの会場は、お金を払った人すべてがきちんとショーを見られる状態ではありませんでした。大劇場のように、S席、A席・・・など細かい料金体系を設定せずとも、たとえば「イス席はいくら、スタンディングはいくら」と分けるだけでも状況は変わりますし、たとえば誘導係を置いて最前列の人たちに座ってもらうようにするだけでもいいでしょう。興業に対価を要求する以上、興行主としても最低限の努力をするべきだと思います。これはショーの後のドリフのファッション研究室に関しても同じことが言えます。一つ目のセッションでは、平川さんと藤原さんの話が面白かっただけに、後ろの方のお客さんにまで声が届かなかったことだけでなく、聴衆からの質問を受け付けようとしなかったことは(実際には受け付けてくれましたが)、わざわざ将来の客を自分たちから減らそうとしているようなものではないでしょうか。家でustreamを見るのと何ら変わらなくなってしまいますから。

それでは、肝心のwrittenafterwardsのショーについて。

前回(神々のファッション・ショー)、前々回(ゴミのコレクション)これまでのwrittenafterwardsの特徴として、社会/制度に対する愚直なまでの批判的なアプローチ(あくまで褒め言葉です)が挙げられます。つまり、エコを叫べば倫理的に正しいと思われる現代においてファッションが直面している問題を、「ゴミ」というあまりに直接的なテーマでぶつかること、あるいはバイヤーが集まるビジネスの場でもある東京コレクションにおいて、あえて(日常では)着られない衣服を提示することなどです。既存のファッションの制度を批判する方法としてはアズディン・アライアのように制度から降りてしまう方法と、マルタン・マルジェラのようにあくまで制度の内部にいながらそれを組み替えていく方法がありますが、writtenafterwardsは後者の立場をとりながら、マルジェラとはまた別の仕方で批判を行っていたと言えます。

しかしながら、今回のショーではそうした特徴が消えてしまっていました(*1)。もちろん、いつまでも同じアプローチを取る必要はないのですが、それに代わるものがほとんど見受けられませんでした。前回までになかった(と思われる)ことで、今回興味深かったのは「洗濯物を干す=業界から干されたくない」というような言葉遊び的なものがあったことでしょうか。この言葉遊びは現代の日本の文化を考える上で重要なものだと思っています。情報化とグローバル化とネタの出尽くしによってあらゆる分野でオリジナリティを生み出しにくくなった今、日本語というローカルな言語に日本人が向かうのはある意味で必然的なのかもしれません。西尾維新や昨日のトークにも参加していたchin↑pomなど、文学や美術で現在もっとも注目されている人たちに共通している現象のひとつだと思っています(以前この問題を考えていたとき、他にもいくつか思いついていたのですが、忘れてしまいました)。

それでもなお、今回のショーはwrittenafterwardsの足跡として、前回・前々回のショーと同様に重要な一歩であることも事実です。それは、writtenafterwardsのもうひとつの特徴である「物語性」(*2)に現れています。そもそもファッションは絵画や彫刻、あるいは文学などとは異なり、何かを再現=表象するわけではないために、どうしても「物語性」に欠けてしまいますが、writtenafterwardsは卒業コレクション以来、それをコレクション単位で巧妙に作り上げています。今回のショーについても、「罪と罰」というテーマとの直接的な関連はわかりにくかったものの、巨大化した洗濯バサミ、あるいはモップのような靴といったガジェットでキャラクター性を強化し、writtenafterwardsらしい童話的な世界を上手く提示していたように思います。この「らしさ」というのは、オリジナリティとほぼ同義語であるため、ある意味で最大級の賛辞になり得ることも言い添えておきます。

(*1)さらに言えば、今回も制度に対する批判を行っていたとしても、有料の興業にしたことで既に既存の制度からは外れてしまっているために、効果は持ち得ません。

(*2)「物語」はファッションを考える上で重要な概念だと思っていまして、本来ならこれについて先に書くべきなのですが、次回書くことにします。

衣服と身体

ファッションにおいてウェアラブルか否か(つまり着られる/着られない)、あるいは着やすさ(着心地)が評価の基準となることがあります。これは衣服を身につける身体というものが前提とされていると考えられますが、衣服の身体の関係は一元的なものではないと考えられます。そこで、今回は衣服と身体について少し書きたいと思います。

これまでのファッション論における衣服と身体に関する主要な議論は二つあります。

ひとつはマーシャル・マクルーハン(1911〜1980)に代表される考え方で、衣服を皮膚や身体の拡張とするもの。マクルーハンはメディアを「身体の拡張」と捉えていて、衣服は皮膚の拡張(たとえば熱制御機構)だとしています。この観点にたてば、衣服は「第二の身体」と言うことができます。

もうひとつは鷲田清一がまとめたもので、身体を第一の衣服とする考え方。鷲田は精神分析学者のジャック・ラカン(1901〜1981)の「鏡像段階論」(*1)を踏まえ、断片的な自分の身体の情報から構築された身体の像(イメージ)が第一の衣服だと言います。また彼は衣服の機能の最も重要な点として、自分の身体の輪郭を補強することを挙げます。たとえば、熱いシャワーは自分の身体の輪郭を感じることができるために気持ちよいのと同様に、衣服も自らの身体の輪郭をあらわにしてくれるのだと言います。

これら二つの理論は「生身の身体」が「身体の上に」衣服を身につけることを想定しています。しかし、現代ではアバターのようにヴァーチュアルな空間における身体がやはり衣服を身につけることを考えると、上記二つの身体論に立脚した衣服論は必ずしも十全とは言えません(もちろん、これらがもはや有効ではないと言うのではありません)。ここにおいて、衣服は身体の上に身に着けるような階層的なものではなく、むしろ身体と衣服が同一化したものだと考えることもできるのではないでしょうか。

これを象徴的に示しているのが、80年代(*2)から90年代にかけてのガンダムからエヴァンゲリオンに至る、いわゆるロボットアニメの流れです。モビル「スーツ」と呼ばれるガンダムのロボットは、そのなかに人間が乗り込み、まさに第二の身体として機能する衣服だと言えます。一方で、インターネットが普及し始めた90年代半ばにあらわれたエヴァンゲリオン(奇しくもwindows95の登場とエヴァの放映開始は同じ95年です)は、その内部に人間が乗り込むという構造は変わらないものの、エヴァに与えられたダメージがパイロットにまで伝達されます。ガンダムが第二の身体としての衣服だとするならば、エヴァはまさに身体と同一化した衣服だと考えられるのです。

これを僕は「潜在的な身体としての衣服」と名指して、マクルーハン的な身体論、鷲田的な身体論を補完する第三の身体論としてシュルレアリスムを手がかりとしてこの概念を展開しようとしているのですが、長くなってしまうので、詳細はいずれまた。

とりあえず今回言いたかったのは、衣服と身体の関係は「ウェアラブル」という概念だけで考えられるようなものではないということです。それはファッションの批評を行う上でも言えるはずですし、こうした理論を整備することも批評の基盤の構築につながるのではないかと思います。

(*1)簡潔に言うと、幼児は鏡を見ることによって、断片的なイメージしか持つことのできない自分の身体をひとつの統一したものと理解できるという理論。

(*2)正確にはガンダムは79年に放映が開始されています。

ファッションの歴史

今日は、前回のブログのコメント欄で回答したことの補足として、既存のファッション史の問題点について少し書きたいと思います。

ファッションという分野は学術的な研究対象になってからまだ年月がそれほど経っていないので、現状ではその歴史に関しても十全に語られているとは言えません。もちろん衣服のフォルムの変遷、つまり様式史という意味ではほとんど完成しています。しかし、歴史の認識というのは様式史だけですむ話ではありません。もう少し理論的な側面も必要なのです。

たとえば、モダニズムやポストモダニズムといった概念があります。装飾を排した機能主義的な建築のことをモダニズム建築と呼ばれているのを聞いたことがあるのではないでしょうか。デザインでもやはり機能主義的なものをモダニズムとすることが多いと思います(バウハウスなど)。しかし、このモダニズムということば、実は分野によって使われ方が違うのです。たとえば美術であれば、アメリカの批評家クレメント・グリーンバーグはモダニズムを自己批判による「純化」のプロセスだと捉え、絵画の独自性である「平面性」の強調がモダニズム絵画の特徴だと述べたりしています(たとえばジャクソン・ポロックなど)。グリーンバーグの用法とは別に、印象派や20世紀に入ってからの未来派・ダダ・シュルレアリスムなどを「モダン・アート」と呼ぶことも多いです。

細かい問題を話し出すときりがないのですが、とりあえずは分野によってモダニズムの用法が違うことがわかると思います。それでは、ファッションはどうでしょうか。

そもそも建築やデザインとファッションは歴史が違います。少なくとも、一見似ていそうなデザイン史の枠組みでファッションを語ることすらされてきませんでした。しかし、現在のファッション史では、そのほとんどが「モダニズム=機能主義=シャネル」という図式で考えてしまっています。この何となしの考え方がデザイン史や建築史と時代的にもあってしまったために(というか、同時代からシャネルを拾ったのでしょうが)、ファッション史における固有のモダニズムが考えられてこなかったのです。

モダニズムを考えるには、詩人のシャルル・ボードレール(1821〜1867)がモダニティ(近代性)という概念について論じていたことを参照する必要があります。そのボードレールの論を見ていくと、モダニティは「流行」と結びついた概念だと言われています。だとすれば、建築やデザインの話を持ち出さなくても、そもそもファッションはその性質そのものがモダニズム的なものだとも言えるのです。もちろん、別の見方も可能です。たしか『エフェメラの帝国』の著者ジル・リポヴェッキーはミニスカートをモダニズムと捉えていた気がします(記憶違いだったらごめんなさい)。

歴史をどう把握するかという問題は、今どのような立ち位置でファッションを作るか、あるいはどのような視点でデザイナー/作品を評するかなど、制作側の人間と理論側の人間のどちらにとっても、事物の見方を与えてくれる材料になり得るはずです。そのためにも、ファッションに固有の言語/概念で、ファッション史を語ることをしなければいけないのですが、もう少し時間がかかりそうです。ファッション研究をする人がもっと増えてくれればよいのですが。

ファッション批評

今日はファッションの批評について。

大きなことを言うようですが、ここ最近、どうにかして日本でファッション批評を成立させたいと思っています。

作り手からすると、批評という行為/制度には関心のない人も多いかと思います。ですが、ファッション・デザイナーが長期間生き残るためには、批評という行為/制度も必ず有益なものになるはずです。たとえば、1990年代に活躍していたファッション・デザイナーの多くがブランドをやめたり、その規模を縮小したりしていることの要因は批評の不在にもあるのではないかと個人的には思います(もちろん、それ以外の要因もありますが)。

しかし、そもそもファッションの批評が可能なのかどうか、僕自身にもまだわかりません。恐らく試行錯誤の繰り返しになるとも思います。それでも、この問題を少しでも共有してくれる人が出てくれることを願いつつ、このブログで少しずつファッション批評の可能性について考えていきたいと思います。

今日はまず、ファッション批評を行う際の問題点について。最も大きな問題は、ファッションの場合、批評の対象が不明瞭なことだと思っています。

たとえば。

美術批評であれば、批評の対象は通常、ひとつの作品、あるいはひとつの展覧会です。

音楽批評ならひとつの楽曲、CD、あるいはライブ。

演劇批評ならひとつの公演。

映画批評ならひとつの映画作品。

こうして比較してみると、まずファッション批評の対象として考えられるのはひとつの作品、つまり一着の衣服です。しかしながら、他分野の作品と比べると──とりわけ1本の映画と比べれば一目瞭然ですが──、一着の衣服が持つ「情報量」が圧倒的に少ないのです。この情報量の少なさゆえに、1着の衣服の批評はほとんど不可能だと思います。もちろん、服飾史を振り返ってみれば、エポックメイキングな1着もないわけではありませんが、そういった作品はごく稀です。

そうすると、次に考えられる可能性は1シーズンのコレクションをひとつの単位として見ることで、これは美術の展覧会をひとつの単位として批評することに似ているといえるでしょう。しかしながら、ここで制度的な問題が生じます。それは、コレクションをまとまって見る機会の少なさです。展覧会であれば、会期が数週間、あるいは数ヶ月あることも珍しくない上に、誰でも見に行くことができますが、ファッションの場合はそうもいきません。ショーは1回しか行われない上に、誰でも見に行けるわけではないからです。展示会も数日の期間があるとはいえ、ほぼ同様です。

さらには、ファッションのアーカイブ制度の不在も大きいように思われます。美術作品であれば、美術館が買い取って所蔵するという制度が成立しています。そのため、数年前、数十年前の作品であっても改めて展示される機会があるのですが、ファッションの場合、それを行う機関が日本にはほとんどありません。そうなると、過去の作品をさかのぼって批評することが不可能になってしまうのです。

現在のファッションを今でも収集している機関は京都服飾文化研究財団くらいでしょうか。神戸のファッション美術館は、そのコレクションはすばらしいものの、既に収集を行っていないと思います。数年前にオープンした島根の石見美術館もファッションの収集を行っているのですが、現代のものはあまりないように思われます。

ヨーロッパでは「美術館」がファッション・デザイナーの作品を所蔵することが珍しくありません。オランダのようなファッションが盛んでない国でも、フローニンゲン、ユトレヒト、デン・ハーグなど地方の美術館があたりまえのように衣服を収集の対象としていますし、ファッションの展覧会が至るところで行われています。

日本の美術館がファッションに目を向けるようになるためにも、批評は必要です。こう考えると、批評が先か、アーカイブや展示の機会を増やすのが先か、と卵が先かニワトリが先かみたいな話にもなってしまいそうですが、僕個人としては、まず批評を成立させ、どの作品が良いのか、それが何故よいのか、と語る言語を作るのが先だと思っています。ただ単に「日本の美術館は衣服を買ってくれない」と嘆いているだけでは不毛だからです。

今日書いていること、あるいは今後ファッション批評について書くことは、あくまで現在進行形の考えです。ですので、後々「やっぱりあれは間違いでした!」と言うことになるかもしれません。ひとりで考えられることには限界もありますし、現場からほど遠いところにいる人間の意見ですので、見当外れなこともあるでしょうし、十分練られていない僕の意見に対する批判もあるでしょう。それでもやはり、一歩ずつでも進めるように、少しずつこの場で考えを表明していきたいと思います。

ファッションとアート

何の話から始めればよいのか悩んだのですが、まずは自己紹介がてら僕の研究内容について書くことにします。

一言でいえば、僕がいま興味を持っているのは20世紀前半のファッションとアート(*1)の関係です。

たとえば、1909年にフランスの新聞『フィガロ』に「宣言」を発表することから始まったイタリアの未来派は、1944年に主導者マリネッティの死とともに終焉を迎えるまで、数多くの宣言を発表してきました。そのなかには衣服や流行に関する宣言が少なからずあり、彼らは自ら衣服のデザインも行っていました。

あるいは、未来派と活動の時期が重なるシュルレアリスムの作家たちもやはり、ファッションについて色々な発言をしています。彼らは衣服制作に手を染めることはなかったものの、絵画や写真に表象される衣服や身体に興味深い特徴がみられます。

このようなテクストや作品から、芸術家の衣服やファッションに対する見解を導き出すことを目的としています。

では、そもそも何故このような作業が必要なのでしょうか。

歴史的には、いま言ったような内容が美術史と服飾史の狭間にあるために、掘り下げられてこなかったから、というのがひとつ。

もうひとつは、20世紀の半ばまで、思想家と呼ばれるひとたちが衣服について語らなかったため(*2)、衣服に関心を寄せていた芸術家たちの考えを見れば、様々な衣服論を構築することができるのではないか、と考えたからです。

ブログであまり長い文章を書いても読まれないと思うので、詳しい内容については追々書いていくことにします。未来派とファッションについて書いたものはここにpdfが置かれているので、興味のある方はダウンロードしてみてください。

(*1)個人的には、「アート」という表現はあまり好きではないのですが、最近はこちらが主流なので、読みやすさを考えてとりあえず長いものに巻かれておきます。ファッションという言葉も本当は定義が必要なのですが、その話は長くなるのでまた今度。

(*2)「衣服そのもの」ではなく「流行」という現象については、20世紀以前も論じられています。

はじめまして。

はじめまして。

今日からブログに参加させていただくことになりました蘆田と申します。

普段は大学でファッションの歴史や理論を研究したり教えたりしています。

専門としている時代は今のところ20世紀前半なのですが、このブログではファッション論やファッション批評(の可能性)について考えていることを、幅広く書いていきたいと思います。