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KAGARI YUSUKE

Yusuke Kagari / カガリ ユウスケ

2005 01 Kagari Yusuke立ち上げ
2006 10 DESIGNTIDE TOKYO 2006
2007 06 アトリエ兼ギャラリー、P2Gオープン
2007 09 個展「wall 01」 @P2G
2007 09 IID SELECTED MARKET @IID
2007 11 MOTデザインバザール @MOT
2008 04 個展「wall 02」 @P2G
2008 09 「JUNKMAI PROJECT」@in touch渋谷店
2008 10 横浜トリエンナーレイベントTHE GOLD
2009 02 Mix room @CLASKA
2009 05 個展「wall03」 @ROCKET
2009 07 イベント「wall04」 @SFT
2010 03 個展「2.5d」 @P2G
→ Kagari Yusuke
→ P2G

雑記

人の不在。カバンを作り始めた当初からそれを強く感じていました。

自分の作る物に、自分の見ている世界には常に人がいなかった。

例えるなら廃れたテーマパークのようなもの。

無数の建物。巨大な造作物。それらの時間が止まって変わりに草や蔦の時間が始まり緩やかな曲線を描きながら自然に近づこうとする流れの中で、かつてそこに少なくない数の人間がいた気配だけが漂っている。

物質と時間と気配の世界に一対一で対峙する。

ぼくはそれが美しいと思う。

理由は分からない。分かろうとも思っていない。

結果さえ知れればそれでいいのだと思う。

ぼくにとって美しい形とは、人の不在が作るあの空気なのだ、と。

カバンを作り始めた10代の終わりに見た夢を今でも覚えています。

コントラストの無い曇り空の下に白に近い灰色の海が広がっている。

その海の真ん中にぽつんとコンクリの四角い島が一つだけある。

ボクはそこに寝そべっている。

ただそれだけの夢。

ボクはあの夢をもう一度見たいといつも思っている。

出来る事ならばあの世界を自分の手で作ってみたいとも思っている。

それの実現だけを理由に世界が回ってくれたらどんなに素敵なんだろうとか考えるけど、

もちろんそんな夢みたいな話しはあるわけがない。

仕方が無い気もします。

100年の手紙

2011年からスタートした秋葉舞子さんとの共作「100年の壁」シリーズが生産終了する事になりました。

最終のオーダー〆切りは2013年2月末を予定しております。

来年の2月末までにお受けしたオーダー品を納品しだい、完全にシリーズ終了と相成ります。

ですので、100年の壁をご所望の方は2013年2月末までにオーダーして頂けると幸いです。

さて、事務的な話しはここまで。

100年の壁はカガリユウスケという作家にとって、とても重要で思い入れの強い作品群です。

それが終了するという事で、少し感傷的な気分になっております。

2010年に秋葉さんへ送った手紙(メールですが)から始まったシリーズなので、終わりにも手紙が必要だろうという事で、100年の壁への手紙を書きました。

よかったら、覗いてみて下さい。

以下、100年の手紙。

「作家活動を一旦休止しようと思っています」

秋葉さんからその旨の連絡を頂いたのは確か9月の終わり頃。

不思議なぐらいに自分が驚かなかったのを覚えています。ぼくは何か自分にとって大事な事が起きたとき、その起きた事と自分との関わりが深ければ深いほど、驚いたりするより前に「この事態をどうするのが自分にとって、相手にとって1番面白くする事が出来るか?」を考えてしまいます。

その時ぼくが思ったのはこの二つです。

1、どのような事情にせよ、秋葉さんの決めた事を、気持ちを最優先としよう。

2、そうだ、(秋葉さんに)弟子入りしよう。

秋葉さんからのメールを開いて上の二つが頭に浮かぶまでの時間はおよそ5秒。

「1」はまぁ人として当たり前の事として、「2」の意味が自分でもその時は良くわかりませんでした。

作家活動を休止すると言っている人に弟子入りって、、、ねぇ。

でもま、意味は分からずともこういう時の直感が外れた事は無いので、そのままメールを返信しました。

「了解しました。その代わり、弟子にしてくれ。技術を教えたりはしなくてもいい。概念としての弟子にして下さい」って。

そこから数ヶ月たったいま、その時の直感の意味が分かって来ました。

ボクは秋葉舞子さんを作家としてとても尊敬しており、彼女の作品から自分は深く影響を受け続けいます。

自分の作るものに対してここまで深く、そして直接的に影響を受けたのは父親以外では彼女が初めてで、このような事は今後そうは無いような気がしています。

その大事な影響を、感情を、目に見える形として残しておきたかったのだ、と。

その為の弟子入り、という事だったみたいです。

「弟子」という形はその人からの影響を言葉に変えたようなものだものね。

というわけで、人生初の弟子入りをしちゃいました。

手紙の本線とは外れますが、100年の壁とはまた違う形の、自分なりのエイジングをいま少しずつ模索中です。

皆様に発表できるまでに何年かかるか分かりませんが、秋葉さんからうけた影響は必ず形に仕上げるつもりです。

もちろん、100年の壁とはまた違う形としてね。

こちらは、まぁ話半分ぐらいの感じでお楽しみにしていて頂ければと。

さてさて。

実はボクと秋葉さんを引き合わしてくれた人物がおりまして。その人物、methodの山田さんには感謝してもしきれないです。

現代美術館のエントランスで(確かmethod主催でデザインバザーをやっていてそれにボクも出店していた時ですね)山田さんが「最近きになっているアーティストがいるんだよぉ」と言って手に持っていたノートPCをパチパチっと弾いて秋葉さんのHPを見せてくれなかったら、100年の壁はこの世に生まれなかったわけですから。
ある意味では100年の壁のおじいちゃんみたいなもんです。本当にその節はありがとうございます。
また今度みなさんとボーリングに行きたいです。手紙の主筋とは全然関係ないですが、皆さんと山田さんの誕生日会でボーリングをした3日後ぐらいにまたボーリングに行った際に人生最高のスコア198を叩き出しました。

嬉しくもあるのですが、どうやっても200の大台に乗れない自分に腹がたちます。

最後に秋葉舞子さん。
100年の壁の共同作業を通じて素敵な経験を沢山頂きました。秋葉さんとのこの二年間のやりとりはめちゃくちゃ楽しかったです。

お世辞抜きで尊敬しておりますよ。

またいつの日にか作家活動を始められる日を心待ちにしております。

そして、その時はまた一緒にものづくりで遊びましょうね。

本当に、二年間ありがとう。

2012年  明松佑介

「うず」をみた

ぼくのアトリエはカルチベイトというギャラリーさんと一部空間をシェアしていて、そのカルチベイトで本日から近藤さくらさんの「うず」が始まっています。

http://www.cltvt.org/

*展覧会の画像があります。真っ白な状態で「うず」をご覧になりたい方はそっとこのページを閉じて下さい。

今回のメインはこちらの絵。
3年の月日をかけてゆっくりゆっくり描いていったそうです。
この絵を前にすると、その奥行きの深さに落ちて行くような感覚を覚えます。
この感覚は生い茂った木々をじっとみつめる事に似ている。そんな気がします。
森を深く見つめると、森は「森」という単体の存在として突然に生まれたのではなく、そこにある草木それぞれの「いまよりもいい環境に我が身を置きたい」というシンプルな思惑が複雑に絡み合い無数のレイヤーを生み出した結果として形成されている事に気づきます。
そしてその単純な本能を繰り返した結果に生まれる木々の集合体としての恐ろしいほどの緻密さにハッとさせられるんです。

この絵は、線が絡み合っているだけの単純な絵。
だからこそ線の一本一本の意思がむき出し、絡み合っているように感じます。
この絵の線、それは一本一本に至るまで生きた植物。この絵は森そのもの。

そんな風に思います。

これから毎日アトリエに作業しにいけばこの森をみれる。贅沢な話しです。

みなさまもぜひ。

http://www.cltvt.org/

Gと私

夏ですね。

この季節になるたび結構真剣に考える事がひとつあって、それは何で自分はゴキブリが嫌いなんだろうって事。

ゴキブリ嫌いです。正直に言うとゴキブリって字面だけで怖い。本当に怖い。

でも自分が4歳ぐらいの頃はヤツのヒゲを掴んで投げて遊んでいたそうで(母親談)、実際にその記憶もある。いまはそんな事できない。マジで出来ない。

自分はいつからGが嫌いになったのか。幼稚園の頃は特に嫌いではなかった。でも小3ぐらいには悲鳴をあげるぐらい嫌いになっていた。その間に何があったかと言うと「ゴキブリが出たら恐がらなければいけない」とクラスで徹底的にプロパガンダされたような気がします。

例えばこういう事です。

教室にGがでる。最初は先生と一部のおませな女の子が徹底的に怖がる。自分は普通に触れる。触ると気持ち悪いと言われる。理不尽な事にGではなくカガリが汚いと言われる。カガリ傷つく。カガリの小さい脳はこう思う。

「ゴキブリが出たら怖がるのが真っ当な人間の正しい行いなんだ」

そして小3になる頃までにカガリは立派な反ゴキブリレジスタンスへと洗脳されていました。

このプロパガンタはいまもボクの中で生きていて、けっこう日常生活で困っている。4歳のGに対してタフだった自分に戻りたい!と本気で思ったりもするけど生理現象にまで刷り込まれた事ってまず抜けない。

かくしてボクは夏になるたびに悲鳴を上げ続けております。こういうのってちょっと辛い。

だからぼくは声を大にして言いたい。人前で、特に子供のいる前で必要以上にゴキブリを怖がるのはやめましょう、と。

子供の頃の刷り込みって根が深いんだから。ほんと。

個展やります

kagariyusuke 2012Collection 特設サイト

http://virtualwall.yusukekagari.com/

通常告知サイト

http://www.yusukekagari.com/info/

ただいま個展準備で絶賛追い込まれ中です。

今回はアトリエに併設したギャラリースペース+空き室になっていた下のフロア丸々を使って展示します。

空きビルが好きな自分としては、なんだか秘密基地みたいにワクワクする空気感の会場になってくれて嬉しい今日この頃です。

今年から新しいシリーズ[virtual wall]をスタートさせます。

ぜひ。

あ、今までの[wall] [skin] [100年]シリーズも定番として作ってますよ〜。

靴やリュックが特にいい感じに上がってます。

こちらもぜひ。

ではでは、残り48時間がんばります。

何だかよくわからないくせに実態すら持っているもの

変なタイトルですいません。

たまにはブログらしい事でも書こうかと。書けるかな、、、。

今年の夏前ぐらいにカガリユウスケから香水をリリースしたんです。

「え?お前みたいなもんがいっちょまえに香水?」って突っ込みもあるでしょうが、まぁぼくみたいなもんが作りました。実際に作ったのは調香師の方ですが。

名前を「廃墟の匂い」って言います。

廃墟に対してぼくの中には確かなイメージと記憶があったのでそいつを頼りに開発はわりとスムーズに進み、サンプルを二回出しただけで理想に近い匂いが出来ました。

開発自体すごく興味深い事ばかりで、特に出来上がった匂いを嗅いだ時のあの「初めて嗅ぐのにこの匂い知っている」と感じた経験はなかなかのものでした。記憶は匂いから蘇る、という話しも納得です。

そんな個人的な原風景トリップ体験以上に、「廃墟の匂い」に触れたぼく以外の人の反応は興味深いものでした。

例えばAさんの場合は事前に廃墟というネーミングとボトルデザインを見せてから嗅いでもらいました。Aさんの感想はこうです。

(嫌な顔をして)「ゴミ箱の匂いがする」

次にBさんの場合はネーミングとボトルデザインを見せる前に嗅いでもらいました。

(好意的な顔で)「森や草原の匂いがする」

さらにCさんの場合はネーミング、ボトルデザインに加え、ぼくの中のイメージ「雨に濡れた土の匂い」という解説も加えてから嗅いでもらいました。

(あまり表情に感情を出さず)「あ、本当だ。雨後の土の匂いがするね」

もちろんここに書いたパターンは話しが分かりやすく伝わる為にぼくが意図的に抜粋したものなので、全ての人がそうだったわけではありません。Aさんの立場で「朝に降る雨の匂いがする」と言った方もいればBさんCさんの立場で「うえっ、なんじゃこりゃ」って言った方もいます。

それでも、このA〜Cさんのケースは何だか印象に残っています。

思えば匂いって形がない正に記憶のようなもの。そんな雲みたいに輪郭が不鮮明な存在に対してボクは「廃墟」という印象と「ボトルデザイン」という実態を与えたわけです。

その結果としてクレショフのモンタージュ実験っぽいデータが出た事で、そういう科学ネタが好きな自分は色々考えさせられました。

さらにボクが面白いなぁって思うのは匂いはデータではなく主観の形ゆえに

「ゴミ箱の匂い」

「草原の匂い」

どちらも正解でありどっちも間違っているという矛盾した式が成り立ちうるって事だと思うんです。

これって、ぼくが抱くファッションのイメージにすごく近い。

実態はあるけど目に見えなくて、全部正しくて全部間違ってる。

こういう訳の分かんない概念ってなかなか素敵で扱い方次第では危ういな、って思ったってお話でした。

追記

文中に出てくるクレショフのモンタージュ実験についてはこちらのサイトが分かりやすかったです。

http://cinemaworker.com/21editor2.html

課外授業やります

ども、カガリです。

久々にイベントやります。その名も「課外授業」@原宿マカロニック

シルバー950という銀線を用いて、こんなシンプルなリングを作ります。

誰でも作れます。

飾りっけが一切無いシルバーのリングが欲しかった時期があったのですが、シンプルなリングって意外と売ってないんですよね。

ないなら作るか。という事で自分用に作ったものがこいつの始まり。

その後トモダチにプレゼントしたりアトリエに遊びに来た人と一緒に作ってたりしてたらいつの間にかワークショップなぞやる事になりました。

ほんと簡単に作れるので、ワークショップの時間内に二本ぐらい作れちゃうかも。

年末ですし、ちょっとしたプレゼント用にいかがです?

もちろん自分用でも全然OK。

お待ちしております。

あ、ついでにカガリのアイテムの即売会もやります。

日程や予約など、詳しくは下記URL、マカロニックのHPを参照ください。

http://ameblo.jp/macaronicblog/entry-11099342042.html

近況

単発系シュールアニメにハマりました。

気持ち悪いのが好きな人はこちら↓

http://www.youtube.com/watch?v=Vve3rOUOoZw

もちっとライトなのが好きな人はこちら↓

http://www.youtube.com/watch?v=HEzZh13XvI4

いや、まぁ、、それだけです。

あ、そうだ。NHKに出ます。

TOKYO FASHION EXPRESSというNHK BS1の番組です。

ぼくも8月4日の放送は見るので、よかったら一緒に冷やかしましょう。

http://www.nhk.or.jp/bs/tokyofashion/

ANREALAGE : Low

今更ですが、アンリアレイジの展示会に行って来ました。

http://changefashion.net/fashionshow/2011/04/16225047.html
今回は自分の展示とモロ被っていてランウェイには行けず。ランウェイの、現場の熱気を感じる事が出来なくて一人取り残された感を持ちつつ展示会へ。

「Low」
解像度の事でしたね。
遠くから見ると普通の服だけど、近づいてみると解像度が下がりディティールがドット絵のようになった服が浮かび上がる。

技術的にはレーザーカットと接着(高周波接着らしいっす)で作っていたように見えました。
レーザーで布を切ると言う事は、その布にはポリやナイロンが50%は含まれないとレーザーで切る意味がありません。
(ポリなどの繊維は熱で溶ける。レーザーで切る事で切断面を溶かして固めて始末しちゃうと言う事。逆に言えば綿100をレーザーで切ってもほつれてきちゃうからレーザーカットの意味がない)
また、高周波で圧着する場合も熱で溶ける素材でないと施行できないです。服に使えるとすれば、やはりポリorナイロンぐらい。
そして、高周波接着って乱暴に言っちゃえば振動の熱で生地と生地の接合面を溶かして接着しているわけだから、一部ならともかくあれだけ全面にしかも厚みがあるのをやるのはメチャクチャ荒技なはず。
素材がかなり限定されたうえなおかつ人が着れる形で作らなきゃいけないという制約の中で、よくあれだけ作れるものだなぁ、、。

服の解像度を下げるという最初の着想から実現できる技術をしぼり、そこから形を模索する。さらにランウェイ。展示会。本生産。それらを半年周期で。いやー、想像しただけで死ねますね。

アンリアレイジは特殊な翻訳機のようなブランドだと個人的に思ってます。

いまや世には色んな服がある(らしいですね。実はボクよく知らないんですよ)らしいじゃないですか。
そんな服って概念自体をアンリアレイジは遠くから見たり近づいてみたり延ばしてみたり縮めてみたり丸くしてみたり空気入れてみたり。
壊しながらも、それでも服の形を残しつつ。

ファッションという存在が苦手なぼくみたいな人間には、アンリアレイジみたいに特殊な翻訳をしてくれると飲みやすくてありがたいです。

アンリアレイジのコレクションを見た後は、少しだけファッションが分かった気になります。
(その後すぐ分からなくなっちゃうんですが)

次は何をしてくれるんでしょうね?

楽しみです。

ちなみに、パーカーフェチのぼくは買いそびれていた「○△口」のときの△パーカーの黒を今回買いました。

あぁパーカーがどんどん増えて行く。。

100年の壁

展覧会が無事に終了しました。

写真貼っておきます。枚数多いです。すいません。

今回はやりきれました。

モノを作り始めた20歳ぐらいの時から頭の中にずーっとあった風景を、初めてきちんとした形で出せた気がします。

アキバマイコという才能と出会えた事で。

でも、まだまだ今後への課題は山のようにあります。

まだまだ、作っていきます。

とりあえず次は名古屋への100年の壁巡回。

つまり、味噌煮込みうどんときしめんですね。

楽しみです。

空間的に、物質的に

凄い事になりましたね。

小さな事から大きな事までまいにち本当に色々な事が起こり、それらを受け止めて処理するだけでカガリは必死です。

今日はちょっと余裕があったので自分の今までのブログを読み返してみたんですけど、なんか、とても平和でしたw

平和な国に住むカバン作家が、カバンを作る事を通して「変わらない日常の何かが変わって欲しい」って気持ちをひねくれた文章で平和に書いてありました。

いま本当に日常が変わってしまいました。

地震から約二週間が経ったいまの気持ちは、なんだかまっすぐです。

いまボクは素敵な物が見たいし、美しいものを作りたい。それを誰かと共有したい。

空間的に物質的に、自分の心を揺さぶるようなカバンを自分の為に作りたい。

そして、それを通じて誰かの心を揺さぶりたい。

運がいいのか悪いのか、展覧会がもうすぐあります。

秋葉舞子と合同で行うコレクション「100年の壁」は、地震前も地震後も変わらず、朽ちたものの魅力。

廃墟の美がテーマです。

お時間が許す方は、ぜひ覗きに来て下さい。

いま、ものづくりは今まで以上に強くあらないと生き残れない。

そう感じています。

日程:
2011年4月10日ー同月17日 (期間中無休)
12:00−20:00
入場無料
会場:P2G – pilot program gallery -
東京都千代田区東神田1−3−5 ミツヨシビル1F
03-3861-6031
http://p-2-g.com/
インビテーションをご希望の方はysk@yusukekagari.comに件名をDM希望として住所、氏名を書いてお送り下さい。

カバン:1

ふとSF(と言えるまで構築出来るかは甚だびみょー)を喋りたくなりました。

カバンって人間しか使わないよなー、こんなに簡単で便利な道具なのに?って疑問が出発点です。

紀元
カバンの紀元は人が獲物(大型の動物かな?)を持ち帰る為の棒だったんじゃないかな、とぼくは考えています。

恐らくは獲得した獲物に対して尖らした棒を直接刺し、テコの原理を使い持ち上げたり持ち運びしやすくしたものではないかと。

あるいは、木の実などを沢山抱えて集落に持ち帰るために草を編んで作った原始的な袋状のものが先なのかもしれません。

それは口、手、足といった身体以外でモノを運ぶという機能の発明。

その背景には昔の人がそれまでよりもより多くの物を持たなくてはいけなくなったという問題が先にあり、そこからカバンという機能性が発見され、形は後から作られていったのではないか?

と、ぼくはそう考えています。

そしてその問題は現代にも続いている、と確信しています。