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KAGARI YUSUKE

Yusuke Kagari / カガリ ユウスケ

2005 01 Kagari Yusuke立ち上げ
2006 10 DESIGNTIDE TOKYO 2006
2007 06 アトリエ兼ギャラリー、P2Gオープン
2007 09 個展「wall 01」 @P2G
2007 09 IID SELECTED MARKET @IID
2007 11 MOTデザインバザール @MOT
2008 04 個展「wall 02」 @P2G
2008 09 「JUNKMAI PROJECT」@in touch渋谷店
2008 10 横浜トリエンナーレイベントTHE GOLD
2009 02 Mix room @CLASKA
2009 05 個展「wall03」 @ROCKET
2009 07 イベント「wall04」 @SFT
2010 03 個展「2.5d」 @P2G
→ Kagari Yusuke
→ P2G

ザッピング#3 作為の範囲

作品そのものと、ものを作る人、どちらも好きでして。

なので作品を通してその人の思考を(あくまでも自分勝手に)トレースする作業を繰り返し、こねくり回したあげく勝手に納得してニタニタと笑ってしまう習性 がボクにはあります。

楽しいんですよね。自分勝手に人の作品の指向性を見いだして「ハッ」とするのって。

それって基本的には無意味な事で、大体その類いの「ハッ」は口に出した 瞬間に崩れ落ちるものですけど。そういう意味で批評家さんたちはすごいなぁ、とか思ってます。作品と人から指向性を見いだすのはめちゃくちゃ簡単な事です けど、そこから意味や社会的意義などを理論付けして構築するのは、少なくともボクには不可能な事ですから。

最近「ハッ」としたのはchinaって文字。
中国の事を支那と呼ぶのは知っておりましたが、それがまさかローマ字読みから来ているとは。。

蛇足な話しになりますが、ボクの実家にお経を上げに来ていたお坊さんが、雑談をしているときに何を思ったのか「支那からミサイルがビュンビュン飛んで来る ともかぎりませんから」って発言した時に周りの大人たちの筋肉がビッて固くなるのを感じて、当時のボクにはその反応の意味が分からなかったけど、最近知っ たのは支那って言い方に差別的な意味を見いだす人がいるんですね。大阪にいた頃は特に差別用語に過敏に反応する人が周りにいっぱいいた気がしますね。それ に対してどーこーはまったくありませんが、多くの場合、差別用語に過敏に反応する人の目は下を向いてますね。なんなんでしょう。

ちなみにそのお坊さん。ぼくが17の時に高校生らしく朝方の産業道路をプラプラしているときにノーヘルでスーパーカブを目測70kmで走っている姿を目撃 しました。

色が綺麗でしたね。

「夏の朝方」に田畑と山の中にぽつんとある「産業道路」を「坊さん」が黒い「袈裟」をバタバタさせながら「スーパーカブ」を「ノーヘル」で乗っている姿。

タンカンケイの日本映画に出てきそうじゃないですか。こういうのって。そんなに売れないけど、一部マニアは大好物、みたいな。

さてさて。

いい感じに何を言いたいのかさっぱり分からなくなりましたが、最近マイブーム的に気になるのは「作為」って言葉。
よく言われる(誰に?)のは「作品は作為を嫌う」というフレーズ。
感覚的な意味あいとしてすごく分かるんですけど、字面だけを追うとかなり不思議なこの言葉。
無意味の意味を追求、というのもゼロ年代って言葉と共にたまに見かけるようになりました。
どんな物でもそうですが、生半可な作為を人は嫌う ように出来ているようです。
作為を超えた、特別なものや感覚。人は常にそれを求めているようです。
でも言葉の上で意 地悪に言っちゃえば、人がなす事すべて作為で、例えモノホンの自然物でも写真に撮れば作為で、ギャラリーに配置した時点で作為。
いや、いっその事もう人が目撃して頭に通した時点でどんなものでも作為なのだ、とボクは考えて人の作品と対峙しています。
でないと、作品や人の思考と指向に触れる前に余計なワンクッションが出来てしまうように思ったからなのです。
アイドルうんちしないの時代でもないだろうに、とか作る人がみんながみんなガンジーじゃないんだから、って。
何かを作る事、特に日本で東京 でやるそれ自体は特別な事ではないわけですしね。
同時にぼくは作為の見える作品は嫌いです。
イエス矛盾です。
作為の範囲と善し悪しというのは、その人がどれだけ色々な事に思い悩んだり、そこに対して力を注いで来たか?
そしてその気持ちをどれだけ作品に反映できているのか?
という事になる気がします。
そんな事をあれこれ考える事自体が、もっといろいろ考えて考えて泥沼に一緒にハマろうよーという他人に対するお ねだりな気もしないでもないですが。
自分に対してそれを考えると、、、吐き気がします。
もっともっと頑張らなくちゃ。
むしろ機械になりたいと思った時期もありました。若い。そんな気がします。

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